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4-1:籠を開ける 前編

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 ぼんやりと腐っていく頭が痛い。ビリビリと、何か電流のようなものが脳内でせめぎ合っている。拘束の結界にでも縛られたみたいに体が重くて、言うことを聞かないのがえらく不気味に感じられた。

 打ち勝たねば。

 何に対してそう思ったのか分からないけれど、拳に力を込め、魔力で空気を裂くような破裂音を起こした。耳元で風船が割れるような微かな衝撃のおかげで取り憑いていた悪い何かが消え去っていく。大きな音にビクリと肩を震わせて、シエルが訝しげな顔でこちらを見ていた。

「あぁ、ごめんね。なんだか体が重くって。はい、これ。今日のところは夜も遅いし、お風呂入って寝てしまおう。…明日あたりには次の町まで行けるだろうし、そこで服を買おう。それまで待ってもらえる?」
「分かりました」

 やましいことなんて無いハズなのだけれど、何故か口が変に回る。何か変な挙動をして、彼に不信感を植え付けやしないかと不安に思ったが、私のそれを気にもしない様子でシエルは読んでいた本を棚へ戻して、洋服を受け取った。

 私はシエルの先を歩いて風呂場へ案内する。棚にあるタオルや脱衣所の籠と浴室の簡単な使い方なんかを説明した。

 壁に埋まった魔石に触れると水が出るシャワーや並々溜まった浴槽の温水は一般家庭にはなかなか無いものだし、手作り故に公共の風呂屋とも勝手が違うのだ。

「それじゃあ、ごゆっくり~」

 話すべきことも終わったので、そそくさと退散する。リラックスできる空間というのは、一人でいることが最低条件だろう。

 一人リビングに戻って裸電球の下、シエルの読んでいた本を手に取った。粗雑に扱われてきたからか表紙の皮はあちこち破れたり痛んだりしていて、ポロポロと崩れたクズが手や床に落ちていった。

『異人の抱える異常について』

 私が十歳くらいの時に読んでいた本だ。異人の定義から、私たちの抱える重大な問題なんかが細々とまとめられている。パラパラとめくってみると、なかなか懐かしい思い出が蘇るようだった。

 内臓に関係する章では至る所に書き込みが為され、付箋なんかを貼り付けていた跡があった。内臓にかかる魔力圧を放置すれば死んでしまう、という話は幼い私の心を震え上がらせたものだ。幸い、生まれて直ぐ然るべき処置を施してもらうことができたから、こうして私は今まで生きている。

 今となっては名前も分からない、顔も忘れてしまった、あのさすらいの魔術師には感謝してもしきれない。

 気まぐれにページを進めていると、「目」の章まで辿り着いた。幾万回と開かれて跡の付いたページには、魔眼に関する様々な図解説が並んでいる。

 魔眼の強さは四段に分けられている。青色、赤色、銀色、金色と力を増していくそれは、世間ではあまり認知こそされていないもののれっきとした異人の特徴であった。

 魔眼の色による程度の解説はそこで終わっている。私を酷く悩ませる、左眼に取り憑いた紫色の記述は一語だってない。母はこの目について、私に術を施した魔術師に考察を聞かせてもらったと言っていた。

 紫は自然の象徴とされている。最も高位の色だ。森の底に溜め込まれ、いずれ爆発して災厄を引き起こすのも紫色の魔力だ。人間がそれを扱うことは、世界によって許されていない、とも言われている。

 母は、あなたが特別なんだと言っていた。だって、どの本にも紫のことは記されていなかったから。私のこれがどんな効果を持っているのかもよく分からないけれど、それでも問題なく生きていることにだけは変わりないから。

 帯電、発火、透視、魅了…挙げればキリがないほど、この世界の歴史には魔眼が溢れているのに。ただでさえ外れもののクセに、どうしてその中でも普通から外れてしまうのか悔しく思っている。

 下唇を噛み締めて本を閉じる。羊皮紙が思ったより大きな音を立てたので、自分でも少し驚いた。

 このまま色々考えていては気分がどんどん沈んでしまいそうだったから、私は別の本を読んで気を紛らわそうとした。久しぶりに娯楽小説でも読もうかと思って別の棚を眺めていると、綺麗に並んだ文庫本たちの中に一つ、薄い縦長の絵本が挟まっているのに気がついた。

「どうしてこんなところに…?」

 読み古されて表紙もほとんど掠れたそれは、題名のない本だった。楽しそうに手を繋いだ、人間と…なんの絵だろう。角の生えた、魔族?と自分。

 思い出すことができたのは、これは私が自分で書いた絵本だということ、画用紙に描き殴られただけの粗雑な物語を父が一冊の本へ整えてくれたということだけだ。

 いつ頃書いたのだろうか。思い出せないぐらいだから、まだまだ小さかったんだろう。

「あぁ……」

 ページを捲る手が震えた。紙をまとめただけの薄っぺらい本が重い。

 風呂場の扉が開く、カラカラとした音が聞こえて、うずくまって本を抱えていた私の背中を撫でる手があった。泣くこともしないで、ただ暗い脳内に逃避していたから傍に来た気づかなかったのだろう。いつの間にかシエルがいた。

 私が振り向くと、折り曲がっていた背中から手が離れていく。どこか怯えた、青くみえるくらい白かった顔が少し血色良くなったようにも見えて安心した。

「大丈夫ですか」

 ずっと年上の姉みたいに、幼児に対する母親みたいに柔らかい優しい声でそんなことを言うものだから驚いた。全く不健康そうな顔色で、人より整っている顔なのに魔法痕のせいでいたるところへ歪みを抱えているクセにそんなことをいうのか、と。

 少しだけ霧が晴れたように焦点を持った緑色の眼が私を見るので、こちらも上目に見つめ返して言った。

「……何も心配いらないよ」

 そそくさと絵本をしまって、立ち上がる。見たところ、貸した服のサイズはちょうど良いようだった。

「ついておいで、シエルの部屋へ案内するから。あ、読みたい本とかあったら自由に読んでいいからね」

 シエルはもう本を手に取るつもりはないらしかった。私は一足先にリビングを出て、点け忘れていた廊下のランプを灯す。一気に明るくなった廊下を辿って、ついさっき綺麗に整えたばかりの部屋へ向かった。

 冷えた金属の取っ手を捻ると、客室の扉は音もなく、ぽっかりと暗い部屋の口を開けた。扉を開けてすぐ左の壁、そこに部屋の明かりを管理する魔石を埋めてある。手で軽くそれに触れて、パッと明るくなった中へ案内する。

「おやすみなさい。服は明日買いに行こう」

 ベッドの前で立ちすくんだまま何か言いたげな彼を部屋へ置いて、鍵をかけておきたければ中からかけておいて、とだけ付け加えた私は一人リビングへ戻る。壁の魔石電灯が、私の左側だけを照らしていた。踵を引きずっているような私の足音だけが廊下に響いて、人の減ってしまった実家の夜を思い出した。

 私一人ならいらないのだけれど、慣れない客人にドギマギしてついつい廊下の灯りを点けてしまった。すぐに消してしまうのは少し勿体ないと思いながらもチロチロ揺れる魔法の火を一息に消したとき、何かが喉に引っかかる感覚を覚えた。
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