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第五章 再会
拾われ子の攻勢 後編
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「今の雷は……!」
ハンターズギルドを出た直後に、ソウジロウはザーズリーの屋敷の方向に巨大な雷が落ちたのを見た。すぐにギルドの中に戻り、支部長であるメクダードを呼ぶ。
「メクダード殿、状況が変わった。儂はすぐに向かわせてもらう」
ソウジロウよりも低い身長のメクダードは、白髪と長い髭を揺らした。ゆっくりとした話し方だが、響く声は重く、厳しさがある。
「待て、此方の準備も整った所だ。第一隊はソウジロウ殿を先頭に、今からザーズリーの屋敷へ向かえ。屋敷内の者は全て捕らえろ」
「「「おうっ!」」」
「第二隊は孤児院の方に。子ども達には絶対に怪我をさせず、大人は全員捕らえろ」
「「「了解っ!」」」
「その身を呈して証拠を集め、悪人を追い詰めているハンタースイの活躍を無駄にするなよ。行け」
「「「了解っ!!」」」
ギルドを出たソウジロウは、ハンターを率いてザーズリーの屋敷へと走る。
その頃、屋敷ではエトマを人質に取ったマヌドがガチガチと奥歯を鳴らしていた。
「………………!!」
何かが、いる。自分のすぐ後ろに。
後ろに注がれる恐怖の視線が、スイの酷く冷たい眼が、そして背後の存在が放ってくる殺気が、スイの言葉が脅しなんかでは無いとマヌドに伝える。
「(い、いっそ、気絶させてくれ……!)」
気絶すればこれ以上恐怖に晒される事はない。
縦んば、本当に殺されたとしても気を失っていれば苦痛も恐怖も無いからと、マヌドは気が狂いそうなこの状況から逃げたい一心で願ったが意識は途切れなかった。
『……放さないなら』
「わ、解った! 放す! だから命、命だけは……!」
『じゃあ、エトマから手を離して、何処かに行ってください。近くにいると巻き込みます』
「…………!!」
壊れた人形のようにかくかくと何度も縦に首を振ると、マヌドはエトマから両手を放し、害を加えない事を示す。
そのまま後ろに下がろうとして、もふっとした物に触れて反射的に振り返ったが、全貌を視界に収める前にレオウルフパンチが飛んできて吹っ飛ばされた。
床を転がったマヌドは、情けない悲鳴をあげて去っていく。恐怖に支配された今のマヌドに、ザーズリーの怒声は聞こえていないのだろう。
口を閉じたコハクは部屋の出入口に立つエトマの横に並ぶと、バールス、次いでザーズリーに眼を向けた。
《ゴルルルゥ……》
出入口を塞ぎ、獲物を見定めて唸る。
逃亡の意思をへし折り、粉砕するにはどうするのが効果的なのかをコハクはよく解っていた。
『ありがとう、コハク。そのまま其処でエトマをお願い』
「えっ……!?」
《解った》
もしや自分が食べられるのかと、戦慄したエトマの顔が引き攣る。
『大丈夫。怖くないよ。コハクが守ってくれるから』
《グルゥ》
先程の唸り声とは打って変わり、穏やかに鳴いてつぶらな眼を向けて擦り寄ってきたコハクに、エトマは恐る恐る触れる。
嫌がらず、噛んだり吠えたりもせずに受け入れたコハクに少々茫然とするも、このモンスターは怖くないものだと認識したようだった。
「……うん」
幾分か落ち着き、エトマはコハクに身体を寄せる。それを見たスイがバールスへと向き直ると、ザーズリーが喚き立てた。
「早くせんか、バールス! お前を幾らで雇っていると思っている!」
「……はっ、ただいま」
肩からの出血は夥しく、バールスの呼吸は荒い。しかし眼の光はまだしっかりとしており、鬱陶しそうな表情で返事をすると、スイを見据えてナイフを右手に構えた。左手は震えており、あまり上がっていない。
