風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
87 / 98
本編

第十九章 経巡り肯う(3)

しおりを挟む
 
 
「暫く前の話じゃな? 嘉永の頃であったか。騒動があったことは知っておるが、何か関係があるのか」
 唐突に昔語りかと怪訝に問えば、黄山は生真面目な視線を投げかける。
 当時鈴石の名主であった大内六郎という男の、強欲非道のほどは確かに領内でも有名なものであった。
 未だ話題に上る悪逆ぶりで、御用金や年貢の不正、村内の見目良い女房や娘に対する不倫、使用人への給金の不支給、借金を二重に取り立てるなど、自己の利のみを追求し、好き放題に村内を牛耳っていたという。
 排斥する動きが出るのも当然の所業ばかりで、その悪行の数々が表沙汰となっても、当人は申し開きの一つも出来ず、村替えと田地家屋、家財に至るまで没収されることとなったのである。
「それは、なんというか……。絵に描いたような悪人じゃの」
 所業の数々が如実に語る本性の醜悪さに、もしも身近にいたらと思うだけで胸が曇る。
「そうは言うがな、あの騒動の発端が何なのか、姫さんは分かってるか?」
「………」
 単純に、その名主個人の横暴さが原因とばかり思っていたが、黄山が改まって訊ねるということは、そうとばかりも言えないのだろう。
「それは、どういう意味じゃ?」
「おまえさんの近くに、丹羽丹波というのがいるだろう」
「? おるぞ?」
「かつて大内六郎に若党の名目を与え、奴をのさばらせる要因になっていたのはな、丹羽丹波家だ」
「!?」
 寸暇も入れず、日頃嫌味の言い合いをしている筆頭家老の丹波の顔が、ぱっと脳裏に閃く。
「え、は!? あやつ、そんな悪逆非道な行いに加担しておったのか!?」
「ああ待て待て、正しくは当代の丹波じゃあねえんだ。当時はまだ、その親父の代だったからな」
「そ、そうか……」
 何故か、ほっと胸を撫で下ろした自分に気付く。
 確かに何を考えているか分からないところもあるし、人の顔を見れば揶揄を飛ばしてきたりと、あれもあれで奇妙な男ではある。
 しかし、悪辣な人間ではないと瑠璃自身は評していた。
「それもそうじゃな。あの丹波殿にそんな度胸があるとは思えぬものなぁ……」
 安堵でそう溢す瑠璃に、黄山は愉快気に呵々と笑う。
「姫さんの丹波評はつまり、腑抜けってことか」
「そこまで言っとらんぞ……?」
 ちょろりと横目に黄山を見上げるが、黄山は悪びれる風もなく話を接ぐ。
「畢竟、そういう上士層ですら、豪商富農と結び付かねば家計を賄えぬ有様なのが、騒動の遠因だってことだ。鈴石の一揆は藩財政の窮乏が招いたものだとも言える」
「……それは、常々実感しておるわ」
 しかし当時と今とでは状況が違う。
 戦が目前に迫った非常の時である。
 平時ですら困難を極める財政の立て直しを、戦の危機に瀕した非常時にどんな打開策があるというのか。
 そういえば、と瑠璃はふと顔を上げる。
「一昨年にも、郡山宿で馬方の騒ぎがあったと聞いたな」
「ああ、米価の高騰で暮らしが立ち行かなくなってんのに、馬賃は低廉なままに据え置きとなりゃあな。まあ、幕臣に直訴されたとくりゃあ、代官も頭を抱えただろう」
 黄山は飄々として、あっさりと返す。
 慶応二年初夏のその一揆は、幕府役人の荷継が滞る失態を恐れた代官が馬方側の要求を呑む形で一応治まった、という流れだ。
「領民も必死だ、追い詰められりゃ立ち上がる──」
「あれまぁ、中島様でねぇか。こんなとこまでおいでんなるっちゃあ、珍しんでねぇの」
「おお、久しいな。なに、村のご機嫌伺いってところだな」
 肩に手拭いを掛け、尻っ端折りに草鞋履きという老齢の農夫、のようだった。
 鍬を担ぎ、畑仕事のせいか衣服のあちこちを土で汚している。
 気さくに声をかけながらこちらへ歩み寄るのを認めると、黄山もにっかりと笑って返事する。元々の知り合いなのだろう。互いに一切構えた様子がない。
「おい、そろそろ戻らんとまずいだろう。もういいか、中島殿」
 それまで口を挟まずじっと待機していた栄治が、急かすように早口で言う。
 郭外にまで出ることは間々あるものの、さしもの瑠璃もさすがに農村部にまで足を延ばすことは稀だ。
「はあ、これはこれは。今日はなんだって、お武家さんを二人も連れて。何かあったんだか?」
「いや、いや。何もありゃせんよ。ちと内緒話をしたかったもんでなァ。城下じゃどこに誰の耳目があるか知れん」
「中島殿。城下に姿が見当たらないとなれば、騒動になる。共にいるのが俺だけなら遠出の御忍びで済むが、あんたが一緒ではややこしくなるだろう」
 と、栄治が言う。
 流石に瑠璃の所在不明に勘付く者が出てくるはずだ。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...