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14話 貧民街の天使
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ジェイドと共にハーレムを訪れた翌朝─。
モニカは礼拝堂にてファルガーへ報告を行った。
─ファルガー様へ
今頃貴方様はアデルバートの北の大地、ロジウム区域に到着されているのでしょうか?
どうかご無理はなさらずにお過ごしください。
早速なのですが報告があります。
昨日ジェイド様と共にハーレムに行きまして、エカテリーナ様とお会いできましたわ。
とてもお綺麗な方で、少しですが会話もいたしましたが、なんと申しますか・・・非常に印象の悪い、毒物のようなお方でした。
そして彼女の身長、体系、顔、声、香りからして、メイクなどでライサさんに変装することは可能だと判断致しました。
そして彼女から証拠となる言葉は出てきませんでしたが、ライサさんから聞いたと言ってレオン様と私を侮辱してきましたことから、2人は同一人物と見てほぼほぼ間違いないと思います。
この事を当主様はお気づきではないのかもしれないとジェイド様が仰られていましたが、私も当主様の人物像をお聞きして、そのように感じました。
また、エカテリーナ様と一緒にレオン様の次の公子様であらせるルーカス様にもお会いしましたが、おそらくエカテリーナ様により常日頃他の公子様達への印象を操作されているのでしょう。
ジェイド様に対して挨拶がなく、必要がなければ会話も交わしたくもないといった様子でしたわ。
私からの報告は以上となります。
今後ライサさんに対して何か手を打たれるのであれば、喜んで協力致しますので仰ってくださいね。
それでは、今日もファルガー様の無事をお祈りしております。
相澤桃花─
そしてその翌朝にまた礼拝堂にお祈りに行くと、ファルガーからの返信が届いていた。
─桃花へ
もうハーレムでエカテリーナについて確認をしてくれたんだね、ありがとう。
ジェイド殿にもお礼を伝えておいてくれ。
そうか・・・やはりライサとエカテリーナは同一人物である可能性がかなり高いんだね。
でもいいかい桃花。
こちらからは何もしないで。
前にも言ったけど彼女は黒蛇・・・そしてダルダンテ神とも繋がっていると思われる人物だから、下手に刺激するのは危険だ。
こちらからアクションを起こす時は、僕が側にいるときにすると約束して欲しい。
だが、向こうからこちらをつついてくることはあるかもしれないから、その時はどんな些細なことでもいいから、すぐに僕に知らせて。
相手の小さな行動を把握することで、大きな危険を予測することが出来るからね。
僕のほうは君の推測通り、今ロジウム村の教会からこのメッセージを送っているよ。
今は天界の変装アイテムを使って髪と目の色を変えて、オリーブ隊員として騎士達の隊に紛れ込んでいる。
ゼニス隊はナイト家の血が濃い者ばかりだし、身元を訊かれると嘘がバレてしまうと思ったから、ダニイルという名のオリーブ隊員に成りすますことにしたんだ。
主に倒した魔獣の後片付けや隊員たちの雑用、他の部隊への伝令や飯炊き係なんかをやらされてるけど、今のところはバレずにやり過ごしているよ。
ロジウムゲートの調査のほうは、魔獣の数が想像以上に多くてゲート近付けなくてね。
今はロジウム村を拠点に、少しずつ人間たちの陣地を取り戻していっているところだよ。
陣地がもう少しゲートに近づいたら調査を行うつもりだ。
あ、そうそう。
レオンハルトくんの姿を見かけたよ。
本当にラスターにそっくりでビックリした。
まぁ君も言っていたようにレオンハルトくんのほうがまだラスターより幾らか幼いけど、後2~3年もすればラスターと区別がつかなくなって、思わず「ラスター」と呼びかけてしまうかもしれないな。
それじゃあまたね。
君が少しでも心穏やかに過ごせるように、ロジウムから祈っている。
ファルガー・ニゲル─
(やはりファルガー様はもうロジウムにおられるのですね・・・。
思ったよりも魔獣の数が多いと仰っていたのは心配ですが、ファルガー様とレオン様は別の隊におられるみたいですし、ファルガー様がレオン様を見て私の恋人なのだと火花を散らすようなこともなく、昔の仲間にそっくりの彼に対して懐かしむ気持ちのほうが勝っているようですから、2人が喧嘩になるかもしれないという心配は杞憂に終わりそうで良かったですわ・・・。)
モニカがファルガーからのメッセージを振り返り、そんなことを考えながらアンジェリカと一緒に朝食をいただいていると、アンジェリカが心配そうに眉を寄せてこんな事を言ってきた。
「ねぇモニカさん。
最近ちょこちょこジェイド様がレオンハルトのお部屋を訪ねて来られているようだとオリガが言っていたし、昨日も貴方がジェイド様と何処かへ馬車で出かけて行く所を見たのだけど・・・大丈夫?
命じられて無理に従わされているんじゃないかと思って・・・」
モニカはアンジェリカの心配は最もだと思った。
だが任務のことや彼と同盟関係であることなどは言えないので、柔らかく微笑むとこう返した。
「ご心配をかけてしまい申し訳ございませんアンジェリカ様・・・。
ジェイド様の専属メイドは新しい方が決まらず、依然として人手不足のままでしょう?
ですので、レオン様が戦場に行かれて手が空いている私が時々協力を差し上げているだけなのです。
私も忙しくしているほうが気が紛れますし。」
「そう・・・。
嫌な目には遭ってない?
この国の宰相でレオンハルトの兄でもある人のことを悪く言うのは気が引けるけど、ジェイド様もかなりの好色家のようだから・・・」
とアンジェリカ。
「えぇ、そちらも大丈夫ですわ!
ジェイド様、あの媚薬騒動の後にレオン様に腕の骨を折られたことが相当こたえたようでして、今でもちょっかいを出すことはあっても、軽い冗談で済ませてくれていますわ。」
モニカがそう笑顔で答えると、アンジェリカは安堵したようで表情を和らげた。
「それなら良かったわ!
ところでモニカさん。
来月の最初の日のお昼は空いてるかしら?」
「2月1日ですか?
時折ベリル様のお子様のスフェーン様の子守りが入ることがあるのではっきりとしたことは言えませんが、それが入らなければ空いています。」
「そう!
もし子守りが入らなければでいいのだけと、私と一緒に貧民街の学校に行かない?
「貧民街の学校ですか?
アンジェリカ様がお妃様になられてから作られたとレオン様からお聞きしましたが、その学校でしょうか?」
「えぇ、そうなの!
私、月に一度創立者として顔を出しているのだけど、その時に普段の授業ではなかなか出来ない剣術や礼儀作法等の特別な授業の講師もさせていただいているの。
時々レオンハルトも手伝ってくれているのだけど、今は居ないから、代わりに貴方に手伝って貰えたらと思って。
子供達と接していると私も明るい気持ちになれるし、貴方の気晴らしにもなるかと思ったのだけど・・・どう?」
「まぁ!
私でよろしければ是非お供させて貰いますわ!」
モニカはその誘いを心より嬉しく思い、表情を輝かせて両手を合わせた。
「良かった!
視察が終わったらいつも私の実家でお茶をして帰ってるの!
貴方が来てくれたら父も母も喜ぶわ!
あっ・・・これはダズルには内緒ね?」
と、アンジェリカは人差し指を口元に当てて、その名の通り天使のように美しく無邪気に微笑むのだった。
そして2月1日─。
その日は子守りを頼まれることもなかったので、モニカはアンジェリカに付き添って貧民街の学校へ行くことになった。
以前モニカがレオンに案内されて貧民街へ行った時には、専属メイドの制服は身代金が取れると判断されて貧民街においては危険なので平民服を着て行ったが、今回はアンジェリカが普段良く着ている白の詰め襟のワンピースの上に、仕立ての良いウールコートという貴族らしい装いだったため、モニカもそれに合わせて専属メイドの制服にした。
「今日は遊びにいくのではなく学校の視察でもあるから、それなりの服装をしていないといけないのよ。
でも貧民街を貴族だとわかる服装で訪れるのは危険でしょ?
かといって宮廷にあるきらびやかな馬車を使っても貧民街の人を刺激してしまうし。
そこで私は宮廷の馬車ではなく、街の馬車引きと契約して毎回視察の日に来てもらっているのよ。」
と言って、アンジェリカは目の前に停まったごく庶民的な馬車を指し示した。
「そうなのてすね。
ですが護衛も無しで、危険ではないですか?」
と少し心配そうに眉を寄せるモニカ。
「レオンハルトが付き添ってくれる時にはあの子が護衛の役割も果たしてくれていたのだけど、来れない時にはゼニス隊の護衛を1人付けてもらっていたわ。
だけど今は大体のゼニス隊員がロジウム区域に出撃しているから、こちらに割く人員が無いのよ。
だから今日は護衛無しで行くけれど、大丈夫。
今日は私、剣を持ってきているから、そこらのゴロツキなんかに負けやしないわ!
貴方を危険な目になんて遭わせないから安心して?」
そう言って凛々しく眉をキリッとさせるアンジェリカに、モニカはクスクスと微笑みながらこう返した。
「まぁ!
大変頼もしいですわ!アンジェリカ様。
ですけど私だって貴方に鞭の使い方を教わった弟子なのですから、守られるばかりじゃありませんわよ?
さぁ、そろそろ時間も迫って参りましたし、馬車に乗りましょうか。」
モニカはアンジェリカが馬車に乗るのを手伝った後、自分も馬車に乗り込んだ。
学校は貧民街の中でも比較的治安の良い通りの突き当りに位置し、建物の大きさは先日行ったハーレムの半分くらいの規模だろうか。
古い建物が立ち並ぶ貧民街の中では新しく大きな建物なので、とても目を引いた。
その学校へと続く通りを進む馬車は貧民街の人々に注目されはしたが、その通りに住む人は皆、月初めにアンジェリカが街馬車で学校の視察に来ることを知っていたようで、特に何のトラブルもなく学校に到着した。
校舎は充分な広さのあるグラウンドと共に塀で覆われており、中庭には春夏秋冬それぞれの季節に花が楽しめる庭木が植えられ、花壇には朝霧草やラベンダー、芝桜等の耐寒性のある花が、数日前に降ってまだ溶け残っている雪の下からちらりと姿を覗かせていた。
2人が馬車から降りると馬車引きは、
「それでは視察が終わられる頃にお迎えに上がります。」
と頭を下げて帰っていった。
2人が遠ざかる馬車を見送っていると、
「アンジェリカ様、ようこそいらっしゃいました。」
と後ろから声をかけられた。
振り返るとそこにはアンジェリカと同世代くらいのキャメルブラウンの髪の優しそうな眼鏡をかけた男性が立っていた。
「アレク!」
アンジェリカは表情を輝かせると彼の元へと駆け寄った。
「あれっ、今日はメイドさんと一緒なんだね?」
とアレクと呼ばれた彼がモニカにも穏やかな微笑みを向けた。
「えぇ。
紹介するわ。
彼女はレオンハルトの専属メイドをしてくれているモニカさんよ。
モニカさん、こちらはこの学校の校長を勤めてらっしゃるアレクセイさん。
私の幼馴染でもあるのよ。」
とアンジェリカが双方を紹介した。
「アレクセイさん、始めまして。
モニカ・アイジャーと申します。」
とモニカは頭を下げてから彼に手を差し出した。
アレクセイはモニカの手を取ると笑顔でこう返した。
「アレクセイ・バザロフです。
いやぁ!