「ふっ!」
重傷の身とは思えぬ速さで踏み込んで来たバールスの右手をスイは受け流し、顔目掛けて左手で掌底を突き出す。
バールスはその手を弾いて左手で腕を掴むと、スイの懐に自分の身体を潜り込ませ、全身を使ってスイを背負い投げた。
床に叩き付けられる直前、スイは受身を取って衝撃を緩和させる。掴まれている腕に力を入れると、予想よりも容易くバールスの左手が振り切れた。
『(やっぱり左手はあまり力が入らなそうだ)』
「しっ!」
長い脚と瞬発力で距離を詰めたバールスは、左手でもナイフを抜くと体勢を低くし、上半身を捻って左腕を鞭のように振った。
太腿を切りつけようとしたナイフは、スイが素早く一歩分飛び退いた事で避けられる。着地と同時に、退がった分前に出たスイはその一歩で踏み切り、跳び上がった。
「ぁがっ!?」
顔面に両足での飛び蹴りをくらい、バールスは後方へ吹っ飛ぶ。その際、左手からナイフは落としたが受身を取って一回転し、体勢を整えた。
鼻血を拭って前を向けば、走ってくるスイと視線がぶつかる。
「(このガキ、拳術での戦いに慣れてやがる……!)」
只者ではない事は精霊術の使い手である事から解っていたが、武器を使わない接近戦にも戸惑いが無い。
突っ込んで来たスイを裏拳で迎え打とうとしたが、スイはそれを受け止めた。
バールスの顔面を、乾いた音を立てて正面からスイの平手が打つ。勢いを消さずにそのまま顔を掴むと、力任せに押し込んで後頭部を床へと叩き付けた。
呼吸法に加え、龍神化により飛躍的に向上している腕力で床が凹み、バールスの後頭部から血が広がっていく。
《(……いつもの戦い方じゃないな)》
氾濫した川のように、勢いや力任せに相手を捩じ伏せるのはスイの戦いの型とは異なる。
龍神化で並の人間よりもかけ離れた筋力となっている今だから通用しているが、相手によっては不利になりかねない。
スイが手を離して立ち上がると、バールスは痛みに顔を歪めながらもニヤリと笑ってあっさりと言い放った。
「参った」
「な……!? おい、バールス!! 貴様……!!」
怒りか、焦りか。言葉が出て来ず、拳と声を震わせるザーズリーの剣幕など気にせずに、バールスはスイを見上げて話を続ける。
「俺の負けだ。降参するから、俺の命も勘弁してくれないか?」
スイは、バールスの眼をじっと見る。
『……ひとつ、訊きたい事があります』
「何だ? 殺さないでくれるなら、ひとつと言わず何でも答える」
『元々そんなに忠誠心も無いのに、何でザーズリーに従っていたんですか?』
「なっ……!?」
「ははっ、見抜かれてたって訳か」
絶句するザーズリーに、バールスは笑う。面白そうであり、自嘲混じりの笑みでもあった。
「単純明快。金が良いからさ。それに、たまにおこぼれだが良い女もくえた。勿論、成人済みのな」
『…………』
すぅっと眼を細めたスイに、バールスは悪びれもなく嗤う。
「やっぱガキだな。そういう所も、戦い方が真っ直ぐな所も。精霊術や魔法が使えるなら、俺に合わせずにそれらで焼くなり凍らせるなりすれば良かったものを」
『今、自分がどれだけ拳術で戦えるか知りたかったので』
「……そうかい。俺は実験台かよ。顔に反して可愛くねぇガキだ」
『約束通り、私はあなたを殺しません。逃がしもしませんけど』
「……やっぱそれは駄目か。まぁ良い。この怪我で暫く動けないし、あの獣を押し退けられる気もしないしな。俺は此処で大人しくしとく」
『そうしてください』
バールスを行動不能にしたスイは、ザーズリーに眼を向ける。コハク以外には見えていない角が、雷を弾く音を鳴らした。
「ひっ……! く、来るな、来るなぁっ!!」
