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本編 この度、記憶喪失の公爵様に嫁ぐことになりまして
ニックの嘆き
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俺の名はニック。公爵家の新しい料理人。
元はデニーロ伯爵家で働いていた。だが、アシュリーお嬢様がエステル公爵に嫁ぐとき伯爵家を辞めてこのレグナにやってきた。理由は至極単純な事。
──アシュリーお嬢様を見守る為
彼女は俺の恋人だったメアリーの娘だからだ。
俺とメアリーは同じ田舎から男爵様の紹介状を持って、デニーロ伯爵家に奉公に来ていた。
だが、使える主の若い当主のガストールはクソみたいな奴だった。女癖が悪くて次々と若いメイドに手を出して、その度に親が慰謝料と云う名のはした金を渡して不問にしていた。
夫人のエビータは、高慢ちきな浪費家で、着飾って夜会やお茶会に行くことが大好きな人間だ。そんな親から生まれた一人娘のウルスラも同じように高飛車な人間に育っていた。使用人を家畜の様に扱う娘に……。
メアリーが16才になった頃、事件は起きた。
酒癖の悪い当主、ガストールがメアリーを自室に連れ込んだ。
その後は思い出したくもない記憶だ。
彼女はその一回の行為でアシュリーお嬢様を孕んでしまった。
もし、彼女が子供を宿さなかったら、俺はメアリーを連れて何処か遠くへ逃亡していただろう。
もし、彼女がアシュリーお嬢様の様に、屋根裏から出る勇気を持っていたなら、俺は二人を連れて逃げていた。
そうなら、今も彼女は生きていて、俺とアシュリーお嬢様と三人で暮らしていたかもしれない。
どんなに悔やんでも仕方がないことなのだが……もしもを考えてもきりがないがどうしても考えてしまう。
メアリーは子供が出来たことで、屋根裏部屋に監禁された。というより放置されたのだ。
料理人は厨房と自室以外の場所をうろつくことが出来ない。時々、屋根裏の側にある木を登って、メアリーを励ましていた。
見つかると不義だと難癖つけてメアリーは殺されるかもしれないからだ。
俺たちは密かにそうやって会っていた。
アシュリーお嬢様が生まれた時、彼女の心は半分壊れていて「見てニック、私達の可愛い赤ちゃんよ」そう言って俺に向かって微笑んでいた。
俺には残酷な現実だったが、メアリーにとってはそう思い込まなければ完全に狂っていたのかもしれない。
メアリーの希望通り、俺はアシュリーお嬢様を自分の子供の様に思って見守っていくことを決心した。
メアリーは俺との子供だと思い込んで慈しんで、アシュリーお嬢様を育てた。
だが、そんな細やかな幸せも長くは続かなかった。アシュリーお嬢様が10才の年、メアリーは亡くなった。
その時、俺はウルスラお嬢様のお披露目会の準備に忙殺されていて、メアリーたちの様子を見に行けなかった。
気付いたら一週間も経っていた。
屋敷のメイドが屋根裏部屋から妙な匂いがすると言って、屋根裏部屋を調べたら、死んだメアリーの傍で、アシュリーお嬢様は呆然自失で座り込んでいた。その瞳は何も映していない虚ろな目をして、無表情だった。
俺は後悔した。何故もっと早く屋根裏部屋から二人を連れて逃げていればこんなことにはならなかったのに……。
それから、アシュリー様は暗闇を恐れる様になり、雷を怖がった。それはメアリーが亡くなった時、外は嵐で部屋の中は暗かったからだ。
それから、俺は夜はこっそりアシュリーお嬢様についていた。特に嵐の夜は彼女を宥めて寝かしつける様にしていた。
メアリーが死んでから感情を表面に出さなくなったアシュリーお嬢様。
でも、神様は見捨てなかった。
このエステル公爵家に来てからは、アシュリーお嬢様は毎日楽しそうだ。公爵様と一緒にまるで子供の頃をやり直しているように…笑ったり怒ったりしている。
俺はホッとした。
デニーロ伯爵家を辞めた俺に公爵様は声をかけてくれた。彼はアシュリーお嬢様の望みを叶える為に俺を雇い入れた。
