プールサイド

なお

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「道端で、ごめんね……止まんなかった」

いちいち謝ってくれるのが野原君だ。

「ううん……嬉しかったから」

「マジ?」

きらっと目とメガネが光ったのがかわいくて笑った。

「あはは……」

「波多野ってさ、いっつも笑ってごまかすでしょ」

「今のはごまかしてないよ~。野原君かわいいから……」

「かわいいって、褒められてないな……初めて言われたし」


私の中では相当かわいいけどな?

今もすねてるのがかわいい。

駅まで歩くのに、自然に手を繋いでた。
立ち止まって、きゅってひっついて、まだ夏服の制服で。
腕が触れ合って、体温を感じる。

細くても、私よりは逞しい腕は、やっぱり男の子だと思う


日没後、暗くなって街灯もついている。
駅前ロータリーも、電飾がちらついていた。


また、明日

約束をして、改札に入った。


ぎこちなく接近して触れた唇
うつむきながらメガネをあげる仕草

きれいな指が震えて、私に触れていた。


しっとりした唇が、何度も唇を焦ったく往復して……


帰ってから、私はあらぬ妄想に耽ってしまった。
野原君とのキスの続きを、たくさん想像して濡らして、無我夢中で弄って……

初めてのオナニーだった。

それから、何度か一緒に帰った。
キスもしないし、手も繋がない。
お互い、そんな雰囲気にならないようにしていた感もあった。

そしてテストが迫ったある日、野原君が少し勉強を教えてくれることになった。

場所は、ドーナツチェーン店。
3階がゆっくりできて静かで穴場らしい。

チェーン店だから全国どこにでもあるし、コウキと行った店舗とは違うんだけど、私に合わせてドーナツ食べてくれたコウキを思い出した。


「野原君って甘いもの大丈夫なの?」

「うん。甘いもの好きだよ?」

「そうなんだあ……」

「前の彼氏は嫌いだった?」

「あー…あーはは…どうだろうね?」


私が笑う時はごまかしてる時。なんだっけ……?

ふたりでレジに並びながら、野原君はちょっと寂しい顔をする。

コウキのことを思い出すのはだめだね。



今、勉強してるのかなとか、コウキ、どうしてるかなとか、
野原君の前じゃなくても考えちゃうのやめなきゃ……


「波多野、勉強モードじゃないね。ちょっとフツーに喋ろっか?」

目の前で手を振られてはっとした。
野原君と向かい合って座ってるのに、ドーナツにも手をつけないで、勉強もしようとしないで、私……

野原君は、テーブルに肘をついて、黒縁メガネを指で上げていて、目があった。



「……なお」

えっ、今……名前で?


「は、はい?」

「あー、や、みんな……呼んでるよね。なおって」

「うん、呼んでる……」

ドキドキ……ドキドキ……

キスした時と同じぐらいドキドキする。

野原君の耳が赤い……

やっぱり、野原君は私のツボで、仕草や、声、話し方、視線の向け方にグッとくる。

耳の形や、メガネのふちでできた影も。


「ちょっと呼んでみただけだからね……」

「あは、ちょっとドキドキしたよ」

「……じゃ、たまに名前で呼ぼうかな」

「うん、いいよ……」

ぎこちない会話。「何言ってんだろ……」って野原君が笑ってた。

野原君の下の名前は拓海だ。
呼んでみたいけど……

つきあってないし。

「じゃあ、勉強しよっか。ちょっとだけでも」

「うん。しよう……」

ドーナツを食べ終えて、トレイを前に寄せる。
向かいに座っていた野原君が、迷った感じで立ち上がって、「隣行っていい?」と聞いてきた。

「あ、もちろん……」

置いていた鞄を、野原君が座っていたイスに置いて、野原君が私の右隣に座った。

近い……なあ

頬のラインとか、肌感とか、やっぱり好きだな、

中身も優しくて素敵だと思うんだけど……


「隣近いね」

「ね」

同じこと考えてた?

