日本仙妖譚 ― 現世と幽世のはざまで、かぐや姫と桃太郎の時代に仙人を目指す ―

紅連山

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第7話 潮音女ー梨花

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【壺に呑まれた女】

 女は、大きな丸い目をさらに見開いた。その視界に広がる光景に目を疑った。

 蛙の翠夏(すいか)は、古びた壺から、丹薬を煮込むための竈(かまど)や、精製された霊薬、そして火を起こすための霊木を、次から次へと取り出していた。壺から出現するそれらは、どれも極めて精妙で、強い霊力を帯びている。

(なんという異宝だ……!)

 女の貪欲な視線が、苔むした古い陶器の壺に吸い寄せられる。その中にまだ何が入っているのか、底知れぬ霊宝の可能性に、好奇心と欲望が渦巻いた。

 「小賢しい蛙め!」

 女は即座にその壺を奪い取り、すぐさま口の中を覗き込んだ。潮音珠を取り戻すよりも、この新たな異宝を手に入れる方が、彼女にとって魅力的に映ったのだ。

 壺の口から、青白い光が走った。

 次の瞬間、女は悲鳴を上げる間もなく、光と共に壺の奥底へと吸い込まれていった。

 「助かった」

 蛙は、ほっとした表情で、倒れたまま動けない正雪の胸にぴょんと座り込んだ。彼の小さな体には、一世一代の大芝居を打ち終えた安堵が満ちている。

 「ね、正雪。助けてあげたよ」

 「ありがとう。恩を負う」

 正雪は、霊力が乱れる中で、かすれた声で感謝を述べた。

 「いいよ。一つ借りを付けておく。約束するぞ」

 「わかった。必ず恩返しする」

 正雪は、翠夏の命の恩人としての要求を、ためらいなく受け入れた。

 時間とともに、正雪の胸の痛みは和らぎ、彼はゆっくりと体を起こして座り直した。

 「あの女はどうなった?」

 正雪が問いかけると、翠夏は壺の蓋を開けた。すると、壺の中から、怒りに満ちた声が響く。

 「ちくしょう! バカ蛙! 今すぐ外に出しなさい!」

 しかし、怒鳴り声はすぐに嗚咽に変わり、その声は悲哀を帯び始めた。

 「......どうして……。わたくしの大事な珠を奪われて、まだこんな壺にまで閉じ込められて……何も悪いことをしなかったのに、なぜだ! 自分のものを取り戻すのは、悪いことなのか!」

 女の言葉には、確かに理不尽な被害者の声が滲んでいた。
 正雪と翠夏は黙った。ただ潮風だけが答えるように吹いた。

 「あなたのものって、証拠があるか」

 しばらくすると、正雪は、冷静に尋ねた。感情ではなく、事実を確認することが、師から教わった「修心者」としての道だ。


【潮音珠の誕生】

 「私は、海から生まれたの」

 女は、壺の奥で静かになった後、自分のことを語り始めた。その声は、深海の底を漂うように、静かで、寂しげだった。

 「私の名は梨花(りか)。静かに海の底で生活していた。長い歳月を経て、ずっと平和に暮らしていた」

 彼女が語ったのは、潮音珠、そして自分の誕生の物語だ。

 ある日、天から玉(ぎょく)が落ちた。それは強大な霊力を持った。丸い先端で、尖った尻。まるで涙のような形をしていた玉だった。その玉は、深い海の底へ落ち、落ちた場所には、大きな阿古屋貝(あこやがい)がいた。

 玉は阿古屋貝の中で、長い年月を経て、やがて真珠となった。その真珠こそ、正雪の体に染み込んでいた潮音珠だ。玉の霊力の影響で、その阿古屋貝に意識が生まれ、人の形もとれるようになった。

 意識を得た阿古屋貝は、自分に梨花という名を付けた。潮の波は、純白の色の梨の花のように好きだからだ。潮音珠は、梨花の霊力を生み出す源であり、彼女の新たな命を得たそのものだった。

 「ある満月の日、私は、いつものように、真珠を出して、月の光を受けようとしていた。夕日が間もなく消え、残光が地平線の雲を赤く染め、空の最後の一筋の光が消える、幸せな瞬間だった」

 だが、その時、悲劇が起こった。

 「ある若い人間の男の子は、海に落ちてきた……そして、私の大事な真珠が奪われた」

 それは、正雪が故郷を焼かれ、海に沈んだあの日だ。

 「それからずっと真珠を追い続けて、ようやく……あなたを見つけた」

 そういうことか。

 正雪は全てを理解した。自分が海に落ちたその日、満月の大潮の日だった。自分は知らずに、人の物を奪っていた。潮音珠は、霊根なき彼の体に溶け込み、修仙の道を開いた。だが、もう返せない。すでに体に染み込んで、一体化している。


【仙蛙の幻術と河童の壺の秘密】

 「すまない。返したいが、取り出せない」

 正雪は梨花に、心からの謝罪を述べた。そして、蛙に向かって言った。

 「みどりちゃん。彼女を取り出せるか。かわいそうな方だ」

 「できないよ。この壺、俺のものではない。河童の壺だから」

 翠夏は、正雪の胸から飛び降りて、壺をトントンと叩いた。

 「では、なぜ君が入ったり、出たりできるの?」

 「わからないよ。意識がある時から、できたのさ。これは俺の天賦の能力だ」

 「じゃあ、竈は? 霊薬、霊木は? あれは全部、君が取り出したものだろう?」

 翠夏は、少しだけ目を泳がせた。

 「あれは、幻術だ。俺の霊力で一瞬だけ見せかけただけだ」

 そう言いながら、翠夏は術を解いた。すると、竈や霊薬、霊木の姿は、ただの石ころと雑草と木の枝に戻った。

 「なんだと……!」

 壺の中から、梨花が再び怒鳴る。騙されたと知って、怒りは倍増したようだ。

 「俺はな、お前が『潮音珠を奪われた』という感情の渦の中にいるのを知っていた。そして、人の欲は、自分の命の源よりも、新たな異宝を求めることを知っていたから、あの芝居を打ったのだ」

 翠夏は、道斎の教えである「人の欲」の物語を聞いていたかのように、梨花を見つめた。

 月光が波を照らし、静寂が戻る。蛙の視線は梨花から正雪に移して、話を続けた。

 「正雪。君が力を増して、いずれこの壺を、自力で空間霊宝として操れる日が来る。その時、梨花を解放できる。この間、彼女は、壺の中にいれば、乾くことがなく、死ぬこともない。心配不要だ」

 梨花は壺の中で、泣き続ける。

 「みどりちゃんは、壺に戻れなくなるぞ」

 正雪が心配すると、翠夏は胸を張った。

 「それも問題ない。壺の中は広いのだ。しかも、何層も空間があって、会わせなければ良い……やばい。秘密を喋ってしまった……。全く正雪は話上手だな」

 翠夏は、ぺろりと舌を出して、照れたように壺の中へ飛び込んだ。

 正雪は、潮音珠という巨大な因果を背負い、そして、梨花という新たな囚人を得たことに、乾いた笑いを漏らした。

 壺の中の蛙と貝の女を抱え、正雪は霧獣法流への旅を続ける。その足取りは、もはや単なる修行ではなく、因果の旅へと変わっていた。

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