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本編
第六章 対立の嚆矢(4)
しおりを挟む「家中の皆が何故こうしてあらゆる武芸、学問を修めんとしているのかを、今一度よくお考え頂きたい」
すると、瑠璃は伏した顔を更に床に押し付ける。
「そなたの怒るのは尤もじゃ。藩で推し進める西洋化、砲術の体得を私が自ら迂闊な行いで邪魔するなど以ての外。この通り、お詫び申し上げる」
「……ご理解頂ければ、それで結構です」
銃太郎が言って暫く、瑠璃はやっとのことで顔を上げる。
そうして、居並ぶ直人と栄治に振り向くと、すっかりしょげ返った様子でぺこりと頭を下げた。
「二人にも申し訳ないことをした。以後は重々気を付ける」
***
江戸から帰り着いた時には、久方振りに眺める城下の街並みと、西に聳える安達太良連峰の雪化粧にほっと胸を撫で下ろしたものだ。
だが、そんな安堵も束の間のことで、帰藩早々に砲術師範を命ぜられたばかりか、姫君の指南役まで担う羽目になった。
瑠璃がすっかり道場や門下に馴染んでいるのに対し、銃太郎は未だに落ち着かない気分に苛まれる。
実に慌しく過ぎる日々の中、瑠璃は殆ど毎日のように顔を出していた。
「時に、今日に限って青山を連れていないのは何故だ」
「うん? 助之丞なら今日は所用で外してるぞ?」
日暮れ前のひと時、銃太郎の隣に並んで歩く瑠璃が振り仰ぐ。
「では、大谷殿に送られて来たのか?」
「えっ……ああ、まあ。そうだった、かな」
分かりやすく顔を背け、言い淀む。
必ず供を付けるように懇々と諭してあったのに、既に言い付けを破ったらしい。
だがこれについては素直に詫びて改めるつもりもあまりないようで、瑠璃は視線をあらぬ方へ向けたままだ。
「北条谷の辺りは昔、辻斬りもあったと聞く。帰路は私がいるからいいが、一人で出歩くのだけは本当にやめてくれ。肝が縮む」
「普段から一人でほっつき歩いてるというに……。わが師は揃って心配性じゃの」
瑠璃は呆れたように肩を竦めて言い捨てる。
恐らくは大谷鳴海と並列に語られているのだが、心配は当然のことだろう。
この奔放さに長年振り回される鳴海に、やや同情を覚えた。
「青山が外す時は、私に言いなさい。大谷殿もご多忙だろう。指南役を引き受けたついでだ、目付け役も賜る」
「えぇー……」
露骨に顰蹙する瑠璃は、しかし厭とも言わず、目で抗議するに留めたらしかった。
やがて藩庁門が見え始めたところで、前方から旅装束の男が二人、ばたばたと慌ただしく早足で出てくるのが見えた。
往来を城へ向かって歩く銃太郎と瑠璃のそばを擦り抜ける。
咄嗟に瑠璃を背に庇ったが、男の姿が遠ざかると銃太郎は急いで背後の瑠璃を振り返った。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫だけど……、何事じゃ?」
突然前を阻まれたことに驚いたのか、瑠璃はその両手で銃太郎の左腕を掴み、ぴたりと背に張り付いていた。
触れた背と腕に思いのほか小さく柔らかな感触が伝わり、思いがけず心の臓が跳ねる。それでもこちらから振り払うことは躊躇われ、銃太郎は内心で狼狽えた。
「さあ、もう行ってしまったようだが」
だが、瑠璃の面持ちは険しく、その目は通り過ぎていった男の背に釘付けとなっていた。
「のう、あの二人……、城から出てきたな?」
「そのようだな」
瞬く間に過ぎて行ったためにあまりよく見えなかったが、四十も半ばかという壮年の男と、もう一人は銃太郎と同等か或いはそれ以上に上背のありそうなまだ年若い男であった。
家中には見かけぬ風貌の上、旅支度のその格好から、恐らくは他領の者に相違ないだろう。
「銃太郎殿、ありがとう。今日はここまででよい」
言うが早いか、瑠璃はするりと銃太郎の腕を放し足早に城のほうへ駆け出してしまっていた。
「あっ、おい! 走ると危な──」
声を掛けた時には、瑠璃の姿は既に七、八間も向こうへ行ってしまっていた。
その足の速いことに幾分舌を巻いたが、瑠璃は門を潜る直前でこちらを振り返り、大きく手を振ってからその姿を隠した。
「………」
さすがに日頃から武芸に精を出しているだけあって、無駄のない素早い身の熟しだ。
相変わらずころころとよく変化する表情だが、今し方垣間見た険阻さは初めて見る。
咄嗟にその後を追わんとしたのを踏み止まったのも、そのせいだ。
城内でのことに徒に首を突っ込もうとは思わない。
だが、瑠璃は違う。
日毎に移り変わる城内の空気を具に感じ、また否応なくその渦中に引き摺り込まれる立場にある。
突然降嫁などという話が出てきたのも、何か関係があるのかもしれなかった。
(何か、力になってやれることがあればいいんだが──)
内心に独り言ち、すぐにそれが烏滸がましいことに思えて、銃太郎はひっそりと吐息した。
***
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