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第13話 天女ノ涙 ― 七夕の沙浜
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【常世の罰】
常世の国──そこは花が一年中咲き誇り、香りが絶えることのない永遠の庭園。 季節も時もとどまり、平和と仙力に満ちている。
しかしその日は違っていた。薄桃色の風は止み、花々はうなだれ、空気には張り詰めた怒気が満ちていた。 その庭園の中心に、ひとりの少女が立っていた。 百花(ももか)──神妃の末娘にして、幼き天女である。
「百花。あなた……天女ノ涙を……失せたと申すのか?」
神妃の声は静かだった。その静けさは、すべての熱を奪い去る冷徹な刃のように冷たい。 百花は細い肩を震わせ、視線を床に落とす。
「……申し訳ありません。ですが、あれは……」
脳裏に浮かぶのは、禁忌を破り現世へ降りたあの日だ。青の海、白い砂浜、風に揺れる雲と空。 姉たちとこっそりと天界を抜け出し、初めて知った自由の味。
常世にはない風の匂い、常世にはない生き物の賑やかな音。そして──息を呑むほどの世界の美しさ。すべての掟を忘れ、無邪気に、思い存分に、過ごした一日。 その奔放な喜びに酔いしれたからこそ、最も貴重な宝を失念したのだ。
天女ノ涙──。 それは単なる装飾の宝玉ではない。。空界の仙力(せんりょく)を蓄えた霊石であり、神妃から百花へと預けられた貴重な宝物だった。
神妃は輝く金の扇をひとつ打ち鳴らし、静かに百花へ告げた。
「罰は与えませぬ。だが──常世の宝は常世へ戻さねばならぬ。──取り戻しなさい」
百花は息を呑んだ。
「……私一人で……現世に?」
「ええ。あなたは以前にも勝手に渡ったでしょう。見張りの目を盗んで」
百花は小さく身を縮めた。
「ですが、あの時は姉さま方に連れられて……自分で常世を出る術など、私は……」百花の声はどんどん小さくなった。
神妃は遥かな星空を見上げた。
「明後日は七夕の日だ。天界の許可なく現世へ降りられる道は一つ。カササギが架けた天の橋を渡りなさい」
その言葉に百花の心臓が跳ねた。
「ですが……その橋は、年に一度、一晩だけで消えてしまいます」
「消える前に戻れなければ、あなたは天界の門戸を失い、現世の穢れに縛られ、天女としての霊力を失い、やがて消滅する」
神妃が警告した。その声音は冷たく、しかし残酷なほど事実を突きつける。
「ゆえに──探せるのは一晩だけだ」
百花は唇をきつく噛んだ。
「現世は常世に比べれば狭いと聞きます。ですが、それでも……人界は果てがありません。一晩で、たったひとつの石を探して見つけられるはずがありません」
神妃はふと、顔を柔らかくした。慈悲の色が宿る。
「百花、母は知っていた。あなたは失くしたことを隠すため、こっそりと、現世に探しに行ったが、見つからなかったことも」
神妃は懐から、星の光に包まれた羅針盤を取り出した。
「星霊羅針盤(せいれいらしんばん)。これは天女ノ涙の方位を感知する宝具。現世に降りたら、これがあの石の所在を確実に導く」
百花は両手でそれを受け取った。羅針盤は冷たい玉で作られていたが、その中に揺らめく光は確かな温もりを宿していた。
「ありがとう、お母様。やはり、お母様は優しい」
【星霊羅針盤の導き】
七夕の日。 空の星々が線を描き、天の川が銀河の道を形づくる夜。 無数の黒い羽根が舞い、無数のカササギが翼を重ねて──銀の橋が空に浮かび上がった。天界と現世を繋ぐ、一晩限りの「天の橋」である。
百花は白い天衣を纏い、深く、深く息を吸った。
