氷使いの青年と宝石の王国

なこ

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第一章 幸せは己が手で

過去と今.01

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(テオドール視点)


 上から降ってくる氷を難なく避ける。
 先生の言われた通りに生活を改善してからは、随分と身体が着いてくるようになった。俺以外のX組の生徒も、ついこないだまでの自分では想像もつかない程身体能力が向上している。最初の方は水浸しになっていたが、今では氷でも怪我なく基礎修練を終えることができるようになった。

 そんな俺たちを感情の無い目で眺めながら、時折紙に何か書き記している先生をちらりと見る。

 長く伸ばされ、耳の下で深緑のリボンで緩く結われた(リボンの色は日によって変わるが)美しい銀の髪は天の光に当てられて美しく輝いている。
 そして、前を見て目にぎりぎりかからない程度の位置で切られた前髪からはうつむき加減の紫の目が覗く。紫色の目なんて俺は生まれてこの方先生以外に見たことがない。まるで見るもの全てを魅了するかのように美しく煌めくその目は、しかしどこか憂いを含んでいて飽きさせない。それだけではなく、先生の目は時折パチパチと金色に輝く時がある。何処かの組の生徒達が、彼が見ている沢山の精霊の輝きが映っているのではと噂していた。
 更に、両耳を彩るピアスは右側だけ肩に届く程長い。魔法具らしいそれの機能はまだ見たことがないが、その特徴的なデザインも彼の魅力を底上げする材料のひとつなのだろう。
 透き通る声と感情の起伏のない話し方は、しかし穏やかでなんとなく気を惹かれてしまう。彼から荒い感情を引き出したくなる謎の欲求すら湧くのだから不思議だ。スールの中で最も人気があるというのも頷ける。


「はい、おわり。お疲れ様」


 先生の声と共に、地面に突き刺さっていた氷が姿を消す。彼の労りの声と同時にどっと疲れが押し寄せて、生徒達と同じように俺も地面にしゃがみ込んだ。今回は身体に傷一つ付けずに終えることが出来た。怪我をした生徒が先生から包帯を受け取るのを見つめ、少し嬉しくなる。最初は講義で怪我なんて、と喚いていた他の生徒も最近では包帯を勲章であるかのように見せつけて歩くようになった。それだけ先生のことが好きなのだろう。


「せんせー、今日は何やるの?」
「んー、今日はS組と合同修練」





ーーブフゥッッ!

「ーーは?」


 思わず聞き流しそうになった先生の言葉に飲んでいた水を吹き出した。近くに座るカシギとミツリが水筒を取り落とす。わいわいと喋っていた生徒達が静まったのを見て、先生が気まずそうに目を逸らす。きっと彼も本望ではなかったのだろう。


「絶対馬鹿にされる……」
「見世物だよね」


 最近耳にしなくなった卑屈な台詞があちこちから上がる。俺だって同じで、思わず先生を恨めしそうに眺めてしまう。S組なんて、騎士団・王城入りが確定していると言っても過言ではない程の実力者の集まりだ。S組に入れば将来を約束されるとも言われる。……せめてD組が良かった。




 丁度その時間が来たのか、修練場の扉が開き、質の良い修練着に身を包んだS組の生徒達が入ってくる。X組は修練着すら前の最高学年のお古なのに。みすぼらしい自分達を眺める侮蔑の目に、恥ずかしくなってしまう。去年までの自分に一気に戻されたようなーー夢の終わりを告げられたような気分だった。


「うわぁーーー!!ここが修練場か!すげぇなー!ん?アイツらなんであんな汚い服きて怪我してるんだ!?あ、ミツリもいるじゃねーか!」


 広い修練場の扉から中心にいる俺たちの所まで聞こえる大音量に、先生が微かに眉を顰める。神子様が現れたのだ。俺たちは迷いなく地面に跪く。
 忌み子であるミツリに気付いた神子様は迷いなく走り寄ってきて、ミツリに手を伸ばしーー思いっきり氷の壁にぶち当たった。うわ、絶対痛い。

 しん、と静まり返る。鼻を打ったらしい神子様は、地面に蹲って唸っている。氷の壁を隔てて座るミツリが何処かほっとしているのがわかった。それを見たカシギがミツリを連れて、俺の隣にくる。巻き込まれたくないので思わず嫌な顔をしてしまったが、小突かれて終わった。


