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中学生編

11羽 空駒鳥の不思議な力と居宿家の事情 −後編− 空駒鳥の壮絶なる戦い

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そうして男子は男子、女子は女子でそれぞれ朝を過ごした後、いつも通りに授業が始まった。
最も頼輝らいきは2時限目に差し掛かった所で境界守りのお役目の呼び出しがかかって魔獣退治に向かうことになったので、それを終えて学校に戻ってきた頃には給食の時間になっていたのだが。
「つーか璃音りねと授業ちゃんと受けるって約束したのに、結局午前中は1時限目しか受けられなかったよ。
でも給食を食いそびれずに済んだし、こうして昼休みに璃音と裏庭で過せてるから良しとするか・・・」
と頼輝は笑いながら、ぽかぽか木漏れ日の心地良い裏庭の芝生に寝転んだ。
「ホントにお疲れ様!
怪我とかしてない?」
頼輝の隣で三角座りをした璃音が、膝頭の上に顔を乗せて可愛らしく尋ねてきた。
「うん、さっき対応したのは角イノシシだったんだけど、慣れた相手だし無傷で済んだ。
それより璃音、目の下に少しクマが出てるぞ?
俺の隣に横になれば?」
「う、うん・・・」
璃音は頬を染めて頷くと、少しぎこちない動きで頼輝の隣に寝転んだ。
璃音の柔らかく長い黒髪が璃音の動きと共にスルスルと形を変えながらセーラー服の上を滑り、毛先が芝生に溶け込んだ。
そして視線がぶつかる二人。
「「・・・・・・」」
二人はその状況の予想以上の恥ずかしさに顔を真っ赤に染めた。
「・・・ごめん璃音。
朝璃音をからかって笑ったけど、これ・・・思ったより恥ずかしかった・・・」
頼輝はそう言って口元を波打たせると、視線を逸らした。
「・・・でしょ!?
やっぱりそうじゃないかと思ったの・・・。
だってベットの上で添い寝してるのとシュチュエーションは違っても、目線は同じなんだもの・・・・・」
と羞恥のあまり両手で顔を覆い隠す璃音。
「あぁ~・・・まるで事後・・・」
「も~~~っ!
そういうこと言わなくていいから!」
璃音が頼輝の口を塞ごうと右手を伸ばして来た。
頼輝はそれをそっと掴んで止めると、璃音を上から見下ろす形で組み敷き、唇を合わせようとそっと顔を近付けた。
しかし─。
「せんせーーー!
狼谷かみたにくんが最上さいじょうさんをー、裏庭で襲おうとしてますぅーーー!」
とふざけた調子の声が聴こえてきたのでハッとして顔を上げると、そこには璃音に想いを寄せている一学年上の男子生徒、保城ほしろが教室の窓からこちらを見下ろして指差していた。
(ほしろ~~~~~!!
あいつマジうぜーーー!!!)
頼輝は保城をギンッ!と睨みつけると頭の中でそう叫んだ。
頼輝と璃音は保城の声で駆けつけた口煩い中年の女性教師により職員室に連れて行かれ、
「狼谷くんに最上さん!
貴方達いくらつがいだからとはいえ、学校でせ、せ、接吻をしようだなんて、とんでもありませんよ!
私なんて今まで仕事一筋で生きてきたから素敵な出会いなんて全然なくて、この年になってもまだ接吻すらしたことがないっていうのに・・・。
いえ!それはともかくとしてですね!
貴方達まだ中学生でしょ!?
狼谷くんのお兄さんはそれはもうとんでもない問題児でしたけど、弟の貴方は幾分マシかと思ってましたのに………」
と、くどくど説教だか悪口だかわからないものを訊かされる羽目になったが、璃音は被害者と言うことですぐに開放された。
そして説教をされ続ける頼輝の後ろで、
「最上さん何だか眠たそうね?
目の下に少しくまが出ているわよ?
今保健室を使っている生徒はいないから、ベットで休んでいきなさい。」
と保険の先生に声をかけられて、付き添われながら保健室へと向かって行った。
(はぁ・・・俺も保健室で璃音と一緒に寝たい・・・。
いや!
芝生の上で横になるだけでも璃音の可愛さは相当やばかったというのに、同じベットで横になるだなんて、俺の下半身が黙っているはずがない・・・!
だからこれでいい・・・これで・・・。
しかし長いなこの先生の説教・・・。
あぁ・・・早く開放されたい・・・。)
等と考えながらキンキン頭に響く声をひたすらに耐えるのだった。

昼休みが終わるまで説教が続いて結局一睡もできなかった頼輝だったが、璃音は保健室で30分程眠れたようで、5時限目の予鈴が鳴り教室へ戻ってきた時にはスッキリとした表情になっており、目の下のクマも消えていた。
(璃音、スッキリした顔してる。
良かった・・・)
そのまま璃音と話す間もなく午後の授業が開始した。
5時限目は頼輝の好きな歴史の授業だったために集中して受けることが出来たが、6時限目の国語は昨夜の寝不足と年老いた先生の眠気を誘う独特なリズムの語りも相まって、授業の後半には寝てしまった。
先生は途中で頼輝の寝落ちに気がついたが、優しい先生のため、
「狼谷くん・・・は寝てしまいましたね。
まぁ今日も午前中にお役目があってお疲れなのでしょう。
誰か後でノートを見せてあげて下さい。」
と言った。
「はい、私が!」
と微笑んで、璃音が手を挙げるのだった。

そして放課後─。
頼輝はスーパー、璃音と留奈は和菓子処木立こだちのある森中商店街と向かう場所は違ったが、途中までは道が一緒だった為に一緒に下校し、それぞれの分かれ道となる交差点で立ち止まって話をしていた。
「それじゃ頼輝、お買い物を宜しくね!
お買い物が済んだらうちで待ってて?
おじいちゃん、スマホが嫌いで持ってないから頼輝が来ることは伝わってないけど、直接言えば頼輝なら上げてくれるから!
あ、それとこれ、国語のノートね!
買い物ついでにコピー取っちゃえば?」
そう言って璃音はノートを頼輝に手渡した。
「うん、ノートありがとう!
璃音が帰るまでに米とか炊いておいた方が良い?
それくらいなら俺でも出来るよ?
水分量を間違えて時々硬くなったりベチャベチャになったりはするけどさ。
炊くのは炊飯器がやってくれるから大抵食えない程にはならないし、運が良ければ普通のご飯が炊きあがるよ?」
と頼輝。
璃音は留奈と顔を見合わせてから苦笑いし、
「う、ううん!
それも教えるから一緒にやろうよ!
5時頃には帰れるって巴くんが言ってたし、帰ってすぐに夕食の支度に取りかかれば充分間に合うから!」
と言った。
「うん、わかった。
璃音も花井さんも、色々と無理はするなよ?」
「うん、わかってる!
それじゃまた後でね!」
と璃音。
「狼谷くんありがとう!
バイバイ!」
と留奈。
頼輝はスーパーに行くために丁度青信号だった横断歩道を渡ると、もう一度璃音達に手を振った。
璃音は留奈と一緒に手を振り返すと、森中商店街のある方向へと向かって歩き出した。

森中商店街は森中村で一番栄えている区域であり、村内の主だった店は大体この商店街に集まっていた。
近頃出来た頼輝の向かった大型食料品スーパーの影響か、食料品を取り扱う店への客足は遠のいたようだが、靴屋や洋品店、雑貨屋などの勢いはまだ消えること無く、それなりの賑わいを見せていた。
ちなみに花井留奈の実家のブティックと頼輝の親友である本多結人の実家の本屋もこの商店街にある。
和菓子処木立こだちはそんな森中商店街の入口近くに位置していた。
今が丁度見頃の躑躅つつじの生垣が彩る竹の門扉もんぴを通って石畳を歩くと、木造の和の趣のある建物が見えてくる。
店内は4時という時間のため忙しさのピークを過ぎており、客は璃音達の他に誰もいなかったが、お手軽価格で買える商品であるフルーツ大福や饅頭が何種類か売り切れていたので、おやつタイム前にはそれらの和菓子を求めてそれなりの来客があったことが伺えた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
と店員に声をかけられた璃音は、笑顔で頷くと注文をした。
「はい!
まずは”森の恵”を一本下さい!
こちらはお見舞い用なので、のし紙はそれに合わせたものにして下さい。
後は森の恵とは別に、自宅用でフルーツ大福を3つ下さい。
・・・苺大福は売り切れだから、私は木苺大福にしようかな?
留奈は何にする?」
と隣の留奈に尋ねる璃音。
「私は桃大福にするね!
あ、桃大福はお会計を別にして下さい。」
「畏まりました!
桃大福は木苺大福と同じ袋にお入れしても宜しいですか?」
「はい!」
璃音は留奈と店員のそのやり取りを聞いて汗を飛ばしながらこう言った。
「今日は留奈に付き合ってもらってるんだから私が奢るよ?」
「ううん!自分のぶんは払わせて?」
「わかった・・・ありがとう!
後は夜花のぶんだけど・・・どれが好きかな?」
とショーケースを前に悩む璃音。
「あの子、多分メロンが好きだよ?
遠足とか運動会の時ってお弁当でしょ?
その時にいつも3人で一緒にお弁当を食べてるけど、夜花のお弁当にはいつもメロンがついてるの。
きっと夜花が好きだからお母さんが用意してくれているんだと思う。」
「えっ、そうなんだ!?
留奈、良く見てるんだね!?」
「うふふ!
私、食いしん坊だから!
璃音のお弁当もいつもすっごく可愛くて美味しそうだよね♥」
「えっ?ありがとう!
留奈のお弁当こそ何種類もおかずが入ってて豪華だよね!」
「私、揚げ物が大好きで一種類に絞れないから、ママ、お弁当の日には早起きして頑張ってくれているの!」
と笑い合う二人。
店員も微笑ましそうに美少女二人のやり取りを見ている。
「あっ、すみません!お待たせしちゃって。
それじゃあ最後の一つはメロン大福にして下さい!」

