6 / 38
序章 過去は置いていく
切れた糸
しおりを挟む初日の夜以来、スールの男、ユランが表立って距離を詰めてくることは無かった。あくまで領主の護衛としての距離を保って接してくれるユランは俺には非常に有難かったし、刻の精霊から彼が悪い人間でないことも伝えられていたので、無理をせずに政策を進めていくことが出来た。
領主の家族は、必要以上に税を課しては不正に着服していたようで、不正が出てくるわ出てくるわ、俺も思わず頭を抱えてしまった。結局、俺の単独での処理範囲を超えたので、通信魔法具で王都にいる上司に連絡を取ったところ、領主家族は権限を剥奪、親戚の男に職を譲る結果になった。
この親戚の男というのがどうにも曲者で、何やら支援や処理に回る俺の後に、ユランと共に着いてきては何やらヒソヒソと話していたり、ふとした瞬間に視線を感じたりーー、とにかく頭はいい様だが、どうにも読めない男だと思った。
2週間もすれば、精霊達の力もあり、活力を失っていなかったベゴニアの人々の力もあり、街は概ね本来の形を取り戻した。勿論領民の裏切られ傷ついた心は癒えていないし、国への不審感もまだまだそのままだ。
屋敷の庭の大噴水に腰を落ち着け、書類に目を通していきながら、溜息を着く。
「やぁ、騎士殿。どうしたのかな、溜息を吐いて……何か心配事でも?」
「……領主殿。……挨拶もせず失礼した」
権限としてはギリギリ俺の方が上だが、俺は身分を持たず、彼は辺境とはいえ広大な領土を治める伯爵家新領主だ。礼を欠いた対応を詫びると、彼は鷹揚にうなづき、隣に座った。姿はないがユランの気配も感じる。
「騎士殿程の人が気配に気が付かないとは余程心配事があると見える。どうだろう、私に何か相談でもしてみないかい?1人で悩むよりも、人に相談する方がいいこともあるだろう?」
確かにそれもそうだと、徐々に口を開く。刻と水の精霊が彼を良き人間だと俺に伝えているのもあり、抵抗せずに話を出来た。
ベゴニアの領民の心の問題、復旧予算。ポツポツと悩みを打ち出していくにつれて、重くなっていた心が少しだけほぐれて行く。
「勿論、復旧予算については元領主一族の横領分で足りないものは国から出すようには進めるが、反乱があるのは此処だけではないから、認可が降りる可能性は低い。……あぁ、その場合は俺個人から出すから安心して欲しい」
「……君がベゴニアの為にそこまでする理由があるのかい?」
領主のもっともな質問に、俯く。過ぎた施しは持つものの偽善だ。
ーーしかし。
「俺自身が、不審感を持つ国の騎士である俺に従い、着いてきてくれた領民に何かをしたい。寄付金としてどうにか受け取ってくれないかな」
「それに、復興はただ日常が戻ることではない。人々の心が癒えなければ。ーーじゃないと、ずっと、ずっと燻る思いは消えないだろう?」
「……騎士殿」
どろりとした汚泥のような俺の感情を感じたのだろう、領主殿は俺の肩を抱いて慰めるように領主殿の方に引き寄せた。彼の肩に頭が乗るような体制に慌てるが、そのままでいいと制された。
遠くからこちらを見ている奥様やお嬢様に申し訳がないーーいや、何だか嬉しそうだ。絵を描くのが趣味なのだろうか、画材かなにかに一心不乱に何かを書き付けている。
「……俺の我儘だけど、受け取ってくれると嬉しい。ここで暮らす精霊たちのためにも」
「そんなに一心に思われて、受け取れない男がいたら教えて欲しいね。有難く頂こう。……でも、貴殿の悩みの本質はそこではない。……ユランが迷惑をかけた」
ユランの名前にピクリと反応してしまう。元領主が権限を剥奪された時点で護衛の仕事は終わっていたはずの彼は、新しい領主殿と仲がいいのか、護衛をそのまま続けることにしていた。初日の夜以来、彼の存在は俺の心を掻き乱し続けている。
「……絶対に彼の言ったことは他言無用でお願いしたい。彼が処刑されてしまう」
「勿論ですよ。……しかし普段から冷静沈着と名高い貴殿がここまで掻き乱されるとは」
そうだ。何がダメだって、俺が彼の言葉に揺れてしまっていることだ。麻薬のような彼の言葉に、自分の自由な世界を期待してしまう。
レイモンドを殺したい。レイモンドから逃げたい。騎士達の嘲りの目が辛い。
それに。
もうすぐ、ルナが学園を卒業する。優秀なルナは勿論騎士団に入るだろう。そうなったら本当に俺の自由はなくなる。毎日毎日彼らに身体を捧げ、心を捧げ、生きていかなければならない。
それは、雁字搦めの太い鎖のようで。