「た、助けて……! ごめんなさい、ごめんなさい! 殺さないで……!」
ちらりと女に眼を向けたスイは、見覚えのある顔に記憶を探る。すぐに、メイドとして見た事があるのだと気付いた。
奴隷部屋に来た事は無いが、昼間に屋敷の中を歩いていたメイドの一人だ。近くで見ると、まだ幼さが残る顔をしているのが気になった。
『メイドじゃなくて娼婦だったんですか?』
「え? りょ、両方……。私も、奴隷だから……昼はメイドとして働いて、夜は……性奴隷として……」
『……歳、幾つです?』
「……十四」
未成年を奴隷にするのは違法だ。
そして、成人していても利用目的が性的奉仕である奴隷、所謂性奴隷として扱う事も、法律上は許されていない。
少なくともザーズリーは、二つ以上の重罪を犯している事が判明した。
『解りました。元々貴女を殺そうとは思っていません。ただ、危ないので其処をどいて、クローディアを連れてコハクとエトマの所に行ってください』
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
「あ、おい! 貴様!」
少女を捕まえようと手を伸ばしたザーズリーの眼前を、氷の楔が横切った。
「…………!?」
丸い鼻の頭に裂傷が走り、血が流れる。口は動くも、言葉を成せないザーズリーから視線を外し、スイはコハクに顔を向けた。
『コハク、その二人もお願い』
《ん。スイ、これ持ってきてるぞ》
コハクが咥えて放った物を、スイは受け取る。
それはスイのアイテムポーチだった。
屋敷の構造はスイと共にコハクも把握済みだ。スイがこの部屋に降り立った後、コハクはアイテムポーチを取りに行っていた。
その際見張りと会敵したが、逃げる者は威圧で気絶させ、向かってくる者はレオウルフパンチで壁へとめり込ませて無力化している。
《あと、すぐに使えるかと思ってコレも持ってきた》
『?』
床に置いていた物を咥えて、コハクはまた宙に放った。
受け取ったそれを、スイはまじまじと見る。
『何でフライパン?』
《……ナイフが見付からなくて、代わりに使えそうな武器を探したけどそれしか無かった》
『……。あ、でも丁度良いや。ありがとう、コハク』
《うん!》
役に立たないかと思ったが、そうでもなかったようでコハクは上機嫌に尻尾を揺らす。
「や、やめろ! 私に手を出せば本当に貴族が黙っておらんぞ! 貴様なぞ、すぐに指名手配に――っ」
『黙れ』
ザーズリーは息を呑んだ。
雷が弾ける音。風が唸る音。冷たい眼差し。
子どもの姿で、人間とは思えぬ雰囲気を纏って、スイはアイテムポーチから出した物を翳す。
『ハンターだ。未成年の奴隷売買、及び奴隷の性的利用の重罪人と認め、お前を捕える』
部屋の中で、ハンターの証に埋め込まれている水晶が僅かな光を反射した。
水晶が表すのは、Bランクハンターだ。上位ともなると公的な信頼度は高く、発言に影響力を持つ。貴族でも簡単には押さえつけられない。
「……! き、貴様が……!? 子どもハンターも、リーディンシャウフの大英雄も、娯楽めいた噂ではなかったのか……!?」
「馬鹿だな。娯楽でそんな噂が広まるかよ。スイレン、必要ならこれも使え」
いつの間にか身体を起こして壁に寄りかかっていたバールスから、弧を描いて放り投げられたナイフをスイは右手で受け取った。
「…………!?」
右手にハンターの証とナイフ、左手にフライパンを持って近付いてくるスイに、ザーズリーは恐慌状態に陥った。
枕や小物などを手当たり次第に投げつけるが、スイの雷が全てを焼き焦がし、炭と化す。
『…………』
ベッドに上がったスイは、苛烈さと冷酷さを併せ持った龍の眼でザーズリーを見下ろすと、脂汗を流す顔のすぐ横にナイフを突き立てた。
「ぎゃぁぁぁぁっ!?」
