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 抱えてしまった違和の正体を確かめるべく、私はリビングへ飛び込んだ。部屋の明かりは相変わらず煌々と静かにそこにある。

 シエルの目は緑色だった。ならば何故、何故私は彼の目が金色だなんて思ったのか。簡単なことだろう、ついさっき読んだばかりだった。

『異人について』を本棚から引っ張り出して、急ぎページを巡らせた。魔眼についての解説ページにたどり着いて真っ先に確認したのは、見本。

 高度な投影魔法が付与されたこの解説本は、魔眼や呪斑の見本図が確認できる優れ物だ。学者だった作者が様々な異人の症状を確認しながら作ったもので、なかなか完成度が高いらしいと父から聞いた覚えがある。

「やっぱり」

 金の魔眼、最も力か強いとされているその見本は、脳裏に焼き付いて離れないあのシエルの瞳と同じものだった。白を帯びた瞳孔と、揺れる魔力なんかを併せて考えても出る結論はただ一つだ。彼もまた、私と同じ異人だったのだ。

 私はつい小躍りしそうになる。資料に記された最上位の魔眼の持ち主ともなれば、固有の魔力量が多いのも納得できた。そして魔力の輝度も高いときたら、彼こそ鍛えれば鍛えるだけ輝く、紛れもない才能の塊ということで間違いないだろう。上手くいけば、白魔法を扱うことも可能かもしれないのだ。

 では明日から、すぐにでも特訓を始めるべきかと考えると、それは違う。それはいくら何でも急ぎすぎだ。彼は私を怖がっているのだから、そんないきなり「魔法教えてあげるよ!」なんて言われたって困ってしまうだろう。

 人間の関係において最も大切なのは、強引さではなくコミュニケーションであり、信用と信頼なのだから。

 それに明日は服やら生活用品やら、買い足しに行くと決めている。森を少し戻ればアラウィスがあるけれど、あの街はもう、できることなら踏み入りたくない。思考を途切れさせる何かの正体は依然として掴めないままでいるし、またうっかりアンダーグラウンドへ足を滑らせないとも限らない。

 思考停止の原因は大方街中に貼り巡らされた結界によるものなのだろうが、術者も、魔法の起点も効果も考察できないように謎のヴェールがかかっていた。分からないことに首を突っ込むのは控えるべきだ。

 寝る前に、あの街の結界の効果についてだけ考えようと思い立ったところでふと気になった。シエルの魔眼の効果は何なのだろうか。

 あの様子では適合手術もしていないだろうし、もしかすると自分が魔眼持ちだと知らない可能性もあるのだろうか。発火や帯電なら、周囲にも分かりやすく被害が出るから誰かしら教えてくれるだろう。

  折角手元に立派な資料があるんだから、と思ってまたページをめくる。現在発見されている魔眼効果の一覧ページだ。通称と効果のみがざっとまとめられた表は十五ページにも及んでいる。

「自己治癒…は違うよな」

 首の傷は、治る気配すらなかった。魔眼は発動時に輝く。さっき金色に輝いていたのがそうだ。ならば錬金術も違う。

 毒だとか催眠だとか、そちらの方面の能力な気がしてならない。火で炙られれば肉が焼け、茸の毒に当たって一日寝込む私だが、魔法や魔眼による悪影響は打ち消すことができる。それは頬を叩いて気合を入れることだったり、結界魔法で防御したりといった方法で、だ。

 さっきは、何となくか頭がぼんやりするような感じがあった。どこか眠くて、世界がふわふわと輝いて見えるように記憶している。

「分からないなぁ」

 首を傾げて本を戻す。引きこもって本ばかり読んでいたのでは、やはり実戦経験が足りないのだ。人との関わり方も分からない。もっと早く村を出るべきだったのかもしれないなと小さく後悔した。

 私一人で考え込んでも何か浮かぶ訳でもないので、今日はもう寝てしまおうと流しへ向かう。薬を飲んで、一杯の水で喉を潤して眠ったら、シエルには明日から色々聞いたり話したりしていけばいい。

