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第一章 幸せは己が手で
愚者の行進.02
しおりを挟むブレインに跨りながら、空を飛び風を切る。幸いな事に天気も良く、美しい街並みや森が瞬く間に過ぎ去っていくのを眺める。天馬に跨って追従していたルナが横に並ぶ。
「兄さんとこうして一緒に帰れるなんて」
「一時的にね」
つれないなぁ、と苦笑するルナを馬鹿にするように天馬が嘶く。勘違いしないで欲しい。俺は村を売って、目の前でミワの皮を剥ぎ、子ども達を丸焼きにした此奴を許してなんかいない。本当ならば今同じ空間にいることさえ不愉快なのだ。俺はもう大人だから、我慢や妥協で一緒に行ってやっているのだ。
しかし。ちらり、とルナを見る。随分と美しく育ったものだ。夜を閉じ込めたような深紫の髪は艶やかで美しく、短く整えられ、丁寧にセットされている。きらきらと無邪気に輝く瞳はエメラルドを嵌め込んだかのような美しい緑。ーー母の髪に父の目の色だ。精霊の愛し子として生を受けた俺は、両親どちらの色も受け継ぐことは無かったから、幼い頃は少し羨ましかったのを覚えている。更に、騎士団の第3部隊隊長を担う身として良く鍛え抜かれた身体は、制服の下からでもその筋肉が感じられる。俺は身体が薄い方だからこれは今でも正直羨ましい。
俺は目を逸らし、そっと伏せた。
過去がもう少し違っていたら、彼の成長を笑って祝うことが出来ただろうか。考えても仕方のない「たら」「れば」を持ち出すのは嫌いだが、そう思わずにはいられなかった。ーーだって、弟なのだ。許せないけれど、決して嫌いになったことはない。
「これから兄さんには、『ロサ王立魔法学園』の男子部の教師として動いてもらう。場所で言うと、騎士団本部とは丁度王城を中心に対角線にある」
「貴族の子息にスールが受け入れられるものかな」
「大丈夫。兄さんが担当するのはXクラスだから」
Xクラスとは、基本的に成績順に分類されているクラス分けの中では最下層となるらしい。しかし、単に成績が悪い訳ではなく、魔力があっても魔法が使えなかったり、寧ろ多過ぎて身体や周囲に影響を及ぼしてしまったりなどで教師に見捨てられてしまった生徒達の集いの場なのだという。素行不良の生徒や単なる無能もいるらしいが、本来あるべき教育を受けることすら出来ず、燻っている。
できる努力をしない無能は嫌いだ。どうやら俺は一番合わないクラスを宛てがわれたわけだ。まぁ、魔力や魔法に問題のある生徒に関して言えば、俺の研究分野に関連のある話だから正直助かる部分もあるが。
本来ならベゴニア地方からは交通が発達した今でも数週間はかかる王都がうっすらと姿を現す。しっかりと整備された赤を基調とする街並みは整然として美しいが、ついこの間まで自然豊かな黄の王国にいたからか、少し殺風景な印象も受ける。関所にはルナが既に話を通しているので、関所にわざわざ降り立たずとも、結界を空中から通り抜けることが出来た。
飛龍と天馬は王国騎士団の幹部クラスの証明でもあるので、地上から歓声が響き渡る。悪いな、片方はスールだ。
「兄さんにはこれから学園の理事長に会ってもらう。貴族にしては珍しい実力主義で面白い人だよ。事情も知ってるしね」
「神子は?」
「『この世界では最強クラスの魔法士がくる』って言えば簡単に入学したよ。ただ、どうしてもっていうんで監獄にいた忌み子も一緒にだけど」
どうやらルナ自身は忌み子こそが本物の神子であるとは気づいていないらしい。そして運のいい事に、本物の神子はXクラスに編成されたようだ。本物の神子を懐柔して動かせばかなり容易にことを運ぶことが出来るかもしれない。