居宿家は商店街を突き進んだ奥にあり、村で唯一の旅館を営んでいた。
数年前に改装されたばかりのため築年数の割に綺麗なその2階建ての建物は、おおよそ璃音達が通う学校と同じくらいの大きさで、1階はロビーや食堂、浴場等の共用スペースの他に、調理場や従業員用の休憩室や居住スペースとなっており、2階は全て客室として提供されていた。
定期的に庭師が入っているのかきちんと手入れのされた石楠花しゃくなげが綺麗な和の庭を突き進むと、”森中旅館”と書かれた木の看板のある入口が見えてくる。
璃音と留奈がその扉を潜ると、優しく穏やかな笑顔をした番頭がすぐに迎えに出てきてこう言った。
「ようこそお越しくださいました。
おや・・・お嬢さんのお客様で御座いますか?」
「はい。
夜花さんと同じクラスの最上と花井です。」
璃音に続けて留奈も頭を下げた。
「あの、これ宜しければ皆さんで召し上がって下さい。」
璃音はそう言って”森の恵”の入った和菓子処木立こだちの紙袋を番頭に手渡した。
「これはありがとうございます!
えぇと、今女将に伝えますので、少しだけここでお待ちいただけますか?
どうぞ、おかけになっていてください。」
番頭がそう言ってロビーにあるソファーを指し示した所でフロントの奥から夜花の母である女将が出て来た。
「あら!
璃音ちゃんに留奈ちゃん、夜花に会いに来てくれたの?
ありがとう・・・!
芳村さん、お二人は私が案内しますので、貴方はお仕事に戻って頂いて大丈夫ですよ。
私のために仕事が増えて大変でしょ?」
女将は夜花同様に一重まぶたの地味な顔をしており、更には細身の娘とは違って小太りで、決して美人女将と称されることはなかったが、その物腰と笑顔には何処か人を和ませる魅力があった。
だが今日の女将の顔には化粧で隠しきれていないまるで誰かに殴られたような血の滲んだ跡が透けて見えており、更には真瑠まるの葬式で彼女と会った時よりも明らかに痩せていた。
璃音はその急激な変化に驚いて眉をしかめた。
「私のことは気にしないで下さい・・・!
こうして少しでも貴方のお役に立てていることが嬉しくもありますから・・・。
ですが・・・」
芳村が何かを言いかけると、中年の中居が奥から顔を出して、
「芳村さーん!こっち手伝って!大至急!」
と手招きしたので、芳村は璃音から受け取った森の恵の入った紙袋を女将に手渡すと、璃音と留奈、女将に頭を下げて「失礼します。」と言ってから急いでそちらに行ってしまった。
「ごめんね、バタバタしていて・・・。
私が今お客様の前に出られないものだから、うちの番頭にそのぶんの負担がかかってしまっているの。
お菓子もありがとう!
まぁ・・・森の恵じゃない!
高かったでしょう?
亡くなった先代女将が大好きだったのよ。
天国で食べられるように今仏様にお供えをしてくるから、少しここで待っていてくれる?」
女将はそう言うと目の前の扉を開けて中に入り、少ししてからまたこちらに戻ってきた。
「お待たせ!
それじゃ夜花の部屋に案内するわね!」
女将がロビーとは逆方向へと向かって廊下を歩き出したので、二人はその後に続いた。
「あの・・・夜花のお母さん、そのお顔・・・どうされたんですか・・・?」
璃音はさっきから気になっていた顔の傷について恐る恐る尋ねた。
「あぁ、これはその・・・昨夜転んでしまってね・・・。
私ったら幾つになってもそそっかしくて、ホント嫌になっちゃうわ!」
明らかに嘘だとわかったが、璃音はそれ以上追求出来なかった。
(夫婦喧嘩・・・DV・・・?
でもそんな事情、娘の同級生にはとても話せないよね・・・)
璃音がそんな事を考え込んでいると、今度は留奈が口を開いた。
「あの・・・番頭さんって夜花のお父さんじゃないんですね?」
「えっ、えぇ・・・そうなの。
うちの人は番頭の仕事をやりたがらなかったから、前の番頭が退職してからは代わりに先代女将の甥で、うちの人とは従兄弟でもある芳村さんにお願いしているのよ。
とても良く働いてくれるから助かっているわ!」
「えっ、それじゃあ夜花のお父さんは旅館の経営には関わらずに外に働きに出ているんですか?」
と璃音。
「いえ、夫はうちの旅館の支配人なの。」
「「支配人?」」
と首を傾げる璃音と留奈。
「ふふっ、支配人のお仕事ってあまりピンとこないわよね?
あの人の場合は主に数年前にした改築工事の手配とか・・・後は特別なお客様の接待をしたりとかかしら・・・?
特に女性のお相手は上手な人だから・・・。」
と女将は憂いを秘めて微笑んだ。
「さぁ、部屋に着いたわ。
夜花?
最上さんと花井さんが来てくれたわよ?」
そう言いながら女将は部屋のドアをノックした。
だが返事はない。
「いい加減にしなさい夜花。
貴方だってこのまま学校を休み続けるのは良くないってわかってるんでしょう!?
折角心配して来てくれたんだから、直接顔を見せるくらいはして頂戴!」
と少しキツい口調で扉越しに娘を叱る女将。
「あの・・・夜花のお母さん。
後は私達に任せて貰えませんか?
部屋の中に入れてくれなくても、扉越しに話しかけてみますから。」
「で、でも廊下じゃお茶もお出し出来ないし、申し訳がないわ・・・。」
「大丈夫ですから。」
「・・・わかったわ。
璃音ちゃん、留奈ちゃん・・・あの子をお願いします・・・。」
女将は璃音と留奈に頭を下げると、事務室のある元来た方向へと引き返して行った。

「夜花、突然お邪魔してごめんね?
最上です。」
璃音が扉越しに夜花に話しかけた。
「・・・最上さんだけ・・・?
・・・狼谷くんは一緒じゃないんだ・・・」
小さく夜花の声が返ってくる。
「頼輝?
来てないよ?
一緒に来たのは留奈。」
と璃音は返した。
「そう・・・。
てっきり私のことが心配だからだなんて言いながら、狼谷くんと二人で仲良く手を繋いで私に探りを入れに来たのかと思ったのに・・・。」
「・・・探り?」
と怪訝な顔で璃音が尋ねた。
「・・・・・しらばっくれないでよ!
疑ってるんでしょ!?私のこと!!
貴方のおばあちゃんを殺した犯人だって!!!」
そう言って感情的になった夜花が勢い良く部屋の扉を開け放った。
そのドアが璃音の顔面に直撃し、璃音は、「~~~~~!!」
と声にならない声を上げて顔を手で押さえてその場にしゃがみこんだ。
「きゃーーーっ!!
璃音っ!大丈夫!?」
と慌てて璃音に駆け寄る留奈。
「あっ、ごめっ・・・
私、そんなつもりじゃ・・・」
夜花はそう言ってひるみ、身を引いた。
その隙を狙って璃音は素早く立ち上がると、ズイッと夜花の部屋に入った。
「よし、部屋には入れてもらえた!」
と言ってまだ赤い鼻のままでえへへっと笑う璃音。
「はぁ!?
入れてあげたんじゃなくて貴方が強引に入ってきたんでしょ!
心配して損した!
早く出て行ってよ!」
と夜花が璃音を部屋の外へと押し出そうとしたところで、璃音の可愛い鼻からツーっと一筋の鼻血が垂れてきた。
「璃音っ!鼻血!」
留奈が慌ててポケットティッシュを取り出して璃音に手渡した。
「えっ?本当?」
璃音はティッシュで血を拭って確認すると、さっと鼻をつまんだ。
そしてそのまま鼻声で、
「こうして鼻をつまんで暫く下を向いて座ってたら、大抵の鼻血は止まるんだっておばあちゃんが教えてくれたの。
でも・・・出来れば夜花のお部屋で座りたいな・・・?
廊下で座るのは硬いし冷えるよね・・・?
夜花のせいで鼻血が出たのに、部屋にも入れてもらえずに廊下で放置したなんて頼輝が知ったら、どう思うかなぁ?」
と言い、わざと悲しげ気な顔をして夜花を見た。
「・・・貴方って昔から時々黒くなるわよね・・・。
いいわ・・・部屋には入れてあげる・・・。
その代わり、狼谷くんには余計なことを言わないでよね!?
・・・少し散らかってるけど花井さんもどうぞ?」
そう言って夜花は諦めたようにため息をつくのだった。

