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最終章 彼女の会話はとめどない
足掻いても足掻いても 1
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ザイードは、腕組みをして座っている。
キャスのことを考えていた。
家の中は、とても静かだ。
それを寂しく感じている。
(結局、余は言えぬのだな)
言わなければ後悔する、と思った。
だが、ザイードは言わないことにしたのだ。
キャスの気持ちが自分にないからではない。
臆病だからでもなかった。
キャスの覚悟を悟ったからだ。
アヴィオとナニャは、長としての優位性を突きつけ合っている。
お互いに好意があっても、長同士は番にはなれない。
どちらかが、長を退く必要があった。
それと似ている。
キャスは、自らを「ラーザの女王」だと名乗ったのだ。
それは、ひとつの種族をまとめる立場を明確にしたという意味を持つ。
魔物でも、個としての種族間の交わりはあれど、種族同士がひとつになることはないのだ。
子が大人になるまで領土を出ないのは、生きるすべが違うからだった。
それぞれの種族には、それぞれの生きかたというものがある。
食べるものの違いに、狩りの仕方や家の作りかた、着るものも言葉遣いも違う。
それを学んだうえで、他の種族とのつきあいを考えるのだ。
魔物という大きな括りの中では同胞でも、その前に同種のものの存在がある。
魔物は自然の理で生きてはいるが、各種族の特徴を受け継いでいた。
自分の種族を知らなければ、ほかの種族との違いを認められなくなる。
逆に言えば、自分とほかの種族は違うのだという前提にいるので、その違いを、当然のこととして受けとめられるのだ。
『人になろうとしても、魔物は魔物にござりますれば』
ラシッドの言葉を思い出す。
ザイードは、わずかに苦笑いをもらした。
「……3桁にもならぬ弟に、理を説かれるとはの……情けなき兄ぞ……」
ラシッドの言う通り、魔物は人にはなれない。
人も魔物にはなれない。
番になることはできるだろうが、互いの持つ理が混じることはないのだ。
それは、どうやってもわかり合えない、受け入れることのできないものができるということを意味する。
キャスは、魔物でいう「長」だと、自らで示した。
だが、キャスは魔物ではないのだ。
今までは、人でもなく、中間種だったのだけれども。
(そなたは、人であることを選ぶのだな)
キャス自身が、そう決めている。
なんの覚悟もなく言ったわけではないだろう。
わかっているので、ザイードは、自分の心を打ち明けないことにした。
人と魔物は共存できない。
キャスも、そう思っているに違いない。
わかっていて「ラーザの女王」を名乗った。
ならば、それをザイードは受け入れる。
そう決めた。
キャスが、それでも、魔物を守ろうとしていると、知っていたからだ。
そのためにこその覚悟であり、決断だった。
尊重しないなど、有り得ない。
キャスの心を認めるのが、自然の理だ。
キャスは、人として生きようとしている。
その想いの前では、なにを言うこともできなかった。
これから先の長い時間の中で、いずれ今の気持ちも薄れていく。
キャスのいない日々が、日常となる時が来る。
「なるべくして、なる……ということぞ」
ラシッドには「3桁になっても腰抜け」と言われるかもしれない。
ダイスには「頑固者」だと呆れられるだろう。
だとしても、自分にできるのはキャスの覚悟を受け止めることだけなのだ。
ザイードは魔物だった。
自然の理に生き、やりたいことをやりたいようにやる。
今までそうしてきたし、これからも、そうするのだ。
誰になんと言われても。
「ままならぬものよな。3桁になっても、己の心ひとつ、どうにもできぬ」
決断と感情は別物だった。
寂しいものは寂しい。
どうしようもなく胸が痛くなる。
今さらに、キャスが、これほど大きな存在になっていたのか、と思った。
キャスに出会うまで、ザイードは「愛しい」という感情を知らずにいたのだ。
守るべきは民であり、固有の誰かではなかった。
好ましいと思う気持ちも同じで、そこに優劣はない。
なので、番を持つことも、持ちたいと思う気持ちも、理解できずにいた。
なにが違うのか、と。
特別な相手ができて、初めてわかったのだ。
キャスの隣には自分がいて、自分の隣にはキャスがいる。
そんな毎日を望む、その気持ちが「愛しい」ということなのだと知った。
ほかの誰かでは意味がない。
そう思えるほどに、感情が勝手に揺らぐ。