兄弟での性交は禁忌だ。……きっとその時には精霊たちは完全に見えなくなってしまう。それだけは、避けなければ。
「……何より俺自身が、彼の言う自由に惹かれているんだ。彼の自由は本当の自由だ。国にも法にも人にも何にも縛られない。そんな、未来があるのだろうかと、願ってしまう」
「騎士殿……」
「……悪いね、こんな話をして。一時の戯言だと思ってくれ。……でも俺は、ベルン村を目の前で潰された時から、この国に忠義を誓うことなど出来なかった」
丸焼きにされた子どもたち。可愛らしい顔を剥がれたミワ。生きたまま魔物に食われた村の大人たち。両親。
彼らを見て笑っていた騎士団がいる国をどうして愛せるのか。心の奥底から湧き上がる憎悪と殺意を必死に抑え込む。ーーふとした瞬間、暴れだしたくなるのだ。殺意をさらけ出して、王城でのうのうと生きる彼らを殺し尽くしてやりたくなる。
「……もう、俺の心は限界だ。だけど、俺には俺を助けてくれる人はいない。」
心配げに眺める精霊の頭を撫で、それでも言葉は抑えられなかった。
「……もう、死んでしまいたーーッッ」
ーーパァンッッ!!
領主殿が俺の頬を叩いた。
風がざわめき、大地が割れる。背後の水が荒れ、水面が盛り上がり、球体となって俺を包んだ。刻の精霊が怒り、俺を包む水が急速に冷えていく。凍える体に、詰まる息。ごぼりと空気の塊が俺の口から出る。ーー息が出来ない。
隠れていたユランは領主殿を護るように前に出ているが、安心してくれ。彼らの怒りの対象は俺だ。息苦しさにもがき苦しもうにも、足元の水は凍り、拘束の役目を果たしていて球体から逃れられない。意識が遠のく。
『エル、なんてことをいうの』
『死にたいなんて言わないで』
『精霊になればいい』
『エルがいなくなるくらいなら』
精霊たちの純粋な執着心。彼らの愛が痛い。遠のく意識の中、ごめんね、と囁く。精霊は綺麗なものだ。俺がなっては行けない。
こんなに愛してくれているのに、生きたいと思えなくてごめん。そうつぶやくと、優しい精霊は俺を抱きしめてくれる。涙を流す精霊たちに、心が抉れる。
「……これが『愛し子』か」
目の前で水球の拘束から解放され、ぼんやりと座り込む青年を眺める。噴水の縁に座り、背後から少年の姿をかたどった水の精霊が抱きしめている。
駆けつけたユランも、遠くの家族も精霊の本気の怒りを感じ取っていた。
彼自身の属性である水元素と刻元素以外の精霊たちも怒っていた。割れた大地に風で倒れた花々は元に戻っているが、領主自身の属性の精霊の燻る怒りはまだ肌に感じている。
「……領主さん、危ないことはしないでくださいよ」
「すまないね。だが、聞き逃せなかった。少しの間だが、私は彼に好感を持っていたし、彼の境遇は有名だから彼の抱える思いも理解出来る。……だからこそ、彼に『死にたい』なんて言わせたくない」
彼はとても優しい。領民も彼には心を開いていたし、妻も子供も彼を『推して』いるらしい。強く、気高く、美しい彼の抱える憎悪は想像できたが、どこかで彼は特別で、彼なら大丈夫だと思っていた。……でも、それは間違いだ。
ーー彼はまだ齢19の青年だ。それも、5年間、ただ尊厳を踏み躙られてきた。
「……そろそろ彼は幸せになるべきだ」
「ええ、彼の人生は彼が選ぶ。その権利があるでしょう?」
ユランは、領主に囁いた。
「……協力、してくれます?」
「あぁ、私にできることならば」
17
あなたにおすすめの小説
平凡なぼくが男子校でイケメンたちに囲まれています
七瀬
BL
あらすじ
春の空の下、名門私立蒼嶺(そうれい)学園に入学した柊凛音(ひいらぎ りおん)。全寮制男子校という新しい環境で、彼の無自覚な美しさと天然な魅力が、周囲の男たちを次々と虜にしていく——。
政治家や実業家の子息が通う格式高い学園で、凛音は完璧な兄・蒼真(そうま)への憧れを胸に、新たな青春を歩み始める。しかし、彼の純粋で愛らしい存在は、学園の秩序を静かに揺るがしていく。
****
初投稿なので優しい目で見守ってくださると助かります‼️ご指摘などございましたら、気軽にコメントよろしくお願いしますm(_ _)m
うちの家族が過保護すぎるので不良になろうと思います。
春雨
BL
前世を思い出した俺。
外の世界を知りたい俺は過保護な親兄弟から自由を求めるために逃げまくるけど失敗しまくる話。
愛が重すぎて俺どうすればいい??
もう不良になっちゃおうか!