そんな俺にここの使用人らが快く思っていない事は知っている。だが、アシュリーお嬢様を悪くいう事だけは許さない。
お嬢様付きのメイドがお嬢様の悪口を言っているのを聞いた俺は彼女を怒鳴りつけた。
メイドの名はマリーといった。
俺に怒鳴られて驚いていたが、それでも俺は「余計な事を言ったりするな!!」と言ったのだ。
侍女やメイドはやたらと公爵様とアシュリーお嬢様の仲を進展させようとしている。
俺からすれば、ここの使用人らは公爵様を大切にしているが、それは本人の意思を尊重していない物だと思う。
昔から王子であることを嫌がっていたのなら、もう公爵になったんだから、彼の望みは叶ったのに使用人たちは未だに「殿下」呼びだ。
誰一人として「公爵閣下」と呼ばない。
それは王子でなければラインハルトという人間を認めないとでも言っているように……。
そのことを使用人らの前で言った。
「あんたたちが公爵様を『殿下』呼ばわりしている間は、ラインハルト様は記憶喪失のふりを続けなきゃあいけないんじゃあないのか?あんたたち自身が公爵様の幸せを遠ざけている原因の一つだろう」
そういうと執事長のルファス様が「確かに一理ある」そう言った。
この日は、公爵様がルファス様に使用人らの過剰なアシュリーお嬢様に対する行いを注意するために集められたのだ。
公爵様はご自身で気付かない程、お嬢様に惹かれている。
俺が言った言葉の意味をその場の全員の使用人が重く受け止めたようだ。次の日から彼らはラインハルト・エステルを『殿下』と呼ばなくなった。
皆が『公爵様』か『閣下』、『ご主人様』、『旦那様』と呼んでいるのに、一人家令のロータス様だけが『殿下』と呼んでいる。
全くブレない人だと思った。
アシュリーお嬢様を俺も『アシュリー奥様』と呼ぶことにした。
俺なりの過去との決別の意味も含めてだが、今はまだ心名中でだけ『アシュリーお嬢様』と呼んでいる。
それは、これからも変わらない。ずっと永遠に…俺の最愛の妻メアリーが産んだ俺たちの愛しい娘。そう思っているからだ。
元はデニーロ伯爵家で働いていた。だが、アシュリーお嬢様がエステル公爵に嫁ぐとき伯爵家を辞めてこのレグナにやってきた。理由は至極単純な事。
──アシュリーお嬢様を見守る為
彼女は俺の恋人だったメアリーの娘だからだ。
俺とメアリーは同じ田舎から男爵様の紹介状を持って、デニーロ伯爵家に奉公に来ていた。
だが、使える主の若い当主のガストールはクソみたいな奴だった。女癖が悪くて次々と若いメイドに手を出して、その度に親が慰謝料と云う名のはした金を渡して不問にしていた。
夫人のエビータは、高慢ちきな浪費家で、着飾って夜会やお茶会に行くことが大好きな人間だ。そんな親から生まれた一人娘のウルスラも同じように高飛車な人間に育っていた。使用人を家畜の様に扱う娘に……。
メアリーが16才になった頃、事件は起きた。
酒癖の悪い当主、ガストールがメアリーを自室に連れ込んだ。
その後は思い出したくもない記憶だ。
彼女はその一回の行為でアシュリーお嬢様を孕んでしまった。
もし、彼女が子供を宿さなかったら、俺はメアリーを連れて何処か遠くへ逃亡していただろう。
もし、彼女がアシュリーお嬢様の様に、屋根裏から出る勇気を持っていたなら、俺は二人を連れて逃げていた。
そうなら、今も彼女は生きていて、俺とアシュリーお嬢様と三人で暮らしていたかもしれない。
どんなに悔やんでも仕方がないことなのだが……もしもを考えてもきりがないがどうしても考えてしまう。
メアリーは子供が出来たことで、屋根裏部屋に監禁された。というより放置されたのだ。
料理人は厨房と自室以外の場所をうろつくことが出来ない。時々、屋根裏の側にある木を登って、メアリーを励ましていた。
見つかると不義だと難癖つけてメアリーは殺されるかもしれないからだ。
俺たちは密かにそうやって会っていた。
