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第一章 幸せは己が手で
一歩ずつ.02
しおりを挟む「じゃあ、1人ずついってみようか」
生徒達が緊張した面持ちで1人ずつ魔法具を握っていく。魔力のある生徒は、改めて確認した自分の属性に興奮を隠せないようで、魔力のない生徒は改めてその事実にショックを受けている。仕方ないと割り切るのはそう簡単ではないだろうし、こればかりは時間が必要だろう。魔力の暴走が激しい生徒は2人とも火と光の精霊に適性があるようだ。そしてカシギは火の精霊のみ。
「ミツリ、最後は君の番だ。いつもやっているようにやってみな」
ミツリの番が来た途端、嘲るような声が観衆から上がり、ミツリの身体が小さく震える。しかし、俺が制する前に彼は小さく深呼吸をすると、しっかりとした手つきで魔法具を受け取った。
ーーざわっ
「ーー白だと……?」
背後に立つフローレス家の少年が、美しい純白に染まった魔法具をもつミツリを見つめ、呆然と呟く。「白」は天族の羽の象徴。魔族に人族を売り、混沌をもたらす存在であると言われる忌み子から、まさか「白」が出るとは思わなかったのだろう。動揺するフローレスとは違い、事の重要性に気付かない馬鹿な生徒たちは、「魔族の象徴だ」と口々に叫ぶ。おまけでも付けておいてやろう、と思い、俺はミツリを見つめた。
「何を考えて握った?」
「……先生の疲れが取れますように、と」
思わぬ返答に俺は虚をつかれた。てっきりどこかの誰かの幸せでも適当に願っておいたのだろうと思っていたが、まさか俺とは。別に疲れてないと言っておいたが、彼は曖昧に微笑んだだけだった。しかし、どうにも悪い方向にも作用したようだ。端っこの席で、発色する事のなかったテオドール少年たち魔力のない生徒達が、冷たい表情でミツリを見つめているのが視界の端に見える。
教育というものは難しい。小さくため息をついた。
面白そうなことは終わったと認識した観衆が徐々に帰っていき、残ったのはX組とフローレスのみとなった。何故か帰らない彼は、全員が滞りなく終わったのを確認してから俺の顔を覗き込み、美しい顔で品よく微笑んだ。
耳元で小さく「俺もいいですか」囁かれる。その言葉に否定も肯定もせずにいると、彼は満足そうに頷いて机の上に置かれた魔法具を拾い上げた。
眉を顰める。
澄んだ赤色と金色に輝く魔法具に、生徒達が感嘆のため息を漏らした。流石は王都随一の魔法学校の頂点に立つ存在だ、とでも言いたげな羨ましそうな、あるいは妬ましそうな目線を投げかける。そんな生徒達に見向きもしない彼に、ここにいる光の精霊のきらきらが次々と集まっていくのが見える。しかし、彼はどこか不愉快とでも言いたげな表情でそれを嗤う。
その様子を見た俺は、迷わず口を開いた。彼とは話しておかなければならないことがある。ーー今すぐにでも。
「……今日の講義はこれで終わり。明日までに自分の属性の魔法の命令式の組み方を調べて、できなくてもいいから知識として身につけておくこと。魔力のない生徒は、自分が使いたい武器を考えておくこと。体格とかはこちらで考慮するから、制限なく理想で選んでいいよ」
「は、はい。ありがとうございました」
突然終わった講義に釈然としないまま、しかし生徒達はこれ幸いとばかりに修練場を出ていく。今までまともな講義を受けてこなかった彼らに長時間の拘束は逆効果だ。
最後の生徒が出ていき、修練場には俺とフローレスだけが残った。俺はパチン、と指を鳴らし、俺とフローレスの周囲を氷の半球で囲っていく。ビキビキと凍っていく空間を見つめたフローレスは、何処か眩しそうに目を細めた。とりあえず空いた椅子に彼を座らせ、向き合う。冷えきっていく感情のままに出した声は、低く掠れていた。
「座りなよ。話がある」
「……俺もです。それにしても、やはり氷属性というのは美しい」
「それはどうも。ーー君は随分、危ないことをしているようだ」
精霊の頬を撫でながら頷くと、手伝ってくれた精霊たちが照れたようにくっついてくる。それに対して、俺の言葉にフローレスは徐々に視線を下げていく。冷たく修練場に響いた声は、俺たちを覆う氷に反響して消えていった。
目の前のフローレスからは、身の丈に合わない魔力の気配が大量にする。本来の器だけで言えば、彼は基礎元素を使いこなす程度の魔力しか有していないはずだ。
「俺の前に現れた理由は?」
「十傑第3位、エル様が『魔力増強剤』をお探しだと伺いまして」
「そうだとして、なんのつもり?」
