風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第四章 昔馴染み(1)

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 あれは一体、何なのだろうか。
 大名家の姫君だというのに、砲術は学びたがるし、お忍びで供もなく城下を出歩くし、大身の大谷鳴海と子供のような口喧嘩はするし。
 かと思えば、血相を変えて家臣の身を案じてみたり。
「あんな姫君、聞いてないぞ私は」
「いやそれ、俺に言われてもなぁ」
 翌日、雪の降り出した射撃調練場から帰ろうとする直人を引き留めて、銃太郎は昨夕の出来事を滔々と語り聞かせた。
 正直なところ、接し方には大いに困っていた。
「この私が乗せられて、うっかり対等な口をきいてしまったほどなんだぞ! おかしいだろう!?」
「うん、俺もお前は案外乗せられやすいほうだと思ってたぞ。だからまあ何だ、大丈夫だ」
「はァ?! 何が!?」
「ほら、そういうとこな。どうせそんな感じで言い返したんだろ?」
「ぅぐっ……」
 大当たりである。
 流石は昔馴染み、手に取るようにお見通しらしく、確かに今と似た調子で反射的に返答したのである。
 ずばり指摘する直人にたじろぐと、銃太郎は直人の袖をやや強く引き寄せて声を潜めた。
「……そこで相談なんだが、指導中に姫君をどう呼べば良いと思う」
「好きに呼べばいいんじゃないか? 今だって姫君って言ってるし、姫君で──」
「だからそれを禁じられた! 姫君と呼ぶなと仰せなんだ。他の門弟同様に名で呼べ、と」
「じゃあ仰せのままに瑠璃って呼べばいいだろ」
「!? ぶぶ無礼だろ!? なにお前までどさくさに紛れて呼び捨ててんだ!」
「んじゃ、瑠璃様とかいいんじゃないか?」
 名も呼べるし、様もつくから都合が良い。と、直人は提案する。
 確かにその通りではあるし、最適なものだろうとも思う。
 が。
「しかし、それはなぁ……」
「何かまずいのか?」
「いや、大谷殿が……」
 確か昨日、瑠璃様と呼んでいたなと思い出す。
 ただでも目を付けられている様子なのに、同じように呼べばまたぞろなじられるに違いない。
 千四百石の大谷家に睨まれるのはやはり肝が冷えた。
「面倒な奴だな、それじゃもう瑠璃でいいだろ」
 本人の命令だと言えばそれで済む。おざなりに告げると、直人は寒さに身を縮こまらせながら銃太郎に背を向けた。
 はらはらと舞う雪片は次第に大きくなり、銃太郎の肩にもふわりと白いものが乗る。射撃場に集まっていた門人たちも今や殆ど帰路についてしまったようで、辺りは閑散と静まり返っていた。
「あ、そうだ」
 直人は何か思い出したように足を止めると、こちらに首を巡らせて真っ白な息を漂わせた。
「うちの弟もお前の門人になりたいって言ってたぞ。近々訪ねるだろうから、宜しく頼むな」
「あ、ああ……」
 馬場家の二男、定治のことだ。
 歳は確か十四ほどか。
 そうした仲間うちの子供たちが、今後次々と入門してくるものと思われる。
(そこに城の姫君も混ざるのか……)
 そう考えると、実に嫌な予感しかなかった。
 篤次郎を見ても分かるように、好奇心旺盛で元気の塊のような年頃の少年たちばかり。
 おなごの、それも普段お目に掛かることのない存在があれば、きっと皆の注目を集めてしまう。
 篤次郎は勿論、これから入門する門弟にもよく言い聞かせなければならないだろう。
「あとなぁ、銃太郎。姫様だけでなく、篤次郎も重そうにしていただろう?」
「ん? そうだったか?」
「おいおい、見てなかったのかよ」
 すぐ隣で銃を持ちながら、重い重いと言っていたのに。と、直人は額に手を当てて息を吐く。
「姫様に限らずまだ身体の小さい奴が多いから、少し工夫が必要かもしれんぞ」
「……それは、まあ……そうかもしれんが」
 言われてみれば尤もなことであった。
 下の兄弟たちがいる直人は、普段からよくそうした子供たちの様子を見ている。
 入門者が増える前に話を聞けたのは、幸いだったかもしれない。
 瑠璃も無論のこと、其々に合わせた指導が求められることに気付かされた気がした。
「手取り足取り、根気強く教えてやってくれ。皆やる気はあるようだからな」
 薄っすらと白く覆われ出した地面を踏み出して、銃太郎もまた射撃場を後にしたのであった。
 
   ***
 
「このところ、米が高ぇくなってな。一升で四百八十文だと」
「この前まで四百文ぐらいでねがったか」
「なぁ、このまま物価が上がれば、飯も食えねぐなんぞ。ただでも御用金だ何だって、近頃頻繁だっつう話だべした」
「何でも戦が始まるって噂だぞ」
「戦なんて、こんなとこにまで来んだべか」
 聞こえてくる町の人々の声は、老若男女様々だ。
 町中を漫ろ歩く瑠璃の耳に、そうした不安の声が混じるようになった。
 奉行所の前をすり抜けて町人街をぐるりとぶらついてから、甘味茶屋に立ち寄る。
「焼き団子と茶を貰えるかの?」
 戸口の暖簾をたくし上げて中を覗きながら言うと、気風の良い声が出迎える。
 新春とはいえ、風はまだまだ凍てつく寒さだ。
 中で囲炉裏に掛けられた鉄瓶から白い湯気が昇る様は、見るだけで温かさを感じさせた。
 その更に奥の小上がりに、見知った姿を見つけて瑠璃はそそくさと下駄を脱ぐ。
「助之丞じゃないか、ちょっとばかり久しぶりじゃな」
「お、瑠璃姫じゃん。こんな寒いのにまたお忍びかぁ?」
 青山助之丞。瑠璃より四つほど年上の家中子弟だが、随分昔からの知り合いである。
 もう何年も前にお忍びで城下に出た折に遭遇し、共に追手の鳴海から逃げ回って以来の仲だ。
 助之丞の真正面に座り込み、盆を携えて来る店子に居場所を示して手を挙げる。

 
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