氷使いの青年と宝石の王国

なこ

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序章 過去は置いていく

切れた糸

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 初日の夜以来、スールの男、ユランが表立って距離を詰めてくることは無かった。あくまで領主の護衛としての距離を保って接してくれるユランは俺には非常に有難かったし、刻の精霊から彼が悪い人間でないことも伝えられていたので、無理をせずに政策を進めていくことが出来た。
 領主の家族は、必要以上に税を課しては不正に着服していたようで、不正が出てくるわ出てくるわ、俺も思わず頭を抱えてしまった。結局、俺の単独での処理範囲を超えたので、通信魔法具で王都にいる上司レイモンドに連絡を取ったところ、領主家族は権限を剥奪、親戚の男に職を譲る結果になった。

 この親戚の男というのがどうにも曲者で、何やら支援や処理に回る俺の後に、ユランと共に着いてきては何やらヒソヒソと話していたり、ふとした瞬間に視線を感じたりーー、とにかく頭はいい様だが、どうにも読めない男だと思った。


 2週間もすれば、精霊達の力もあり、活力を失っていなかったベゴニアの人々の力もあり、街は概ね本来の形を取り戻した。勿論領民の裏切られ傷ついた心は癒えていないし、国への不審感もまだまだそのままだ。
 屋敷の庭の大噴水に腰を落ち着け、書類に目を通していきながら、溜息を着く。

「やぁ、騎士殿。どうしたのかな、溜息を吐いて……何か心配事でも?」
「……領主殿。……挨拶もせず失礼した」

 権限としてはギリギリ俺の方が上だが、俺は身分を持たず、彼は辺境とはいえ広大な領土を治める伯爵家新領主だ。礼を欠いた対応を詫びると、彼は鷹揚にうなづき、隣に座った。姿はないがユランの気配も感じる。

「騎士殿程の人が気配に気が付かないとは余程心配事があると見える。どうだろう、私に何か相談でもしてみないかい?1人で悩むよりも、人に相談する方がいいこともあるだろう?」

 確かにそれもそうだと、徐々に口を開く。刻と水の精霊が彼を良き人間だと俺に伝えているのもあり、抵抗せずに話を出来た。
 ベゴニアの領民の心の問題、復旧予算。ポツポツと悩みを打ち出していくにつれて、重くなっていた心が少しだけほぐれて行く。

「勿論、復旧予算については元領主一族の横領分で足りないものは国から出すようには進めるが、反乱があるのは此処だけではないから、認可が降りる可能性は低い。……あぁ、その場合は俺個人から出すから安心して欲しい」
「……君がベゴニアの為にそこまでする理由があるのかい?」

 領主のもっともな質問に、俯く。過ぎた施しは持つものの偽善だ。
ーーしかし。

「俺自身が、不審感を持つ国の騎士である俺に従い、着いてきてくれた領民に何かをしたい。寄付金としてどうにか受け取ってくれないかな」
「それに、復興はただ日常が戻ることではない。人々の心が癒えなければ。ーーじゃないと、ずっと、ずっと燻る思いは消えないだろう?」
「……騎士殿」

 どろりとした汚泥のような俺の感情を感じたのだろう、領主殿は俺の肩を抱いて慰めるように領主殿の方に引き寄せた。彼の肩に頭が乗るような体制に慌てるが、そのままでいいと制された。
 遠くからこちらを見ている奥様やお嬢様に申し訳がないーーいや、何だか嬉しそうだ。絵を描くのが趣味なのだろうか、画材かなにかに一心不乱に何かを書き付けている。

「……俺の我儘だけど、受け取ってくれると嬉しい。ここで暮らす精霊たちのためにも」
「そんなに一心に思われて、受け取れない男がいたら教えて欲しいね。有難く頂こう。……でも、貴殿の悩みの本質はそこではない。……ユランが迷惑をかけた」


 ユランの名前にピクリと反応してしまう。元領主が権限を剥奪された時点で護衛の仕事は終わっていたはずの彼は、新しい領主殿と仲がいいのか、護衛をそのまま続けることにしていた。初日の夜以来、彼の存在は俺の心を掻き乱し続けている。