『人を弄んだお前を、私は絶対に赦さない。残りの人生の全てを、お前自身が奴隷として生きる事で罪を贖え』
スイはフライパンの持ち手に右手を添えると限界まで引き、ザーズリーの顔目掛けて思いっきり振り抜いた。
「べぶぁっ!!」
汚い悲鳴と、少し気の抜けるような金属音が部屋の中に広がった。
殴られてベッドから落ちたザーズリーを一瞥すらせずにフライパンを放り、スイはコハク達の方に向かう。もう一度、フライパンが何かに当たった音とザーズリーの短い声が聞こえた。
「お優しい。殺さねえのか」
『殺すなって言われてるので。あと』
「?」
『多くの人を苦しめ続けた人を、簡単に楽にしてあげる気はないです』
スイはバールスと眼を合わせると、雷を弾けさせた。
「(おっかねぇ事で……)」
《スイ、気付いていると思うけど》
『うん。来てくれたみたいだね。丁度良かった』
《オレは遅いと思う》
玄関が開き、武装したハンター達が突入してきた事で屋敷内は一気に騒然となった。すぐに降参する見張りが多く、忠誠心が無いのはバールスに限った事ではなかったのがわかる。
二階に上がってくる数人、その先頭の人物に気付くと、スイが纏っていた雷と風が消えていく。
額の角が消え、左眼が燐灰石色へと戻ると、漸くスイの雰囲気が和らいだ。
『すみません。ソウジロウさんが来る前に暴れてしまいました』
「問題ございません。私めこそ、馳せ参じるのが遅れてしまい申し訳ございませんでした。もう既に賊人は捕らえたようですな」
『はい、其処に。思いっきり殴ったので気絶してますけど、殺してはないです。もう一人は命を保証するなら何でも話すそうなので。この三人は、被害に遭った未成年の奴隷です』
「ハンタースイ。この度のご活躍、お見事でした。この後の事は我々にお任せください」
ソウジロウの後ろから、一人の女性が出てきた。翳した証に埋められているのは金鉱石。Cランクハンターだ。
『お願いします』
「了解しました。全員突入!」
ハンター達が部屋の中に入り、ザーズリーとバールスを連行していく。奴隷の三人は困惑と不安の眼をスイに向けた。
『大丈夫。話は聞かれると思うけど、悪い事にはならないよ』
「……スイレン……」
性奴隷の少女とクローディアは安心したような顔を見せたが、エトマだけは泣きそうな顔をしている。その理由に思いつき、スイは女性ハンターに声をかけた。
『すみません。エトマは男性が苦手なので、女性に付き添ってもらえると助かります』
「解りました。それでは自分が行きます」
女性ハンターが同行するとエトマも漸く表情を和らげ、クローディア達と共に一階へ降りて行った。
『…………』
スイは深く、長く息を吐く。あ、と声を漏らすとザーズリーの仕事部屋に向かった。
『ソウジロウさん、引出しに違法売買の証拠があるんです。持っていくの、手伝ってもらっても良いですか?』
「勿論でございます」
仕事部屋に入ると、スイは引出しの中にある契約書を全部アイテムポーチに入れる。ソウジロウは金庫を見つけ出し、そこに入っていた帳簿や書類だけでなく、棚にある物も素早く検めると証拠になりそうな物は全てポーチにしまっていった。
その行動の速さに、ソウジロウがいてくれて良かったと旅の中で何度思ったかわからない感謝の言葉をスイは心の中で述べる。
それに気付いた訳ではないだろうが、ソウジロウがスイへと振り向いた。
「スイ様、そろそろ宿に戻りましょう。一度しっかりお休みください。報告は明日にさせていただくよう、メクダード殿に伝えておきます」
『……そうですね。そうします』
スイはソウジロウの後ろに着いて屋敷を出て宿に向かう。
右手に持っていたハンターの証の事を思い出し、首につけようとして、やめた。
《スイ?》
