去りし記憶と翡翠の涙

箕田 はる

文字の大きさ
5 / 93
第一章

5

しおりを挟む

「ヒスイでいい」

 青年に連れ添いながら廊下を歩いていると、ボソリと呟かれた。

 一瞬なんのことだか分からず黙っていると「呼び方」と投げやりに言われてしまう。

 ヒスイという名前は、翡翠色の瞳を持つこの妖怪にはぴったりなように思えた。

「分かりました。僕の事は……」
「天野で良いんじゃない? 葉書にはそう書いてあるんでしょ」
「……そうですね」

 その名が自分であるのか分からないが、呼び方に悩むよりかは良い。
 ヒスイに連れられ、各部屋を案内される。短く「ここが厠」「ここが炊事場」とヒスイがわざわざ説明していく。
 妖怪なのに、意外と丁寧で人間らしいなとなんだか不思議な気持ちになってしまう。
 思っていたよりも、屋敷内は広々としているようだった。この立派な日本家屋にヒスイ一人が暮らしているのであれば、管理が大変なように思えてならない。
 長い廊下を進んでいくと襖の閉じられた部屋が連なっていて、奥が壁でやっと行き止まりが見えてくる。

「ここは俺の部屋だから、絶対に入るなよ」

 連なる部屋の一番奥の扉の前で、ヒスイは射すくめるような視線を向けてくる。

「掃除もここはしなくていい。と、いうよりも……お前は食事の用意や掃除は出来るのか?」

 天野は少し考え込み、炊事のやり方を思い出そうと試みるも失敗に終わった。

「……出来ません」

 諦めて沈痛な面持ちで答える。
 案の定、ヒスイが一瞬驚いたように目を見開き「本当に使えないな」と溜息を吐き出した。

「すみません……」

 天野は謝りつつ、少しでも記憶を手繰り寄せようと思考を巡らしていく。
 まさか炊事が全く出来ないとは、どんな坊っちゃんだと恥ずかしい。
 それでも頭の中が靄がかかったようで、何も思い出す事ができない。焦燥感ばかりが募っていき、思わず唇を噛みしめる。

「……まぁいいや。今までと変わらないと思えばいい」

 ヒスイは渋面を作り、無理やり自分を納得させているようだった。
 一通り案内を終えると、「疲れた」と言ってヒスイが縁側に腰を降ろした。つられるように、ヒスイの隣に腰を下ろす。
 目の前に広がる中庭には、咲き乱れる桜が花びらを散らし春の陽光を一身に浴びていた。
 鶯の鳴き声や蝶が舞っている姿に、心が研ぎ澄まされ美しいと素直に思えた。
 隣に座っているヒスイは足をぶらぶらさせて、中庭を見つめている。
 それにしても、人間界の事をやたら詳しいうえに見た目も人間のようだった。
 短い銀髪が風に揺れていて、存在感を強く放っているようにも見える。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

処理中です...