貴方がお噂のレオンハルト様の専属メイドさんですか!
とてもお綺麗な人だ!
珍しい髪と眼の色をされていますね。
失礼かもしれませんが、どちらの国のお方なのかお聞きしても?」
「ヘリオス連合国のひとつ、ジャポネですわ。」
とモニカは笑顔で答えた。
「ジャポネですか!
それは珍しい!
モニカさんさえ宜しければ、本日の特別授業の講師をしてみませんか?
そしてジャポネのお話を子供達に聞かせて欲しいのです。
異国の話を聞く機会なんて滅多にない子達ですから、きっと喜びます!」
とアレクセイ。
「私がですか?
それは構いませんが、私は講師の資格を持っている訳ではありませんし、授業と言えるようなものにはならないと思いますわよ?」
「えぇ、それでいいんです。
計算や文字の読み書きを覚えることも大切ですが、あの子達の心の中の世界を広げてあげることも大切ですから、是非お願いします!」
そうしてモニカはその日の特別授業の講師を担当することになったのだった。
貧民街の学校は生徒の数が少ないためか、一つの教室で全ての学年の生徒を教えていた。
モニカによるジャポネの授業は、子供達にわかりやすく有名な童話などを取り入れた楽しい語り口であったためか、子供達は皆キラキラと目を輝かせながら聞き入ってくれた。
(うふふっ、梅次に勉強を教えていた時の経験が役に立ちましたわ!)
とモニカは懐かしい弟の姿を頭に思い浮かべた。
アンジェリカは教室の後ろで興味深そうにモニカの授業を聞いていたが、途中でアレクセイに呼ばれたため教室を出て行った。
授業が終わったモニカがアンジェリカと合流しようと廊下を見渡すが、彼女の姿は見当たらなかった。
すると、
「モニカ先生、アンジェリカ様を探しているの?
アンジェリカ様はきっと校長先生のお部屋にいるよ?
校長先生のお部屋はね、一階の職員室の隣!」
と梅次くらいの年齢の女子生徒が教えてくれた。
「貴方はえぇと・・・アンナさんでしたわね?
親切にありがとう!」
「ううん!
モニカ先生、アンナの名前、もう覚えてくれたんだ!
嬉しい!」
モニカがアンナとそんなやり取りをしていると、先程からそれを聞いていたアンナと同じく梅次くらいの年齢の男子生徒がこんな事を言ってきた。
「モニカ先生、今校長室に行くのはやめたほーがいーぜ?
校長とアンジェリカ様、きっとエロい事してるから!」
「ニコライ!
あんたはまたそんなこと言って!
やめなさいよ!
証拠もないのに!」
とアンナが彼を咎めた。
「だって俺こないだ見たぜ?
アンジェリカ様が校長に迫られてるとこ!
うちのかーちゃんも、あの2人は昔そーしそーあいだったけど、アンジェリカ様がナイト家当主様にミソめられて、校長と引き裂かれる形できゅーていにこしいれすることになった、可哀想な2人なんだって!
校長は今でもアンジェリカ様を忘れられなくて、ふくえんを迫ってるんだってな!!」
「アンジェリカ様はレオンハルト様のお母さんなのよ!
そんな事あるはずないじゃない!」
とアンナ。
「でもよ、レオンハルト様ってアンジェリカ様にそっくりで、当主様に似てるところなんて一つもねーじゃん?
当主様とじゃなくて、校長との子供だって噂が流れてるってうちのとーちゃんが楽しそーに言ってくるぜ?」
「もうホントよしなさいってばニコライ!」
「だって、火のないところに煙は立たねーって言うじゃん?」
(レオン様がアンジェリカ様とアレクセイさんの子供?
そんなはずはありません。
ファルガー様に提出した検体からきちんと調べてもらい、レオン様が当主様とアンジェリカ様のお子様であると結果が出たのですから。
その悪意のある噂・・・出所が気になりますわね・・・)
そう思ったモニカは彼に尋ねてみた。
「ねぇニコライくん。
お父さんはその噂をどこで聞いたのか話していましたか?」
「さぁ?
多分花街の外れにある行きつけの飲み屋じゃねーかな?
とーちゃん学がねーからろくな仕事につけなくて、うちにはいつも金がねーんだけど、飲み屋通いだけはやめねーんだよな。」
(花街はエカテリーナ様を支持する声が高いとレオン様が仰っていましたから、そのような噂を広めてアンジェリカ様の足元を掬おうとする輩がいてもおかしくはありません・・・。
ですが、あまりそのような噂が広まるのはアンジェリカ様とレオン様のためによくないですわ・・・。
一応この事もファルガー様に報告しておいたほうがよろしいでしょうね・・・。)
モニカはそう考えてからニコライの目線に合わせてしゃがみ込み、彼の手をそっと包み込むと、真剣な表情でこう言った。
「ニコライくん。
人の事を面白おかしく言う噂は、全て人の悪意が産み出したものです。
それを証拠もないのに広めることは、心優しいアンジェリカ様やレオンハルト様、校長先生を傷付けることになりますよ?
もし仮に、その噂が原因でアンジェリカ様とレオンハルト様が宮廷を追われて貴族でなくなられたら、この学校はなくなってしまうでしょう。
貴方はそれでも良いのですか?」
ニコライはモニカの言葉に悲しげに眉を寄せて瞳を揺らした。
「・・・そんなの嫌だ!
俺アンジェリカ様もレオンハルト様も校長も大好きだし・・・学校で勉強して、将来はとーちゃんと違ってちゃんとした仕事につきてーから、学校が無くなったら困る!」
モニカは素直な気持ちを打ち明けたニコライの頭をナデナデし、優しく微笑んだ。
「それならニコライくん。
もうそんな噂に振り回されては駄目ですよ?」
「うん・・・わかった。
俺、とーちゃんにもモニカ先生に言われたことを言ってみる。
聞いてくれるかわかんねーけど・・・」
とニコライは不安気に表情を曇らせた。
モニカには悪意のある噂を娯楽にする大人が、子供に言われたからと言って簡単に噂話を止めたりはしないであろうことは安易に想像がついたので、ニコライにこう言った。
「ありがとうございます。
ですがお父さんには言わせておけばいいですよ。
また同じようなことを言ってきても、興味が無いフリをして無視していれば、そのうちニコライくんには言わなくなる筈ですから。
ニコライくんだけでも、アンジェリカ様と校長先生には何も無いことを信じてあげて下さい。」
「うん!」
そう言ってニコライがえへへっと子供らしく笑ったのを見たアンナもホッとしたように微笑むと、モニカに向けてこう言った。
「モニカ先生・・・また来てくれる?
私、モニカ先生の授業をもっと受けたい!」
それを聞いたニコライも彼女に同意し頷いた。
「俺も俺も!
ジャポネのサムライの話とかかっけーって思ったし、もっと聞きてー!」
「2人共ありがとうございます!
また授業を担当させてもらえるように、アンジェリカ様と校長先生にお願いしてみますわね!」
アンナとニコライに手を振って別れた後、モニカは校長室へと向かった。
(ここが校長室ですわね。)
モニカが辿り着いた校長室のドアをノックしようとしたところで、中からアンジェリカとアレクセイの言い争うような声が漏れてきたので、思わず手を止めた。
「アンジェ!
あれから15年経っても僕の気持ちは変わらない!
君以外の人を愛することなんて僕には出来なかったし、これからだってそうだ・・・。
君だって本当はそうなんだろう!?
なぁ・・・答えてくれよ!」
「やめてアレク!
そんな事を私に言わせようとしないで!
それを私が言ったら・・・・貴方への気持ちを認めたら・・・貴方はきっと止まらなくなるのでしょう!?
私の本当の気持ちがどうであれ、私がこの国の代表ダズル・ナイトの3番目の妃であることには変わりがないの・・・!
わかってる・・・?
私は毎晩のようにあの男に抱かれているのよ!?
何度も・・・何度もよ・・・?
そんな穢れきった私に愛を告げてどうするのよ・・・!
貴方に与えてあげられものなんて、私にはもう何も残されていないのに・・・・・!!」
「君がどんなに穢れていようとも構わない!
ほんの一時でもいいから、僕の愛を受け入れて、僕の元へと舞い降りてきて欲しい・・・
ただそれだけなんだよ・・・
いけないかい?僕の天使・・・」
「いけないわ・・・!
私は不義を犯すわけには決していかないの・・・!!
もしも私達が一線を超えてしまって、それが周囲の知る所になれば、貴方だけじゃなく、レオンハルトとオリガにモニカさん、父さんと母さん、親戚や友人達、この学校の関係者にも・・・私の大切な人達皆に迷惑をかけてしまうことになるのよ・・・!?
貴方が私のことを本当に大切に想ってくれているのなら、お願いだから今の関係のままでいさせて・・・・・
私は愛する息子の成長を身近で見守ることが出来て、大切な人達が元気でいてくれる・・・。
そして、月に一度こうして貴方にだって会うことが出来る・・・。
それだけで充分幸せなのよ・・・・・」
「アンジェ・・・」
モニカはそれらの会話を聞いて、校長室の前でうつむき考えた。
(ニコライのお母さんが言っていた、相思相愛だったお二人が当主様により引き裂かれてしまったというお話のほうは、どうやら本当のようですわね・・・。
そして以前にアンジェリカ様にキキョウの刺繍の入ったリボンを贈られた方は、きっとアレクセイさんなのでしょう・・・。
アンジェリカ様は大切な人を守るために、好きでもない男に毎晩抱かれなければならない茨の道を選ばれたのですね・・・。
あぁ・・・アンジェリカ様・・・・・)
モニカはアンジェリカの気持ちを思うと胸が非常に苦しくなり、栗色の瞳に涙を滲ませるのだった。
その後校長室では沈黙が続いたので、モニカはノックするタイミングに迷っていた。
すると、窓から迎えの馬車が門の前に停まるのが見えた。
アンジェリカとアレクセイも馬車の到着に気がついたようで、やがて何事もなかったように校長室から出てきては、扉の前にいたモニカと鉢合わせになった。
だがよく見ると、アンジェリカの目は少し赤くなっており、彼女が先程まで泣いていたことは明らかだった。
モニカはそれに気が付かないふりをして2人に笑顔を向けると、
「あ、授業が終わりましたのでお知らせしようかと思っていたところでしたが、今お迎えの馬車も到着したようですよ。」
と言った。
「お疲れ様、モニカさん!