 そう思って、私は台所の蛇口を捻る。流れ出た水をカップに注いで、食卓の端へ置かれた小さな籠から粉薬を取り上げた。

 薄い膜に包まれた赤茶の粉は、私が物心ついたときから常飲しているものだ。元になっているのは家の庭で簡単に育てられる植物の葉だけれど、収穫のタイミングや手順を少しでも間違えると効果を現さない、面倒な薬。家にいた頃は自分で調合していた。レシピは、やっぱり恩人の魔術師がくれたらしい。

 舌の上で苦々しく咽び泣くそれをさっさと飲み下して、後味を洗い流す為に二杯目の水を注ごうとした。と、棘が喉を突くような感覚を覚えて身構えた。息がつかえる。肺が震えて痛み、手足が痙攣する。心臓を直接、力強く掴まれたような痛みが体中を駆け巡った。

 胸を押えて、大丈夫だと言い聞かせた。今まで長らく付き合ってきた、よくあることだ。

 胸を抑え、湧き上がってくる嘔吐感から辛うじて逃げ惑いながら、崩れそうになる体を支えて洗い場へ屈んだ。ここは食材を扱う場所だから本当は良くないけれど、脱衣場の水道まではとても間に合わないから仕方がない。

「ごふっ…」

 胃からせり上がる気色の悪さで汚れないように、顔の横へ垂れてきた横髪を耳にかけた時だった。喉を鉄味が通過した、ぬめりけのある液体が鼻を通って流し台に落ちる。口からボタボタと落ちていく、固形とも液体とも言えない赤黒い何か。鼻からスルスルと流れていく、粘ついた何か。それらが流し台に落ちる度に体から、活力のようなものが流出するようだった。

 どれだけ薬を塗っても治らない、かさついた唇が切れて、そこから何かが染みていく。どこぞの噴水みたいに液体を吐きながら私はそっと目を瞑って、年頃の乙女には耐え難い惨状を目にするまいと不愉快にグラグラと揺れる視界を遮った。

 どれぐらいそうしていたのか分からないが、気が付くと私は流し台へ顔を突っ込んでいた。ただぼんやりとして時間が経っていったのか、それとも気を失っていたのかは知らない。顔中から流れていた液体は既に止まっていた。

 銀色に反射する蛇口には、口と鼻を真っ赤に染めた私が歪んで映っている。顔にへばりついた赤黒い液体の痕跡を指で撫でながら、バシャバシャと水で流す。頬にこびりついてなかなか取れない赤黒い跡は指で乱暴に擦って落とした。

 手近にあったタオルで顔を拭くとそれはすぐに茶色く変色してしまい、その汚さに顔をしかめる。これだけ見た目は汚いのに、無臭なのがなんだか厭らしいそのタオルは早々に洗濯物の中へ放り込んで、私は改めて台所の惨状を確認した。

「あぁ…もう最悪」

 流し台から少し離れたところには小さな血溜まりが出来ていて、そこから点々と続いている。そして当の流し台といえば酷い有様で、薬を飲むのに使ったガラスのコップが赤黒いのを一身に受けて血塗れになっていた。鈍色の台は中央にどデカい血の塊が吐き出されていて、蛇口は所々に細かな液が散っている。こんな有様では、思わず弱音が漏れるのも仕方がないだろう。

 折角早く寝ようと思ったのに、片付けをしなければならなくなった。薬を飲んですぐに吐いたのもなかなかマズイけれど、それは明日も飲むことだし何とかなるだろうと妥協する。

 よくあることなのだ。一月に一度、絶対やってくる最悪なイベント。旅に同行してくれるなら、シエルにもこれについて説明しなければならないだろう。私は大きくため息を吐いて、雑巾を手に取った。

 この液体は私の血液であり、魔力だ。それも、とんでもなく圧縮された、気をつけて処理しないと魔力爆発を起こす、爆弾のような。全く面倒な私の一部だったものなのだ。

 この片付けには魔法が使えないから、全部手作業でやらなければいけない。想像しただけで面倒だが、ついうっかり吐瀉物と魔力の間で衝突が起きてこの家を吹き飛ばすような事態が起きてはたまらない。あんなことは二度とごめんだ。

 リビングの壁掛け時計が二十三時を報せて鳴った。私はもう一度目の前の流し台と時計を見比べて、ためいきと欠伸を漏らした。
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