『…………』
鎖を握られて揺れるハンターの証のように、スイの心も大きく揺れていた。
ハンターズギルドを出た直後に、ソウジロウはザーズリーの屋敷の方向に巨大な雷が落ちたのを見た。すぐにギルドの中に戻り、支部長であるメクダードを呼ぶ。
「メクダード殿、状況が変わった。儂はすぐに向かわせてもらう」
ソウジロウよりも低い身長のメクダードは、白髪と長い髭を揺らした。ゆっくりとした話し方だが、響く声は重く、厳しさがある。
「待て、此方の準備も整った所だ。第一隊はソウジロウ殿を先頭に、今からザーズリーの屋敷へ向かえ。屋敷内の者は全て捕らえろ」
「「「おうっ!」」」
「第二隊は孤児院の方に。子ども達には絶対に怪我をさせず、大人は全員捕らえろ」
「「「了解っ!」」」
「その身を呈して証拠を集め、悪人を追い詰めているハンタースイの活躍を無駄にするなよ。行け」
「「「了解っ!!」」」
ギルドを出たソウジロウは、ハンターを率いてザーズリーの屋敷へと走る。
その頃、屋敷ではエトマを人質に取ったマヌドがガチガチと奥歯を鳴らしていた。
「………………!!」
何かが、いる。自分のすぐ後ろに。
後ろに注がれる恐怖の視線が、スイの酷く冷たい眼が、そして背後の存在が放ってくる殺気が、スイの言葉が脅しなんかでは無いとマヌドに伝える。
「(い、いっそ、気絶させてくれ……!)」
気絶すればこれ以上恐怖に晒される事はない。
縦んば、本当に殺されたとしても気を失っていれば苦痛も恐怖も無いからと、マヌドは気が狂いそうなこの状況から逃げたい一心で願ったが意識は途切れなかった。
『……放さないなら』
「わ、解った! 放す! だから命、命だけは……!」
『じゃあ、エトマから手を離して、何処かに行ってください。近くにいると巻き込みます』
「…………!!」
壊れた人形のようにかくかくと何度も縦に首を振ると、マヌドはエトマから両手を放し、害を加えない事を示す。
そのまま後ろに下がろうとして、もふっとした物に触れて反射的に振り返ったが、全貌を視界に収める前にレオウルフパンチが飛んできて吹っ飛ばされた。
床を転がったマヌドは、情けない悲鳴をあげて去っていく。恐怖に支配された今のマヌドに、ザーズリーの怒声は聞こえていないのだろう。
口を閉じたコハクは部屋の出入口に立つエトマの横に並ぶと、バールス、次いでザーズリーに眼を向けた。
《ゴルルルゥ……》
出入口を塞ぎ、獲物を見定めて唸る。
逃亡の意思をへし折り、粉砕するにはどうするのが効果的なのかをコハクはよく解っていた。
『ありがとう、コハク。そのまま其処でエトマをお願い』
「えっ……!?」
《解った》
もしや自分が食べられるのかと、戦慄したエトマの顔が引き攣る。
『大丈夫。怖くないよ。コハクが守ってくれるから』
《グルゥ》
先程の唸り声とは打って変わり、穏やかに鳴いてつぶらな眼を向けて擦り寄ってきたコハクに、エトマは恐る恐る触れる。
嫌がらず、噛んだり吠えたりもせずに受け入れたコハクに少々茫然とするも、このモンスターは怖くないものだと認識したようだった。
「……うん」
幾分か落ち着き、エトマはコハクに身体を寄せる。それを見たスイがバールスへと向き直ると、ザーズリーが喚き立てた。
「早くせんか、バールス! お前を幾らで雇っていると思っている!」
「……はっ、ただいま」
肩からの出血は夥しく、バールスの呼吸は荒い。しかし眼の光はまだしっかりとしており、鬱陶しそうな表情で返事をすると、スイを見据えてナイフを右手に構えた。左手は震えており、あまり上がっていない。
「ふっ!」
重傷の身とは思えぬ速さで踏み込んで来たバールスの右手をスイは受け流し、顔目掛けて左手で掌底を突き出す。
