風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
72 / 98
本編

第十六章 波乱の幕開け(2)

しおりを挟む
 
 
 努めて微笑み問い掛けると、それまで強気の顔を見せていた五郎の面持ちが、目に見えて狼狽し始めた。
 まだ三つや四つと幼くはあるが、妹たちの存在がある。
「それは、……」
「ね?」
 口籠ったところを見ると、図星らしい。
 稀に顔を合わせた時に、きらきらと眩しい視線を寄越していた理由が判明した気がする。
「でも、私はずっと義姉上と夫婦になるものと思って──」
「私は丹波殿から一度、降嫁を打診されたことがあるだけで、以降何も聞かされてはおらんのじゃ」
 そうでなくば、年下の若君と──という話があっただけで、不自由が嫌さに有耶無耶にしていたように思う。
 恐らく五郎も似たような話を聞かされたのだろうが、そこで相手を瑠璃と思い込んでしまったのだろう。
「そういうわけでの。五郎殿に添う姫というのは、私と決まっているわけではない」
「そんな……」
「五郎殿にとっても、相手は年下の妹たちのほうがよろしかろう。私のような暴れ馬では申し訳がないよ」
「………」
 誤解を糺したに過ぎなかったが、五郎はその顔色を変え、それきり黙してしまったのだった。
 
   ***
 
 丹羽丹波邸。
 藩庁門を出てすぐ、城とは目と鼻の先にある広い敷地の邸宅である。
 屋敷を囲む長屋門には使用人が数多く住み、家老座上のそれに相応しい規模を誇る。
「大垣から書状が届いたそうですな」
 腹心の羽木権蔵を私室に招き入れると、羽木は丹波が口を開くよりも早く問うた。
 家老屋敷らしく執務棟が設けられてはいたが、丹波は家士の耳目すら遠ざける話のときには、母屋の私室へ羽木を通す。
 現藩主・長国夫人は大垣藩戸田家の出である。その縁で、こうして度々恭順を促す書状を寄越していた。
 その都度、病床の主君に報せはするものの、既に藩是は決してあると聞かされるだけだ。
「御上に恭順の御意思がない以上、勧告には応じられぬ」
「しかし、大垣には橋渡し役を頼めるよう話をつけておかねば……」
「わかっておる」
 降ろうにも時期を見なければならず、そこに加えて城内の意思決定は一学・新十郎の言に左右されている現状だ。
「我が藩が大垣と繋がりのあることは、諸藩も承知のはず。斯様なやり取りがあると公になれば、周囲の監視の目は一層厳しくなろう」
 白石へ出向いた二人の居ぬ間に、城内の議論を恭順に纏め上げたところで、奥羽諸藩が揃って手を組む以上、内輪に無用の争いを産むだけである。
 煮え湯を飲まされ続ける要路の立場も知らず、城の外にも恭順を唱えて憚らぬ者すらあった。
 思うに任せず、丹波の苛立ちは募るばかりであった。
「御上の信任は、どうも私より一学らのほうに傾いているようだが……、どのような道行きになろうとも、主とその御血筋だけは途絶えさせてはならぬ」
「むろん」
 羽木は頷き、なればと声を潜める。
「早々に瑠璃様の降嫁先を決めるのがよろしいのでは」
「それなのだが……、正直なところ迷っておる。問題行動の多さゆえ、降嫁を提案申し上げたが、無駄に健康優良児なのはなかなかどうして、他に代え難いようにも思えてな」
「………」
「聡明な若君と、壮健な瑠璃様を娶せれば、次代ばかりかその次の代までも安泰なのでは、とな」
「いやしかし、あの方は臣も民も隔てなく親しくなさり過ぎる。故に隙も多く、今後の局面で思わぬ波乱を呼びかねませぬぞ。やはり政とは縁遠い家へ降嫁頂くのが望ましいかと」
「ふむ……」
 羽木はあくまで降嫁を推すと見え、これまでの瑠璃の突拍子もない行動を論う。
「次の大調練に合わせ、御前試合など設けては如何か。番方の者で競わせ、勝者に降嫁するというのも良いのでは」
 羽木の提案に、丹波は驚きぽかんと口を開く。
「ぉお……おぬし、結構思い切ったことを申すのだな……」
「なんの。型破りには型破りを以て臨まねば、瑠璃様をその気にはさせられませぬぞ」
 尤もらしく持論を展開する羽木の語気は強く、妙な威圧感を感じる。その圧倒的な眼光に、丹波は少々苦笑った。
「おぬし、瑠璃様に何か恨みでもあるのか」
「いいえ何も? 御幼少の砌に背中にカエルを突っ込まれたとか、月代にでんでんむしを乗せられたとか、これっぽっちも恨みには思うておりませぬ」
「……だいぶ恨んどるな」
 
   ***
 
 銃太郎の門下生たちは、教練が終わると途端に賑やかになる。
 厳しい指導の直後だというのに、疲れなど全く感じさせず、これから遊びに行こうと誘い合う姿さえあった。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...