城と騎士団本部と図書館が俺の活動区域であった為、城を挟んで反対側のこちら側は見た事がなかったが、見た所学園が中心となって市場は盛んに回っているようだ。学園は男子部と女子部に別れていて、女子部は王都の外れにあり男子部は王都の中心部にある当たり、男尊女卑の昔の時代の名残を感じさせる。
ブレインを空に旅立たせ、魔法学園に降り立つ。豪奢な校門をルナとともに抜けると、沢山の人間の気配がした。警戒、侮蔑、関心。様々な感情が俺たちを中心に渦巻いている。ここが戦場なら全員殺している所だ。気配はもう少し消せるようになった方がいい。
それにしても、実力不足が過ぎないだろうか。これだけ広大な敷地なのだから、さぞ大人数の優秀な騎士団候補の学生がいるのだらうと思っていたが、感じる魔力が大分希薄だ。ルナに目を向ければ、嘲笑めいた微笑みを浮かべられる。
「実力主義の理事長と、階級主義の学長の食い違いの結果だね。理事長は常に学園を見ていられる訳では無いし、実力主義だからこそ後ろ盾がない分残酷」
「貴族が多い学園で、階級主義の学長がのさばるのも当然って訳か」
仕方の無いことだろう。こんな希薄な魔力しかない雑魚ばかりならば、自分の身分という後ろ盾で得られる立場に甘んじていたいだろう。そもそも学生である前に彼等は貴族なのだから、貴族の階級を無視するなんて考えもしないはずだ。それが嫌なら退学でもなんでもしてスールとして生きればいいだけだ。
あらゆる視線全てを無視して理事長室に向かう。学園の塔のような形の校舎を昇降機で最上階に上がり、現れた重厚な扉のノッカーを鳴らす。ガチャリと音を立て、扉がゆっくりと開いた。
先にルナがはいり、続いて俺が入る。入ってすぐ目に入ったのは、こちらを睨みつける小太りの男と反対ににこやかに歓迎する方眼鏡をかけた優男だった。貴族の礼を取ると、2人が僅かに驚きに目を見張ったのがわかる。
「初めまして。この度はこの様な歴史と名誉ある学園にお呼び頂き恐悦至極でございます」
「ーーブハッ」
ご機嫌取りのために心にもない言葉を紡げば、隣に立つルナが堪えきれないとばかりに吹き出すので、横腹に肘を入れておく。此方を興味深げに眺める理事長とは反対に額に青筋を浮かべた学長が口を開いた。
「理事長殿!私は認めませんぞ!こんな恥知らずのスールが我が校の教師など……学園の名誉に傷が着きますぞ!今年は神子様も入学された特別な年だと言うのに……」
「ずっとこんな感じ。昔っから変わらない」
「成程、衰退するわけだ」
「なんだと……!?ーー我が名はブーラン。火の精霊よーーッヅ!?」
憤慨する学長は、ヒソヒソと話す俺たちにさらに怒りを募らせ、感情荒ぶるまま魔法を繰り出そうとする。学長ともあろうものが詠唱しなければ魔法も使えないだなんて、学生に示しがつくのだろうか?鬱陶しいので凍らせておき、再び理事長に向き直る。
傍観、傍聴に徹していた理事長はクスクスと笑うと、休みなく書類に走らせていた手を止めた。
「ルナくんは久しぶりだね。元気そうでなによりだよ。そしてエル君は初めまして。私は『ロサ王立魔法学園』理事長を務める、ヴィンセント・ブライトだ」
「初めまして」
「歓迎するよ」
暖かな表情は他者に安心感を抱かせるだろうが、彼の目は何処までも冷たい。ルナと親しげに話す姿から悪い人間ではないのだろうが、深く関わらない方が良さそうだ。
ソファに案内され、座らされる。俺は柔らかなソファに腰掛け、ルナは俺の斜め後ろに立つ。理事長が美しい装飾のティーカップを軽く叩けば、澄んだ色の紅茶が注がれていく。俺も持っているなかなか便利な魔法具だ。