夜花の部屋は6畳ほどの広さで、読者好きな彼女らしく大きな本棚に色々な小説がずらっと並べられており、部屋のファブリックは頼輝の瞳の色のような菫色で統一されていた。
夜花本人が言った通り、暫く引きこもっていたためか彼女の部屋は本や衣服で少し散らかっていた。
夜花は璃音達を部屋に入れると同時に散らばっていた本をササッと部屋の端に積み上げ、衣服は纏めて手に取り押し入れに押し込んだ。
その際チラッと見えた押入れの壁には、頼輝の隠し撮りと思われる写真が何枚か貼られてあり、更には頼輝に似た二次元キャラの際どいポスターが一緒に貼られているのが見えたが、璃音は正直それらに対してあまり良い気持ちはしなかったものの、ひとまず今は気がついていないフリをしてあげることにした。
「夜花って菫色が好きなんだね・・・。
やっぱり頼輝の瞳の色だから?」
と鼻をつまんだままで尋ねる璃音。
「そうよ・・・悪い?」
座れば?と押し入れから出した座布団を2つ並べてから夜花は答えた。
璃音は留奈と一緒にそこに座ると、
「ううん、夜花が何色を好きかは私が口出しすることじゃないもの。
でも頼輝は私のつがいだから、誰にも渡すつもりはないよ?」
とキッパリと言った。
「・・・・・。」
璃音達とはローテーブル越しの向かいに座りなら、無言で返す夜花。
その時璃音は、居宿夜花の左目に◆の印があることに始めて気がついた。
(なんだろうあの印・・・。
普通の人の瞳にはあんな印は無いよね?)
璃音は確認のために隣に座る留奈を見た。
どうしたの?と言わんばかりに首を傾げる留奈。
やはり、留奈の瞳にはそのような印は見当たらない。
(気になるけど今大事なのはそこじゃない。)
璃音は夜花の方に向き直ると、鼻をつまんでいた手を離して鼻血が止まったのを確認し、その手を膝の上に置くとこう切り出した。
「それで、さっき言ってた事だけど。」
「さ、さっきって何・・・。」
と冷や汗をかく夜花。
「おばあちゃんを殺した犯人だとか言ってたでしょ?
それって本当!?」
璃音はキッ!と眉を釣り上げて厳しく夜花を見た。
「違うわ!
私はおばあちゃんが亡くなったこととは関係ない!
私が薬屋に言ったときにはもう既におばあちゃんは亡くなっていて、私はただ、貴方がこの村からいなくなればいいと思ったから、あの人に言われるままにおばあちゃんの残した遺言書の封を開けただけ!
でも私が何を言ったって、どうせ信じたりしないんでしょ!?
狼谷くんも私のことを疑ってた!!
だって私のことをおばあちゃんのお葬式の時に睨んでたんだもの!!
最上さん、貴方はどうせ、それを狼谷くんから訊いてその真意を確かめるためにここに来たんでしょ!?
私の心配なんて嘘!!
そんなの誰もしてくれない!!
狼谷くんも最上さんも花井さんも先生もお母さんも叔父さんもおじいちゃんも!!
私をわかってくれる人はあの人だけ・・・!!!」
夜花はまるで何かに取り憑かれたように左目の◆印を赤く光らせながらそう叫ぶと、机の引き出しから硝子の薬瓶を取り出した。
そして、
「これを貴方にかけてその可愛い顔をドロドロのぐちゃぐちゃにすれば、狼谷くんは私を選んでくれるってあの人が言ってた・・・。
あの人にこれを渡されたときには怖くてそんなこととても出来ないって思ったけど、今なら不思議と出来る気がする・・・。」
と、赤く光る◆印をガラス瓶に映し出しながらそう言うと、その瓶の蓋を開けようとしたのだ!
璃音はハッとしてその瓶の蓋が開けられる前に夜花に向かって踏み込むと、空色の瞳をチカッ!と光らせながら彼女の頬に平手打ちを食らわした!

─パンッ!─

その衝撃で夜花の手元が緩み、薬瓶が手元から抜け落ちた。
それを咄嗟に空中で受け止める留奈。
「ふぅ・・・」
留奈が安堵のため息をついてその瓶のラベルを確認すると、”塩酸”と記されているではないか!
「えっ!?これ塩酸!?
塩酸って・・・もし璃音にかかってたり、瓶が割れちゃったりしてたらとんでもないことになってた・・・よね・・・!?」
と言って留奈はへなへなとその場にへたり込んだ。
「留奈、ナイスキャッチ・・・。
それ・・・貸して。」
璃音は留奈からその瓶を受け取ると、夜花に尋ねた。
「これを夜花に渡したあの人って誰?
全部正直に話して。」
璃音の声に反応して顔を上げた夜花。
その左目からは先程まで赤く光っていた◆印が消えており、元通りの普通の瞳になっていたのだった。
(あれ?
さっきまであった筈の◆の形の印が消えてる・・・。)
と璃音は不思議に思ったが、夜花本人はその事には気がついていないらしく、璃音の問いに対して震える声で答え始めたのだった。
「・・・・・。
迷子になってた狼谷くんが帰ってきた翌朝・・・貴方のおばあちゃんが亡くなったあの日の朝のことよ・・・。
登校途中であの人に会ったの。
凄く綺麗な女性で、黒い日傘と赤いワンピースがとても似合っていたわ。
その人、薬屋さんに用があるって言うから案内したの。
そしたら貴方のおばあちゃんが亡くなっていたわ。
そして亡くなる前におばあちゃんが用意したのか、机の上には遺言書の封筒が置かれてあった・・・。
そしたらその人が電話機の横にあった電話帳をパラパラとめくって、
「あった・・・確かこの人!」
と言ってから、加納正子さんの連絡先を指差し私に見せたの。
そして、
「その遺言書を開封してから、この人におばあちゃんが亡くなったと連絡を入れなさい。
そしたら貴方の恋敵を森中村から追い出す事ができるわよ?」
って言ったの・・・。
今思えばあの人は何故そんなことを言い出したのか、何故加納正子さんのことを知っていたのかって疑問なことだらけなのに、どうしてかその時はその人を疑うこともなく、言われるままに行動してしまったの・・・。
でも結局狼谷くんが最上さんのお爺さんである碧鶫あおつぐみさんを森中村まで連れて戻ってきたことで、最上さんはそのまま森中村に留まれることになった・・・。
でも私、それを聞いてホッとしたわ。
私のしたことで最上さんが森中村から居なくなったとしても、狼谷くんに振り向いて貰えないことはわかってたし、私も自分がしてしまったことを後悔していたから、そうならずに済んで良かったって心から思ったの・・・。
それで・・・話は少し戻るけど、貴方のおばあちゃんのお葬式のあとに遺言書の話になって、居た堪れなくなった私があの場から逃げ出したあと、その人がまた私の前に現れて、
「暫く森中村にいるつもりだけど、何処かに宿はないかしら?」
って言ったの。
だからうちに来てもらったわ。
そして、二人がつがいになったこともその人が教えてくれた・・・。
確かにそれを聞いてショックがなかったといえば嘘になるわ。
でも私には恋以外にも夢中になれるもの・・・小説に携わる仕事に就くという夢があったから、そのためにも学校にはちゃんと行くつもりだった。
暫くは狼谷くんと最上さんが一緒に居るところを見るのは辛いだろうけど、時が経てば次第にその辛さも薄れていくと思った・・・。
でもそんな私を打ちのめすようにその人が言ったわ。
「夜花ちゃん。
貴方、狼谷くんに最上さんのおばあちゃんを殺した犯人だと疑われているわよ?
きっと彼はその疑いを最上さんにも話してるわ。
そしてその噂はすぐに学校中に広まるだろうから、学校は暫くお休みしたほうが良いわよ?」
って・・・。
私は、
「狼谷くんはそんな人じゃない!」
って反論したけど、
「嘘じゃないわよ?
その証拠にお葬式の日、彼が貴方のことを睨んでいたでしょう?」
って言われて・・・。
確かに思い返せば狼谷くんは私のことを睨んでいたの・・・。
だからあの人の言うことは真実だって・・・。
学校では私が最上さんのおばあちゃんを殺した犯人だと噂になっていると思って、怖くなって・・・・・。
それで学校に行けなくなってしまったの・・・・・。
今日もその事を追求するために貴方はここに来たんだと思った・・・・・。」
夜花はそう語りながら涙をポロポロとこぼした。
「違う!
私、頼輝からは何も訊いてないし、学校でもそんな噂は全然広まってないよ!?
・・・私はただ、夜花がこのまま学校を休み続けることは、夜花の将来のためにならないと思ったから今日ここに来たんだよ。
もしかしたらつがいになった私と頼輝を見たくないことが、学校を休んでいる理由なのかなと思ったから・・・。
でもそうじゃないんだね?
・・・それで、その女の人が夜花に塩酸を渡したの?」
と璃音。
「うん・・・。
これを使って最上さん、貴方の顔が目茶苦茶になれば、狼谷くんは私の気持ちを受け入れてくれるって。
つがいは一生に一度しかなれないから、最上さんとつがいになった狼谷くんと私はつがいにはなれないけど、それでも普通の恋人にはなれる、だから頑張って、応援してるって言われて・・・。
でも私、やっぱり怖くて・・・。
だけどさっき貴方の顔を見たら、何だか急に頭に血が上ってしまってつい、あんな恐ろしいことを・・・・・!
本当にごめんなさい・・・・・!!」
そう言って夜花は璃音に頭を下げた。
「塩酸による被害は何もなかったんだし、顔を上げてよ夜花・・・。
悪いのは夜花じゃなく、どう考えたってその女よ!
人の弱みにつけ込んで・・・一体何を考えているの!?
塩酸だって一般の人には簡単に手に入れられないはずなのに・・・。
・・・・・その人、今もまだこの旅館に泊まってるのね?」
と璃音は怒りを露わにして言った。
「う、うん・・・菖蒲あやめの間に・・・。
でも待って!
まさか最上さん、その人の部屋に乗り込むとか言わないよね!?」
と焦る夜花。
「そのまさかだけど駄目なの?
私の友達をここまで追い詰めたんだもの・・・。
一言文句を言ってやらないと気が済まないわ・・・!」
どす黒いオーラを纏わせながら、ポキッ、ポキッと指の関節を鳴らす璃音。
「えっ・・・と、友達って私・・・!?
・・・それは嬉しいけど待って!
その人の傍にはいつもうちのお父さんがいるし、私達が勝手にお客様のお部屋を訪ねたりしたら酷く怒られるよ・・・」
と汗を垂らしながら夜花が言った。
「何で夜花のお父さんがその女の部屋にいるのよ・・・。
ただの宿泊客でしょ?」
「わ、私も変だと思うよ!?
きっとお母さんもそう思ってて、昨夜その事を追求したんじゃないかな・・・。
夫婦喧嘩してる声がここまで聴こえてきたし、朝お母さんの顔を見たらあざだらけになってたから・・・。
だから、下手に首を突っ込むとうちのお父さん、最上さんにも手を上げるかも知れないよ・・・?
そんなの嫌よ・・・。」
と夜花は部屋着の裾を握り締めて、泣きそうな顔で俯いた。
璃音はそれに対して何か返そうとするが、留奈がぱんっ!と両手を合わせてから言った。
「ねぇ、お腹が空かない?
ひとまず夜花とは和解できたんだもの。
皆で甘い物を食べて落ち着こうよ!
それからのほうが、きっといい考えが見つかるよ?」
そして、和菓子処木立こだちのフルーツ大福の入った袋を手に取り二人に見せた。
璃音はそれを見て表情を緩めると、
「・・・そうだね。
そうやってすぐ感情任せに行動しようとするのは私の良くない所だし、そういう時に起こした行動は、良い結果を招かないって亡くなったおばあちゃんが良く言ってた・・・。
だから今は大福を食べて落ち着くことにする!
留奈、ありがとう・・・。
・・・それに夜花の頬も、私が叩いちゃったから赤くなっちゃったね・・・ごめん・・・。
実は喧嘩になることを覚悟して、持ってきてるんだ・・・湿布。
使って?」
と言って、カバンから湿布を取り出し夜花に手渡すのだった。