ふう…と、ザイードは息を吐いた。
キャスの覚悟に、自分も応えなければならない。
決めたキャスを、残酷だとは思っていなかった。
(少なくとも、キャスは泣けるようになったのだ……それは自然の理ぞ……)
涙だけを流し、声を出さない。
そんな泣きかたは、不自然なのだ。
悲しみや嘆きをいだき続けることはある。
だが、声を上げて泣くことで、ほんのわずか心の傷みが癒される。
たとえ、本人が癒されるのを望んでいなくても。
ザイードは、ゆっくりと立ち上がった。
周りは暗い。
あえて明かりは灯していなかったからだ。
「よう、魔物」
声がする前から、気配は察している。
だが、呼びかけられたので、そちらに視線を向けた。
暗闇の中でも、その姿が鮮明に見える。
これが、ベンジャミン・サレス、という名の者なのだろう。
中は、魔人だ。
開発施設で戦ったのとは違う男だが、口調は似ている。
なにより、うっすらと黒い魔力の影がまとわりついていた。
「余は、お前を待っておったのだ」
「だろうな。俺も、お前がいると思ってたぜ?」
魔人は、少し嫌そうな顔をする。
開発施設でも「獣くさいのは嫌い」だと言われていた。
魔物の魔力が匂うのだろう。
ザイードも含め、魔物同士でも「匂い」は感じるのだ。
嫌いだとは思わないが、それはともかく。
「キャスはおらぬぞ」
「そうかよ。ま、そのほうが俺にとっちゃ都合がいい」
「お前は、キャスを殺しに来たのかと思うたがな」
「いいや、俺は、お前を殺しに来たのさ」
「かまわぬぞ。好きにいたせ。だが、無為に殺される気なぞない」
魔人は人の体を使っている。
魔力攻撃を弾く装備もつけているはずだ。
とはいえ、1対1の攻撃なら、問題はない。
人の動きは限られている。
「いやに、余裕じゃねぇか」
警戒しているらしく、魔人がザイードと距離を取っていた。
室内なので、ザイードも動きは制限される。
それに、大きな「縛り」があった。
ザイードは、ベンジャミン・サレスを殺せない。
(殺さぬように無力化せねばならぬのが、ちと厄介よな)
そのため、自分からは仕掛けずにいる。
魔人が仕掛けてきたら、動けばいいのだ。
間合いに入ってくれば、こちらの有利になる。
「へえ。なんだかよくわからねぇが、お前は俺を殺したくねぇんだろ? いや、この体を、か? 生け捕りにしてぇんだな?」
「で、あれば、なんとする?」
「そりゃあ、こっちの有利に動くに決まってんじゃねぇか」
魔人が、さらに距離を取った。
手に銃を構えている。
それは想定内だ。
引き金が引かれても、ザイードは慌てない。
サッと躱す。
後ろで、なにかの壊れる音が響いた。
隣近所のものたちは、何日か前から、あらかじめ避難させている。
いずれ魔人が、ここに来るとわかっていた。
「お前の攻撃は、前の奴と同じぞ」
「そりゃあ、しかたねぇな。あっちのほうが、つきあいが長かったもんでね」
ザイードは、開発施設から戻って以来、フィッツと、しばしば鍛錬をしている。
フィッツが銃弾を軽々と避けているのを見て、不思議だったのだ。
フィッツだけにできることなのか、鍛錬すればできるようになれるのか。
訊いたザイードに、フィッツは淡々とした口調で言っている。
『ザイードさんなら避けられますよ。目がいいですからね』
キャスを守るためにも、人との戦いかたを知っておきたかった。
フィッツも、それを察していたのだろう、と思う。
(あやつ、なぜか、最近、余とキャスだけにすることが多かったが……)
ザイードが人との戦いかたを覚えたと見込んだからかもしれない。
護衛役としてキャスを任せていたのは確かだ。
あんなに「使命」を口にしていたのにとは思っていたものの、キャスといられるのが楽しかったので、喜んで引き受けていた。
「どういたす、魔人? 余は、銃なぞ恐れはせぬぞ?」
銃を手に、魔人が肩をすくめる。
開発施設の時よりも、本気が感じられない。
からかっているような雰囲気が、気に食わなかった。
キャスのことを考えていた。
家の中は、とても静かだ。
それを寂しく感じている。
(結局、余は言えぬのだな)
言わなければ後悔する、と思った。
だが、ザイードは言わないことにしたのだ。
キャスの気持ちが自分にないからではない。
臆病だからでもなかった。
キャスの覚悟を悟ったからだ。
アヴィオとナニャは、長としての優位性を突きつけ合っている。
お互いに好意があっても、長同士は番にはなれない。
どちらかが、長を退く必要があった。
それと似ている。
キャスは、自らを「ラーザの女王」だと名乗ったのだ。
それは、ひとつの種族をまとめる立場を明確にしたという意味を持つ。
