風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
76 / 98
本編

第十七章 万感交到る(1)

しおりを挟む
 
 
「羽木殿が御乱心じゃと?」
 鳴海の言う、少々困ったこと、とは瑠璃も予想だにしないことであった。
 出迎えた鳴海の報告によれば、丹波がまた妙なことを画策しているらしい。此度は丹波の独断というわけでなく、腹心の羽木によるものだという。
「瑠璃様、羽木殿に何をなさった」
「何もしとらんぞ……、たぶん」
「ならば何故、羽木殿があのようなことを言い出すのか」
「だから羽木殿はなんと申しておるのじゃ」
 いい加減、核心に触れろとせっつくと、鳴海は口惜しげに渋面を作った。
「次の軍事調練に付随して、上覧射撃を行うとのことです」
「ふぅん? 良いではないか。それの何が問題じゃ」
 調練と別途に場を設ける必要はなさそうだが、この時期、そうした士気を高めるための発案は反対する道理もない。
 そう言い返すと、鳴海はくわっと両目を見開いた。
「大問題ですぞ!? 景品はなんと瑠璃様ですからな!?」
「ほぇー、景品があるのか、それは皆も気合が──」
「入ってよろしいのか!!?」
「入るわけなかろうが!!? 阿呆か!? 羽木殿はもう良いおっさんじゃろう!? いつからそんなお茶目な奴になったのじゃ!?」
「お茶目で済む話ではございませんぞ!?」
「しかし、待て。冷静に考えれば、そんなことが許されるはずもない──」
 辛うじてそう気付き、瑠璃は大廊下を歩く足をぴたりと止める。
 鳴海もそれに倣って歩みを止めたが、鳴海の顔は険しいままだ。
「まことに残念ながら、殿はお許しになられたと」
「ホァ!?」
 瑠璃は顔面の全筋力を総動員してその顔を窄めた。
 とんでもないことを言い出す重臣と、とんでもないことを許す藩主である。
 普段暴走している鳴海のほうが余程にまともに見える。
「瑠璃様、顔、顔! 姫君がそんなしょっぱい顔をなさるものではございませんぞ!」
 顔ぐらいしょっぱくもなる。
 それほど耳を疑う話なのである。
「しかしな!? そんな呼び掛けをしたところで、名乗りを上げる奴がおると思うのか!? 嫌々参加する奴のところへなぞ嫁ぎたくはないぞ!?」
「瑠璃様は今や撥ねっ返りで家中に知れ渡っておりますからな……。いやなに、それでも蓼食う虫も好き好き、割れ鍋に綴じ蓋、と──」
「……そなたは私に過保護で贔屓な割に、ずっばずば物を申すの」
「黙って居られればそれなりの姫君ゆえ、我こそはと手を挙げる者もおりましょう。……恐らく」
「ん、まっったく褒めとらんの」
「とはいえ、望めば誰でも、というわけでもないようです。既に実力を認められ、また瑠璃様を任せるに足る人物を予め選び出し、その者らに競わせるのだとか」
「……一応訊くが、そこに選抜者の拒否権はあるんだろうな?」
「さて、今のところは何とも」
 鳴海は事のあらましだけを簡潔に告げて、その場を辞してゆく。
 ろくでもないことになった。
 こんなことならば、早々に適当な相手を見繕って、婚約ぐらいはしておけばよかったのかもしれない。
 何か特別に思惑があるのか、わざわざ余興のようなものにする意味も解せなかった。
(……羽木殿の発案としても、丹波殿もそれを良しとしたわけだものなぁ)
 過去にも主家の姫が家臣に降嫁した例はあったが、やはりそれなりの家格を選び、決して賭け事のような選定はしない。
 主家と姻戚関係になるからには、降嫁先はそれなりに吟味されるものである。
 ああまで詳細に語るからには、鳴海の早合点というわけでもなさそうだが、直々に確かめる必要がありそうだ。
 そしてもう一つ。
 直人から預かった文を袂に入れっぱなしにしていたことを思い出し、瑠璃はまたもしょっぱい顔を浮かべたのであった。
 
   ***
 
「なるほど、とんでもない嘆願じゃのう」
 疲れたからと人払いした室内で、ひとり脇息に凭れて文を開いた瑠璃は、思わず天井を仰いだ。
 こんなものを寄越したところで、望みが聞き入れられると思ったのだろうか。
 過去、要路を悉く敵に回し、投獄された男の釈放嘆願書である。
 差出人の名は中島黄山。
 先ごろ、銃太郎を連れて城下を出歩いた際に遭遇して以来だろうか。
「さて、どうしたものか──」
 家老に繋いだところで、即日却下されるのは自明だ。
 それは黄山とて承知で、故にか今は他言せず、会談の機会を賜りたいとして結んである。
 用件を先に明かしているのは、先日の一件から信頼を回復せんとしてのことだろう。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...