そして数分後─。
頬に湿布を貼った夜花の目の前にはメロン大福が、その向かいに座る璃音の前には木苺大福が、そしてその隣に座る留奈の目の前には桃大福が置かれていた。
「・・・美味しそう。
私のぶんまで買ってきてくれてありがとう・・・!
私、お茶を淹れてくるね!
煎茶でいい?」
と夜花が言った。
「うん!ありがとう!
あっ、お台所に行くならついでにこれも活けてきたら?」
と璃音はカバンから学校の花壇から分けてもらったトルコキキョウを取り出して夜花に渡した。
「可愛い・・・。
これって学校の花壇のお花?
私に持ってきてくれたんだ・・・。」
と夜花。
「うん。
用務員さんに頼んで一本分けてもらったの。
今日のは夜花に似合いそうな淡いグリーンの花にしたけど、他の花色も綺麗だから、明日学校で一緒に見ようね!」
と笑う璃音。
「ありがとう!」
夜花は新聞紙に包まれた淡いグリーンのトルコキキョウを笑顔で受け取ると、手を振って部屋を出ていった。
しかし、彼女は15分経過しても戻って来なかった。

「夜花、遅いね・・・。」
と璃音。
「うん・・・。
お茶を淹れて花を活けるのにそんなにはかからないよね?
一緒について行ってあげれば良かったかな・・・。
でも私達が他所よそのお宅のお台所に入るのは、いくら夜花と一緒でも失礼になるだろうし・・・。」
と留奈。
「うん・・・。
何かあったのかな・・・?
お台所には入らなくても、近くまで様子を見に行ってみる?
多分お台所って、女将さんが森の恵をお供えするって言って入って行ったお部屋の奥だよね?
女将さんが扉を開けた時に、少しだけだけどキッチンカウンターが見えたもの。」
「うん・・・行ってみよう。」
璃音は留奈と頷き合うと、夜花の部屋を出て台所がある方へと進んでみた。
すると、その部屋の扉が開け放たれたままになっており、中から男性の怒鳴る声が聴こえてきた。
「いいからさっさとお茶を淹れて森の恵を菖蒲あやめの間のお客様にお出ししろと言っているんだ!
あの方は高級なものしか口になさらないが、これならきっと喜んでくださるはずだからな!」
「で、でもその森の恵は、多分私のお友達が持ってきてくれたもので、お婆ちゃんの大好物だったからお母さんが仏様にお供えしていたんだと思うの!
きっとお母さん、お供えが済んだら家族みんなで頂くつもりだったんだよ!
それをお母さんに無断で他の人に・・・しかも、お父さんとお母さんの不仲の原因のあの人にお出しするなんて、良くないよ!」
と夜花が反論している。
「親に口答えをするな!
美人なら多少我儘を言っても許されるが、お前は母親似の地味ブスなんだから、せめて素直に周りの言うことを訊けるいい子でいなさい!
お前から従順さを取ったらただウザいだけのブス・・・存在価値が無くなるぞ!?
いいからお父さんの言う通りにお茶を淹れて菖蒲あやめの間に持ってきなさい!」
「で、でも私、友達を待たせてるの・・・」
「友達?
お前みたいな地味ブスに会いに来る子なんて、どうせお前に似たりよったりのブスだろう?
それならいくら待たせたって大丈夫さ。
なんせ理不尽に耐えることくらいでしかブスはその価値を示せないのだから、待たされることにもきっと慣れているからな。
さぁ、わかったら早く持ってきなさい!
あんまりグズグズしていると、明日はお前の顔がお母さんみたいにあざだらけになるぞ?
それが嫌なら言う通りにするんだ・・・・・。
いいな・・・?」
そう言って夜花の父親だと思われるその男は部屋を出て行った。
そして、少し離れたところでそれらの会話を訊いていた璃音と留奈には気付かずに、
「これで少しはあの人の機嫌が良くなるといいが・・・。
あの人はどうやら近頃夜花の学校の若い科学教師とも会っているようだし、少しでも良いおもてなしをしないとこのままでは見限られてしまいそうだからな・・・。
あの人を失うなんて僕にはとても耐えられない!
なんせ、僕はもうあのブス豚なんかじゃ勃たない身体になってしまったからな・・・。
畜生・・・あのブス豚が財布の紐を握ってさえいなければ、あの人に色んな貢物が出来るのに・・・。」
とブツブツ言いながら客室へと続く階段がある方へと去って行った。

「何あれ・・・夜花のお父さんだよね!?
確かに評判通り美形なのかもしれないけど、言っていることがホント最低!!」
と眉を吊り上げ、プンプンと怒る璃音。
「自分の奥さんと娘に対してあんな事言うなんて酷いよね・・・。
二人が可哀想・・・」
と留奈も表情を曇らせた。
そこで森の恵の菓子皿と急須と湯呑みを乗せた盆を手にした夜花が台所から出てくると、廊下にいる璃音と留奈に気がついて汗を飛ばしながら、
「あっ・・・二人共ごめんね!
私がなかなか戻らないから様子を見に来てくれたんでしょ?
ホントは花を活けてお茶を淹れたらすぐに部屋に戻るつもりだったんだけど、お父さんに急な用事を頼まれちゃって・・・
まだ待たせちゃうと思うから、二人はもう帰ってもいいよ?」
と言った。
「ううん、私も付き合う。
というか是非とも付き合わせて、その用事・・・。」
と璃音は本日で一番黒いオーラを纏いながらそう呟くのだった。 

璃音と留奈は夜花と一緒に客間のあるニ階へと向かいながら話をしていた。
夜花の父が森の恵を届けるようにと命じた例の女が宿泊している”菖蒲あやめの間”は、意外にも森中旅館の中では一番最低ランクの、日当たりの悪い北側に位置する部屋らしい。
夜花の父誠一は、最初彼女に一番日当たりが良く豪華な家具の置いてある薔薇の間を勧めたようだが、彼女が日に当たるのを嫌って自ら菖蒲あやめの間を選んだそうだ。
だが菖蒲あやめの間の備え付けの家具は安っぽく、彼女のお気に召さなかったために、夜花の父の独断で、薔薇の間にある高級な家具を態々菖蒲あやめの間に移動してきたのだという。
その代わりに菖蒲あやめの間にあった安物の家具が薔薇の間に乱雑に置かれ、森中旅館で一番いい部屋である薔薇の間は、希望されるお客様がいても現在提供できない状態になっているらしく、女将と番頭の芳村が頭を抱えているそうだ。
他には彼女は非常に高級志向であり、毎日の食事も一番高いものを希望しているが、今までの滞在費用もその食事代もまだ一円も支払われていないそうだ。
このまま踏み倒す気だろうか?と夜花の父を除く従業員達が皆心配して誠一に意見したが、彼は彼女に骨抜きにされており、まるで取り合わないのだとか。
夜花はそんな客を紹介してしまったことを今は心苦しく思うと、階段を登りながら璃音達に語った。