「まだ始まってないんだからS組の所に戻ってくれる?」


 冷涼な声が響いた。唯一跪くことなくたっていた先生は、今までに見た事がない程冷たい目で神子様を見下ろしている。その目には憤慨して近寄って来ていたS組の生徒達も、顔を上げた神子様も固まってしまう程の侮蔑が込められていて、向けられていない俺も思わず身震いしてしまう。
 我に返った神子様が、白磁のように白く美しい顔を真っ赤にした。


「ーー最低だ!!俺は神子だぞ!!精霊の愛し子なんだぞ!!!なんてことするんだ!」


 へぇ、君が、と興味無さげに呟く先生に今度こそ唖然とした様子で神子様は固まった。それはそうだろう。神子様と聞いて興味を持たない人などこの国にはいない。俺だって、精霊の愛し子と聞いてずっとお会いしてみたかった。普段は生徒会室や風紀室で保護されているらしい彼には、今日この日まで会うことが出来なかったが、金色の美しい髪と蒼色の目は宝石のようで、きっと物語に出てくる天族が人になったらこんな容姿なのだろうと思う。
 だけど、正直先生の方が個人的には惹かれる。


「貴様、麗しの神子様に怪我を負わせたな?」


 カツン、カツン、と質のいい靴の音が響き、S組の教師が近づいてくる。どうやら合同修練とは名ばかりで、X組先生をズタボロにしたいだけらしい事だけは伝わってきた。だって、彼は修練場に入ってきてからずっと俺たちの方を見やしないで先生だけを見ている。
 対して、先生は大罪だなんだと喚く神子様やS組の教師の方を一瞥もせずに無視して俺たちの方にやってくると、ミツリの前にしゃがみ込んだ。


「ミツリ、怪我はない?」
「は、はい……でも、先生が……」


 神子様に楯突くなんて下手したら処刑されてしまう。それを心配しているのだろうミツリに先生は目を細めた。関係ない俺が顔を赤らめてしまい、思わず目を背ける。俺が敬うのは精霊だけだからね、と優しくミツリの頭を撫でながら告げる先生が格好良くてどきどきと胸が高鳴った。ミツリも安心したように笑う。

 ちなみに、俺を含むX組の生徒達は、ミツリを忌み子だと罵る度に先生にお前らもだろうと罵られ続けた結果、仲直りするに至っているが、それはまた別の話。





 修練場の観客席にはX組とS組の合同修練だと聞きつけた生徒達が集まっていて、学園祭かと思う程の盛り上がりを見せている。生徒会役員の姿も見えて、緊張で固まってしまう。
 S組の担任の憤怒の罵りを受け流した先生が、萎縮する俺たちの方に向き直った。


「今から合同修練をする訳なんだけど、『空間結晶』貸出は断られたから、現実空間での戦闘になる」


 空間結晶とは、亜空間に入ることで、戦った時に中で負った怪我や疲労、魔力消費を現実空間に持ち越さずに修練ができる便利な魔法具や事だ。騎士団や魔法学園でよく使われるがとても高価なので、合同修練とはいえX組の修練ごときに貸し出して貰えなかったらしい。先生は現実での戦闘慣れしているが、俺たちはそうでない為、理事長に打診してくれたらしいが、勿論叶わなかったみたいだ。


 修練の内容は一対一の戦闘で、初戦は俺らしい。余裕そうな対戦相手は確かに沢山の魔力を持っていて、諦念や劣等感、羞恥が込み上げてくる。飛んでくる罵声に萎縮してしまい俯いていると、先生が俺に近づいてきた。テオドール、と穏やかな声で呼びかけられ、覗き込まれる。しかし俺の目とは反対に、先生の目には敗北の色は全くなくて、どきりと胸がなる。
 俺を真っ直ぐに見つめ、先生は優しく肩を叩いた。


「向こうの生徒達はこっちを舐めきっているから、先ず持って適当な魔法で倒そうとしてくるだろう。だからこそ、最初の一撃を避けて、肉薄しろ。一撃で倒してやれ」
「……」
「テオドール、君なら勝てる」
「……。はい、先生」