バールスはその手を弾いて左手で腕を掴むと、スイの懐に自分の身体を潜り込ませ、全身を使ってスイを背負い投げた。
床に叩き付けられる直前、スイは受身を取って衝撃を緩和させる。掴まれている腕に力を入れると、予想よりも容易くバールスの左手が振り切れた。
『(やっぱり左手はあまり力が入らなそうだ)』
「しっ!」
長い脚と瞬発力で距離を詰めたバールスは、左手でもナイフを抜くと体勢を低くし、上半身を捻って左腕を鞭のように振った。
太腿を切りつけようとしたナイフは、スイが素早く一歩分飛び退いた事で避けられる。着地と同時に、退がった分前に出たスイはその一歩で踏み切り、跳び上がった。
「ぁがっ!?」
顔面に両足での飛び蹴りをくらい、バールスは後方へ吹っ飛ぶ。その際、左手からナイフは落としたが受身を取って一回転し、体勢を整えた。
鼻血を拭って前を向けば、走ってくるスイと視線がぶつかる。
「(このガキ、拳術での戦いに慣れてやがる……!)」
只者ではない事は精霊術の使い手である事から解っていたが、武器を使わない接近戦にも戸惑いが無い。
突っ込んで来たスイを裏拳で迎え打とうとしたが、スイはそれを受け止めた。
バールスの顔面を、乾いた音を立てて正面からスイの平手が打つ。勢いを消さずにそのまま顔を掴むと、力任せに押し込んで後頭部を床へと叩き付けた。
呼吸法に加え、龍神化により飛躍的に向上している腕力で床が凹み、バールスの後頭部から血が広がっていく。
《(……いつもの戦い方じゃないな)》
氾濫した川のように、勢いや力任せに相手を捩じ伏せるのはスイの戦いの型とは異なる。
龍神化で並の人間よりもかけ離れた筋力となっている今だから通用しているが、相手によっては不利になりかねない。
スイが手を離して立ち上がると、バールスは痛みに顔を歪めながらもニヤリと笑ってあっさりと言い放った。
「参った」
「な……!? おい、バールス!! 貴様……!!」
怒りか、焦りか。言葉が出て来ず、拳と声を震わせるザーズリーの剣幕など気にせずに、バールスはスイを見上げて話を続ける。
「俺の負けだ。降参するから、俺の命も勘弁してくれないか?」
スイは、バールスの眼をじっと見る。
『……ひとつ、訊きたい事があります』
「何だ? 殺さないでくれるなら、ひとつと言わず何でも答える」
『元々そんなに忠誠心も無いのに、何でザーズリーに従っていたんですか?』
「なっ……!?」
「ははっ、見抜かれてたって訳か」
絶句するザーズリーに、バールスは笑う。面白そうであり、自嘲混じりの笑みでもあった。
「単純明快。金が良いからさ。それに、たまにおこぼれだが良い女もくえた。勿論、成人済みのな」
『…………』
すぅっと眼を細めたスイに、バールスは悪びれもなく嗤う。
「やっぱガキだな。そういう所も、戦い方が真っ直ぐな所も。精霊術や魔法が使えるなら、俺に合わせずにそれらで焼くなり凍らせるなりすれば良かったものを」
『今、自分がどれだけ拳術で戦えるか知りたかったので』
「……そうかい。俺は実験台かよ。顔に反して可愛くねぇガキだ」
『約束通り、私はあなたを殺しません。逃がしもしませんけど』
「……やっぱそれは駄目か。まぁ良い。この怪我で暫く動けないし、あの獣を押し退けられる気もしないしな。俺は此処で大人しくしとく」
『そうしてください』
バールスを行動不能にしたスイは、ザーズリーに眼を向ける。コハク以外には見えていない角が、雷を弾く音を鳴らした。
「ひっ……! く、来るな、来るなぁっ!!」
「た、助けて……! ごめんなさい、ごめんなさい! 殺さないで……!」
ちらりと女に眼を向けたスイは、見覚えのある顔に記憶を探る。すぐに、メイドとして見た事があるのだと気付いた。