そうして3人の女子中学生が菖蒲あやめの間の前まで辿り着いた時である。
「あっあっあっあんっ♥
誠一さぁんもっと奥まで突いてぇ♥」
という明らかに性交渉の最中かと思われる嬌声と、荒々しい呼吸の音、そして肉と肉がぶつかり合う卑猥な音が聴こえてきた。
璃音は真っ黒なオーラを漂わせながらスマホを取り出すと、頼輝の声を録音したいなと思って密かにインストールしてあった録音アプリを起動し、録音ボタンを押した。
「くっ、はあっ!
珠姫たまきさん・・・気持ちいい・・・!
貴女は本当に最高です!
今まで抱いた女の中でも貴方はダントツだっ・・・!
だが流石に今はマズイですよっ・・・!
娘にここに高級菓子を届けるように言いつけてあるんです!
こんなところを見られたらっ・・・!」
「あら、見せてあげたらいいじゃない。
貴方のパパが・・・あっ♡・・・貴方のママ以外の女に夢中になってっ♥獣みたいにいやらしく腰を振ってるトコロ!
そしたら貴方の奥さんに完全に浮気がバレて・・・希望通りっ♡離婚できるじゃないの♥」
「くっ・・・それじゃ僕が不利な条件を飲まなきゃならなくなりますっ・・・!
あのブス豚に決定的な証拠を与えずに精神的苦痛を与え続けっ・・・はあっ・・・証拠が揃う前でも別れたい・・だから娘を連れてこの旅館から出ていく・・・んっ・・・僕たちの幸せのためにはっ、そう思わせなきゃならないんです!
貴方と再婚しっ・・・あっ♡・・・貴女がこの旅館の美人女将となり・・・僕と二人でこの旅館をもり立てていく・・・そんな未来のためにはっ・・・!
まぁ昨夜は貴方との仲を追求され、ついカッとしてあのブス豚をボコってしまいましたが・・・はあっ・・・
でもあれはっ・・・証拠もないのにっ・・・浮気を疑いやがったあのブス豚に非があるとっ・・・言い逃れが出来るからいいんですっ・・・!
でも娘にこんなところを目撃されたらっ・・・一気に僕の分が悪くなってしまうんですよっ・・・わかります!?
だからこういうことはっ・・・もっとバレにくい時間帯にしたほうが・・・ああぁっ♥」
「うふふっ♡
誠一さんったらそんな事言ってぇ・・・いつもより盛り上がってるじゃないの♥
今の貴方、硬くて激しくて荒々しくて、まるで10代の若い男の子に盛られてるみたいで最高だわっ♥♥
バレたって大丈夫よ♥
貴方、この旅館の跡取り息子でしょ?
あっ♡んふっ♥
ならぁ・・・多少オイタしたって周りが許してくれるわよ♡」
「いや・・・あのブス豚は嫁のくせに僕の母である先代女将・・・は死んでしまったから別にいいのですが・・・はあ、はあっ・・・引退した先代番頭の親父にもっ・・・気に入られてるんですっ!
くっ・・・財布の紐だって今はッ・・・あのブス豚がにぎってて・・・!」
「ふぅん・・・?
貴方、お父様の実の息子なのに、他人のお嫁さんに比べてちっとも信用されてないのね?
可哀想・・・♥
あっ♡あっ♥いいわっ!
あなたの夢を叶えるお手伝いをしてあげる♥
この旅館、お忍びで政治家や芸能人の方も利用されているのでしょう?
ここの女将になれば、そういうVIPな方達をに出来るかも知れないしね?
というわけで、邪魔な奥さんにはぁ・・・死んでもらいましょうか♥」
「はっ・・・!?
し、死・・・!?
今死んで貰うって言いました!?
冗談でしょう!?
流石に僕だって、あのブス豚にそこまでは望んでいませんよ・・・!!」
誠一の腰の動きが止まったのか、さっきまでしていたパンパンという肉のぶつかる音と床の軋む音が止んだ。
「あら・・・怖いの?
貴方の私への愛はその程度だったのかしら?
心配しなくてもいいわ。
別に貴方に手を下せとは言ってないの。
そのうち塩酸よりももっと無理心中に適した薬剤を調達してくるから、それを貴方の娘に渡してお母さんと一緒に飲むように命じるわ♪
娘の不登校に悩んだ母親とノイローゼになった娘の無理心中・・・無理のないシナリオでしょう?」
それを聴いた夜花は青ざめ、盆を持つ手が震えてカタカタと小さく音を立てた。
「さぁ・・・安心したなら早く続きをしましょう?
私、誠一さんをもっと強く激しく感じたいの♥
早くぅ・・・・・♥」
「くうっ・・・♥
そんなに締められたら僕っ・・・あっ・・・あぁっ・・・珠姫たまきさん、珠姫たまきさん♡♥」
そしてまたパンパンパンと肉のぶつかる音と乱れた呼吸と床が軋む音が鳴り始めた。
「あっあっあっ♥
いいわぁ誠一さん♡
その調子よぉ♥」
(・・・さぁて・・・この旅館のもう一つの駒は今頃どうしてるかしらね・・・?)
彼女は意識を集中しているのか無言になり、ギシッギシッ、パンパン!はあっはあっ、という性行為を匂わせる音だけが響いて来た。
(・・・・・変ね。
駒の気配が感じられない。
印が消された・・・?
北海道谷川村の若い境界守りの印を消したあのイレギュラーのワンちゃんは、まだこの村には居ないはずよ・・・。
だとしたら、の力が目覚めてここに来た・・・!?
そういえば昨日も富蘭の駒の気配が一つ消えていた・・・。
あれは駒が私の視ていない所で勝手に自殺でもしたかと思って、特に気に留めていなかったけれど・・・・・。)
「誠一さん。
貴方のお嬢さんに会いにお友達が来なかったかしら?」
と急に淡々とした口調になり、尋ねる女。
「は・・・?
え、えぇ・・・。
僕は会ってはいませんがっ・・・友達が来ていると娘が言っていましたね・・・くっ・・・♡」
そこで夜花が先程から擦り減らしていた神経が遂に限界を迎えたのか、手に持っていた盆を落としてしまった。
ガッシャーン!と派手な音が廊下に響く。
「・・・誠一さん、部屋の外・・・様子を見てきて。」
と女が命じた。
「えっ!?
あの物音はきっと娘が手を滑らせて運んできたお菓子の盆を落としたんですよ・・・うっ♡
だ、だとしたらそれを片付けてっ・・・もう一度台所までお菓子を取りに戻り・・・あっ♥・・・茶を入れ直して来るでしょうから・・・くはっ・・・まだ時間がありますよっ!
だからそれまで愉しみましょうよ!
ね!?」
と快楽のピークが近いのか、必死に快楽を貪る誠一。
「・・・それどころじゃなくなったわ。
いいから見てきて頂戴。」
「あっ、そんな!
抜かないで珠姫たまきさん!
あと少しでイキそうだったのに・・・」
しゅんと萎れたような声を出す誠一。
「いいから早く!」
「はいぃ!!」
誠一が女の強い口調に声を裏返しながら返事をしたので、璃音は慌てて録音を終了した。
その後すぐに菖蒲あやめの間から誠一が出てきた。
彼はろくに着衣を直す間も与えられなかったのか、髪は乱れたまま、Yシャツのボタンは全て外れて、普段鍛えていないのが丸わかりな貧弱な胸元と、鍛錬不足に加齢も影響してかだらしなくなり始めた腹が見えていた。
スラックスは部屋に置き去りのままなので下半身はしましまトランクスとハイソックスのみ、しかもまだ勃起状態が抜けておらず下腹部にはもっこりとテントが張られており、更には足のすね毛も拝み放題・・・と、村で評判の色男が台無しの何ともみっともない姿であり、極めつけにその左目には璃音に頬を叩かれるまで夜花にあったのと同じ◆の印が刻まれていた。
(この人にも◆の印がある・・・。
一体何だろう?
おじいちゃんなら何か知ってるかもしれないからそれは後で聞いてみるとして・・・。
今はそれよりも、夜花のお父さんにもし部屋から漏れていた音を録音していたことがバレたら、スマホを奪われて折角の録音データを消されるか、最悪スマホごと壊されてしまうかもしれない・・・。
それなら・・・)
璃音は誠一の目を盗んでスマホを操作し、その音声データを頼輝に転送しはじめた。

「夜花、やっぱりお前だったんだな・・・。
お茶菓子一つろくに運べないだなんて、本当にお前は情けない娘だよ・・・。」
誠一は夜花に向けて呆れたようにそう言った後、今度は璃音と留奈に視線を移し、取り繕ったような笑顔を向けた。
「ええと、夜花の見舞いに来てくれた友達って最上さんと花井さんだったんだね!
いやぁ!
君達みたいな可愛い子ちゃんがうちの娘の見舞いに来てくれるとは思わなくて、挨拶もせずに済まなかったね!
それで、えぇと・・・いつからここに?」
と頭に手を当て愛想笑いをしながらも冷や汗を垂らし、誠一は尋ねた。
菖蒲あやめの間の中で、夜花のお父さん、貴方と宿泊客の女性が性交渉に及んでいる最中からですよ。」
と璃音は誠一を睨んだまま、押し殺した低い声でそう答えた。
「えっ!?
いやぁ、それは違う!誤解だ!
君達はまだ中学生だからセックスなんて経験がないだろうし、きっと勘違いをしちゃったんだね!
あれはそう・・・プロレスごっこだよ!
菖蒲あやめの間のお客様は、それはもうプロレスがお好きな方でね?
どうしても試してみたい技があるからと言って、僕はサービスの一環としてそのお相手をさせてもらっただけだよ!」
その馬鹿らしい言い訳に対し、間髪入れずに璃音は言った。
「馬鹿にしないで下さい。
私、これでも薬屋の娘ですから、亡くなった曾祖母から医学の知識と併せてある程度の性知識も学んでいます。
プロレスごっことセックスの違いくらいは物音だけでもわかります。」
「ははっ、そうかい。
でも君達が幾ら僕の浮気を証言しても、証拠が無ければ意味がないよ?」
と挑発的に誠一は言った。
「証拠ならあります。
貴方と菖蒲あやめの間の女の人がセックスをしている時の音を録音してあります。」
と言って璃音はスマホを操作し、その音声を再生し始めた。
誠一は血相を変えて璃音に襲いかかり、力づくでスマホを奪った。
そして璃音のスマホを操作し、該当する音声データを消した。
「はいはい削除完了っと・・・。
最上さんのスマホ、パスワードが設定されてなくて助かったよ。
はい、用が済んだからスマホは返してあげるね。
君がブスなら躊躇なくこのスマホを壊してただろうけど、僕は可愛い子ちゃんには優しいんだよ。
でも残念だったね?
折角録音した証拠が無くなっちゃってさ。」
と誠一は勝ち誇ったように笑った。
「あぁ、それでしたら大丈夫です。
あの音声データは既に私のつがいに転送済みですから。」
璃音は黒い笑みを満面に浮かべながらそう答えた。
「はぁ!?
だ、誰に転送したって!?」
「私のつがいの、境界守りの狼谷頼輝くんです。」
それを訊いた誠一の顔がみるみる青くなっていく。
「狼谷!?
頼輝って・・・夜花の同級生の次男坊のほうか・・・!
まだ中学生とはいえ、よりによって境界守りの・・・それじゃ僕にはとても太刀打ち出来ないじゃないか・・・!
終わりだ・・・終わってしまう・・・!
あのブス豚からこの旅館の金を奪い返す計画も、僕と彼女の幸せな未来も何もかも台無しだ・・・!!
畜生!!!」
誠一がそう言って頭を抱えると、左目の◆印が赤く光った。
「 うっ・・・頭の中で珠姫たまきさんの声がする・・・。
えぇ・・・そうですね・・・。
貴方の言うように殺せばいいんですよ!!
僕達の邪魔をする奴らは全員ねっ!!!」
誠一はそう吐き捨てると、スマホを奪った時よりも乱暴に璃音に襲いかかった!
そしてその白く細い首を掴んで絞め始めたのだ!
「キャーーーーー!!!
璃音ーーーーーーっ!!!」
と留奈が叫んだ。
「っ・・・・・!!!」
璃音は必死に抵抗するが、力では敵わず苦しそうに顔を歪めた。
「お前のつがいにさっきの音声データを決して誰かに転送せずに、スマホを持ってすぐにここに来るようにと言うんだ!!
そうすればこの手を離してやる!!」
璃音はそれを拒むように強く誠一を睨みつけた。
留奈が必死に誠一の手を璃音から外そうとするが、か弱い彼女では男性である誠一には全く敵わなかった。
「璃音っ・・・このままじゃ璃音が死んじゃうよ・・・
誰かーーーーーーー!!!」
留奈は精一杯大きな声で叫んだ。
だが近くに宿泊客や従業員がいないのか、誰かが駆けつけてくる気配はない。
それらのやり取りをガタガタと震えながら見ていた夜花だったが、璃音の顔が次第に青くなってきたのを見るとハッとして、震えながらも立ち上がり、落ちていた盆を拾って、父親に向けて思い切り頭から叩きつけたのだ!
「最上さんを離せーーー!!
このクソったれの最低親父ーーー!!」
木製の盆がバキッ!と割れて誠一の頭にめり込んだ。
誠一は、
「この地味ブスがぁーーーーー!!!」
と怒りを露わにして璃音を開放し、頭にめり込んだ盆を廊下に投げ捨てると、今度は怒りの矛先を夜花に変えて襲いかかり、夜花の首を絞め始めた!
璃音は、
「かはっ・・・!ゲホッ・・・・!
はあっ、はあっ・・・」
と咳き込んだあと何とか息を整えると、直ぐ様誠一に首を絞められている夜花の元へと駆け寄り、空色の目を光らせてから誠一の゙頬を思い切り叩いた!