身の丈に合わない魔力を持つということはつまり、この学園の生徒会長であり、王国騎士団第1幹部の倅が国際的に違法である『魔力増強剤』を常用していることに他ならない。やんごとなき身分である彼の不祥事が広まれば、反王国主義者に有利に働く大きな騒ぎになってしまうだろう。しかも、彼の場合はナユタのように自覚なく強制的に使用された訳ではなく、自分の意思で服用している。父子ともに身分剥奪となってもおかしくない。
穏やかに微笑む彼からは、「天堕ち」の気配はない。しかし、どこか薄ら寒い歪さが、俺の警戒を加速させる。理に反する薬を服用しているにもかかわらず、精霊から「嫌われて」いないというのも珍しい。俺ほどではないが、元々精霊からは愛される類の人間だったのかもしれない。机の上に肘をついて祈るように手を組み、手の甲に顎を載せるフローレス。彼の美貌からはなんの感情も読み取れなかった。
「貴方様は、あのフローレス家の嫡男が親を裏切るのかと仰いますか?」
「今フローレス家は関係ないでしょ」
「……ふふ、先輩のの気持ちがわかるな」
クスクスと品よく笑う彼の視線の気持ち悪さに、俺は何となく目を逸らした。此奴からはルナと同じ気配がする。椅子ごと1歩後ろに引くと、悲しいなぁ、と彼は呟いた。
どうやら目の前の彼は、由緒正しいフローレス家を嫌っているらしい。かと言ってレーネ家を捨てた2位のように、スールになりたい訳でもない。魔力増強剤を俺が探していると知っているのなら、俺がそれをよく思っていないことも知っているだろうに、なぜ近づいてきたのか。彼は何処でそれを手に入れたのか。疑問は山ほどある。
次々と急激に降り掛かってくる問題に、思わず天を仰いだ。加速する面倒くささに現実逃避したくなる。
「服用した理由とかは聞いていいの?」
「貴方様にならなんでも」
芝居がかった台詞を吐く彼は、ゆったりとした口調で静かに話し始めた。
要約すると、王族の分家筋のフローレス家の長男として生まれ、周囲の期待を一心に背負ったエドアルド・フローレスは、期待に応えられる魔力でなかったが故に両親やから見捨てられ、社交界はおろか使用人からも蔑まれた結果グレたというわけらしい。もう死んでもいいやと思いながら家出をした先で、怪しい男から貰った瓶を大量に飲んだ結果、運良く相当量の魔力を手に入れた、と。
ちなみに、話の序盤の段階から彼の話がそこそこ聞かれては不味いものだと判断した俺は、盗聴防止用の魔宝具を作動させておいた。しかし、彼の立場では俺のように元々魔力が多い人間は忌み嫌う存在になると思うのだが、何故ここまで好意的なのか。警戒を解くことなく彼を見つめると、そんな俺の様子に少しだけ寂しそうな顔をしたフローレスは、ひとつ息を吐き、目を閉じた。
「俺に接触しない方が良かったんじゃないの?スールに騎士団の弱みを握らせるなんて随分と馬鹿なことをするね」
「……馬鹿なこと、でしょうか」
「ーー何?」
目を開けたフローレスの顔を見た俺は、驚愕のあまり息を飲む。ーーそんな、まさか。
「おまえ、ーー『ABYSS』!?」
ありえないありえないありえない。
コツコツと早足で廊下を歩く俺を、通りすがりの生徒達がぽかんと見つめてくるのも素通りして、唯自分の部屋へと急ぐ。『ABYSS』が関係してくることは予想していたが、本人がいるとは思っていなかった。最悪だ。神子のヒントまでやってしまった数時間前の自分を殺したい。
品格も何も気にすることなく荒々しく扉を開け、部屋に入った俺は、通信魔法具を急いで起動させる。ザザ、と荒い音がしてすぐ、ゼストの単調な声が室内に響く。
『ーーどうした?この時間帯に、』
「魔力増強剤の出処は『ABYSS』だ。閉鎖的な学園内に出回った理由もわかった。名前は伏せるけど学園関係者の中にABYSSの人間がいる」
『何だと!?ーーどうやって知った?』
「直接接触された。ABYSSってことは確実に大元は黒の王国」
『ーー……。』
「なんでこんな面倒臭いことに……」
向こう側からも疲れきった溜息が聞こえてくる。俺も思わず座椅子に崩れ落ち、俯いた。
『ABYSS』とは、この世界に存在する『四大闇ギルド』と言われる犯罪組織のうちの一つで、とにかく「強者第一主義」「魔法第一主義」を掲げ、現在の貴族制度崩壊を目指して活動するギルドだ。魔力のない人間を虐殺したり奴隷にしたりと残酷無慈悲な行動で有名で、世界中で問題視されている。ABYSSの人間だと判別する方法としては、片目に魔法具で刻印された『ABYSS』の文字が浮かび上がっていることくらいだが、フローレスのように普段は大抵魔法で隠しているので、大した特徴にはならない。