私は途中から抜けちゃったけれど、貴女の授業、子供達皆とても良く聞いていたわね!
貴方、人に教えるのがとても上手よ!
よかったらまた講師をしてみない?」
とアンジェリカ。
「まぁ!よろしいのですか?
私からもお願いしようと思っていましたの!
校長先生も、また講師をさせていただいても構いませんか?」
とモニカはアレクセイに尋ねた。
「えぇ、勿論です!
毎月来てくださっても貴方なら大歓迎ですよ!」
とアレクセイは笑顔で答えた。
「ありがとうございます!
都合がつきます時には是非!
あ、これは私が焼いてきたクッキーなのですけど、子供達のお土産に持たせてやってくれませんか?」
モニカはそう言って人数分に小分けされたクッキーの入った紙袋をアレクセイに手渡した。
「これはこれはありがとうございます!
子供達、喜びますよ!」
アンジェリカとモニカは馬車に乗り、貧民街の近くの通りにある”武器屋リエーフ”の前で降ろしてもらった。
「それでは一時間程したらまたお迎えに参りますので!」
馬車引きは2人に頭を下げるとまた馬車を走らせ去っていった。
リエーフの扉には”臨時休業”と札が出ていた。
モニカがそれを見て不思議そうに首を傾げると、
「月初めのこの日の午後だけは、両親が私の為に貸し切りにしてくれるのよ。」
とアンジェリカが説明してくれた。
「まぁ!貸し切りですか!
それでは気兼ねなくご両親とお話が出来そうですわね!」
モニカがカランカランと音を立てながらリエーフの扉を開けると、ライオネルとタマラが揃って笑顔で出迎えてくれた。
「アンジェリカにモニカさん!
待っていたわ!」
とタマラ。
「寒かったろう?
奥へどうぞ。」
とライオネル。
「お邪魔いたします!
これ、私が焼いたロールケーキなのですけど、一緒にいただきませんか?」
モニカはそう言って手に持っていた袋をタマラに手渡した。
「まぁ!ロールケーキですって!ライオネル!
私そんな上等なお菓子を頂いたのは初めてよ!」
タマラは感激のあまり目を輝かせて隣の夫に同意を求めた。
「ほぉ・・・!
お菓子作りも出来るだなんて、流石はモニカさんだ。」
とライオネルは妻に同意し微笑んだ。
「うふふっ!
モニカさんのお菓子はパティスリーで売っているものにも負けないくらい美味しいのよ?
でも今日はジャポネのワガシではないのね?」
とアンジェリカ。
「和菓子は初めて口にされるお2人のお口に合うかわかりませんでしたので、本日は今が旬のみかんを使った洋菓子にしましたの。
ケーキに合いそうな茶葉もお持ちいたしましたので、お台所を貸していただけますか?」
それから間もなくして、リエーフの奥の居間でライオネルとタマラとアンジェリカ、モニカの4人はロールケーキと紅茶を口にしながら話をしていた。
「そうか・・・。
レオンハルトは今も我々民の為に戦場で頑張っているのだな・・・。
だが白の剣を持たせてもらったのなら、ブルードラゴン相手でもきっと生きて帰って来るさ。
あれは我らにとって特別な剣らしいからな。
・・・アンジェリカ。
モニカさんにはあのことは話したのかい?」
とライオネルはアンジェリカに尋ねた。
アンジェリカは父の問いかけに対して首を左右に振った。
「まだ話していないけれど、モニカさんならとっくに気がついているわよね?
私と父さんとレオンハルトこそが、ラスター・ナイトの子孫であり、ダズルや他の公子達はラスター・ナイトの血を引いていないと・・・。」
モニカはアンジェリカの言葉にゆっくりと頷いた。
「えぇ・・・。
レオンハルト様とアンジェリカ様とライオネル様は非常にラスター・ナイト様に似てらっしゃるのに、当主様も他の公子様も全く似てらっしゃらないことから何となくそうではないかと思っていたのですが、その後ジェイド様から色々とナイト家の事情について聞かされましたから・・・」
モニカはその事を知り得た本当の経緯が、自分がジャポネの代表であり世界の創造神ヘリオスの神使ファルガー・ニゲルの遣いとしてアデルバートに送り込まれたスパイであるからだと、彼等になら打ち明けても良いのでは無いかと思った。
しかし人の良い彼らのことだ。
それを知れば危険を承知で協力を申し出てくれるだろうし、最悪自分がスパイであることがバレた時に、彼らにも共犯の容疑がかけられてしまうかもしれないと思った。
なのでそのことについてはまだ伏せておくことにし、ジェイドから聞かされたというのも嘘ではないし、そのことのみを伝えるに留めておいた。
「そう・・・ジェイド様から聞いたのね・・・。
それなら父さん、全てを話してもいいと思うわ。
寧ろ、レオンハルトにとって特別なモニカさんには、私達のことをきちんと知っておいてもらったほうが良いでしょう。
何故ラスター・ナイトの血を引かない今のナイト家が出来上がってしまったのかを。」
アンジェリカのその言葉にライオネルは頷いた。
「ならば僕が先祖から伝え聞いた現ナイト家と我々ラスター・ナイトの子孫との因縁について、知る限りのことをお話しよう・・・」
ライオネルは紅茶を一口飲むと語り始めた。
「ラスター・ナイトは昔魔王を打ち倒した勇者のパーティの一人で、天馬に跨り剣を手に戦った騎士ということは君も知っているね?
彼は仲間と共に魔王を打ち倒した後、故郷のアデルバートに帰還し、英雄としてアデルバート代表の座に着くはずだった。
しかし、ラスターには血の繋がらない弟がいてね。
彼の策略により、今のナイト家が出来上がってしまったんだよ。」
「血の繋がらない弟・・・。
ご両親の再婚により出来た弟さんだったのでしょうか?」
とモニカ。
「いや・・・。
ラスターは元々孤児で名前もなかったんだ。
だが非常に剣術の才能に溢れていてね。
それが当時のアデルバートで一番の力を持っていたオーレオール・ナイトという騎士の目に止まり、彼の養子として迎え入れられた後、ラスター・ナイトという名を与えられたそうだ。
義理の弟はオーレオール・ナイトの実子で、名をレイ・ナイトといった。
レイも普通の同世代の子供達に比べると充分に強かったが、どんなに努力を重ねても、兄程の剣術を身につける事はできなかった。
そして養父母は見た目も美しく、騎士としてどんどん才覚を現していく兄ラスターのほうを可愛がり、ナイト家の後継ぎとして世間に公表した。
レイは両親の愛情もこの家の後継ぎとなる未来も全て義理の兄に奪われてしまい、兄を妬み、憎んだ・・・。
やがてラスターは勇者パーティに加わることになり、我が国の神使ルシンダ様からラスターの血に反応し、持てる力を最大限に引き出す聖剣”白の剣”を授かり、仲間と共に魔王を打ち倒した。
そして戦いを終えたラスターがアデルバートに帰還した時、その悲劇は起こってしまった。
レイは両親を殺害し、その罪をラスターに被せて陥れようとしたんだ・・・。
しかし、英雄となったラスターがそんな事をしたなんて、誰1人として信じようとはしなかった。
窮地に陥ったレイは、ラスターの恋人を人質に取り、ラスターに取り引きを持ちかけた。
「孤児に過ぎないあんたがこの国の代表になるだって!?
冗談じゃない!
その座はこの国で一番の騎士、オーレオール・ナイトの実の子である俺のものだ!
だがこの国の民は、英雄となったあんたが代表になることを望んでいやがる・・・。
それなら、俺がラスター・ナイトとなってこの国を導いてやる!
だから兄さん、あんたはその白の剣を置いてこの国から消えろ!」
とね・・・。
ラスターは恋人を助けるためというのもあったが、元々自分は人の上に立つ器ではないとも思っていたようで、あっさりとその条件を飲み、恋人と共にアデルバートを出てい行ったんだ・・・。
その後、レイはラスターと同じ髪色に染め、弟との揉め事で火傷をし、皆に見せられない顔になってしまったと偽り顔に仮面を着け、ラスター・ナイトとして国の代表の座に着いた。
そして、亡くなった両親と行方不明になっている弟について訊かれると、
「レイは僕ばかりに愛情を向ける両親を恨んで殺害し、その罪を僕になすりつけようとしたんだ・・・。
それで僕達は言い争いになり、逆上したレイは僕の顔に火を着けた・・・。
でも僕は弟を愛していたから、この剣で切ることなんてとても出来なかったんだ・・・。
だから、国外に追放した・・・」
と説明した。
そして民衆の前に立ち白の剣を掲げると、
「このラスター・ナイトが、この地を豊かで平和な国へと導いていこう!」
と宣言し、今のナイト家を作り上げたらしいよ。」
(・・・偽のナイト家を作り出したレイという人物は、とんでもない大嘘つきのクソ野郎でしたのね・・・。
ラスター様にとっては国を追われることにはなっても、恋人と共にいられて、無理に人の上に立たなくても良くなったのなら、そんなに悪い条件でもなかったのかもしれませんが・・・)
モニカはそう思ってからライオネルにさっきの話の気になる点を尋ねた。
「それで・・・国を出て行かれたラスター様は、その後どうなされたのです?」
ライオネルは当然モニカにそう問われるだろうと思っていたようで、軽く頷くとすぐに答えた。
「暫くは友人が新しく開拓することになった土地に身を寄せて、恋人と共にそれを手伝ったそうだよ。」
(その土地とはジャポネであり、友人というのは元勇者であるファルガー様のことでしょうが、彼等にはそのように伝わっていたのですね・・・。)
とモニカは思った。
ライオネルは続けた。
「開拓が落ち着いた頃にやはりアデルバートの様子が心配になり、妻となった恋人と一緒にこっそりとアデルバートに帰還し、この武器屋リエーフを開いたそうだ。
そうして陰でナイト家を見守りながら細々と血を繋いできたが、僕の代でずっと産まれることのなかった女の子が産まれた。
ラスターは我が子に獅子のように強く誇らしくあって欲しいと、ヘリオス連合国において”獅子のような”という意味を持つディランという名を与えたそうだが、それに習って僕ら子孫は子供に獅子に関する名前を代々付けてきたんだ。
そんな歴史の中産まれた女の子は本当に特別で、天からの授かりものだと思った僕は、君に”アンジェリカ”と名付けた。」
そう言ってライオネルはアンジェリカに優しく微笑みかけた。
「私もこの名を気に入っているわ!