─パァン!!!─

その直後、誠一の左目の◆印がスウッと消え、元の瞳に戻った。
しかし元々の暴力的な性格と女にそそのかされた状態とが大差無かったためか、誠一が夜花の首を絞める手を緩める気配は無かった。
璃音は今度はぐっと拳を握り締めると、空色の瞳に涙を浮かべながら何度も何度も誠一の腕を叩いた。
叩く度に璃音の手が赤く腫れていく。
誠一は流石に積み重なるその痛みに耐えきれなくなったのか、ついには夜花の首を絞める手を緩めたのだった。
「ゲホッ・・・ゲホッ・・・!!」
開放された夜花は地面に膝をついて咳き込んだ。
そこで先程の留奈の叫び声が聴こえていた番頭の芳村と女将、そして数名の仲居達が駆けつけてきた。
「夜花!!?
貴方・・・お父さんに首を絞められたの!!?
それに璃音ちゃんもその首の跡・・・!!
・・・誠一さん、貴方が二人の首を締めたのね!!?
なんてことを!!
一体何があったのよ!!?」
璃音は留奈と夜花と顔を見合わせると、ここで起こった事を女将と芳村に全て説明し、証拠となる璃音のスマホの音声データは誠一の手により消されてしまったが、その前に頼輝に転送してあるので、彼なら持っているはずだと付け足した。
それらの話を訊いてショックのあまりふらつく女将の肩を芳村がそっと支えた。
芳村に問い詰められた誠一は、浮気も夜花と璃音の首を絞めたことも、全て菖蒲あやめの間にいる宿泊客、紅林珠姫くればやしたまきという女に唆されてやったことだと必死に訴えた。
だが、芳村たちが事情を訊こうと菖蒲あやめの間に入った時には紅林珠姫くればやしたまきの姿はどこにも無く、更には彼女の持ち物も全て消え、誠一のものと思われるスラックスやネクタイ、そして乱れて汗ばんだ布団だけが部屋に残されていた。
璃音達は菖蒲あやめの間の前にずっといたので、彼女が出て行けるとしたら部屋の窓からしかあり得ないが、ここは二階で窓の近くには足掛かりになるようなものも何もなく、どうやって彼女が消えたのか・・・それは、その場にいる誰にもわからなかった。
芳村が、
「警察に通報しましょう。」
と提案したが、彼から暴力を受けた身内以外の被害者は璃音だけであり、幸いにも璃音の首を絞められた跡は早い段階で夜花が助けに入ったお陰で軽く済み、もう既に目立たなくなり始めていたので、旅館の支配人が暴行を働いたと周囲に明らかになれば、旅館のイメージに大きく響きかねないと心配した璃音が、自分の被害のことは無かったことで良いと言った。
だが、女将がそれでは申し訳ないと言ったために、見舞金として後日幾らか支払われることになったのだった。
但し、紅林珠姫くればやしたまきに関しては、二週間もの間の宿泊費未払いになるので、警察に届け出を行うようだ。
そんな理由わけで大人たちは皆バタバタし、璃音達も夜花の部屋に戻ってフルーツ大福を頂くどころではなくなったので、大福は持ち帰り、それぞれの家で食べることになった。

「最上さん、花井さん。
今日は本当にありがとう。
うちのいざこざに巻き込んでしまってごめんね・・・。
うちの事はこれからどうなるかわからないけど・・・でも、明日からはちゃんと学校に行く・・・。
それに最上さん・・・?
狼谷くんが貴方を選んだ理由がわかる気がする・・・。
貴方は可愛いだけじゃない。
強くてひたむきで真っ直ぐで、とても優しい・・・。
私じゃ何一つ敵わないよ・・・。」
玄関先まで璃音と留奈を見送りに出て来た夜花がそう言った。
「そんなことない。
夜花は確かにお顔の印象は控えめかもしれないけど、輪郭も鼻や口の形も悪くないから、アイメイクだけ頑張れば凄く変われると思う。
細いのに私よりも胸あるし・・・。
それに頭が良くて勇気もある、とっても素敵な子だよ?」
「勇気・・・?
私に・・・?」
と夜花は首を傾げた。
「うん。
夜花がお盆でお父さんの頭を叩いて私を助けてくれたから、私の首の跡は酷くならずに済んだんだもの。
それってとても勇気ある行動だと思うよ?
留奈も大きな声で助けを呼んでくれたし・・・二人とも、ありがとう!」
「「ううん!」」
留奈と夜花は頭を振った。
「それとね、夜花。
巴くんが夜花にこれから素敵な出会いがあるって言ってた。
だからラブロマンス・・・期待していいと思うよ?」
と璃音はうふふっと微笑んでそう言った。
「えっ・・・巴くんがそんなことを?
それは期待しちゃうかも!
ラブロマンス!」
と嬉しそうに笑う夜花。
「良いなぁ夜花!
私にも素敵な出会いが訪れないかなぁ?」
と留奈。
「留奈はもう既に出会ってると思うな?
今はまだ留奈の中で相手のマイナスな部分だけが目立ってて、恋愛対象として考えられてないってだけで・・・」
と璃音。
「えっ!?
それって誰のことを言っているの!?」
「まだ教えない!」
「もぉー!璃音の意地悪!」
女子三人がそんなことを話しながらくすくすと笑っていると、
「璃音ーーーーー!」
と遠くから声がしたので、璃音が声のした方を振り返ると、頼輝がこちらに手を振りながら駆けてくる姿が目に入った。
「頼輝!」
頼輝は璃音と留奈、夜花の近くまで来ると軽く息を整え、
「・・・大丈夫か!?
何か璃音から変な音声データが送られてきたから、心配になって迎えに来たんだけど・・・」
と言った。
「あっ、そうなの!
それ、大切な証拠になるかと思って録音したデータなんだけど、私のスマホのは消されるかもしれないと思ったから、その前に頼輝に転送したんだ!
急いでたから何の説明もなしで送っちゃったし、驚いたよね?」
「あ、うん・・・まぁ・・・内容も内容だったし・・・。
しかも俺、あのデータが送られて来た時スーパーでの買い物を終えて帰ってきてて、薬屋の売り場に居てさ。
そうとは知らずにお客さんの前で再生してしまって、お客さんのおっちゃんに、
「おいおい銀色狼、中坊のくせにAV鑑賞か!?」
って誂われて恥ずかしい思いをしたよ・・・・・」
とその時の状況を思い出したのか、真っ赤になりながら頼輝は答えた。
「あははっ!そうだったんだ!ごめんね!
多分そのうち弁護士さんがそのデータを受け取りに来ると思うから、それまでは頼輝が持っていてくれる?
頼輝が持ってるならも手が出せないと思うから。」
「うん・・・それは良いけど、証拠とかあの人とか弁護士って・・・一体どういうことだ・・・?」
と頼輝は心配そうに眉を寄せて璃音に尋ねた。
璃音は、
「夜花のお家の事情のこと・・・後で頼輝に話してもいい?」
と夜花に訊いた。
夜花は「うん・・・!」と頷いた。
その時夜花の顔を見た頼輝は、この間見た時には確かにあった、左目の◆印が消えていることに気が付いた。
それだけではなく、夜花の表情もとても柔らかく穏やかになっていたので、
(ホント、璃音はすげーな・・・)
と、柔らかく微笑み璃音を見た。
「それじゃ、私達そろそろお暇するね!
お邪魔しました!」
と留奈。
「お邪魔しました!
明日学校でね!」
と璃音。
「うん!
二人共・・・狼谷くんも、バイバイ!」

