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序章 過去は置いていく
上には上がいる
しおりを挟む「大変長い間世話になった。また何かあったら気兼ねなく言って欲しい」
結局1ヶ月ほどベゴニアに滞在することになってしまった。1ヶ月というのはベゴニアを元の形に近づけるには十分な時間だったようで、賑わいながらもどこか擦れた以前の空気感はすっかりと消え、毎日がお祭りだと言わんばかりの盛り上がりであった。
関所まで見送ってくれた多くの市民の前に立つ新領主一族に別れの挨拶をし、礼をとる。この1ヶ月で随分と仲良くなってしまったから、どうにも名残惜しいが、それは向こうも同様なようで、お嬢様が駆け寄ってくる。
「ねぇ、エル様。このままベゴニアで暮らしましょうよ」
「……可愛らしいことを仰る」
クスリと笑ってお嬢様の前に膝まづいて、騎士の最敬礼をとる。賢くも純粋で清らかなこの少女が、社交界に身を置いてもどうか穢されないで欲しいと願う。汚泥のような癒着・忖度の穢い世界。
ーーいや、この方はきっと大丈夫だ。
ただ純粋無垢な訳ではなく、そうあろうとする心が、俺には眩しいのだ。立ち上がって不敬だが頭を撫でると、嬉しそうに引っ付いてくる。可愛い。
多くの市民と別れを惜しみながら、飛龍に跨る。この1ヶ月、復興のお手伝いばかりで寂しい思いをさせてしまったブレインだが、変わらず誇らしそうに吠えてくれる。大人達が初めて見る飛龍に腰を抜かす中、すごいすごいと駆け寄ってくる子供たち。あ、こらやめなさい危ないから。
ユランの方をちらりと見ると、しっかり目が合う。この男とも随分仲良くなった気がする。心配そうに眺める彼にひっそりと笑う。嫌いなはずの騎士団の心配をしていることを笑うと、アンタだからだと言ってくれたユランに、俺もかなり絆されてしまった。
見つめあう俺たちが不満だったのか、ブレインが鼻を鳴らす。目の前にたっていた子供が吹っ飛んだ。おぉ、素晴らしいキャッチだ。
「では、そろそろ行くよ。次は仕事ではなく、観光で来たいな。色んなお店を案内してくれると嬉しい」
空は好きだ。下界での悩みを一時的にでも忘れて、ただ自由になれる。天族が住む浮遊島が遥か上に小さくだが肉眼で見えるのも美しい。気持ち良さそうに飛ぶブレインの項をカリカリとかいてやる。気高く崇高な飛獣であるブレインに頭を下げられたとき、泣きたくなったのを覚えている。自分は彼に忠誠を誓って貰えるような綺麗な生き物ではない。
「……騎士団から出て、自由な、……ユランのような生活がしたいって言ったら、君は笑うかな」
一度考えてしまえば、止まることなくのしかかって来る自由への渇望。何にも縛られず、ただ赴くままに生きるスールの人達。「十傑」と呼ばれる人々の事は勿論知っていたが、国の危険因子という認識しか無かったが、実際はただ強いスールだとユランが可笑しそうに笑った時、彼に見惚れてしまった。
ーーあまりにも幸せそうに笑うんだ。
「………………きっと、許されないけれど、手酷い仕置をされるのだろうけど、……一度、…………いや、俺には…………」
レイモンドの恐ろしい顔が蘇り、身体が震え出す。ベゴニア地方での生活が楽しすぎたからこそ、今から待つ地獄に俺は耐えられる自信が無い。でも、俺には彼から逃れる勇気もない。
もう、帰りたくない。今すぐベゴニアに戻ってくれとブレインに言ってしまいたい。そんな事は出来ないのだけれど。
そもそも、騎士団をやめるというのは本来難しい話ではない。無論、普通の仕事よりは沢山の手続きが必要になるが、ただ辞表を提出し、騎士団での情報を他言しないという誓約の魔法がかかった書類に血胤を押すだけだ。幹部の直属の部下ともなればその誓約も厳しいものにはなるが、やめられない訳では無いのだ。
しかし、俺の場合は話が変わる。元々ベルン村の捕虜として連れてこられた俺は、危険人物の監視という意味で騎士団に入れられている。それこそ、やめるならばレイモンドよりも更に身分が上の、騎士団長か副団長、或いは王族の許可が必要になる(ちなみに幹部は第1~第4までいるが、役割が違うだけで身分は同じである)。
騎士団長や副団長は、レイモンドと同じく俺を虐げる側の人間だから、言ってもただ仕置の人数が1人から3人に増えるだけだ。……となると、残りは王族。つまり不可能という訳だ。
美しい赤髪の第二王子をふと思い出す。精霊の愛を告げながら照れたように俯いていたグレイ殿下。精霊たちの怒りに当てられていたが、大丈夫だっただろうか。謝罪する機会を逃してしまったが、また庭でお会い出来るだろうか。
「……グレイ王子なら、……いや、無理だろうな」
「このまま逃げてやろうか?」
「はは、それはありがたい…………………、え?」
下から聞こえた低い声。この空で言葉を話せるのは俺しかいないはずで。
「ブレイン、君喋れたの?」
「ふん、当たり前だろう。俺は高尚な飛龍だぞ。人に出来ることが俺たちに出来ないわけが無い」
「え、えぇ……」
ブル、と鼻を鳴らすブレイン。今まで喋った事ないじゃないか君。というか、飛獣が喋れるなんて聞いたことがないぞ。先程の悩みが吹っ飛ぶレベルの驚きに語彙力を失ってしまう。
どうやら、飛獣は話すことは出来るが、人間如きの矮小な存在とと言葉を交わす必要は無いといった思考らしい。つまり、ブレインは俺を言葉を交わす存在として認めてくれたらしい。嬉しくて頬が緩んでしまう。ーー表情筋は大して機能していないが。