じつは俺も、騎士団を去った当初はABYSSにかなり勧誘され、追い回された経験がある。俺は魔力のない人になんの恨みも持っていないので勿論断ったが、イカレ野郎ばっかりである印象しかない。まさか、貴族落ちした王族がABYSSに加入しているなんて、下手をすれば王国内部の機密情報も漏れだしている危険性すらあるぞ。ーーというか、しているだろう。近年闇ギルドが活発化してきた背景が少しづつ見えてきた。頭痛がする。
これ以上魔力増強剤の出処を追うのは不味いかもしれない。俺はただ自由に過ごしたいだけで、お節介をやいて回りたいわけじゃないのだから。通信魔法具を切り、隠す。ここに置いた物も、再度箱庭に避難させておいた方がいいだろう。俺の生活の殆どは、ABYSSの監視下に置かれていると考えておくべきなのだから。
伸し掛る疲労から逃げるように指で眉間をもみ、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
パチリ、と瞬きをする。
外に気配を感じ、体制を立て直した途端、コンコンとノッカーを鳴らす音がした。入るように促すと、ゆっくりと扉を開けて1人の少年が入ってくる。俺は所在なげに佇む彼を通し、小さな椅子に座らせ、紅茶と茶菓子を机の上に置いた。
「どうしたの。テオドール」
「……すみません」
「いいよ。何かあった?」
穏やかに問いかければ、俯いていたテオドール少年は顔を上げ、真っ直ぐに俺の目を見つめる。その頬に湿布が貼ってあるのを今更気付き、俺はそっと彼の頬に触れた。小さく揺れる彼の頬をするりと撫でる。
「喧嘩でもしたの?」
「……はい、カシギの奴と。」
「そう」
「今日はごめんなさい。俺、先生が俺たちをどこまで許してくれるのか試してた。どこまでしても見捨てないでくれるのか、怖くて仕方がなくて」
震える声で、両手を固く握りしめて語る彼に、そんなとこだろうと思っていたとはいえず。今まで虐げられていた奴隷が突然自由になった瞬間、その自由が恐怖の対象になり何処まで許されるのか試した結果、捕えられるという事例は非常に多い。彼らも、俺が今までの担任と同じか試さずにはいられなかったのだろう。優しく頭を撫でれば、小さな嗚咽が部屋に零れ出した。
数十分後、目元を赤くして恥じ入る彼に、俺はもう一度暖かい紅茶を注いでやる。鼻をすすりながら、羞恥の感情を隠すように紅茶を飲むテオドール少年は、小さく口を開いた。
「お恥ずかしいところを……」
「泣けるうちに泣いておくといい」
「……先生は、大人になってから、泣きたいと思ったことはありますか?」
共感を求めるように甘えた声を出すテオドール少年。彼の質問に、反対側を向いていた俺は気付かれないように冷たく笑う。ーー言ったろう。泣くことが出来るのは、それを許された人間だけだ。俺の涙はもう、とうの昔に固く凍って割れてしまった。
「明日からは全員でちゃんとします」
「うん。今日はもう早く寝な」
「はい、おやすみなさい」
何か重いものから開放されたようなスッキリとした顔で出ていく少年を見送り、扉を閉じる。彼の中にある劣等感や嫉妬心が、俺がいる内に少しでも昇華されればいいと思う。
扉の鍵をしっかりと強化して閉めた俺は、倦怠感に身を任せて地面に倒れ込んだ。精霊たちが焦ったように駆け寄ってくる。
『エル、大丈夫?』
『エルこれ以上は危ない』
『エリオットのお願いだけにしよ』
『早く帰ろ』
『ベッド行こ』
精霊たちが次々に予言してくれる危機を耳に入れながらも、色々と疲れきった俺の体はもう思い通りに動かない。暗雲立ち込めるような現状を今だけは見ないように、そのまま重い瞼に蓋をした。
「マスター。本日エル様と接触致しました。彼の目的である魔力増強剤の出処がABYSSであることは伝えましたがよろしかったでしょうか」
『ーーあぁ、よくやったエドアルド。それでいい』
「恐悦至極にございます」
『エルはどうだ』
「……彼の魔力から生み出された氷魔法があれ程美しいとは。神秘のようでした」
『もうすぐだ。もうすぐでーー』
「あと1つお耳に入れたいことが。X組に配属された忌み子にエル様の魔法具を握らせた結果、天族の象徴であるはずの純白に染まりました。ーーもしかしたら……」
『どちらにせよ、異界から来た魔力もないつまらん餓鬼に興味はない。時期を見て2人とも殺せ』
「……かしこまりました」
魔法具を切り、エドアルド・フローレスは、機械仕掛けの人形のようなひび割れた笑みを浮かべた。
「エル様。俺達ABYSSが敬意と愛を持ってお迎えにあがりますからね」
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