少しおばかな主人公とそれを溺愛する家族にお付き合い頂けたらと思います。
説明は初めの方に詰め込んでます。
えろは作者の気分…多分おいおい入ってきます。
初投稿ですので矛盾や誤字脱字見逃している所があると思いますが暖かい目で見守って頂けたら幸いです。
※(ある日)が付いている話はサイドストーリーのようなもので作者がただ書いてみたかった話を書いていますので飛ばして頂いても大丈夫だと……思います(?)
※度々言い回しや誤字の修正などが入りますが内容に影響はないです。
もし内容に影響を及ぼす場合はその都度報告致します。
なるべく全ての感想に返信させていただいてます。
感想とてもとても嬉しいです、いつもありがとうございます!
5/25
お久しぶりです。
書ける環境になりそうなので少しずつ更新していきます。
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
悪役令息シャルル様はドSな家から脱出したい
椿
BL
ドSな両親から生まれ、使用人がほぼ全員ドMなせいで、本人に特殊な嗜好はないにも関わらずSの振る舞いが発作のように出てしまう(不本意)シャルル。
その悪癖を正しく自覚し、学園でも息を潜めるように過ごしていた彼だが、ひょんなことからみんなのアイドルことミシェル(ドM)に懐かれてしまい、ついつい出てしまう暴言に周囲からの勘違いは加速。婚約者である王子の二コラにも「甘えるな」と冷たく突き放され、「このままなら婚約を破棄する」と言われてしまって……。
婚約破棄は…それだけは困る!!王子との、ニコラとの結婚だけが、俺があのドSな実家から安全に抜け出すことができる唯一の希望なのに!!
婚約破棄、もとい安全な家出計画の破綻を回避するために、SとかMとかに囲まれてる悪役令息(勘違い)受けが頑張る話。
攻めズ
ノーマルなクール王子
ドMぶりっ子
ドS従者
×
Sムーブに悩むツッコミぼっち受け
作者はSMについて無知です。温かい目で見てください。
【完結】我が兄は生徒会長である!
tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。
名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。
そんな彼には「推し」がいる。
それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。
実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。
終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。
本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。
(番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)
悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!
伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!?
その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。
創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……?
ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……?
女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に!
──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ!
※
一日三話更新を目指して頑張ります
忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は未定
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
・本格的に嫌われ始めるのは2章から
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる