風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第十六章 波乱の幕開け(4)

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 その光景が焼き付いて離れず、銃太郎は思わず足を止め、ぎゅっと目を瞑った。
「ぉわっ!?」
 その途端、どさりと背に衝撃があった。
 無論、体躯の大きな銃太郎が均衡を失うほどのものではなく、立ち止まったことに気付かず、瑠璃が突っ込んできただけだ。
「! す、すまん……!」
 咄嗟に背後を振り返ると、顔から突っ込んだらしい瑠璃がその鼻を押さえていた。
 背にぶつかってきたのが間違いなく瑠璃だと分かると、それだけで背が熱くなり、心の臓を強く握られたような気になる。
「き、急に立ち止まらんで貰えるかの……」
 口調は穏やかだが、瑠璃は些か恨めし気に銃太郎を見ていた。
「……すまん」
「うん。……あー、いや、気を散じていた私も悪い。ぶつかってすまなかったの」
 再び小さく詫びると、瑠璃も自分を顧みて謝罪する。
 瑠璃本人が言うように、歩きながら散漫になっていたのだろう。
 普段なら、同道する銃太郎を気遣って終始話を振ってくるのに、それすらなかったくらいだ。
 きっと先刻の出来事を反芻していたのだろう。
 少なくとも、今の瑠璃の思考を独占しているのは直人であって、今目の前にいる銃太郎に関して気にも留めていなかったのだ。
 そもそも瑠璃にとって、自分はあくまで砲術を教わる為の人材でしかなく、銃太郎個人を特別視しているわけではない。
 そんなことは弟子入り志願の時点から分かっていることだ。
 その日の稽古が終われば、また次の稽古で顔を合わせるまで、きっと瑠璃が銃太郎のことを考えることなどない。いや、稽古中ですら怪しい。
 そう思うと、ちくちくと執拗に胸が痛み、一種の嫉ましさを覚えてしまう。
「銃太郎殿? 大丈夫か、まさか怪我でもしたか?」
 黙り込んだ銃太郎を怪訝に思ったのか、気付くと瑠璃の顔が銃太郎の目を上目に覗き込んでいた。
「な、何でもない。大丈夫、だ。……瑠璃のほうこそ、鼻をぶつけただろう、痛むか?」
「ああ、このくらいは平気じゃ」
 にっこり微笑む瑠璃の鼻梁は、白い肌にほんのりと紅く色付き、少々痛そうに見える。
 思ったよりも強かに打ったらしい。
「それよりも、今日は捜させてしまって申し訳なかった。直人殿のこと、あまり責めないでやって貰えると嬉しい」
 元から親しい銃太郎と直人が険悪になるのは心苦しい、と、瑠璃はぺこりと頭を下げた。
 怒鳴り付けこそしなかったものの、銃太郎が直人に向けた視線の険しさを感じ取っていたのだろう。
「あ、あれは……、私はただ、婚姻前の男女がああいうところで二人きりになるのは、良くないと──」
 思わず言葉尻が窄み、何となく瑠璃の視線から逃れるように、彼女の身に着けた義経袴の裾に目を落とす。袴の裾口が揺れ、括りに通した白い組紐は土埃で薄汚れていた。
 他の少年たちと然して変わらぬ衣裳で駆け回る彼女に、おなごらしさなどはあまり感じられない。
 他の弟子たちと同様に目を煌めかせて道場にやって来るし、最近では小銃を構える姿もだんだんと様になってきた。
 しかし、如何に男の形をしていようと、ふとした仕草や表情はやはり年頃のおなごのそれである。
 目を奪われるようになったのは、いつからだろうか。
 いや、もしかすると、弟子入り志願のあの時には既に、心の隅に居着いてしまっていたのかもしれない。
「……直人と、何を話していたんだ」
 あれからずっと引っかかっていたことを、ぽつりと溢す。
 殆ど独り言の囁きだったが、瑠璃は聞き過ごさなかったらしい。
「え? ……ああ、さっきのことか?」
「あ、いや、すまん。詮索したいわけではないんだ」
 嘘である。実際には気になって仕方がなかった。
 咄嗟に取り繕ったものの、瑠璃は少々困ったように眉尻を下げて思案する。
 そして、やおら銃太郎を見上げた。
「すまぬが、それは内緒じゃ。信用問題でもあるのでな。いくら銃太郎殿でも、教えるわけにはゆかぬ」
 淀まずきっぱりと言い切られ、銃太郎はぐっと声を詰まらせる。
「私もそなたに隠し事をしたいわけではないのじゃ。けど、立場上、明かせぬことも──」
「瑠璃様ァ??」
「!?」
「ビャっ!?」
 話し込む銃太郎と瑠璃の間に、ぬっと横顔が割って入り、双方ぎょっとして後退った。
「おっ……大谷殿……」
「ななな何じゃそなたは! 急に顔を捩じ込むでないわ!」
「何じゃではございませんぞ瑠璃様!? 斯様なところで男と二人、一体いつまで話し込んでおられるのか!?」
 吃驚し強張った表情のまま声を張る瑠璃に、鳴海はその数倍の音声で言い返す。
 口振りから察するに、どうやら少しは会話の終わるのを待ってくれていたらしいが、そうなると今度は一体どこから聞き耳をたてられていたものか。
 すると鳴海はぐるりと首を振り、銃太郎をねめつける。
 
 
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