つけてくれてありがとう!
父さん!」
とアンジェリカも微笑んだ。
しかしライオネルはすぐにその表情を翳らせてしまった。
「だが・・・アンジェリカは寄りにもよってレイの子孫であるダズルに見つかってしまった・・・。
きっとラスターにそっくりな娘が貧民街の近くに住んでいると、何処かから情報を得たのだろう・・・。
ダズルはまさか本物のラスター・ナイトの子孫がこんな近くで暮らしていたとは最初は信じられなかったようだが、魔王が倒されてから1000年して再び魔王がこの世に姿を現した時に、レイのついた嘘が民衆にバレることを恐れてもいたようで、白の剣を持ち出してきてそれをアンジェリカに握らせたんだ。
そして、白の剣が光ったのを見たダズルは、アンジェリカが本物のラスター・ナイトの子孫であると確信し、アンジェリカを妻にすると決めた。
その頃アンジェリカは幼馴染のアレクセイと恋仲になっていて、このまま彼と幸せな家庭を築くのだと思っていたのに、ダズルは卑怯な手を使ってアンジェリカを陥れ強引に宮廷に輿入れさせて、本当のラスターの血を引く子供を産ませた・・・。
それがレオンハルトだ・・・・・・」
モニカはライオネルの口からそれを聞いて、今までそうだとわかっていたつもりだったのに、こうして本人を目の前にして聞かされたことにより、アンジェリカの気持ちを改めて実感し、身がつまされるような思いがした。
「・・・・・・そうだったのですね・・・・・・。
アンジェリカ様になんて酷いことを・・・・・・。
ダズル・ナイト・・・・・・許せませんわ・・・・・」
モニカはそう言って暫く怒りに震えていたが、アンジェリカがその手をそっと握ると、優しく微笑み頭を振った。
「私の為に怒ってくれてありがとう、モニカさん・・・。
でももういいのよ?
確かに最初は辛かったけど、宮廷にはオリガもいてくれたし、レオンハルトが授かった事に後悔はないの。
あの子が産まれてきてからは宮廷の暮らしも割り切れるようになったし、ダズルのこともそれなりには愛せるようになったわ。
それに、この地位を利用して貧民街に学校を作ることだって出来たし、今は毎日貴方の作る美味しいご飯とお菓子だって食べられるし、とても幸せよ!」
モニカはそんなアンジェリカの優しさと強さに心を打たれ、改めて尊敬できる女性だと強く思った。
「ありがとうございます、アンジェリカ様・・・。
ですが、レオンハルト様は今お話していただいたことをご存知ないように思いました・・・。
当主様もグリント様もジェイド様も、ゼニス隊やオリーブ隊の人達も皆、自分と同じようにラスター様の血を引いていると仰っていましたから・・・。
レオン様にはまだこのことはお話されていないのですね?」
とモニカ。
アンジェリカは頷いた。
「えぇ・・・。
レオンハルトは繊細なところがあるでしょう?
今それを話せば、きっとダズルやナイト家の人達を恨み、良くない思想に囚われると思ったから・・・。
あの子が成人する前には話さなければならないのでしょうけど・・・でも、その時に貴方があの子の隣にいてくれたなら、きっと良くない思想に走らずに済むと思うの・・・。
あの子は自由になりにくい立場で産まれてしまったけれど・・・
心より好きになった貴方と一緒に歩める人生なら、あの子はきっと幸せになれるわ!
だから貴方にはこれからもあの子の傍にいてあげて欲しいの・・・。」
モニカはアンジェリカのその言葉にありのままの気持ちで答えた。
「それは勿論そのつもりです・・・!
ですが・・・もしもレオン様が次期当主と公表された場合、私はレオン様の望まれる形ではお傍にいられなくなるでしょう・・・・・」
アンジェリカは眉を寄せて同意し頷くと、こう言った。
「そうね・・・
ダズルもあの子を次期当主にしようと思っている・・・。
でもそれであの子が幸せに生きられないのなら、ラスターのようにこの国を捨てたって構わないと思うの。」
「・・・・・!!!」
モニカは驚きのあまり席を立ち、声を荒げた。
「ですがそんな事をすれば、アンジェリカ様もライオネルさんもタマラさんもオリガさんもサーシャくんも・・・レオン様と血の繋がりのある全ての人達が、報復に遭ってしまうかもしれませんわ・・・!!」
それに対し、アンジェリカはモニカに座るようにと促し、彼女が座るのを待ってから、しっかりと揺るぎのない意思を秘めた瞳でこう言った。
「大丈夫。
オリガやサーシャ程離れている血縁者なら、私の交渉次第で助けられると思うわ。
私達はただでは済まないでしょうけど、私達にはその覚悟が既に出来ている。
貴方にはそれを知っていてもらいたかったの・・・。」
それに同意してライオネルも言った。
「僕らは充分に生きたからね。
レオンハルトが好きな子と幸せになれるのなら、それでいいと思ってるよ。」
そして、隣に座るタマラも迷うこと無く頷いた。
「うん、私もこの人と同じ意見。
孫の幸せが一番よ。」
「だからね・・・?
モニカさん・・・。
どんなふうに運命の天秤が傾いたって、貴方達が揃って幸せになれる道を進んで欲しいのよ・・・」
そう言ってアンジェリカはモニカの手を再び包み込むと、優しく微笑んだ。
モニカはそれにとても頷くことは出来ず、かといって否定することも出来ずにただ俯いて、ポロポロと涙を零しながらも心の中で叫んだ。
(駄目・・・!
私達が幸せになるために、この優しい人達を犠牲になんて出来るわけが無いじゃないですか・・・!
まずはファルガー様に相談してみましょう・・・。
あのお方なら、いざという時にこの方達を救う手立をお持ちかもしれませんわ・・・)
それから数ヶ月が過ぎ、アデルバートは4月を迎えていた。
モニカはあれ以来毎月アンジェリカの貧民街の学校視察に付き添い、講師をしたり、アンジェリカの授業を手伝ったりした。
宮廷ではライサに扮したエカテリーナが何かを仕掛けてくるかもしれないと思ったが、ライサの姿を昼間に時折遠くで見かけることはあっても、こちらに近づいてくることもなく、不気味なぐらい平穏な日々が過ぎていった。
ファルガーには礼拝堂から変わらず連絡を続けた。
彼もロジウム区域に行ってからは忙しいようで、今までより返信のペースは落ちていたが、モニカが相談したアンジェリカの噂話の件は、きちんと受け止めた上で様子を見るようにと指示を受け、いざという時のレオンの身内の保護についても、ロジウムでの戦いと調査が終わりジャポネに帰還してからにはなるが、ジャポネで彼等の受け入れがいつでも出来るように準備を進めておくと約束してくれたのだった。
ロジウム区域での戦況は、ファルガーからのメッセージとは別に、伝令役のオリーブ隊員より築一ダズルとジェイドに報告が入り、彼らからモニカ達関係者に知らされていた。
それによると、ゲートからはまだ魔獣が湧き出し続けており、魔獣達のボスと思われるブルードラゴンとはまだどの隊もぶつかってはいないようだが、レオン達騎士の活躍により、その配下の魔獣はかなり減り、人間達の領域は大部分取り戻せているようだった。
残すはボスであるブルードラゴンが率いる小さな群れの討伐のみであり、終戦は近いと思われるが、今までの戦いで騎士達の犠牲も数多く出ており、既に半数以上の騎士達の死亡が報告されていた。
その中にはグリントとレオンの名は含まれていなかったが、ベリルの夫でありスフェーンの父であるゼニス隊のエースだった男は死亡してしまったそうだ。
そのためベリルとスフェーンは当面の間はこのまま宮廷で暮す事となったが、ベリルは、
「妊娠中の夫の度重なる浮気に既に愛想が尽きていたし、この魔獣討伐戦が起こらなければ、産後彼の屋敷に戻ると同時に離婚を切り出すつもりだったから、その手間が省けたわ!」
と言ってあまり悲しむ様子を見せなかった。
だが、それでも他の死亡者達と合同で行われた彼の葬儀ではやはり涙を見せていたので、モニカは一度は愛して家族となった男の死には、例え彼に何度も裏切られ傷付けられたとしても、愛想が尽きたの一言では済まされない複雑な何かがあるのだろうと感じ、そっと彼女に胸を貸すのだった。
だが、悲しい出来事ばかりではなかった。
4月の中旬には、モニカがアデルバートで始めて出来た友人である花売りのニーナが恋人のユリスとミスティル教会にて結婚式を挙げたのだ。
彼女のウエディングドレスは、モニカの紹介でサーシャが手掛けたものであり、彼女の清楚で愛らしい魅力を最大限に活かした人生の晴れ舞台に相応しいとても素敵なドレスだった。
勿論モニカも花嫁の友人として式に参列し、他の参列者の受付を引き受けて、友人代表としてスピーチも行った。
そして指輪の交換をして誓いの口づけを交わした二人が教会から出てくると、花嫁からブーケトスが行われた。
そのブーケを受け取った女性は、次の花嫁になれるのだとアデルバートでは信じられており、ニーナはモニカに向かってブーケを投げてくれたようだったが、そのブーケは春風に吹かれて軌道を変えて、モニカの隣りにいたサーシャの手元にポスッと着地したのだった。
「えっ・・・僕が次の花嫁なの!?
それとも花婿!?
相手すら居ないのに嘘でしょ!?」
彼のその一言で参列者達はどっと沸き、辺りが穏やかな空気でいっぱいになった。
モニカは悪戯な春風のせいで花嫁のブーケを受け取り損ねたが、この春風が愛する彼を連れて帰ってくれる報せでもあるのだと思うと嬉しくて、彼のいる北の大地へと向かって、春風と共に走り出しそうな気持ちになるのだった。
モニカは礼拝堂にてファルガーへ報告を行った。
─ファルガー様へ
今頃貴方様はアデルバートの北の大地、ロジウム区域に到着されているのでしょうか?
