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さぁ、お礼に参りましょう

10.

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(no.side)



――天の王国にて。 



 シエル王国、またの名を天の王国の国王として君臨するニコラス・ジュピターは、高く積み上がった目の前の書類の束に感情のこもらない視線を投げる。先日始まった暴動の報告書や騎士団の派遣要請、臨時の資金援助を長々とした文で要求してくるその書類たちは、ニコラスの心を動かすに足るものではなかったようだ。
 書類の束を持ってきた張本人である宰相は、いかにもやる気のないニコラスの様子に苦笑しつつも、無理矢理その手にペンを握らせる。


「陛下、仕事をしてください。聖女様にも助言を頂いたのでしょう」
「……相変わらずだ。『財がないのなら税を上げよ。それもできぬのなら暴動を鎮圧し、聖女への反逆の罰として戦争に赴かせよ』と」


 重い手つきで紙を持ち上げ、目を通していくニコラスの声は、どこまでも単調で凍てついている。【天詠みの聖女】である少女が捧げた残酷な神託を詠みあげるように諳んじた彼に、宰相は眉を顰めた。

 国の繁栄を担うはずの聖女が、国民を犠牲にすることを厭わない。
 そんな矛盾に満ちた彼女のとやらは、多くの嘘偽りの中で生き残り地位を築き上げてきた宰相の心を動かすものではなかった。皮肉気に「成程、相変わらずの素晴らしいお言葉だ」と鼻を鳴らす宰相を一瞥すると、ニコラスは一枚の書類に目を止めた。


「……子爵と平民が中心か」
「えぇ、プルート家とプロセルピナ家が中心となっているようです。子爵も税金格上げの対象にしたせいでしょう。既に星の王国と協力関係になっている可能性もありますね」
「時間の問題か」
?」
「そうだな」


 自分の王権が危機に晒されているというにもかかわらず、2人の会話には焦りや後悔は含まれていない。いっそ子どもが悪戯の作戦会議をするかのような愉しげな空気が部屋を包んですらいる。
 聖女に聞かれでもしたら、よく分からない罪を着せられて殺されてしまうに違いない。宰相は歪に口角を上げた。

 しかし、そんな宰相とは反対に退屈そうなニコラスは、見つめていた子爵からの嘆願書を廃棄の箱に入れると、背もたれにもたれ掛かり、窓の外を見つめる。
 窓の外には、今まさに暴動が起こっているとは思えない程に穏やかな晴天が広がっている。

 この晴天も、広大な土地も、築き上げてきた歴史もすべて、今はニコラスのものである。ニコラスが白と言えば白く染まり、黒と言えば黒に染まる。そういうものなのだ。
 ニコラスの胸中を敏感に察知したらしい宰相がどこか憐れむかのように視線を落とした。


「もうすぐですね」
「……あぁ。お前はよくやってくれた」
「はは、まだ終わっていませんよ、陛下」


 労うような響きを持った宰相の言葉に、ニコラスは初めて笑顔といえる笑顔を浮かべた。それを見た宰相も、先程までの皮肉げな笑顔とは違い、気の置けない友人に向けるようなふにゃりとした笑顔を見せる。長年の付き合いだからこそ、お互いの些細な感情の機微にも気付くことができるのだ。
 宰相は、ニコラスの中に芽生えた【願望】を明確に理解していた。――そして、そのために自分が何をすべきかも。

 幼いころから王子として、その【友達役】として共に育ってきた。与えられるだけの偽りの理想世界にそのたび絶望してきたニコラスを見てきた。いつしか期待も希望も捨てて詰まらない人生を受け入れてしまった彼に、宰相はずっと心を痛めて。ーーしかし、それももうすぐ終わりを告げる。
 【天詠みの聖女】には感謝しなくては。優秀すぎたエレノア嬢を追い出してこの国を搔き乱し、国民を虐げて我欲を貪り、【王】という絶対的な存在を消し去ってくれたのだから。王に逆らうことを国民に教えてくれたのだから。


「大公殿にももう少しだけ役立っていただきましょうかねぇ」
「……頼んだぞ。アテナ」
「御意に」


 聖女も、星の王国も、国民も、精々愉快に踊るがいい。

 最期に勝つのは、我が王だと決まっている。











 
 【天詠みの聖女】ミア・エリスを生んだ辺境伯爵、エリス家の人間が暴動に乗じて惨殺されたという情報が間者を通じて各国を駆け巡るのに、それからほんの数日もかからなかった。当然その情報は王都【オルビット】にも寄こされ、ニコラスや聖女のもとにもやってきていた。
 エリス家の屋敷に押し入った犯人たちは、助命嘆願する彼らを嬲り殺しにし、その首を掲げて自らを【革命家】と名乗り、【オルビット】の国民たちと合流しようとしているらしい。