はいこれ、と1つの腕輪が渡される。これが自室や教師個人に与えられる研究室の鍵や、食堂でご飯を食べる際の会計の役割もこなすという。腕輪を魔法具にかざせば認証取引が行われる寸法だ。面白い魔法具をまじまじと眺める。作りとしては単純だが、命令式は複雑な良い魔法具だ。成程、金持ち校と聞いてはいたが、相当だな。
「改めて、エル君にはXクラスを担当してもらう。その方が動きやすいだろうからね」
Xクラスとは先にも言った通り、S、A、B、C、D、Xからなるクラス編成のうちの最下層、いわゆる「落ちこぼれ」の集まりだ。彼ら相手に教師は任務を放棄し講義を行わず、他の生徒達からも鬱憤晴らしに暴行を受けることも少なくないとか。学長に苦言は呈したものの、彼が率先してXクラスを迫害するものだから手に負えない。
「辞めさせればいいのでは?」
「貴族社会とは面倒なものでね」
疲れたように苦笑する理事長。随分と参っているらしい。最高権力者であるからこそ、貴族社会の危うさを1番理解していて、行き詰まっている。そして、全く関係の無い立場である俺が掻き回すことで何か変わるのではないかと期待している。
適当に殿下の依頼を熟すだけだと思っていたが、気が変わった。勿論必要以上に関わる気はないが、俺に教えを乞う学生にはしっかりと教えてやろう。せめて半年でAクラスに勝てるくらいには。
講義は通常は各講義を違う教師が担当するのだが、俺はXクラスのみの全教科を教えればいいらしい。学園に通ったことのない俺は経験に基づいた話しか出来ないけれど、大丈夫なのだろうか。尋ねると、理事長は楽しそうに笑う。
「教科書通りの講義なら教科書で十分だ。箱入りの子息達にとって君の話はさぞ興味深いものだと思うよ」
背後でうんうんと頷くルナ。兄さんにもし何かあったら僕にはすぐわかるからね、と笑う彼に寒気を覚える。完全に無視し、紅茶を一気に飲み干し、立ち上がる。
「紅茶、ご馳走様」
「これから宜しく頼むよ」
「えぇ、もちろん」
理事長と話すことがあると言うルナを置いて部屋を出る。とりあえず、研究室とやらを見てみるか。きっと良い設備に違いない、とわくわくしながら精霊に声をかける。
「精霊さん、俺の部屋と研究室まで案内して欲しい」
『任せてエル!』
『会えて嬉しいわ、エル』
「俺もだよ」
蕩けるような笑みに、近くにいた居た学生は顔を赤らめた。
「あれが精霊の愛し子候補筆頭……か。概ね間違いなさそうだけど、アレス殿はよく隠したね」
ルナはムスッとした表情で、兄が飲み干したティーカップをくるくると弄る。足を組みふんぞり返った無礼極まりない姿勢にも、理事長は何も言うことも無く紅茶を啜る。氷漬けの学長がもごもごと怒鳴っているが、無視だ。
「兄さんのこと、好きにならないでくださいね」
「ふふ、さぁね。こんな可愛いことされたらわからないな」
「貴方のことを信用した」とばかりに今まで一切手を付けなかった紅茶を飲み干されれば、相手の好意を擽るのは当然である。「きゅんきゅん」した、と笑う理事長に、顔を歪める。
ーー兄さんは僕のものなのに。僕には兄さんだけなのに、兄さんはいつだって誰かを惹きつけて夢中にさせてしまう。村を潰したって関係ないのだ。兄さんはどこかにまた居場所を作ってしまうのだから。
「監禁したい……」
「相変わらずだねぇ」
君が元首席じゃなかったらとっくに通報してたよ。あくまで実力主義の理事長はほけほけと笑った。
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