どうかご無理はなさらずにお過ごしください。
早速なのですが報告があります。
昨日ジェイド様と共にハーレムに行きまして、エカテリーナ様とお会いできましたわ。
とてもお綺麗な方で、少しですが会話もいたしましたが、なんと申しますか・・・非常に印象の悪い、毒物のようなお方でした。
そして彼女の身長、体系、顔、声、香りからして、メイクなどでライサさんに変装することは可能だと判断致しました。
そして彼女から証拠となる言葉は出てきませんでしたが、ライサさんから聞いたと言ってレオン様と私を侮辱してきましたことから、2人は同一人物と見てほぼほぼ間違いないと思います。
この事を当主様はお気づきではないのかもしれないとジェイド様が仰られていましたが、私も当主様の人物像をお聞きして、そのように感じました。
また、エカテリーナ様と一緒にレオン様の次の公子様であらせるルーカス様にもお会いしましたが、おそらくエカテリーナ様により常日頃他の公子様達への印象を操作されているのでしょう。
ジェイド様に対して挨拶がなく、必要がなければ会話も交わしたくもないといった様子でしたわ。
私からの報告は以上となります。
今後ライサさんに対して何か手を打たれるのであれば、喜んで協力致しますので仰ってくださいね。
それでは、今日もファルガー様の無事をお祈りしております。
相澤桃花─
そしてその翌朝にまた礼拝堂にお祈りに行くと、ファルガーからの返信が届いていた。
─桃花へ
もうハーレムでエカテリーナについて確認をしてくれたんだね、ありがとう。
ジェイド殿にもお礼を伝えておいてくれ。
そうか・・・やはりライサとエカテリーナは同一人物である可能性がかなり高いんだね。
でもいいかい桃花。
こちらからは何もしないで。
前にも言ったけど彼女は黒蛇・・・そしてダルダンテ神とも繋がっていると思われる人物だから、下手に刺激するのは危険だ。
こちらからアクションを起こす時は、僕が側にいるときにすると約束して欲しい。
だが、向こうからこちらをつついてくることはあるかもしれないから、その時はどんな些細なことでもいいから、すぐに僕に知らせて。
相手の小さな行動を把握することで、大きな危険を予測することが出来るからね。
僕のほうは君の推測通り、今ロジウム村の教会からこのメッセージを送っているよ。
今は天界の変装アイテムを使って髪と目の色を変えて、オリーブ隊員として騎士達の隊に紛れ込んでいる。
ゼニス隊はナイト家の血が濃い者ばかりだし、身元を訊かれると嘘がバレてしまうと思ったから、ダニイルという名のオリーブ隊員に成りすますことにしたんだ。
主に倒した魔獣の後片付けや隊員たちの雑用、他の部隊への伝令や飯炊き係なんかをやらされてるけど、今のところはバレずにやり過ごしているよ。
ロジウムゲートの調査のほうは、魔獣の数が想像以上に多くてゲート近付けなくてね。
今はロジウム村を拠点に、少しずつ人間たちの陣地を取り戻していっているところだよ。
陣地がもう少しゲートに近づいたら調査を行うつもりだ。
あ、そうそう。
レオンハルトくんの姿を見かけたよ。
本当にラスターにそっくりでビックリした。
まぁ君も言っていたようにレオンハルトくんのほうがまだラスターより幾らか幼いけど、後2~3年もすればラスターと区別がつかなくなって、思わず「ラスター」と呼びかけてしまうかもしれないな。
それじゃあまたね。
君が少しでも心穏やかに過ごせるように、ロジウムから祈っている。
ファルガー・ニゲル─
(やはりファルガー様はもうロジウムにおられるのですね・・・。
思ったよりも魔獣の数が多いと仰っていたのは心配ですが、ファルガー様とレオン様は別の隊におられるみたいですし、ファルガー様がレオン様を見て私の恋人なのだと火花を散らすようなこともなく、昔の仲間にそっくりの彼に対して懐かしむ気持ちのほうが勝っているようですから、2人が喧嘩になるかもしれないという心配は杞憂に終わりそうで良かったですわ・・・。)
モニカがファルガーからのメッセージを振り返り、そんなことを考えながらアンジェリカと一緒に朝食をいただいていると、アンジェリカが心配そうに眉を寄せてこんな事を言ってきた。
「ねぇモニカさん。
最近ちょこちょこジェイド様がレオンハルトのお部屋を訪ねて来られているようだとオリガが言っていたし、昨日も貴方がジェイド様と何処かへ馬車で出かけて行く所を見たのだけど・・・大丈夫?
命じられて無理に従わされているんじゃないかと思って・・・」
モニカはアンジェリカの心配は最もだと思った。
だが任務のことや彼と同盟関係であることなどは言えないので、柔らかく微笑むとこう返した。
「ご心配をかけてしまい申し訳ございませんアンジェリカ様・・・。
ジェイド様の専属メイドは新しい方が決まらず、依然として人手不足のままでしょう?
ですので、レオン様が戦場に行かれて手が空いている私が時々協力を差し上げているだけなのです。
私も忙しくしているほうが気が紛れますし。」
「そう・・・。
嫌な目には遭ってない?
この国の宰相でレオンハルトの兄でもある人のことを悪く言うのは気が引けるけど、ジェイド様もかなりの好色家のようだから・・・」
とアンジェリカ。
「えぇ、そちらも大丈夫ですわ!
ジェイド様、あの媚薬騒動の後にレオン様に腕の骨を折られたことが相当こたえたようでして、今でもちょっかいを出すことはあっても、軽い冗談で済ませてくれていますわ。」
モニカがそう笑顔で答えると、アンジェリカは安堵したようで表情を和らげた。
「それなら良かったわ!
ところでモニカさん。
来月の最初の日のお昼は空いてるかしら?」
「2月1日ですか?
時折ベリル様のお子様のスフェーン様の子守りが入ることがあるのではっきりとしたことは言えませんが、それが入らなければ空いています。」
「そう!
もし子守りが入らなければでいいのだけと、私と一緒に貧民街の学校に行かない?
「貧民街の学校ですか?
アンジェリカ様がお妃様になられてから作られたとレオン様からお聞きしましたが、その学校でしょうか?」
「えぇ、そうなの!
私、月に一度創立者として顔を出しているのだけど、その時に普段の授業ではなかなか出来ない剣術や礼儀作法等の特別な授業の講師もさせていただいているの。
時々レオンハルトも手伝ってくれているのだけど、今は居ないから、代わりに貴方に手伝って貰えたらと思って。
子供達と接していると私も明るい気持ちになれるし、貴方の気晴らしにもなるかと思ったのだけど・・・どう?」
「まぁ!
私でよろしければ是非お供させて貰いますわ!」
モニカはその誘いを心より嬉しく思い、表情を輝かせて両手を合わせた。
「良かった!
視察が終わったらいつも私の実家でお茶をして帰ってるの!
貴方が来てくれたら父も母も喜ぶわ!
あっ・・・これはダズルには内緒ね?」
と、アンジェリカは人差し指を口元に当てて、その名の通り天使のように美しく無邪気に微笑むのだった。
そして2月1日─。
その日は子守りを頼まれることもなかったので、モニカはアンジェリカに付き添って貧民街の学校へ行くことになった。
以前モニカがレオンに案内されて貧民街へ行った時には、専属メイドの制服は身代金が取れると判断されて貧民街においては危険なので平民服を着て行ったが、今回はアンジェリカが普段良く着ている白の詰め襟のワンピースの上に、仕立ての良いウールコートという貴族らしい装いだったため、モニカもそれに合わせて専属メイドの制服にした。
「今日は遊びにいくのではなく学校の視察でもあるから、それなりの服装をしていないといけないのよ。
でも貧民街を貴族だとわかる服装で訪れるのは危険でしょ?
かといって宮廷にあるきらびやかな馬車を使っても貧民街の人を刺激してしまうし。
そこで私は宮廷の馬車ではなく、街の馬車引きと契約して毎回視察の日に来てもらっているのよ。」
と言って、アンジェリカは目の前に停まったごく庶民的な馬車を指し示した。
「そうなのてすね。
ですが護衛も無しで、危険ではないですか?」
と少し心配そうに眉を寄せるモニカ。
「レオンハルトが付き添ってくれる時にはあの子が護衛の役割も果たしてくれていたのだけど、来れない時にはゼニス隊の護衛を1人付けてもらっていたわ。
だけど今は大体のゼニス隊員がロジウム区域に出撃しているから、こちらに割く人員が無いのよ。
だから今日は護衛無しで行くけれど、大丈夫。
今日は私、剣を持ってきているから、そこらのゴロツキなんかに負けやしないわ!
貴方を危険な目になんて遭わせないから安心して?」
そう言って凛々しく眉をキリッとさせるアンジェリカに、モニカはクスクスと微笑みながらこう返した。
「まぁ!
大変頼もしいですわ!アンジェリカ様。
ですけど私だって貴方に鞭の使い方を教わった弟子なのですから、守られるばかりじゃありませんわよ?
さぁ、そろそろ時間も迫って参りましたし、馬車に乗りましょうか。」
モニカはアンジェリカが馬車に乗るのを手伝った後、自分も馬車に乗り込んだ。
学校は貧民街の中でも比較的治安の良い通りの突き当りに位置し、建物の大きさは先日行ったハーレムの半分くらいの規模だろうか。
古い建物が立ち並ぶ貧民街の中では新しく大きな建物なので、とても目を引いた。
その学校へと続く通りを進む馬車は貧民街の人々に注目されはしたが、その通りに住む人は皆、月初めにアンジェリカが街馬車で学校の視察に来ることを知っていたようで、特に何のトラブルもなく学校に到着した。
校舎は充分な広さのあるグラウンドと共に塀で覆われており、中庭には春夏秋冬それぞれの季節に花が楽しめる庭木が植えられ、花壇には朝霧草やラベンダー、芝桜等の耐寒性のある花が、数日前に降ってまだ溶け残っている雪の下からちらりと姿を覗かせていた。
2人が馬車から降りると馬車引きは、
「それでは視察が終わられる頃にお迎えに上がります。」
と頭を下げて帰っていった。
2人が遠ざかる馬車を見送っていると、
「アンジェリカ様、ようこそいらっしゃいました。」
と後ろから声をかけられた。
振り返るとそこにはアンジェリカと同世代くらいのキャメルブラウンの髪の優しそうな眼鏡をかけた男性が立っていた。
「アレク!」
アンジェリカは表情を輝かせると彼の元へと駆け寄った。
「あれっ、今日はメイドさんと一緒なんだね?」
とアレクと呼ばれた彼がモニカにも穏やかな微笑みを向けた。
「えぇ。
紹介するわ。
彼女はレオンハルトの専属メイドをしてくれているモニカさんよ。
モニカさん、こちらはこの学校の校長を勤めてらっしゃるアレクセイさん。
私の幼馴染でもあるのよ。」
とアンジェリカが双方を紹介した。
「アレクセイさん、始めまして。
モニカ・アイジャーと申します。」
とモニカは頭を下げてから彼に手を差し出した。
アレクセイはモニカの手を取ると笑顔でこう返した。
「アレクセイ・バザロフです。
いやぁ!