「なお ちゃん」

「ちゃん?」

「なら、呼べそう。呼び捨てより」

「何でもいいよー」


隣席との仕切りはわりと高く、近くには誰もいない。



私から、腕に少し触れた。

制服の中の細くてしなやかな腕
きれいな指先が袖から出ていて

「……どうしたの」

野原君は、耳が赤いまま少し首を傾げる。

「きれいな手だなと思って……」

「きれい? こんな手でよかったらどうぞ」

そう言って差し出してくれたけど、だんだん、ちょっとずつ指が絡み合う。

細長い指。爪の形も細長くてきれいで、短く切ってある。

私もずっと爪は伸ばしていないけど、こんな繊細な手はしてない。


「指、長いね」

「おかげでピアノ向きだって言われるよ」

「家でも弾いてるの?」

「うん。まあ、ね。でも、家にはアップライトしかないからね。音楽室のグランドは古いけど状態いいんだ。調律もちゃんとしてるし……」

???

アップライトってなんだろう。

「……あ。語ってごめん。勉強しよっか?」

まじめに軌道修正されちゃった。
何度も話が脱線しちゃったね。
喋るのは諦めて、勉強を始めた。


勉強も、優しく教えてくれてわかりやすい。野原君は人に教えるのが向いていそうだなと思った。

コウキは全然だめだろうな。


「あ、もう時間だね。出ようか」

「そうだね。ありがとう」

店を出た。野原君の家方面に一駅寄った場所がここ。
ここから電車に乗れば帰れるんだけど……


もう、辺りは立派な夜道で
まだ離れがたい私たちは、ぽつぽつと立っている街灯の下を歩く。


「高校前駅まで、送ろうか?」

「いいの?一駅歩く?」

「いいよ。歩こうよ。波多野が良ければ」

必然的に高架下を歩く。
コウキと夏の夜落ち合った高架下ではないのに、風景は似ていて、薄暗さも一緒だ。

たまにガレージがあって……
入り込んでもバレないようなスペースがそこら中にある。


まさか、野原君はこんなところで私と何かしようとは思わないだろう。

私が、今、高架下の暗がりで、エッチなことを考えてるとも思っていないだろう。

野原君は辺りをキョロキョロと見回した。

「こんな道、夜、女の子一人じゃ歩けないよね」

「そう?」

「連れ込まれたらもう、何されてもわかんないじゃん」

そんな場所に、コウキに呼び出されてた私って。

「野原君、冬休みの勉強合宿は行く?」

「行くと思うよ。波多野は?」

話しながら野原君は、私のいる右側に鞄を持ち換えている。
それじゃあ、手も繋げない……

「名前で呼ばないんだね?」

「あー……なんか、つい……慣れないし、タイミングが」

「拓海君……って呼ぼうかな」

「…………いいよ。呼んでよ」


あ、

空気が変わってきた

甘い薄桃色に


「手も…繋ぎたい」

「うん。オレも……」

しっかりと手を握って、指を絡ませる。
暗いガレージの裏はふたりだけ

「奈緒……」

野原君の声に熱がこもっていて、くすぐったい。

男の子なんだな…

手だけじゃ、足りなくて、私から野原君に抱きついた。
細く見えるけど、しなやかな腰に腕を回して、

野原君のいい匂いにクラクラしそうで、ギュッとつかまるように抱きしめる。

したら、野原君もぎゅううっと強く抱きしめてくれた。

「拓海君……」

野原君の胸に顔を埋めると、鼓動が聞こえてきそうだ。

「奈緒、……こっち向いて」

「ん……」


唇を近づけ合って、目を閉じたら、ふにゅっと柔らかい感触がして……

「……ぁ」

我慢できなくて、ちょっと唇を開いたら、顔が離れてしまった。

「帰ろう……」

野原君が、あんまり恥ずかしそうにするから、私もウンとしか言えない。

手を繋ぐのがせいいっぱい。


好きだって言ってくれるのに、つきあってるとは言えない関係……

駅についたら、別方向。
私が改札に入って姿が見えなくなるまで、野原君は手を振ってくれた。


コウキみたいに、振り回して何も考えられなくしてくるタイプと違って、野原君はすごく大事にしてくれるけど、こっちも間違えられない。

はあ……

ため息をついて、改札を出たら、ぽんっと背中を叩かれた。
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