(もう、失敗は許されない。絶対に、橋が消える前に──)
一歩、橋へ踏み出す。 空気が変わり、風が変わり、常世とは全く異なる生の香りが全身を包む。──現世だ。
降り立ったのは、かつて姉たちと訪れた、あの静かな砂浜だった。夜の波は星光と月光を抱きしめるように、静かに寄せては返していた。 天の川が輝く今夜、月は細く、世界は深い闇に包まれていた。 聞こえるのは波の音と、自身の鼓動だけだ。
百花は手のひらの星霊羅針盤を見つめる。 中の光点がひとつ、北を指していた。
「……誰かが持っているのね。海に落ちたはずの場所から、かなり離れているわ」
囁くように呟き、百花はすぐさま飛翔術を展開した。 次の瞬間──。
彼女の姿は夜の風に変わり、人間では到底認識できない速度で、夜空を北へ北へと駆け抜けていった。
【月光珠の爆発】
夜の山々を越え、星霊羅針盤が激しく光り、指針は真下を指した。見つけた。深い森の中だ。
百花が仙力を抑えながら静かに降り立つと、そこは血と土の匂いが混じった凄惨な戦いの跡だった。
岩壁を背に、ひとりの少年(正雪)が倒れ伏している。その前に長弓を背負った男が、湾曲した刀を振り下ろそうとしているところだった。まさに、少年が命を絶たれる直前。
その瞬間だった。 少年の体内に秘められていた珠が、百花の星霊羅針盤と強く呼び合い、制御不能の力で共に大きく光を放った。
世界は白く、まぶしい仙力の奔流に包まれた。 百花は危機を察し、瞬時に霊宝『眠ら蓮』の花弁を展開し、その内側に身を隠した。
轟音と激しい光の渦が、あたり一帯の樹木と岩を吹き飛ばし、空間そのものを揺るがす。 ようやく世界が静寂を取り戻した時、百花はゆっくりと蓮花を開けて、その聖域から足を踏み出した。
目の前には、凄まじい衝撃波で倒れ伏した少年。息は弱いが、脈はあり、確かに生きている。 そして、少年の胸の前方、地面に
細い一筋の亀裂が走った、天女ノ涙が転がっていた。
百花は痛む胸でそれを確認した。少年の絶体絶命の窮地、星霊羅針盤との呼び合い、何らかの力との共鳴。天女ノ涙が仙力の制御を失い、仙力の奔流を引き起こしたのだろうか。
弓を背負った男は、既にその姿がない。逃げたのではない。光の爆発の直撃を受け、その仙力に耐えきれず、肉体も魂も霧散し、跡形もなく消滅したのだ。
少し遠く離れた場所には、刀を持った男が、体に穴が数個開き、絶命しているのが見えた。紫衣の少女は、体勢を崩したまま倒れており、その傍らにあった頑丈そうな霊盾は無数の破片となっていた。少女の息は細く、命は風前の灯火だ。
百花は、宝石に入った亀裂を見て、少年の愚かさに怒りを覚えた。思わずその少年を殴ろうと腕を上げたが、彼の顔を見て、ある過去の光景を思い出す。
それは、前回一人でこっそりと現世に降りて天女ノ涙を探そうとした時のこと。 一人の少年が、海に落ちて溺れかけていた。その少年をすくい上げて、海岸に流されるように助けた。
あの時の少年だ。
偶然か、運命か。起こってしまったことを元通りに戻すことができない。しかも、この少年は、天女ノ涙を盗んだわけではない。失くした宝石が、よりにもよってこの少年の体内に宿っていたのは、何らかの奇縁を感じざるを得なかった。
百花はその少年と紫衣の少女に、自身の霊力を注ぎ、命だけは守ってあげた。
遠いところから、人の声が聞こえ始めた。霧獣流派の宗門の人たちが、こちらへ向かってきている。 時間がない。天の橋が消えようとしている。
百花は亀裂の入った天女ノ涙を手に取り、夜空を見上げた。カササギの橋の光が、今にも消え入りそうに弱くなっている。
彼女は再び夜の風となり、銀色の橋が完全に消滅する直前に、急いで常世の国へと戻っていった。