 ニコラスは、下手で半狂乱になりながら国民への憎悪の言葉を叫ぶ【聖女】を興味なさげに見つめる。その横にはニコラスの一人息子であるルーカスがいるが、どこか呆然と他人事のように遠くを見ていた。


「陛下、これは神に対する反逆です!赦されない罪、…そうだわ――皆殺しよ、皆殺しにしなさい!!」


 悲鳴のような聖女の叫び。
 常軌を逸した彼女に詰め寄られた騎士団長がおろおろとニコラスを見上げる。彼は、この頃星の王国への進軍と暴動の鎮圧との板挟みになっており、すっかり自分で考える力を失ってしまっているようだった。全く頼りにならない騎士団長に、ニコラスの背後に立つ宰相が深くため息をつく。
 そして宰相は、混乱する謁見室を治めるようにパン、パン、と手を叩いた。部屋中の視線が彼に集まる。


「皆様、どうか落ち着いてください。聖女様も、お気持ちはお察しいたしますが、」
「黙りなさい!!宰相如きが――」
「まぁまぁ、一度深呼吸をして心を鎮めましょう。ご家族の死は痛ましいことですが、憎悪のままに叫ぶ姿は【天詠みの聖女】として相応しいとは言いかねます。実際、先代の聖女様は何があっても心を憎悪に染めることはなかったと言いますし。――ああ、ありがとうございます。では、続けさせていただきますね」


 眼鏡をくいと上げ、およそ聖女を崇めているとは言い難い慇懃無礼で当てつけのような言葉を連ねると、漸く聖女は今までの従順な彼との違いに驚いたのか口を閉じ、その代わりに宰相を爛々と光る金の目で睨みつけた。しかし、そんな聖女には目もくれず、宰相は自らが持つ伝令用の魔具を起動させる。その中から、プロセルピナ家が国境に、プルート家が王都【オルビット】に向かっているとの間者の声が淡々と流れた。
 国境には今にも戦争を始めんと星の王国の騎士達が待ち構えているはずだ。十中八九、革命への協力を要請しに行ったに違いない。

 ひぃっと怯えた声を出す貴族たち。身分に胡坐をかいてきたことが一目見てわかるだらしない体型の彼らでは、到底革命家の憎悪に太刀打ちすることはできないだろう。


「今お聞きになった通り、暴動はすでに鎮圧不可能な域にまで達しつつあります。革命家を名乗る彼らは王都でも多くの支持を得ているようですし、このまま規模は拡大するばかりでしょう。そこから更に星の王国の支援を与えてしまえば、いかに聖女様の加護があろうとも到底我らに勝機はありません」
「じゃ、じゃあ、どうするんだ!!」


 悲鳴のような声で怒鳴る貴族――エレノア嬢の元お父君だったか――に、宰相はにっこりと微笑みかける。


「国民の憎悪を、別の方向に向けるのです。――捕虜である大公殿を国民の前に捧げ、困窮の原因を星の王国にすり替えます。ボロボロになった敵国の大公殿、それも戦争にて名を上げてきたアクアリウス殿を陛下が引き摺る様は、多くの国民の畏敬の念を集めるに違いありません。きっと国民も再度自らの立場を顧みて、聖女様に首を垂れるでしょう」


 誰が見ても作り笑いだとわかる笑みを浮かべながら喋る宰相に、貴族たちは圧倒されたように頷き、ほっと息をついた。成程、彼の言う通りに動けば我々の身分や生活が脅かされることはないのだろう。そうすっかり安心しきった彼らは、ニコラスと聖女に一礼すると、呑気に笑いながら部屋を出ていった。

 真面目そうな見た目で、するりと入り込むような声で朗々と語れば、考える力のない人間は簡単に受け入れてそれを正しいことだと思い込んでしまう。もう少しでも良く考えれば、今や国力など皆無に等しい天の王国からの脅しなど、強国である星の王国に通用するわけもない――寧ろ戦争を助長するだけの行為だとわかるはずなのに。
 不幸にも、ここにはその真実を見抜けた人間は一人もいないのだった。



 愚かな貴族たちをひとしきり見送ると、先程よりは幾分冷静さを取り戻したらしい聖女が階段を上り、王座に腰掛けるニコラスをいつも通り蠱惑的な目で見つめる。彼女はニコラスの膝にその両手を乗せ、口付けをするかのように顔を近づけた。宰相が不愉快げに聖女を見下ろしているが、幸いにも聖女が気付くことはなく。


「ねぇ陛下、陛下は神に逆らいはしませんよね?私、信じてますから。陛下は、【聖女たる私こそが正しい】と理解しているはずだと」


 沈黙は肯定。そう受け取ったらしい聖女は、にっこりと可愛らしく微笑んで一つニコラスに口付け、優雅に部屋を去っていった。




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