奴隷部屋に来た事は無いが、昼間に屋敷の中を歩いていたメイドの一人だ。近くで見ると、まだ幼さが残る顔をしているのが気になった。
『メイドじゃなくて娼婦だったんですか?』
「え? りょ、両方……。私も、奴隷だから……昼はメイドとして働いて、夜は……性奴隷として……」
『……歳、幾つです?』
「……十四」
未成年を奴隷にするのは違法だ。
そして、成人していても利用目的が性的奉仕である奴隷、所謂性奴隷として扱う事も、法律上は許されていない。
少なくともザーズリーは、二つ以上の重罪を犯している事が判明した。
『解りました。元々貴女を殺そうとは思っていません。ただ、危ないので其処をどいて、クローディアを連れてコハクとエトマの所に行ってください』
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
「あ、おい! 貴様!」
少女を捕まえようと手を伸ばしたザーズリーの眼前を、氷の楔が横切った。
「…………!?」
丸い鼻の頭に裂傷が走り、血が流れる。口は動くも、言葉を成せないザーズリーから視線を外し、スイはコハクに顔を向けた。
『コハク、その二人もお願い』
《ん。スイ、これ持ってきてるぞ》
コハクが咥えて放った物を、スイは受け取る。
それはスイのアイテムポーチだった。
屋敷の構造はスイと共にコハクも把握済みだ。スイがこの部屋に降り立った後、コハクはアイテムポーチを取りに行っていた。
その際見張りと会敵したが、逃げる者は威圧で気絶させ、向かってくる者はレオウルフパンチで壁へとめり込ませて無力化している。
《あと、すぐに使えるかと思ってコレも持ってきた》
『?』
床に置いていた物を咥えて、コハクはまた宙に放った。
受け取ったそれを、スイはまじまじと見る。
『何でフライパン?』
《……ナイフが見付からなくて、代わりに使えそうな武器を探したけどそれしか無かった》
『……。あ、でも丁度良いや。ありがとう、コハク』
《うん!》
役に立たないかと思ったが、そうでもなかったようでコハクは上機嫌に尻尾を揺らす。
「や、やめろ! 私に手を出せば本当に貴族が黙っておらんぞ! 貴様なぞ、すぐに指名手配に――っ」
『黙れ』
ザーズリーは息を呑んだ。
雷が弾ける音。風が唸る音。冷たい眼差し。
子どもの姿で、人間とは思えぬ雰囲気を纏って、スイはアイテムポーチから出した物を翳す。
『ハンターだ。未成年の奴隷売買、及び奴隷の性的利用の重罪人と認め、お前を捕える』
部屋の中で、ハンターの証に埋め込まれている水晶が僅かな光を反射した。
水晶が表すのは、Bランクハンターだ。上位ともなると公的な信頼度は高く、発言に影響力を持つ。貴族でも簡単には押さえつけられない。
「……! き、貴様が……!? 子どもハンターも、リーディンシャウフの大英雄も、娯楽めいた噂ではなかったのか……!?」
「馬鹿だな。娯楽でそんな噂が広まるかよ。スイレン、必要ならこれも使え」
いつの間にか身体を起こして壁に寄りかかっていたバールスから、弧を描いて放り投げられたナイフをスイは右手で受け取った。
「…………!?」
右手にハンターの証とナイフ、左手にフライパンを持って近付いてくるスイに、ザーズリーは恐慌状態に陥った。
枕や小物などを手当たり次第に投げつけるが、スイの雷が全てを焼き焦がし、炭と化す。
『…………』
ベッドに上がったスイは、苛烈さと冷酷さを併せ持った龍の眼でザーズリーを見下ろすと、脂汗を流す顔のすぐ横にナイフを突き立てた。
「ぎゃぁぁぁぁっ!?」
『人を弄んだお前を、私は絶対に赦さない。残りの人生の全てを、お前自身が奴隷として生きる事で罪を贖え』
スイはフライパンの持ち手に右手を添えると限界まで引き、ザーズリーの顔目掛けて思いっきり振り抜いた。