常世の国──そこは花が一年中咲き誇り、香りが絶えることのない永遠の庭園。 季節も時もとどまり、平和と仙力に満ちている。
しかしその日は違っていた。薄桃色の風は止み、花々はうなだれ、空気には張り詰めた怒気が満ちていた。 その庭園の中心に、ひとりの少女が立っていた。 百花(ももか)──神妃の末娘にして、幼き天女である。
「百花。あなた……天女ノ涙を……失せたと申すのか?」
神妃の声は静かだった。その静けさは、すべての熱を奪い去る冷徹な刃のように冷たい。 百花は細い肩を震わせ、視線を床に落とす。
「……申し訳ありません。ですが、あれは……」
脳裏に浮かぶのは、禁忌を破り現世へ降りたあの日だ。青の海、白い砂浜、風に揺れる雲と空。 姉たちとこっそりと天界を抜け出し、初めて知った自由の味。
常世にはない風の匂い、常世にはない生き物の賑やかな音。そして──息を呑むほどの世界の美しさ。すべての掟を忘れ、無邪気に、思い存分に、過ごした一日。 その奔放な喜びに酔いしれたからこそ、最も貴重な宝を失念したのだ。
天女ノ涙──。 それは単なる装飾の宝玉ではない。。空界の仙力(せんりょく)を蓄えた霊石であり、神妃から百花へと預けられた貴重な宝物だった。
神妃は輝く金の扇をひとつ打ち鳴らし、静かに百花へ告げた。
「罰は与えませぬ。だが──常世の宝は常世へ戻さねばならぬ。──取り戻しなさい」
百花は息を呑んだ。
「……私一人で……現世に?」
「ええ。あなたは以前にも勝手に渡ったでしょう。見張りの目を盗んで」
百花は小さく身を縮めた。
「ですが、あの時は姉さま方に連れられて……自分で常世を出る術など、私は……」百花の声はどんどん小さくなった。
神妃は遥かな星空を見上げた。
「明後日は七夕の日だ。天界の許可なく現世へ降りられる道は一つ。カササギが架けた天の橋を渡りなさい」
その言葉に百花の心臓が跳ねた。
「ですが……その橋は、年に一度、一晩だけで消えてしまいます」
「消える前に戻れなければ、あなたは天界の門戸を失い、現世の穢れに縛られ、天女としての霊力を失い、やがて消滅する」
神妃が警告した。その声音は冷たく、しかし残酷なほど事実を突きつける。
「ゆえに──探せるのは一晩だけだ」
百花は唇をきつく噛んだ。
「現世は常世に比べれば狭いと聞きます。ですが、それでも……人界は果てがありません。一晩で、たったひとつの石を探して見つけられるはずがありません」
神妃はふと、顔を柔らかくした。慈悲の色が宿る。
「百花、母は知っていた。あなたは失くしたことを隠すため、こっそりと、現世に探しに行ったが、見つからなかったことも」
神妃は懐から、星の光に包まれた羅針盤を取り出した。
「星霊羅針盤(せいれいらしんばん)。これは天女ノ涙の方位を感知する宝具。現世に降りたら、これがあの石の所在を確実に導く」
百花は両手でそれを受け取った。羅針盤は冷たい玉で作られていたが、その中に揺らめく光は確かな温もりを宿していた。
「ありがとう、お母様。やはり、お母様は優しい」
【星霊羅針盤の導き】
七夕の日。 空の星々が線を描き、天の川が銀河の道を形づくる夜。 無数の黒い羽根が舞い、無数のカササギが翼を重ねて──銀の橋が空に浮かび上がった。天界と現世を繋ぐ、一晩限りの「天の橋」である。
百花は白い天衣を纏い、深く、深く息を吸った。
(もう、失敗は許されない。絶対に、橋が消える前に──)
一歩、橋へ踏み出す。 空気が変わり、風が変わり、常世とは全く異なる生の香りが全身を包む。──現世だ。
