風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第十八章 邂逅と牽制(1)

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「姫は来ていないのか」
 入北条谷の射撃場で、わらわらと銃太郎に群がる少年たちの一人一人を確かめるように眺めてから、栄治は訊ねた。
 いつもなら、少年たちに混じって埃塗れになっているのに。
 今日に限って、瑠璃の姿が見当たらない。
 すると、栄治の問いかけが耳に届いたのか、銃太郎がむすっと仏頂面を作ってみせた。
 どうやら瑠璃の訪れのないのが不満であるらしい。
 気に入らないことがあると無自覚に顔や態度に出てしまうのが、銃太郎の唯一の瑕疵であろう。
 栄治には既に見慣れた癖だが、初対面の相手や、そう親しくもない間柄だと威圧されているように感じる。
「瑠璃なら、今日は青山家にいるようですよ」
「青山? 青山、助之丞のところか」
 今朝、銃太郎がいつも通りに迎えに登城すると、その場で瑠璃本人から今日の調練を休みたいと言われたのだという。
「何でも、助左衛門殿から招きを受けたという話ですが──」
 しかしきっとその二男と共に過ごしているであろうことは、想像に難くない。
 栄治は、ははぁ、と得心した。
「山岡さんも、瑠璃に何か?」
 不機嫌に落胆の混じる声音で、銃太郎が訊ねる。
「ああ、いや。特に用事というほどでもない。姫の独特の物言いが聴こえなかったから、少々気になっただけだ」
 明日は来るのかと問えば、銃太郎は一言、恐らくと答えるのみだった。
 
   ***
 
 青山家を後にし、瑠璃は足取り重く城郭路を登り始める。
 この付近は殆ど城の中と変わらぬ距離で、目を瞑っても歩けるような界隈である。
 それで何となく城屋敷へ戻る道を辿ったのだが、瑠璃の頭の中は今、真っ白になっていた。
 助之丞が、件の試合に出る。
 出るだけでなく、本気で勝ち抜こうとしている。
 他にどれだけ候補を列挙しているのかは不明だが、助之丞が本当に勝ち抜く確率は高い。
 その実績については瑠璃も当然聞き知っているし、事実、非常に優秀なのである。
(助之丞が勝てば、そのまま降嫁することになるのか──)
 実感は湧かなかった。
 これまでの気兼ねない関係が崩れてしまうような、そんな不安だけが一際強く競り上がる。
 かと言って、とうとう助之丞に辞退せよとも言えなかったのである。
 事実を反芻するだけで、自分がどう動くべきなのか、それが一向に見えて来ない。
 今日、助之丞から話を聞かなければ、もしかすると丹波や羽木に直談判して取り下げさせていたかもしれない。
 瑠璃はぴたりと足を止め、今出て来たばかりの青山家の門構えを振り返る。
 一陣の風が吹き、その頭上に木々がざわざわと揺れた。髻に結った長い髪が強く煽られると、瑠璃はくるりと踵を返した、その先に。
「よう、姫。またお忍びにでも出るのか」
 こんな場所で会うとは思いがけず、瑠璃は目を丸くした。
「栄治か。……北条谷に行こうと思い立ったところじゃ」
 数日振りに見る栄治は、普段と変わらず飄々とした風情で悠々とこちらへ向かってくる。
「なんだ、また銃太郎のところか」
「いや、今日は少し、ミテ殿のところへ行こうかと思うてな」
「ほう? たまに家事修業のようなことをしているらしいとは聞いていたが、本当だったか。姫に家事を教えようなんて、ミテ殿も御苦労をなさる」
 それならば、まだ砲術指南のほうが荷が軽いだろう、と付け加え、栄治は苦笑した。
「だったら、その前に少し俺に付き合わんか」
「これからか? 急じゃの」
「姫のお忍びだっていつも急だろうが。なに、先日は俺の言葉が足りずに妙な思い違いをさせただろう。その詫びに葛切りでも食わせてやろうと思ってな」
 思い違いと聞いて、銃太郎の妹の姿がふと蘇る。
「あれは、私も早合点してよく確かめなかったからなぁ」
 その場で言ってくれていれば、とは思わないでもなかったが、その隙もなく帰城してしまったのだから栄治を責めるべくもない。
「道々、聞いて貰いたい話もある。姫が嫌でなければだが、たまには俺を伴に連れてはくれんか」
 そう言って、にっと笑った栄治につられて、瑠璃も思わず微笑んでしまう。
「嫌なわけがあるものか」
「なら、決まりだ」
 
   ***
 
 四斤山砲を囲む少年たちは、真摯に銃太郎の話に耳を傾けていた。
 小銃のみならず、大砲の仕組みやその扱いについても教え、洋式調練に併せてこれを習得させるのだが、妙な先入観やこれまでの旧いやり方に染まっていない分、大人たちよりも覚えは早かった。

 
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