アシュリーお嬢様が生まれた時、彼女の心は半分壊れていて「見てニック、私達の可愛い赤ちゃんよ」そう言って俺に向かって微笑んでいた。
俺には残酷な現実だったが、メアリーにとってはそう思い込まなければ完全に狂っていたのかもしれない。
メアリーの希望通り、俺はアシュリーお嬢様を自分の子供の様に思って見守っていくことを決心した。
メアリーは俺との子供だと思い込んで慈しんで、アシュリーお嬢様を育てた。
だが、そんな細やかな幸せも長くは続かなかった。アシュリーお嬢様が10才の年、メアリーは亡くなった。
その時、俺はウルスラお嬢様のお披露目会の準備に忙殺されていて、メアリーたちの様子を見に行けなかった。
気付いたら一週間も経っていた。
屋敷のメイドが屋根裏部屋から妙な匂いがすると言って、屋根裏部屋を調べたら、死んだメアリーの傍で、アシュリーお嬢様は呆然自失で座り込んでいた。その瞳は何も映していない虚ろな目をして、無表情だった。
俺は後悔した。何故もっと早く屋根裏部屋から二人を連れて逃げていればこんなことにはならなかったのに……。
それから、アシュリー様は暗闇を恐れる様になり、雷を怖がった。それはメアリーが亡くなった時、外は嵐で部屋の中は暗かったからだ。
それから、俺は夜はこっそりアシュリーお嬢様についていた。特に嵐の夜は彼女を宥めて寝かしつける様にしていた。
メアリーが死んでから感情を表面に出さなくなったアシュリーお嬢様。
でも、神様は見捨てなかった。
このエステル公爵家に来てからは、アシュリーお嬢様は毎日楽しそうだ。公爵様と一緒にまるで子供の頃をやり直しているように…笑ったり怒ったりしている。
俺はホッとした。
デニーロ伯爵家を辞めた俺に公爵様は声をかけてくれた。彼はアシュリーお嬢様の望みを叶える為に俺を雇い入れた。
そんな俺にここの使用人らが快く思っていない事は知っている。だが、アシュリーお嬢様を悪くいう事だけは許さない。
お嬢様付きのメイドがお嬢様の悪口を言っているのを聞いた俺は彼女を怒鳴りつけた。
メイドの名はマリーといった。
俺に怒鳴られて驚いていたが、それでも俺は「余計な事を言ったりするな!!」と言ったのだ。
侍女やメイドはやたらと公爵様とアシュリーお嬢様の仲を進展させようとしている。
俺からすれば、ここの使用人らは公爵様を大切にしているが、それは本人の意思を尊重していない物だと思う。
昔から王子であることを嫌がっていたのなら、もう公爵になったんだから、彼の望みは叶ったのに使用人たちは未だに「殿下」呼びだ。
誰一人として「公爵閣下」と呼ばない。
それは王子でなければラインハルトという人間を認めないとでも言っているように……。
そのことを使用人らの前で言った。
「あんたたちが公爵様を『殿下』呼ばわりしている間は、ラインハルト様は記憶喪失のふりを続けなきゃあいけないんじゃあないのか?あんたたち自身が公爵様の幸せを遠ざけている原因の一つだろう」
そういうと執事長のルファス様が「確かに一理ある」そう言った。
この日は、公爵様がルファス様に使用人らの過剰なアシュリーお嬢様に対する行いを注意するために集められたのだ。
公爵様はご自身で気付かない程、お嬢様に惹かれている。
俺が言った言葉の意味をその場の全員の使用人が重く受け止めたようだ。次の日から彼らはラインハルト・エステルを『殿下』と呼ばなくなった。
皆が『公爵様』か『閣下』、『ご主人様』、『旦那様』と呼んでいるのに、一人家令のロータス様だけが『殿下』と呼んでいる。
全くブレない人だと思った。
アシュリーお嬢様を俺も『アシュリー奥様』と呼ぶことにした。
俺なりの過去との決別の意味も含めてだが、今はまだ心名中でだけ『アシュリーお嬢様』と呼んでいる。
それは、これからも変わらない。ずっと永遠に…俺の最愛の妻メアリーが産んだ俺たちの愛しい娘。そう思っているからだ。
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