降り立ったのは、かつて姉たちと訪れた、あの静かな砂浜だった。夜の波は星光と月光を抱きしめるように、静かに寄せては返していた。 天の川が輝く今夜、月は細く、世界は深い闇に包まれていた。 聞こえるのは波の音と、自身の鼓動だけだ。
百花は手のひらの星霊羅針盤を見つめる。 中の光点がひとつ、北を指していた。
「……誰かが持っているのね。海に落ちたはずの場所から、かなり離れているわ」
囁くように呟き、百花はすぐさま飛翔術を展開した。 次の瞬間──。
彼女の姿は夜の風に変わり、人間では到底認識できない速度で、夜空を北へ北へと駆け抜けていった。
【月光珠の爆発】
夜の山々を越え、星霊羅針盤が激しく光り、指針は真下を指した。見つけた。深い森の中だ。
百花が仙力を抑えながら静かに降り立つと、そこは血と土の匂いが混じった凄惨な戦いの跡だった。
岩壁を背に、ひとりの少年(正雪)が倒れ伏している。その前に長弓を背負った男が、湾曲した刀を振り下ろそうとしているところだった。まさに、少年が命を絶たれる直前。
その瞬間だった。 少年の体内に秘められていた珠が、百花の星霊羅針盤と強く呼び合い、制御不能の力で共に大きく光を放った。
世界は白く、まぶしい仙力の奔流に包まれた。 百花は危機を察し、瞬時に霊宝『眠ら蓮』の花弁を展開し、その内側に身を隠した。
轟音と激しい光の渦が、あたり一帯の樹木と岩を吹き飛ばし、空間そのものを揺るがす。 ようやく世界が静寂を取り戻した時、百花はゆっくりと蓮花を開けて、その聖域から足を踏み出した。
目の前には、凄まじい衝撃波で倒れ伏した少年。息は弱いが、脈はあり、確かに生きている。 そして、少年の胸の前方、地面に
細い一筋の亀裂が走った、天女ノ涙が転がっていた。
百花は痛む胸でそれを確認した。少年の絶体絶命の窮地、星霊羅針盤との呼び合い、何らかの力との共鳴。天女ノ涙が仙力の制御を失い、仙力の奔流を引き起こしたのだろうか。
弓を背負った男は、既にその姿がない。逃げたのではない。光の爆発の直撃を受け、その仙力に耐えきれず、肉体も魂も霧散し、跡形もなく消滅したのだ。
少し遠く離れた場所には、刀を持った男が、体に穴が数個開き、絶命しているのが見えた。紫衣の少女は、体勢を崩したまま倒れており、その傍らにあった頑丈そうな霊盾は無数の破片となっていた。少女の息は細く、命は風前の灯火だ。
百花は、宝石に入った亀裂を見て、少年の愚かさに怒りを覚えた。思わずその少年を殴ろうと腕を上げたが、彼の顔を見て、ある過去の光景を思い出す。
それは、前回一人でこっそりと現世に降りて天女ノ涙を探そうとした時のこと。 一人の少年が、海に落ちて溺れかけていた。その少年をすくい上げて、海岸に流されるように助けた。
あの時の少年だ。
偶然か、運命か。起こってしまったことを元通りに戻すことができない。しかも、この少年は、天女ノ涙を盗んだわけではない。失くした宝石が、よりにもよってこの少年の体内に宿っていたのは、何らかの奇縁を感じざるを得なかった。
百花はその少年と紫衣の少女に、自身の霊力を注ぎ、命だけは守ってあげた。
遠いところから、人の声が聞こえ始めた。霧獣流派の宗門の人たちが、こちらへ向かってきている。 時間がない。天の橋が消えようとしている。
百花は亀裂の入った天女ノ涙を手に取り、夜空を見上げた。カササギの橋の光が、今にも消え入りそうに弱くなっている。
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─────────────
※投稿時間は多少前後しますが毎日投稿は続けていくつもりです。
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