貴方がお噂のレオンハルト様の専属メイドさんですか!
とてもお綺麗な人だ!
珍しい髪と眼の色をされていますね。
失礼かもしれませんが、どちらの国のお方なのかお聞きしても?」
「ヘリオス連合国のひとつ、ジャポネですわ。」
とモニカは笑顔で答えた。
「ジャポネですか!
それは珍しい!
モニカさんさえ宜しければ、本日の特別授業の講師をしてみませんか?
そしてジャポネのお話を子供達に聞かせて欲しいのです。
異国の話を聞く機会なんて滅多にない子達ですから、きっと喜びます!」
とアレクセイ。
「私がですか?
それは構いませんが、私は講師の資格を持っている訳ではありませんし、授業と言えるようなものにはならないと思いますわよ?」
「えぇ、それでいいんです。
計算や文字の読み書きを覚えることも大切ですが、あの子達の心の中の世界を広げてあげることも大切ですから、是非お願いします!」
そうしてモニカはその日の特別授業の講師を担当することになったのだった。
貧民街の学校は生徒の数が少ないためか、一つの教室で全ての学年の生徒を教えていた。
モニカによるジャポネの授業は、子供達にわかりやすく有名な童話などを取り入れた楽しい語り口であったためか、子供達は皆キラキラと目を輝かせながら聞き入ってくれた。
(うふふっ、梅次に勉強を教えていた時の経験が役に立ちましたわ!)
とモニカは懐かしい弟の姿を頭に思い浮かべた。
アンジェリカは教室の後ろで興味深そうにモニカの授業を聞いていたが、途中でアレクセイに呼ばれたため教室を出て行った。
授業が終わったモニカがアンジェリカと合流しようと廊下を見渡すが、彼女の姿は見当たらなかった。
すると、
「モニカ先生、アンジェリカ様を探しているの?
アンジェリカ様はきっと校長先生のお部屋にいるよ?
校長先生のお部屋はね、一階の職員室の隣!」
と梅次くらいの年齢の女子生徒が教えてくれた。
「貴方はえぇと・・・アンナさんでしたわね?
親切にありがとう!」
「ううん!
モニカ先生、アンナの名前、もう覚えてくれたんだ!
嬉しい!」
モニカがアンナとそんなやり取りをしていると、先程からそれを聞いていたアンナと同じく梅次くらいの年齢の男子生徒がこんな事を言ってきた。
「モニカ先生、今校長室に行くのはやめたほーがいーぜ?
校長とアンジェリカ様、きっとエロい事してるから!」
「ニコライ!
あんたはまたそんなこと言って!
やめなさいよ!
証拠もないのに!」
とアンナが彼を咎めた。
「だって俺こないだ見たぜ?
アンジェリカ様が校長に迫られてるとこ!
うちのかーちゃんも、あの2人は昔そーしそーあいだったけど、アンジェリカ様がナイト家当主様にミソめられて、校長と引き裂かれる形できゅーていにこしいれすることになった、可哀想な2人なんだって!
校長は今でもアンジェリカ様を忘れられなくて、ふくえんを迫ってるんだってな!!」
「アンジェリカ様はレオンハルト様のお母さんなのよ!
そんな事あるはずないじゃない!」
とアンナ。
「でもよ、レオンハルト様ってアンジェリカ様にそっくりで、当主様に似てるところなんて一つもねーじゃん?
当主様とじゃなくて、校長との子供だって噂が流れてるってうちのとーちゃんが楽しそーに言ってくるぜ?」
「もうホントよしなさいってばニコライ!」
「だって、火のないところに煙は立たねーって言うじゃん?」
(レオン様がアンジェリカ様とアレクセイさんの子供?
そんなはずはありません。
ファルガー様に提出した検体からきちんと調べてもらい、レオン様が当主様とアンジェリカ様のお子様であると結果が出たのですから。
その悪意のある噂・・・出所が気になりますわね・・・)
そう思ったモニカは彼に尋ねてみた。
「ねぇニコライくん。
お父さんはその噂をどこで聞いたのか話していましたか?」
「さぁ?
多分花街の外れにある行きつけの飲み屋じゃねーかな?
とーちゃん学がねーからろくな仕事につけなくて、うちにはいつも金がねーんだけど、飲み屋通いだけはやめねーんだよな。」
(花街はエカテリーナ様を支持する声が高いとレオン様が仰っていましたから、そのような噂を広めてアンジェリカ様の足元を掬おうとする輩がいてもおかしくはありません・・・。
ですが、あまりそのような噂が広まるのはアンジェリカ様とレオン様のためによくないですわ・・・。
一応この事もファルガー様に報告しておいたほうがよろしいでしょうね・・・。)
モニカはそう考えてからニコライの目線に合わせてしゃがみ込み、彼の手をそっと包み込むと、真剣な表情でこう言った。
「ニコライくん。
人の事を面白おかしく言う噂は、全て人の悪意が産み出したものです。
それを証拠もないのに広めることは、心優しいアンジェリカ様やレオンハルト様、校長先生を傷付けることになりますよ?
もし仮に、その噂が原因でアンジェリカ様とレオンハルト様が宮廷を追われて貴族でなくなられたら、この学校はなくなってしまうでしょう。
貴方はそれでも良いのですか?」
ニコライはモニカの言葉に悲しげに眉を寄せて瞳を揺らした。
「・・・そんなの嫌だ!
俺アンジェリカ様もレオンハルト様も校長も大好きだし・・・学校で勉強して、将来はとーちゃんと違ってちゃんとした仕事につきてーから、学校が無くなったら困る!」
モニカは素直な気持ちを打ち明けたニコライの頭をナデナデし、優しく微笑んだ。
「それならニコライくん。
もうそんな噂に振り回されては駄目ですよ?」
「うん・・・わかった。
俺、とーちゃんにもモニカ先生に言われたことを言ってみる。
聞いてくれるかわかんねーけど・・・」
とニコライは不安気に表情を曇らせた。
モニカには悪意のある噂を娯楽にする大人が、子供に言われたからと言って簡単に噂話を止めたりはしないであろうことは安易に想像がついたので、ニコライにこう言った。
「ありがとうございます。
ですがお父さんには言わせておけばいいですよ。
また同じようなことを言ってきても、興味が無いフリをして無視していれば、そのうちニコライくんには言わなくなる筈ですから。
ニコライくんだけでも、アンジェリカ様と校長先生には何も無いことを信じてあげて下さい。」
「うん!」
そう言ってニコライがえへへっと子供らしく笑ったのを見たアンナもホッとしたように微笑むと、モニカに向けてこう言った。
「モニカ先生・・・また来てくれる?
私、モニカ先生の授業をもっと受けたい!」
それを聞いたニコライも彼女に同意し頷いた。
「俺も俺も!
ジャポネのサムライの話とかかっけーって思ったし、もっと聞きてー!」
「2人共ありがとうございます!
また授業を担当させてもらえるように、アンジェリカ様と校長先生にお願いしてみますわね!」
アンナとニコライに手を振って別れた後、モニカは校長室へと向かった。
(ここが校長室ですわね。)
モニカが辿り着いた校長室のドアをノックしようとしたところで、中からアンジェリカとアレクセイの言い争うような声が漏れてきたので、思わず手を止めた。
「アンジェ!
あれから15年経っても僕の気持ちは変わらない!
君以外の人を愛することなんて僕には出来なかったし、これからだってそうだ・・・。
君だって本当はそうなんだろう!?
なぁ・・・答えてくれよ!」
「やめてアレク!
そんな事を私に言わせようとしないで!
それを私が言ったら・・・・貴方への気持ちを認めたら・・・貴方はきっと止まらなくなるのでしょう!?
私の本当の気持ちがどうであれ、私がこの国の代表ダズル・ナイトの3番目の妃であることには変わりがないの・・・!
わかってる・・・?
私は毎晩のようにあの男に抱かれているのよ!?
何度も・・・何度もよ・・・?
そんな穢れきった私に愛を告げてどうするのよ・・・!
貴方に与えてあげられものなんて、私にはもう何も残されていないのに・・・・・!!」
「君がどんなに穢れていようとも構わない!
ほんの一時でもいいから、僕の愛を受け入れて、僕の元へと舞い降りてきて欲しい・・・
ただそれだけなんだよ・・・
いけないかい?僕の天使・・・」
「いけないわ・・・!
私は不義を犯すわけには決していかないの・・・!!
もしも私達が一線を超えてしまって、それが周囲の知る所になれば、貴方だけじゃなく、レオンハルトとオリガにモニカさん、父さんと母さん、親戚や友人達、この学校の関係者にも・・・私の大切な人達皆に迷惑をかけてしまうことになるのよ・・・!?
貴方が私のことを本当に大切に想ってくれているのなら、お願いだから今の関係のままでいさせて・・・・・
私は愛する息子の成長を身近で見守ることが出来て、大切な人達が元気でいてくれる・・・。
そして、月に一度こうして貴方にだって会うことが出来る・・・。
それだけで充分幸せなのよ・・・・・」
「アンジェ・・・」
モニカはそれらの会話を聞いて、校長室の前でうつむき考えた。
(ニコライのお母さんが言っていた、相思相愛だったお二人が当主様により引き裂かれてしまったというお話のほうは、どうやら本当のようですわね・・・。
そして以前にアンジェリカ様にキキョウの刺繍の入ったリボンを贈られた方は、きっとアレクセイさんなのでしょう・・・。
アンジェリカ様は大切な人を守るために、好きでもない男に毎晩抱かれなければならない茨の道を選ばれたのですね・・・。
あぁ・・・アンジェリカ様・・・・・)
モニカはアンジェリカの気持ちを思うと胸が非常に苦しくなり、栗色の瞳に涙を滲ませるのだった。
その後校長室では沈黙が続いたので、モニカはノックするタイミングに迷っていた。
すると、窓から迎えの馬車が門の前に停まるのが見えた。
アンジェリカとアレクセイも馬車の到着に気がついたようで、やがて何事もなかったように校長室から出てきては、扉の前にいたモニカと鉢合わせになった。
だがよく見ると、アンジェリカの目は少し赤くなっており、彼女が先程まで泣いていたことは明らかだった。
モニカはそれに気が付かないふりをして2人に笑顔を向けると、
「あ、授業が終わりましたのでお知らせしようかと思っていたところでしたが、今お迎えの馬車も到着したようですよ。」
と言った。
「お疲れ様、モニカさん!