 自分でも驚くほど穏やかな声に、X組の生徒達の応援の声が大きくなる。どうやら俺たちの怖気ついた様子が見たかったらしいS組の対戦相手は不愉快そうだ。ーーああ、本当だ。油断してる。
 ミツリが祈るように両手を組んでこちらを見ているのが見えた。その途端、身体の底から力が湧いてくるような不思議な心地になる。




 S組の教師の声で、前に出る。先生が用意してくれた、木剣を握りしめた。


「ーーはじめ」
「我が名はレックス。火の精霊よ、我が願いを聞き届け、全てを燃やし尽くす炎となれ!」


 相手の声と共に巨大な炎が上がり、俺を焼き尽くさんと襲いかかってくる。嘲るような汚い笑顔を浮かべる相手に、俺は先程までの緊張が嘘のように穏やかな気分だった。


 いいよな。お前は当たり前のように魔法が使えて。ずっと羨ましくてたまらなかった。
 同じ伯爵家の子息という立場であるお前は、ことある事に俺を馬鹿にして来た。でも、それは全て事実だったから俺は何も言い返さなかった。ーーでも、これからは違う。俺は十傑3位の氷を毎日避けてきたんだ。 


 襲い掛かる先生の氷に比べれば、目の前の炎なんてカンナ産の牛(世界一動かない牛)よりも遅く見えた。大きく広がる炎を避ける。しかし、微かに頬に炎が当たり、肉を焦がす匂いと痛みに顔を歪める。相手の笑みが深まった。

 痛い。
 でも、先生の氷が当たった時の方が痛かった。

 素早く体勢を立て直し、呆然と立つ相手に肉薄する。まさか避けられると思っていなかったのか、慌てたように今更木剣を抜こうとする彼。ーーもう遅い。背後に回りこみ、首スレスレに木剣を当てる。抵抗されては困るから、彼の膝を背後から蹴って体勢を崩すのも忘れない。


「そこまで」


 何処かゆっくりと流れていた時間が、先生の声で普通に戻る。はっとしてと先生の顔を見ると、先生は嬉しそうに微笑んでいた。しゃがみこむ対戦相手は羞恥に顔を真っ赤にしているし、観衆は呆然と言葉を失っている。


「テオドール。君の勝利だ」
「ーーずるだ!!ずるに決まってる!」


 わんわんと無様に叫ぶ相手の言葉なんて耳に入らないまま、俺は先生に抱きついた。「おめでとう」と微笑む彼に、ぼろりと涙がこぼれる。心無しびっくりとしたように目を見開いた先生は、しかし俺を突き放すことなく抱き締めてくれる。氷魔法で俺の焼けた頬を冷やしながら頭を撫でてくれる先生の胸に顔を擦り付けた。愚図る俺に気まずくなったのか、先生が身じろいだ。


「ーー俺は泣かせてない」
「や、ある意味先生です」


 カシギの声に、クスリと笑う。同じような事を前に俺も言った。先生は悪い男だ。俺も攻めるように抱きつく力を強めてやる。だって仕方ないだろう。生まれて初めて誰かに勝って、初めて誰かに褒められたのだ。もう死んでしまおうかとすら思う日もあったけれど、俺はきっと先生に会うために生まれてきたんだ。
 鼻をすする俺の周りに、生徒達も駆け寄ってきてくれる。


「よくやったレーネ」
「……ありがとう真面目くん」
「真面目くんはやめろ!僕はカシギ・フィライトという名前があるんだ!」
「はは、うん、ありがとうカシギ」
「ーーッッふ、ふん!……お、おめでとう。凄かったぞ」


 笑って、また1つ涙を零せば、カシギは呆れたように拭ってくれる。



 あぁ、これが幸せか。
 俺は感情の読めない普段の彼に戻った先生を見上げ、にっこりと微笑んだ。


「ありがとう、先生!ーー大好き」

 
 見開かれた紫色の目に金色のきらきらとした粒が光る。俺には姿を捉えることが出来ないけれど、この場にいる精霊が祝福してくれているのかも知れないと思うと、罵声も嘲笑ももう何も気にならない。先生の目を見つめていると、自分の中から陰鬱とした劣等感がさらさらと消えていく気がした。

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