夜花と手を振り別れ、留奈とも彼女の家である”花井洋品店”の前で別れた頼輝と璃音は、もう日が暮れて暗くなり始めた青鶫あおつぐみの薬屋へと向かう道を歩き出した。
やっと二人きりになったので、頼輝は璃音の手を取り繋ごうとしたが、璃音は夜花を誠一から助けるために誠一の腕を連続で叩き続けたために、両手の小指の下辺りを傷めており、そこに触れられると痛むのか、可愛い顔を歪ませた。
「巴くんが言っていた璃音の手の痛みってこれのことか・・・。
こんなになるなんて、一体何があったんだよ・・・。」
と頼輝は足を止め、心配そうに眉を寄せて璃音を見た。
「・・・ホントに色々あったんだけど・・・外だと誰が聞いてるかわからないから、家に帰ってから夕食の後の時間に話すよ・・・。」
「うん・・・。」
頼輝は璃音の返事に眉を寄せたままで頷くと、璃音が痛む箇所には触れないように、そっと”恋人繋ぎ”をしてからまた歩き始めた。
その繋ぎ方は初めてだったので、二人は恥ずかしくなって頬を染めたまましばらくの間無言で歩いた。
(頼輝、手の腫れのこと凄く心配してくれた・・・。
これでもし夜花のお父さんに首を絞められたなんて知ったら、頼輝、夜花のお父さんに対して逆上しそうだな・・・。
そのことだけは伏せておいて、後は全部訊いてもらおう・・・。
でも今日は怖いこともあったし、いっぱい怒ったり、とんでもない状況に出くわしたりして、色々ありすぎたから疲れちゃった・・・。
頼輝にもっと癒やされたいな・・・・・。)
璃音はそう考えてから小さな橋を渡る途中で足を止め、そっと頼輝の学ランの袖を引いた。
「ん?
どうした?璃音・・・」
頼輝は璃音に合わせて足を止め、優しく微笑んだ。
「ねぇ頼輝・・・。
私今日頑張ったの・・・。
だからご褒美にキス・・・して・・・?」
璃音は耳まで真っ赤に染めて消えそうな声でそう言った。
「っ・・・
璃音からキスをおねだりされるとか夢みたいなんだけど、えっと・・・マジで言ってる?」
と赤い顔して汗を飛ばす頼輝。
「マジだよ・・・」
璃音は彼の反応に少しだけムッとしてそう答えた。
「疑ってごめん!
その・・・璃音にとっても俺とキスするのって・・・ご褒美、に・・・なるんだなと、思って・・・」
と言葉を詰まらせながら言う頼輝。
「・・・・・うん、なるよ・・・・・」
璃音はそう言ってはにかむと、ゆっくりと目を閉じた。
頼輝は璃音の頬に優しく手を添えると、そっと唇を重ねた。
そして暫くそのままで璃音の唇の柔らかさと暖かさを感じた後、少しだけ欲を出して璃音の唇の形を確かめるように自分の唇を動かし擦り合わせた。
璃音は少し驚いたようだが、頼輝の胸元に手を当てて、されるがままに身を任せている。
頼輝は璃音ともっと深く繋がりたくて、舌を入れてみたくなったが、きっと今それをすることは、璃音の望む甘いご褒美を、もっと生々しい性的なものへと変えてしてしまうと思ったので、その衝動をぐっと堪えてからそっと唇を離した。
しかし璃音はもっと・・・と言わんばかりに頼輝のTシャツを掴み、自分の元へと引き寄せようとした。
頼輝は璃音の行動に驚き目を見開くが、瞳を潤ませて自分を見つめる璃音に堪らない気持ちになり、もう一度だけ軽く唇を重ねてからすぐに離し、額をコツン・・・と璃音にぶつけ、至近距離で見つめながら掠れる声で言った。
「これ以上は駄目・・・。
俺、マジで止まらなくなりそうだから・・・。」
めなくてもいいよ・・・?
もっともっと・・・頼輝とキス・・・したいよ・・・」
と縋るような眼差しを向ける璃音。
「えっと・・・璃音がそんなふうに言ってくれるのってすげー嬉しいけど・・・今これ以上キスすると・・・俺も男だし・・・その・・・キスだけじゃ済まなくなって・・・胸とか触りたくなる・・・と思う・・・」
璃音は頼輝のその言葉にハッとして火が着きそうなくらいに顔を真っ赤に染めると、頼輝から2歩分の距離を取って自分の胸を押さえ、頭から蒸気を立ち昇らせながら俯いた。
頼輝はそんな璃音を見て「やっぱり・・・!」 と小さく呟きながらくすくすと笑うと、またその手を取って、璃音の痛い所に触れないように気をつけながら、そっと恋人繋ぎをしてから歩き始めた。
璃音も頼輝の隣で顔を赤くしたままで歩き出す。
橋を渡りきると車道のある並木道にぶつかり、そこを左に曲がって木々のトンネルを抜けると、森中神社と狼谷家、青鶫あおつぐみの薬屋のある一角が見えてくる。
そこで頼輝がふと浮かんだ疑問をいつもの調子で口にした。
「そいや俺、璃音のリスト通りに買い物したけど、今日の晩飯って一体何を作るんだ?」
その問いに璃音もようやく赤みが引いた顔を上げて答える。
「えっ、えぇとね、今日はハンバーグにポテトサラダ、それとパンプキンポタージュにしようかなって。
でも私の手、今日はあまり頼りになりそうもないから、お米を研ぐのと野菜を切るのとハンバーグを捏ねるのは、頼輝に頼んでもいい?
味付けとか火を使うことは私がするから・・・。」
「うん、任せてくれ!
俺、璃音と一緒に料理するのすげーワクワクする!」
「うふふっ、テンション高いね!?
そんなに楽しみにしてくれると私も嬉しいな!
それならこれから頼輝の夕方の見回りがないときだけでも一緒にお料理をしてみる?
最上璃音のお料理教室・・・なんて言うほどの腕でもないけどね!」
「そんなことないって!
けどマジでいいの!?料理教室。」
「うん、勿論!」
「やった!
じゃあ次回こそは一緒にスーパーに行こうな!」
「うん!」
二人は楽しそうに語らいながら、青鶫あおつぐみの薬屋の扉を開けるのだった。