「……俺も虐げられるお前を見るのは不快だ。俺からも言ってやろう」
「でも、人間とは話したくないんじゃ」
「俺のプライドよりもエルが大事だからこうして口を開いてるんだ。お前は黙って甘えることを覚えろ」
低く腰に響く声の優しさが嬉しい。ブレインの首に抱きつくと、嬉しそうにブルル、と鼻を鳴らす。もっとくっついていいぞ、と笑う彼が愛おしい。
見えてくる王都の街並みに絶望する心が少し癒えていく。
大丈夫だ。俺は大丈夫。人の味方はいなくても、精霊もブレインもいるのだから。
久々の王都はやはり美しいが、整然としていて何となくペゴニアの賑やかさが恋しくなる。騎士団本部の人間たちの嘲笑、嫉妬、悪意の目線に、懐かしさを覚えてしまう自分に、笑いそうになる。
やはり、自分にはもうこの中で生きていくことはできないのだろうな。
「……久しぶりだね。エル」
「お久しぶりです。無事、ベゴニアの街は元の姿を取り戻しつつあります。精霊たちも定住を決めてくれましたし、新領主も王国において有意義な人物かと」
久しぶりのレイモンドに身体が固くなるが、どうにか声を絞り出して報告を済ます。随分と時間がかかったことを指摘されたが、精霊にとって心地が良い環境を作るには時間がかかると言って誤魔化しておいた。……決して、長くいられるようにゆっくり進めたわけではない。
特にやらかした事もないので、不満そうだが何も言われずに退出を許される。扉を閉めて、震える体を叱咤する。手を握りしめ、前を向く。ーーさぁ、ここからが俺の人生の正念場だ。
久しぶりの薔薇園は相変わらず美しく、感嘆の溜息が出る。既に俺の存在に気づいていたらしい精霊たちが集まってくる。しゃがみこんでベゴニアの特産のお土産を置くと、いつもより早い速度で減っていった。
食べ終わって満足そうな(輝きが増した)彼らにしか聞こえない声で囁く。
「……第1王子、エリオット殿下を連れてきてくれないか」
嬉しい。嬉しい。エルが僕たちにお願いごとをしてくれた。可哀想なエル。可愛いエル。ぺごにあってところはいい所だったんだね。エルは自分の居場所を見つけたんだね。
『エリオット、エリオット』
『エルが呼んでるよ』
『内緒のお話』
『エルが助けてって』
『エリオット』
『お庭で待ってる』
『エルを自由にしてあげて』
エル、安心してね。エリオットはいい子だから。 大丈夫だよ。幸せになろうね。
第1王子は日属性だ。この場にいる光の精霊が連れてきてくれるはずだ。
ーーほら。
「相変わらず美しい庭だな」
最敬礼をとる。精霊たちが連れてきてくれた第1王子、エリオット・ルビーは理性的だが冷酷無慈悲な治世でも有名だ。彼に利益のある条件を提示できなければ、俺の願いも到底聞き入れられることは無い。
「殿下、この度は大変……」
「あぁ、口上なんて今はいらない。王子を呼び出すなんて大層な真似をするものだな」
「不敬を行って申し訳ございません。どうか御容赦を」
形だけの応酬が続く。来てくれた時点で王子が俺の無礼を咎めていないこともわかっているし、俺がわかっていることもわかっている。本題に入ろう。
「一介の騎士が私に何の用だ」
「……自分は、騎士団を去りたいと考えています。そのお力添えを、エリオット殿下にどうかお願い致したく」
「……成程な。レイモンドか」
エリオットは、内心笑い出したい程気分が良かった。目の前の青年は恐らく確実に精霊の愛し子で、彼を手中に収めれば、国のさらなる繁栄は約束されたも同然だ。エリオットには、騎士団をやめさせろと言うエルを止めるつもりは無い。彼が思うままに幸せを感じる手助けをすれば、精霊はエリオットを更に信用し、その力も確固たるものになる。エルもエリオットの望みをわかっていて、敢えて第1王子である彼に声をかけたのだろう。
「グレイではないのか?打ち解けていたようだが」
「……第二王子殿下には、止められそうな気がしたので」
「グレイは欲したものは手に入れねば済まない質だからな。寧ろお前の鎖が増えて終わっただろうな」
愚鈍な思考の持ち主ではないエルは、第二王子の微かな好意に気づいていたらしい。益々面白い。王子をも利用してやろうという気概は好ましいものだ。
「第一王子殿下御自身から、自分を退団させるよう進言して下らないでしょうか。俺の発言の同意だと、弱いので」
「あぁ、それは構わないが、俺には勿論見返りはあるのだろうな?」
やはり、彼は無くすには惜しい存在だ。エルが持ち出して来たのは、自由に生きることで得た情報の共有、治安維持の外部からの支援。魅力的の一言に尽きる。
エリオットが病体の王に代わって治世を担う今、法を無視して生きるスールを影から利用できれば、国民からの支持も上がる。
エルが騎士団を去るのは大いなる財産の喪失だが、それ以上の利益を提示されれば仕方がない。
「一週間よこせ。何とかしよう」
「……寛大な御心に感謝致します」
1人廊下を歩くエリオット。
飛龍が舞い降りてくる。
「おや、飛龍殿。……王族とでさえ中々話したがらない堅物の貴方が随分絆されたようで」
「黙れ。ーーエルを裏切るなよ」
「勿論ですとも。彼の退団は必ず約束しましょう」
その先に再びレイモンドに捕まろうが、知ったことではないが。
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