私は途中から抜けちゃったけれど、貴女の授業、子供達皆とても良く聞いていたわね!
貴方、人に教えるのがとても上手よ!
よかったらまた講師をしてみない?」
とアンジェリカ。
「まぁ!よろしいのですか?
私からもお願いしようと思っていましたの!
校長先生も、また講師をさせていただいても構いませんか?」
とモニカはアレクセイに尋ねた。
「えぇ、勿論です!
毎月来てくださっても貴方なら大歓迎ですよ!」
とアレクセイは笑顔で答えた。
「ありがとうございます!
都合がつきます時には是非!
あ、これは私が焼いてきたクッキーなのですけど、子供達のお土産に持たせてやってくれませんか?」
モニカはそう言って人数分に小分けされたクッキーの入った紙袋をアレクセイに手渡した。
「これはこれはありがとうございます!
子供達、喜びますよ!」
アンジェリカとモニカは馬車に乗り、貧民街の近くの通りにある”武器屋リエーフ”の前で降ろしてもらった。
「それでは一時間程したらまたお迎えに参りますので!」
馬車引きは2人に頭を下げるとまた馬車を走らせ去っていった。
リエーフの扉には”臨時休業”と札が出ていた。
モニカがそれを見て不思議そうに首を傾げると、
「月初めのこの日の午後だけは、両親が私の為に貸し切りにしてくれるのよ。」
とアンジェリカが説明してくれた。
「まぁ!貸し切りですか!
それでは気兼ねなくご両親とお話が出来そうですわね!」
モニカがカランカランと音を立てながらリエーフの扉を開けると、ライオネルとタマラが揃って笑顔で出迎えてくれた。
「アンジェリカにモニカさん!
待っていたわ!」
とタマラ。
「寒かったろう?
奥へどうぞ。」
とライオネル。
「お邪魔いたします!
これ、私が焼いたロールケーキなのですけど、一緒にいただきませんか?」
モニカはそう言って手に持っていた袋をタマラに手渡した。
「まぁ!ロールケーキですって!ライオネル!
私そんな上等なお菓子を頂いたのは初めてよ!」
タマラは感激のあまり目を輝かせて隣の夫に同意を求めた。
「ほぉ・・・!
お菓子作りも出来るだなんて、流石はモニカさんだ。」
とライオネルは妻に同意し微笑んだ。
「うふふっ!
モニカさんのお菓子はパティスリーで売っているものにも負けないくらい美味しいのよ?
でも今日はジャポネのワガシではないのね?」
とアンジェリカ。
「和菓子は初めて口にされるお2人のお口に合うかわかりませんでしたので、本日は今が旬のみかんを使った洋菓子にしましたの。
ケーキに合いそうな茶葉もお持ちいたしましたので、お台所を貸していただけますか?」
それから間もなくして、リエーフの奥の居間でライオネルとタマラとアンジェリカ、モニカの4人はロールケーキと紅茶を口にしながら話をしていた。
「そうか・・・。
レオンハルトは今も我々民の為に戦場で頑張っているのだな・・・。
だが白の剣を持たせてもらったのなら、ブルードラゴン相手でもきっと生きて帰って来るさ。
あれは我らにとって特別な剣らしいからな。
・・・アンジェリカ。
モニカさんにはあのことは話したのかい?」
とライオネルはアンジェリカに尋ねた。
アンジェリカは父の問いかけに対して首を左右に振った。
「まだ話していないけれど、モニカさんならとっくに気がついているわよね?
私と父さんとレオンハルトこそが、ラスター・ナイトの子孫であり、ダズルや他の公子達はラスター・ナイトの血を引いていないと・・・。」
モニカはアンジェリカの言葉にゆっくりと頷いた。
「えぇ・・・。
レオンハルト様とアンジェリカ様とライオネル様は非常にラスター・ナイト様に似てらっしゃるのに、当主様も他の公子様も全く似てらっしゃらないことから何となくそうではないかと思っていたのですが、その後ジェイド様から色々とナイト家の事情について聞かされましたから・・・」
モニカはその事を知り得た本当の経緯が、自分がジャポネの代表であり世界の創造神ヘリオスの神使ファルガー・ニゲルの遣いとしてアデルバートに送り込まれたスパイであるからだと、彼等になら打ち明けても良いのでは無いかと思った。
しかし人の良い彼らのことだ。
それを知れば危険を承知で協力を申し出てくれるだろうし、最悪自分がスパイであることがバレた時に、彼らにも共犯の容疑がかけられてしまうかもしれないと思った。
なのでそのことについてはまだ伏せておくことにし、ジェイドから聞かされたというのも嘘ではないし、そのことのみを伝えるに留めておいた。
「そう・・・ジェイド様から聞いたのね・・・。
それなら父さん、全てを話してもいいと思うわ。
寧ろ、レオンハルトにとって特別なモニカさんには、私達のことをきちんと知っておいてもらったほうが良いでしょう。
何故ラスター・ナイトの血を引かない今のナイト家が出来上がってしまったのかを。」
アンジェリカのその言葉にライオネルは頷いた。
「ならば僕が先祖から伝え聞いた現ナイト家と我々ラスター・ナイトの子孫との因縁について、知る限りのことをお話しよう・・・」
ライオネルは紅茶を一口飲むと語り始めた。
「ラスター・ナイトは昔魔王を打ち倒した勇者のパーティの一人で、天馬に跨り剣を手に戦った騎士ということは君も知っているね?
彼は仲間と共に魔王を打ち倒した後、故郷のアデルバートに帰還し、英雄としてアデルバート代表の座に着くはずだった。
しかし、ラスターには血の繋がらない弟がいてね。
彼の策略により、今のナイト家が出来上がってしまったんだよ。」
「血の繋がらない弟・・・。
ご両親の再婚により出来た弟さんだったのでしょうか?」
とモニカ。
「いや・・・。
ラスターは元々孤児で名前もなかったんだ。
だが非常に剣術の才能に溢れていてね。
それが当時のアデルバートで一番の力を持っていたオーレオール・ナイトという騎士の目に止まり、彼の養子として迎え入れられた後、ラスター・ナイトという名を与えられたそうだ。
義理の弟はオーレオール・ナイトの実子で、名をレイ・ナイトといった。
レイも普通の同世代の子供達に比べると充分に強かったが、どんなに努力を重ねても、兄程の剣術を身につける事はできなかった。
そして養父母は見た目も美しく、騎士としてどんどん才覚を現していく兄ラスターのほうを可愛がり、ナイト家の後継ぎとして世間に公表した。
レイは両親の愛情もこの家の後継ぎとなる未来も全て義理の兄に奪われてしまい、兄を妬み、憎んだ・・・。
やがてラスターは勇者パーティに加わることになり、我が国の神使ルシンダ様からラスターの血に反応し、持てる力を最大限に引き出す聖剣”白の剣”を授かり、仲間と共に魔王を打ち倒した。
そして戦いを終えたラスターがアデルバートに帰還した時、その悲劇は起こってしまった。
レイは両親を殺害し、その罪をラスターに被せて陥れようとしたんだ・・・。
しかし、英雄となったラスターがそんな事をしたなんて、誰1人として信じようとはしなかった。
窮地に陥ったレイは、ラスターの恋人を人質に取り、ラスターに取り引きを持ちかけた。
「孤児に過ぎないあんたがこの国の代表になるだって!?
冗談じゃない!
その座はこの国で一番の騎士、オーレオール・ナイトの実の子である俺のものだ!
だがこの国の民は、英雄となったあんたが代表になることを望んでいやがる・・・。
それなら、俺がラスター・ナイトとなってこの国を導いてやる!
だから兄さん、あんたはその白の剣を置いてこの国から消えろ!」
とね・・・。
ラスターは恋人を助けるためというのもあったが、元々自分は人の上に立つ器ではないとも思っていたようで、あっさりとその条件を飲み、恋人と共にアデルバートを出てい行ったんだ・・・。
その後、レイはラスターと同じ髪色に染め、弟との揉め事で火傷をし、皆に見せられない顔になってしまったと偽り顔に仮面を着け、ラスター・ナイトとして国の代表の座に着いた。
そして、亡くなった両親と行方不明になっている弟について訊かれると、
「レイは僕ばかりに愛情を向ける両親を恨んで殺害し、その罪を僕になすりつけようとしたんだ・・・。
それで僕達は言い争いになり、逆上したレイは僕の顔に火を着けた・・・。
でも僕は弟を愛していたから、この剣で切ることなんてとても出来なかったんだ・・・。
だから、国外に追放した・・・」
と説明した。
そして民衆の前に立ち白の剣を掲げると、
「このラスター・ナイトが、この地を豊かで平和な国へと導いていこう!」
と宣言し、今のナイト家を作り上げたらしいよ。」
(・・・偽のナイト家を作り出したレイという人物は、とんでもない大嘘つきのクソ野郎でしたのね・・・。
ラスター様にとっては国を追われることにはなっても、恋人と共にいられて、無理に人の上に立たなくても良くなったのなら、そんなに悪い条件でもなかったのかもしれませんが・・・)
モニカはそう思ってからライオネルにさっきの話の気になる点を尋ねた。
「それで・・・国を出て行かれたラスター様は、その後どうなされたのです?」
ライオネルは当然モニカにそう問われるだろうと思っていたようで、軽く頷くとすぐに答えた。
「暫くは友人が新しく開拓することになった土地に身を寄せて、恋人と共にそれを手伝ったそうだよ。」
(その土地とはジャポネであり、友人というのは元勇者であるファルガー様のことでしょうが、彼等にはそのように伝わっていたのですね・・・。)
とモニカは思った。
ライオネルは続けた。
「開拓が落ち着いた頃にやはりアデルバートの様子が心配になり、妻となった恋人と一緒にこっそりとアデルバートに帰還し、この武器屋リエーフを開いたそうだ。
そうして陰でナイト家を見守りながら細々と血を繋いできたが、僕の代でずっと産まれることのなかった女の子が産まれた。
ラスターは我が子に獅子のように強く誇らしくあって欲しいと、ヘリオス連合国において”獅子のような”という意味を持つディランという名を与えたそうだが、それに習って僕ら子孫は子供に獅子に関する名前を代々付けてきたんだ。
そんな歴史の中産まれた女の子は本当に特別で、天からの授かりものだと思った僕は、君に”アンジェリカ”と名付けた。」
そう言ってライオネルはアンジェリカに優しく微笑みかけた。
「私もこの名を気に入っているわ!