「……絶対に彼の言ったことは他言無用でお願いしたい。彼が処刑されてしまう」
「勿論ですよ。……しかし普段から冷静沈着と名高い貴殿がここまで掻き乱されるとは」


 そうだ。何がダメだって、俺が彼の言葉に揺れてしまっていることだ。麻薬のような彼の言葉に、自分の自由な世界を期待してしまう。
 レイモンドを殺したい。レイモンドから逃げたい。騎士達の嘲りの目が辛い。

 それに。

 もうすぐ、ルナが学園を卒業する。優秀なルナは勿論騎士団に入るだろう。そうなったら本当に俺の自由はなくなる。毎日毎日彼らに身体を捧げ、心を捧げ、生きていかなければならない。
 それは、雁字搦めの太い鎖のようで。
 兄弟での性交は禁忌だ。……きっとその時には精霊たちは完全に見えなくなってしまう。それだけは、避けなければ。


「……何より俺自身が、彼の言う自由に惹かれているんだ。彼の自由は本当の自由だ。国にも法にも人にも何にも縛られない。そんな、未来があるのだろうかと、願ってしまう」
「騎士殿……」
「……悪いね、こんな話をして。一時の戯言だと思ってくれ。……でも俺は、ベルン村を目の前で潰された時から、この国に忠義を誓うことなど出来なかった」


 丸焼きにされた子どもたち。可愛らしい顔を剥がれたミワ。生きたまま魔物に食われた村の大人たち。両親。
 彼らを見て笑っていた騎士団がいる国をどうして愛せるのか。心の奥底から湧き上がる憎悪と殺意を必死に抑え込む。ーーふとした瞬間、暴れだしたくなるのだ。殺意をさらけ出して、王城でのうのうと生きる彼らを殺し尽くしてやりたくなる。

「……もう、俺の心は限界だ。だけど、俺には俺を助けてくれるはいない。」


 心配げに眺める精霊の頭を撫で、それでも言葉は抑えられなかった。

「……もう、死んでしまいたーーッッ」


ーーパァンッッ!!


 領主殿が俺の頬を叩いた。

 風がざわめき、大地が割れる。背後の水が荒れ、水面が盛り上がり、球体となって俺を包んだ。刻の精霊が怒り、俺を包む水が急速に冷えていく。凍える体に、詰まる息。ごぼりと空気の塊が俺の口から出る。ーー息が出来ない。

 隠れていたユランは領主殿を護るように前に出ているが、安心してくれ。彼らの怒りの対象は俺だ。息苦しさにもがき苦しもうにも、足元の水は凍り、拘束の役目を果たしていて球体から逃れられない。意識が遠のく。

『エル、なんてことをいうの』
『死にたいなんて言わないで』
『精霊になればいい』
『エルがいなくなるくらいなら』

 精霊たちの純粋な執着心。彼らの愛が痛い。遠のく意識の中、ごめんね、と囁く。精霊は綺麗なものだ。俺がなっては行けない。
 こんなに愛してくれているのに、生きたいと思えなくてごめん。そうつぶやくと、優しい精霊は俺を抱きしめてくれる。涙を流す精霊たちに、心が抉れる。


「……これが『愛し子』か」

 目の前で水球の拘束から解放され、ぼんやりと座り込む青年を眺める。噴水の縁に座り、背後から少年の姿をかたどった水の精霊が抱きしめている。

 駆けつけたユランも、遠くの家族も精霊の本気の怒りを感じ取っていた。
 彼自身の属性である水元素と刻元素以外の精霊たちも怒っていた。割れた大地に風で倒れた花々は元に戻っているが、領主自身の属性の精霊の燻る怒りはまだ肌に感じている。

「……領主さん、危ないことはしないでくださいよ」
「すまないね。だが、聞き逃せなかった。少しの間だが、私は彼に好感を持っていたし、彼の境遇は有名だから彼の抱える思いも理解出来る。……だからこそ、彼に『死にたい』なんて言わせたくない」

 彼はとても優しい。領民も彼には心を開いていたし、妻も子供も彼を『推して』いるらしい。強く、気高く、美しい彼の抱える憎悪は想像できたが、どこかで彼はで、彼なら大丈夫だと思っていた。……でも、それは間違いだ。
ーー彼はまだ齢19の青年だ。それも、5年間、ただ尊厳を踏み躙られてきた。


「……そろそろ彼は幸せになるべきだ」
「ええ、彼の人生は彼が選ぶ。その権利があるでしょう?」




 ユランは、領主に囁いた。



「……協力、してくれます?」
「あぁ、私にできることならば」
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