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本編
第七章 藩是(4)
しおりを挟む「奥州の諸藩が抗ったとして、勝算のないことは父上も承知の上じゃ。しかし他藩の動向次第で立ち回りを変えねばならんと思うておる。我が藩は会津と国境を接する微妙な位置じゃ。早々に帰順すれば奥州諸藩の反感を買おう。それは恐らく、一学殿も新十郎殿も分かっておるはずじゃ」
「しかし、仙台の使者は奥州諸藩の全てで抗うことを説いて行ったんじゃないのか?」
「いや、流石にいきなり事を構えようというわけでもないだろう。会津に降伏を説き、総督府にはその降伏を受け入れるよう説く。まずはそこだ」
「銃太郎殿の申す通りじゃ。既に大樹公は恭順の意思を示され、上野で謹慎されていると聞いた」
この月十二日、徳川慶喜は恭順罪書を提出し、上野寛永寺に謹慎した。
東征軍が錦旗を掲げて京を出たのはその三日後のことである。
「総督府が会津の降伏を受け入れぬことも、……考えられるがの」
一夜が明けても雨は上がらず、木村家の道場では銃太郎と直人、そして瑠璃が円座になって話し込んでいた。
藩主の声明をどう受け止めたかは各人様々だが、何となく銃太郎の反応が気に掛かって訪ねたところ、折良く直人も現れたのである。
「それは兎も角として、姫様はまた一人で抜け出してきたのか?」
「そうだけど?」
直人が呆れ気味に問い、瑠璃は賺さず肯定する。
「毎度毎度、よくそんなに首尾よく抜け出せるもんだな」
「そこいらの姫君とは踏んだ場数が違うからの」
お忍びの場数か、と直人と銃太郎は呆れ返ったように顔を見合わせる。
「確かに近頃見張りの目が厳しくなったが、何となく銃太郎殿と話がしとうなっての」
昨日の一学と新十郎から告げられた、和左衛門の一件を話したいと思ったが、不用意に漏らすべきではないだろう。
勿論、銃太郎や直人を信用していないわけではないが、誰がどこで繋がっていてもおかしくはない。
それはこの二人も例外ではなかった。
だがそれでも、城の外に出れば自ずと北条谷へ足が向いていたのだ。
藩主の打ち出した方針を、本音ではどう受け止めているのかが気になったが、瑠璃が直接尋ねたところでその本心を話しはしないだろう。
漸く砕けた話が出来るようにはなってきたが、それでも未だ銃太郎の姫君扱いは変わらない。
立場と身分をきっちりと線引きしたがる融通の利かなさが、どうしても残っているように感じられた。
「戦の術を学びながら言うことではないかもしれぬが、私は戦なぞ望まぬ。戦で家中が傷付くさまなぞ見とうない」
柄にもない話し振りだと、瑠璃自身も思った。
だが、頻繁に大喧嘩する腹心も、顔を合わせれば嫌味を言う宿老も、昔からの遊び仲間も、今ここにいる二人も、失いたくはない。
それがあらゆる柵を取り払った上での、紛れもない本音であった。
「姫様……」
「──」
しんみりと本音を溢すと、二人も徐ろに口を噤んだ。
が、三者ともに俯き、重苦しい空気が漂ったのも刹那。銃太郎が口を開いた。
「私や直人も含めた家臣は皆、いつか殿の御役に立つためにこそある。仮にその時が戦だったなら、主君の馬前に死するまで」
その声に顔を上げれば、至って真摯な口振りの銃太郎と目が合う。
その風貌も相俟って、より泰然とした銃太郎の態度に、瑠璃は微かな不安を抱いた。
こういう気風なのだ。
家格の上下を問わず、こうした古式ゆかしい主従の結び付きが強い傾向がある。各家が連綿と伝え続けてきたものが今もしっかり根付いているのである。
それは何とも頼もしくもあれば、主君の為にと軽く命を擲つ危うさをも感じ、万感交々といったところだった。
「一つ断っておくがの、その時は私も共に戦うぞ」
一度指針が示された以上、藩論が覆ることはまずないだろう。
会津へ降伏を説いたとて、その道もやはり一筋縄でいくようには思えなかった。
奥州に暮らす者たちの忠義に篤く実直な気風が、仇となる恐れもある。
「最善を尽くして尚、万一のときの私の覚悟は決まっておる──というのが、私の腹の中じゃ」
何と定まらぬ本音かと嘲笑われるかと思ったが、意に反して二人は呆然と瑠璃を見ていた。
しんと静まる道場に、奇妙な沈黙が流れて暫く。
「姫様、あんたやっぱり変わった奴だな。そんだけ肝が据わってんなら、今からでも若君として生きたらどうだ」
生真面目な眼差しで言う直人に、瑠璃は苦い笑いを浮かべる。
「直人殿も大概無茶を申すの……」
「冗談だ。大体、もうすぐ若君様がお国入りなさるんだろ?」
「ああ、それなんだがの。私はやはり家臣に降嫁することになりそうじゃ」
背景には触れず、端的に結論だけを述べたのは、やはり心の底に新十郎の言が重く錨を下ろしているからだ。
すると予想通り、二人ともに目を瞠ったが、直人に先駆けて銃太郎が声を漏らす。
「どういうことだ? 前に言ってた降嫁って、まさか本当なのか……?」
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