つけてくれてありがとう!
父さん!」
とアンジェリカも微笑んだ。
しかしライオネルはすぐにその表情を翳らせてしまった。
「だが・・・アンジェリカは寄りにもよってレイの子孫であるダズルに見つかってしまった・・・。
きっとラスターにそっくりな娘が貧民街の近くに住んでいると、何処かから情報を得たのだろう・・・。
ダズルはまさか本物のラスター・ナイトの子孫がこんな近くで暮らしていたとは最初は信じられなかったようだが、魔王が倒されてから1000年して再び魔王がこの世に姿を現した時に、レイのついた嘘が民衆にバレることを恐れてもいたようで、白の剣を持ち出してきてそれをアンジェリカに握らせたんだ。
そして、白の剣が光ったのを見たダズルは、アンジェリカが本物のラスター・ナイトの子孫であると確信し、アンジェリカを妻にすると決めた。
その頃アンジェリカは幼馴染のアレクセイと恋仲になっていて、このまま彼と幸せな家庭を築くのだと思っていたのに、ダズルは卑怯な手を使ってアンジェリカを陥れ強引に宮廷に輿入れさせて、本当のラスターの血を引く子供を産ませた・・・。
それがレオンハルトだ・・・・・・」
モニカはライオネルの口からそれを聞いて、今までそうだとわかっていたつもりだったのに、こうして本人を目の前にして聞かされたことにより、アンジェリカの気持ちを改めて実感し、身がつまされるような思いがした。
「・・・・・・そうだったのですね・・・・・・。
アンジェリカ様になんて酷いことを・・・・・・。
ダズル・ナイト・・・・・・許せませんわ・・・・・」
モニカはそう言って暫く怒りに震えていたが、アンジェリカがその手をそっと握ると、優しく微笑み頭を振った。
「私の為に怒ってくれてありがとう、モニカさん・・・。
でももういいのよ?
確かに最初は辛かったけど、宮廷にはオリガもいてくれたし、レオンハルトが授かった事に後悔はないの。
あの子が産まれてきてからは宮廷の暮らしも割り切れるようになったし、ダズルのこともそれなりには愛せるようになったわ。
それに、この地位を利用して貧民街に学校を作ることだって出来たし、今は毎日貴方の作る美味しいご飯とお菓子だって食べられるし、とても幸せよ!」
モニカはそんなアンジェリカの優しさと強さに心を打たれ、改めて尊敬できる女性だと強く思った。
「ありがとうございます、アンジェリカ様・・・。
ですが、レオンハルト様は今お話していただいたことをご存知ないように思いました・・・。
当主様もグリント様もジェイド様も、ゼニス隊やオリーブ隊の人達も皆、自分と同じようにラスター様の血を引いていると仰っていましたから・・・。
レオン様にはまだこのことはお話されていないのですね?」
とモニカ。
アンジェリカは頷いた。
「えぇ・・・。
レオンハルトは繊細なところがあるでしょう?
今それを話せば、きっとダズルやナイト家の人達を恨み、良くない思想に囚われると思ったから・・・。
あの子が成人する前には話さなければならないのでしょうけど・・・でも、その時に貴方があの子の隣にいてくれたなら、きっと良くない思想に走らずに済むと思うの・・・。
あの子は自由になりにくい立場で産まれてしまったけれど・・・
心より好きになった貴方と一緒に歩める人生なら、あの子はきっと幸せになれるわ!
だから貴方にはこれからもあの子の傍にいてあげて欲しいの・・・。」
モニカはアンジェリカのその言葉にありのままの気持ちで答えた。
「それは勿論そのつもりです・・・!
ですが・・・もしもレオン様が次期当主と公表された場合、私はレオン様の望まれる形ではお傍にいられなくなるでしょう・・・・・」
アンジェリカは眉を寄せて同意し頷くと、こう言った。
「そうね・・・
ダズルもあの子を次期当主にしようと思っている・・・。
でもそれであの子が幸せに生きられないのなら、ラスターのようにこの国を捨てたって構わないと思うの。」
「・・・・・!!!」
モニカは驚きのあまり席を立ち、声を荒げた。
「ですがそんな事をすれば、アンジェリカ様もライオネルさんもタマラさんもオリガさんもサーシャくんも・・・レオン様と血の繋がりのある全ての人達が、報復に遭ってしまうかもしれませんわ・・・!!」
それに対し、アンジェリカはモニカに座るようにと促し、彼女が座るのを待ってから、しっかりと揺るぎのない意思を秘めた瞳でこう言った。
「大丈夫。
オリガやサーシャ程離れている血縁者なら、私の交渉次第で助けられると思うわ。
私達はただでは済まないでしょうけど、私達にはその覚悟が既に出来ている。
貴方にはそれを知っていてもらいたかったの・・・。」
それに同意してライオネルも言った。
「僕らは充分に生きたからね。
レオンハルトが好きな子と幸せになれるのなら、それでいいと思ってるよ。」
そして、隣に座るタマラも迷うこと無く頷いた。
「うん、私もこの人と同じ意見。
孫の幸せが一番よ。」
「だからね・・・?
モニカさん・・・。
どんなふうに運命の天秤が傾いたって、貴方達が揃って幸せになれる道を進んで欲しいのよ・・・」
そう言ってアンジェリカはモニカの手を再び包み込むと、優しく微笑んだ。
モニカはそれにとても頷くことは出来ず、かといって否定することも出来ずにただ俯いて、ポロポロと涙を零しながらも心の中で叫んだ。
(駄目・・・!
私達が幸せになるために、この優しい人達を犠牲になんて出来るわけが無いじゃないですか・・・!
まずはファルガー様に相談してみましょう・・・。
あのお方なら、いざという時にこの方達を救う手立をお持ちかもしれませんわ・・・)
それから数ヶ月が過ぎ、アデルバートは4月を迎えていた。
モニカはあれ以来毎月アンジェリカの貧民街の学校視察に付き添い、講師をしたり、アンジェリカの授業を手伝ったりした。
宮廷ではライサに扮したエカテリーナが何かを仕掛けてくるかもしれないと思ったが、ライサの姿を昼間に時折遠くで見かけることはあっても、こちらに近づいてくることもなく、不気味なぐらい平穏な日々が過ぎていった。
ファルガーには礼拝堂から変わらず連絡を続けた。
彼もロジウム区域に行ってからは忙しいようで、今までより返信のペースは落ちていたが、モニカが相談したアンジェリカの噂話の件は、きちんと受け止めた上で様子を見るようにと指示を受け、いざという時のレオンの身内の保護についても、ロジウムでの戦いと調査が終わりジャポネに帰還してからにはなるが、ジャポネで彼等の受け入れがいつでも出来るように準備を進めておくと約束してくれたのだった。
ロジウム区域での戦況は、ファルガーからのメッセージとは別に、伝令役のオリーブ隊員より築一ダズルとジェイドに報告が入り、彼らからモニカ達関係者に知らされていた。
それによると、ゲートからはまだ魔獣が湧き出し続けており、魔獣達のボスと思われるブルードラゴンとはまだどの隊もぶつかってはいないようだが、レオン達騎士の活躍により、その配下の魔獣はかなり減り、人間達の領域は大部分取り戻せているようだった。
残すはボスであるブルードラゴンが率いる小さな群れの討伐のみであり、終戦は近いと思われるが、今までの戦いで騎士達の犠牲も数多く出ており、既に半数以上の騎士達の死亡が報告されていた。
その中にはグリントとレオンの名は含まれていなかったが、ベリルの夫でありスフェーンの父であるゼニス隊のエースだった男は死亡してしまったそうだ。
そのためベリルとスフェーンは当面の間はこのまま宮廷で暮す事となったが、ベリルは、
「妊娠中の夫の度重なる浮気に既に愛想が尽きていたし、この魔獣討伐戦が起こらなければ、産後彼の屋敷に戻ると同時に離婚を切り出すつもりだったから、その手間が省けたわ!」
と言ってあまり悲しむ様子を見せなかった。
だが、それでも他の死亡者達と合同で行われた彼の葬儀ではやはり涙を見せていたので、モニカは一度は愛して家族となった男の死には、例え彼に何度も裏切られ傷付けられたとしても、愛想が尽きたの一言では済まされない複雑な何かがあるのだろうと感じ、そっと彼女に胸を貸すのだった。
だが、悲しい出来事ばかりではなかった。
4月の中旬には、モニカがアデルバートで始めて出来た友人である花売りのニーナが恋人のユリスとミスティル教会にて結婚式を挙げたのだ。
彼女のウエディングドレスは、モニカの紹介でサーシャが手掛けたものであり、彼女の清楚で愛らしい魅力を最大限に活かした人生の晴れ舞台に相応しいとても素敵なドレスだった。
勿論モニカも花嫁の友人として式に参列し、他の参列者の受付を引き受けて、友人代表としてスピーチも行った。
そして指輪の交換をして誓いの口づけを交わした二人が教会から出てくると、花嫁からブーケトスが行われた。
そのブーケを受け取った女性は、次の花嫁になれるのだとアデルバートでは信じられており、ニーナはモニカに向かってブーケを投げてくれたようだったが、そのブーケは春風に吹かれて軌道を変えて、モニカの隣りにいたサーシャの手元にポスッと着地したのだった。
「えっ・・・僕が次の花嫁なの!?
それとも花婿!?
相手すら居ないのに嘘でしょ!?」
彼のその一言で参列者達はどっと沸き、辺りが穏やかな空気でいっぱいになった。
モニカは悪戯な春風のせいで花嫁のブーケを受け取り損ねたが、この春風が愛する彼を連れて帰ってくれる報せでもあるのだと思うと嬉しくて、彼のいる北の大地へと向かって、春風と共に走り出しそうな気持ちになるのだった。
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