「べぶぁっ!!」
汚い悲鳴と、少し気の抜けるような金属音が部屋の中に広がった。
殴られてベッドから落ちたザーズリーを一瞥すらせずにフライパンを放り、スイはコハク達の方に向かう。もう一度、フライパンが何かに当たった音とザーズリーの短い声が聞こえた。
「お優しい。殺さねえのか」
『殺すなって言われてるので。あと』
「?」
『多くの人を苦しめ続けた人を、簡単に楽にしてあげる気はないです』
スイはバールスと眼を合わせると、雷を弾けさせた。
「(おっかねぇ事で……)」
《スイ、気付いていると思うけど》
『うん。来てくれたみたいだね。丁度良かった』
《オレは遅いと思う》
玄関が開き、武装したハンター達が突入してきた事で屋敷内は一気に騒然となった。すぐに降参する見張りが多く、忠誠心が無いのはバールスに限った事ではなかったのがわかる。
二階に上がってくる数人、その先頭の人物に気付くと、スイが纏っていた雷と風が消えていく。
額の角が消え、左眼が燐灰石色へと戻ると、漸くスイの雰囲気が和らいだ。
『すみません。ソウジロウさんが来る前に暴れてしまいました』
「問題ございません。私めこそ、馳せ参じるのが遅れてしまい申し訳ございませんでした。もう既に賊人は捕らえたようですな」
『はい、其処に。思いっきり殴ったので気絶してますけど、殺してはないです。もう一人は命を保証するなら何でも話すそうなので。この三人は、被害に遭った未成年の奴隷です』
「ハンタースイ。この度のご活躍、お見事でした。この後の事は我々にお任せください」
ソウジロウの後ろから、一人の女性が出てきた。翳した証に埋められているのは金鉱石。Cランクハンターだ。
『お願いします』
「了解しました。全員突入!」
ハンター達が部屋の中に入り、ザーズリーとバールスを連行していく。奴隷の三人は困惑と不安の眼をスイに向けた。
『大丈夫。話は聞かれると思うけど、悪い事にはならないよ』
「……スイレン……」
性奴隷の少女とクローディアは安心したような顔を見せたが、エトマだけは泣きそうな顔をしている。その理由に思いつき、スイは女性ハンターに声をかけた。
『すみません。エトマは男性が苦手なので、女性に付き添ってもらえると助かります』
「解りました。それでは自分が行きます」
女性ハンターが同行するとエトマも漸く表情を和らげ、クローディア達と共に一階へ降りて行った。
『…………』
スイは深く、長く息を吐く。あ、と声を漏らすとザーズリーの仕事部屋に向かった。
『ソウジロウさん、引出しに違法売買の証拠があるんです。持っていくの、手伝ってもらっても良いですか?』
「勿論でございます」
仕事部屋に入ると、スイは引出しの中にある契約書を全部アイテムポーチに入れる。ソウジロウは金庫を見つけ出し、そこに入っていた帳簿や書類だけでなく、棚にある物も素早く検めると証拠になりそうな物は全てポーチにしまっていった。
その行動の速さに、ソウジロウがいてくれて良かったと旅の中で何度思ったかわからない感謝の言葉をスイは心の中で述べる。
それに気付いた訳ではないだろうが、ソウジロウがスイへと振り向いた。
「スイ様、そろそろ宿に戻りましょう。一度しっかりお休みください。報告は明日にさせていただくよう、メクダード殿に伝えておきます」
『……そうですね。そうします』
スイはソウジロウの後ろに着いて屋敷を出て宿に向かう。
右手に持っていたハンターの証の事を思い出し、首につけようとして、やめた。
《スイ?》
『…………』
鎖を握られて揺れるハンターの証のように、スイの心も大きく揺れていた。
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