─追記〈最上璃音さいじょうりねの料理教室①〉─

青鶫あおつぐみの薬屋に辿り着いた二人は、法璃のりあきに挨拶した後台所に向かい、手を洗ってからエプロンを身に着けた。
頼輝はエプロンを持ってなかったので、今日のところは法璃が台所に立つ時に使っているものを借してもらうことにした。
「それじゃあまずはお米を研ごっか。
今日は頼輝も食べるから、3合でいいかな?」
璃音は炊飯器から釜を取り出して米びつから3合の米を量ると頼輝に渡した。
「俺はこれを綺麗に研げばいいんだな?」
「うん!お願いね。
私はその間に今日使う食材をテーブルに出しておくから・・・」
と言って璃音が頼輝から目を離すと、頼輝はアイテムボックスを起動してそこから青くてぷるぷるしたものが入った瓶を取り出して、炊飯釜に投入しようとしていた。
璃音はそれを目の端で捉えると、慌てて声を上げた。
「ちょっと待った!
そ、それは何!?
一体何をしようとしているの!?」
「あぁ、これは境界の森に出てくる魔物、ブルースライムの欠片だよ。
こいつは有機物ならなんでも分解して水として排出する性質を持つんだけど、時間さえ気をつければ有機物である米の汚れを綺麗にすることにも使えるからさ。
奴らが排出した水も無味無臭だからそのまま一緒に炊いてしまえばいいし・・・」
「ちょっと待って・・・。
頼輝はいつもこうやってお米を研いでいたの?」
「うん、ブルースライムを持っている時には割と。
昔、父さんからその方法が一番手早く綺麗に研げるからって教わってさ・・・。」
「あの・・・おじさんのやり方を否定するつもりはないんだけど、そのブルースライムで炊いたご飯って・・・安全性とかは大丈夫なの?」
「ちゃんと調べたことはないけど、俺も父さんも兄貴・・・は不味いって文句言いながらだけど、食って別に腹を壊したりもしていないし大丈夫なんじゃないかな?
あ、でも母さんだけは俺や父さんが炊いた飯は食わずに、冷凍しておいた自分が炊いた飯をレンチンしてる・・・。
何かブルースライムご飯はトラウマだとか言ってさ。」
「そ、そっか・・・。
何となくおばさんの判断が正しい気がするかな・・・。
えぇと、この料理教室ではブルースライムは使わず、普通に研ぐことにします。
研ぎ方は私が教えるから。」
「・・・はい、先生。」
頼輝はしゅん・・・としてブルースライムの瓶をアイテムボックスにしまった。
「最初は少量の水でしっかり研ぎます。」
璃音に言われた通り、研ぐ頼輝。
「そうそう、上手いね!
そしたら白くなったお水を出来るだけ残さずに捨てます。
ザルを使ってもいいけど洗い物を増やしてまでこだわることはないから、ある程度でいいよ?」
頼輝は言われた通りに綺麗に水を捨てた。
飲み込みが早く手先が非常に器用な彼は、璃音よりも上手にその工程をやってみせた。
「凄い凄い!頼輝、器用だね!」
褒められて嬉しいのかニヤニヤと頬を緩める頼輝。
「次は多めのお水で軽く研いで、捨てることを2~3回繰り返します。」
「はい、先生!」
言われた通りに実行する頼輝。
3回目には釜に入れた水が白く濁らなくなる。
「うん、しっかり研げてるね!
流石頼輝!
そしたら、次は炊飯釜の3合の線までお水を入れて?
水平な所に置かないと、正確な量を計れないから気をつけてね。」
「はい、先生。
・・・これでどうですか?」
頼輝が計った水を璃音が確認し、頷く。
「OKです。
それじゃこれを炊飯器に入れて・・・今日は時間がギリギリだから、早炊きモードにしよう。」
ピッ!と炊飯器のボタンを押す璃音。
「時間があるときは、研いだお米にお水を30分くらい吸わせてから普通の炊飯モードで炊くと、更にふっくらと美味しく炊きあがるからね!」
璃音はそう付け足してから、じゃがいもを手に取った。
「次は火が通るまで時間のかかるじゃがいもを茹でます。
かぼちゃも火を通すのに時間がかかるけど、今日は前に茹でておいて冷凍してある物を使うから、茹でるのはじゃがいもだけでいいです。」
「はい、先生。
じゃがいもは洗って皮を剥いて適当な大きさに切ればいいのかな?」
と頼輝。
「そのほうが早く火が通るけど、じゃがいもがベチャってなっちゃうから、今日は皮ごと茹でよう。
芽を丁寧に取り除いて、火が中まで通り易いように金串で2~3箇所穴を開けてから、お鍋にじゃがいもとじゃがいもが浸かる量の水を入れて火にかけます。」
璃音がそう説明しながら火を着ける。
「沸騰してからじゃがいもを入れるんじゃないのか?」
と頼輝。
「うん、根物は水からっていって、じゃがいもとか人参、大根なんかの根物野菜は、水から茹でたほうが効率良く中まで火が通るし、煮崩れも防げるんだよ?」 
「成る程・・・」
頼輝が納得して一人頷いていると、璃音が玉ねぎを手渡した。
「次はこの玉ねぎの皮を剥いてみじん切りにしてくれる?
私はこの間にパン粉を牛乳でふやかしておくから・・・」
「はい先生。
俺切るのは得意だから任せて?
魔獣の硬い部位の肉とか良くこうしてみじん切りにしてるし・・・」
トントントンと小気味良く音を立てて玉ねぎをみじん切りにする頼輝に「わぁ!私より上手!」と感心する璃音。
「それじゃ、次はフライパンでこの頼輝が切ってくれた玉ねぎを炒めます。
・・・やってみる?」
「うん!」
頼輝が嬉しそうに返したので、璃音はオリーブオイルをフライパンに少し入れてから火を着けた。
「フライパンが温まったら玉ねぎを入れて、木べらでかき混ぜながら、しんなりして透明になるまで炒めます。」
そう説明してから木べらを渡す璃音。
頼輝は言われた通りに玉ねぎを炒めることが出来た。
「頼輝、簡単な加熱調理なら大丈夫なんだね!
林間学校のときの頼輝のカレー、ところどころ焦げてたから加熱調理はもっと苦手なのかなって勝手に思ってたけど、これなら火力の調整の必要のない加熱調理なら、問題なく任せられそう!」
「マジで!?
俺、意外と見どころある?」
「うん!
今のところは!」
と笑って返す璃音。
頼輝はへへへっと嬉しそうに頭を掻いた。
「この炒めた玉ねぎはハンバーグとスープの両方に使うから、事前にスープの分を容器に取り分けておくね。」
と言って小さなボウルに炒め玉ねぎを取り分ける璃音。
「次はこのボウルにハンバーグの材料を入れます。
牛豚の合い挽き肉、炒めた玉ねぎ、生卵、ふやかしておいたパン粉を入れて、後は味付けなんだけど・・・私、スープのかぼちゃを解凍するから、ハンバーグをこの塩コショウで味付けしておいてくれる?」
璃音はそう言って塩コショウのボトルを頼輝に手渡した。
しかしこの味付けを頼輝に任せたことを璃音はすぐに後悔することになるのだった。
冷凍庫から取り出したかぼちゃをレンジにかけて頼輝の方を見ると、そのボウルには盛り塩のようにこんもりと塩コショウが盛られているではないか!
「ええっ!?
頼輝!塩コショウ入れ過ぎ!!」
「えっ!?そうなんだ!?
俺、自分で料理するときいつもこれくらいは入れてるけど・・・」
「嘘でしょ!?
それ、味が濃くなるとかそんなレベルじゃないよ!?」
「ええっ!?マジで!?
ごめん・・・。
てか、これもう駄目?」
と泣きそうな顔でハンバーグの材料の入ったボウルを指差す頼輝。
「ううん・・・!
まだ材料を混ぜてないから、塩コショウの山を崩さないようにして大きなスプーンで山ごと取り除けば・・・・・」
と璃音は慎重に塩コショウを取り除いた。
「これで大丈夫!
ごめんね。
頼輝、玉ねぎを炒めるのが大丈夫だったから、勝手に味付けも大丈夫だって思って任せちゃった私がいけなかったの。」
「いや、無茶苦茶な量の塩コショウを投入した俺のが絶対に悪いし・・・。
でもハンバーグのタネが全部駄目にならなくて良かった・・・。
で、これを混ぜて捏ねればいいのか?」
と頼輝。
「うん!でもちょっと待って?
ナツメグを入れるといい感じになるの・・・」
と言ってナツメグをパッ、パッと加える璃音。
「はい、捏ねていいよ?」
「はい先生!」
頼輝は手を洗ってからハンバーグを捏ね始めた。
その間に璃音はチンし終わったかぼちゃと取り分けておいた炒め玉ねぎ、牛乳、生クリームをフードプロセッサーに入れてかき混ぜ、鍋に移してバター、ブイヨン、塩コショウで味付けし、加熱しながら混ぜる。
「璃音、ハンバーグ、こんなもんでいいか?」
頼輝は捏ねあがったタネを璃音に見せた。
「うん!
それじゃそれをこれくらいの大きさに丸めて伸ばして、こう、パン!パン!って空気を抜いて、仕上げに真ん中を少し凹ませてね。」
と手本を見せながら一緒にハンバーグを成形していく。
「頼輝、形を作るの凄く上手!」
「へへっ、良かった・・・」
「ハンバーグの加熱は火力調整が必要だから今回は私がやるね?
頼輝はその間、手を洗ってからきゅうりを輪切りにしてくれる?」
「OK!先生。」
璃音は最初は強火でハンバーグの表面を焼いたあとに弱火にし、ガラスの蓋を被せた。
「後は暫くこのまま中まで火を通せばOKっと。
頼輝はもうきゅうりが切れたんだね!
すごく上手で感心しちゃう!」
「いや、刃物の扱いは慣れてるってだけだけどな。
それで、このきゅうりはどうするんだ?」
「このボウルに入れて、塩をひとつまみだけ入れてから揉んでくれる?
そしたら水分が抜けてくるから、ぎゅっと搾って水気を切るの。」
「はい、先生!」
頼輝が璃音の言われたとおりにしている間に璃音はじゃがいもに金串を刺して火が通ったことを確認してから火を止めた。
そして冷凍庫からコーンとグリーンピース、人参のミックスベジタブルを取り出すと、それをレンジにかけた。
「先生、きゅうりを搾り終えました!
なんか洗濯機で脱水した洗濯物みたいになったけど、これでいい?」
と言って水分が抜けて搾られたきゅうりの固まりを見せた。
「あははっ!
こんなによく搾れたきゅうり、初めて見た!
よく出来ました!」
璃音はそう言って笑うと、茹で上がったじゃがいもの鍋を持ってきた。
「それじゃ、次はじゃがいもの皮を手で剥きます。
まだ少し熱いから気をつけてね?」
「はい先生!」
頼輝がじゃがいもの皮を剥いている間に璃音は加熱が終わったミックスベジタブルをレンジから取り出し、キッチンペーパーで水気を切って、搾り終わったきゅうりのボウルに加えた。
「先生、じゃがいもの皮、剥けました!」
頼輝がそう言って綺麗に剥けたじゃがいもを見せた。
「ありがとう!
それじゃじゃがいもをここに入れて?」
と言って璃音がきゅうりとミックスベジタブルの入ったボウルを差し出したので、じゃがいももそこに加えた。
璃音はマッシャーを取り出すと、
「それじゃ、じゃがいもをこれで荒く潰してくれる?
あまり綺麗に潰さなくてもいいよ?
少し荒いくらいのほうがおじいちゃん好きなの。」
と言った。
「OK!
俺も荒いほうが好き!」
頼輝がじゃがいもを潰している間に璃音は頼輝の母の肉屋で売っている角イノシシハムを袋から1枚取り出してまな板に乗せた。
「じゃがいも、潰し終えたね?
次はハムをこんな感じで短冊切りにしてくれる?
切れたらこれをさっきのボウルに入れてね。」
璃音は冷蔵庫からマヨネーズを取り出しながらそう指示すると、ハンバーグのフライパンの蓋を開け、金串を刺して濁った肉汁が出ないことを確認すると、火を止めた。
「先生、ハムを切ってボウルに入れました!」
「ありがとう!」
璃音はそのボウルに塩コショウ、マヨネーズ、そして隠し味にレモン汁を少し加えると、頼輝に、
「はい、これ混ぜて?」
と手渡した。
そして璃音は焼けたハンバーグをフライパンから取り出してトレーに乗せ、フライパンは洗わずに赤ワイン、ウスターソース、ケチャップを適量出して、もう一度フライパンに火をつけて木べらでかき混ぜ始めた。
「フライパンは洗わなくていいんだ?」
とポテトサラダを混ぜながら訊く頼輝。
「うん!
ハンバーグの肉汁が滲み出てる脂を使うことで、ソースの味に深みが出るの!
これでソースも出来上がりっと・・・。
頼輝、ハンバーグにチーズを乗せる?」
「え、いいの?
じゃあ頼む!」
「はーい♪」
璃音は笑顔でそう返し、ハンバーグをソースに良く絡めると、仕上げにチーズを乗せるのだった。
「はい!
これで今日の夕食の献立は出来上がりだよ!
後はスープをもう一度温めて、作ったお料理をお皿に盛り付ければいいだけ!
頼輝、お皿を出してくれる?」
「はい先生!」
そうして第一回目の最上璃音の料理教室は、美味しい料理の完成とともに、その幕を閉じるのだった。
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