魔物でも、個としての種族間の交わりはあれど、種族同士がひとつになることはないのだ。
子が大人になるまで領土を出ないのは、生きるすべが違うからだった。
それぞれの種族には、それぞれの生きかたというものがある。
食べるものの違いに、狩りの仕方や家の作りかた、着るものも言葉遣いも違う。
それを学んだうえで、他の種族とのつきあいを考えるのだ。
魔物という大きな括りの中では同胞でも、その前に同種のものの存在がある。
魔物は自然の理で生きてはいるが、各種族の特徴を受け継いでいた。
自分の種族を知らなければ、ほかの種族との違いを認められなくなる。
逆に言えば、自分とほかの種族は違うのだという前提にいるので、その違いを、当然のこととして受けとめられるのだ。
『人になろうとしても、魔物は魔物にござりますれば』
ラシッドの言葉を思い出す。
ザイードは、わずかに苦笑いをもらした。
「……3桁にもならぬ弟に、理を説かれるとはの……情けなき兄ぞ……」
ラシッドの言う通り、魔物は人にはなれない。
人も魔物にはなれない。
番になることはできるだろうが、互いの持つ理が混じることはないのだ。
それは、どうやってもわかり合えない、受け入れることのできないものができるということを意味する。
キャスは、魔物でいう「長」だと、自らで示した。
だが、キャスは魔物ではないのだ。
今までは、人でもなく、中間種だったのだけれども。
(そなたは、人であることを選ぶのだな)
キャス自身が、そう決めている。
なんの覚悟もなく言ったわけではないだろう。
わかっているので、ザイードは、自分の心を打ち明けないことにした。
人と魔物は共存できない。
キャスも、そう思っているに違いない。
わかっていて「ラーザの女王」を名乗った。
ならば、それをザイードは受け入れる。
そう決めた。
キャスが、それでも、魔物を守ろうとしていると、知っていたからだ。
そのためにこその覚悟であり、決断だった。
尊重しないなど、有り得ない。
キャスの心を認めるのが、自然の理だ。
キャスは、人として生きようとしている。
その想いの前では、なにを言うこともできなかった。
これから先の長い時間の中で、いずれ今の気持ちも薄れていく。
キャスのいない日々が、日常となる時が来る。
「なるべくして、なる……ということぞ」
ラシッドには「3桁になっても腰抜け」と言われるかもしれない。
ダイスには「頑固者」だと呆れられるだろう。
だとしても、自分にできるのはキャスの覚悟を受け止めることだけなのだ。
ザイードは魔物だった。
自然の理に生き、やりたいことをやりたいようにやる。
今までそうしてきたし、これからも、そうするのだ。
誰になんと言われても。
「ままならぬものよな。3桁になっても、己の心ひとつ、どうにもできぬ」
決断と感情は別物だった。
寂しいものは寂しい。
どうしようもなく胸が痛くなる。
今さらに、キャスが、これほど大きな存在になっていたのか、と思った。
キャスに出会うまで、ザイードは「愛しい」という感情を知らずにいたのだ。
守るべきは民であり、固有の誰かではなかった。
好ましいと思う気持ちも同じで、そこに優劣はない。
なので、番を持つことも、持ちたいと思う気持ちも、理解できずにいた。
なにが違うのか、と。
特別な相手ができて、初めてわかったのだ。
キャスの隣には自分がいて、自分の隣にはキャスがいる。
そんな毎日を望む、その気持ちが「愛しい」ということなのだと知った。
ほかの誰かでは意味がない。
そう思えるほどに、感情が勝手に揺らぐ。
ふう…と、ザイードは息を吐いた。
キャスの覚悟に、自分も応えなければならない。
決めたキャスを、残酷だとは思っていなかった。
(少なくとも、キャスは泣けるようになったのだ……それは自然の理ぞ……)
涙だけを流し、声を出さない。
そんな泣きかたは、不自然なのだ。
悲しみや嘆きをいだき続けることはある。
だが、声を上げて泣くことで、ほんのわずか心の傷みが癒される。
たとえ、本人が癒されるのを望んでいなくても。
ザイードは、ゆっくりと立ち上がった。
周りは暗い。
あえて明かりは灯していなかったからだ。
「よう、魔物」
声がする前から、気配は察している。
だが、呼びかけられたので、そちらに視線を向けた。
暗闇の中でも、その姿が鮮明に見える。
これが、ベンジャミン・サレス、という名の者なのだろう。
中は、魔人だ。
開発施設で戦ったのとは違う男だが、口調は似ている。
なにより、うっすらと黒い魔力の影がまとわりついていた。
「余は、お前を待っておったのだ」
「だろうな。俺も、お前がいると思ってたぜ?」
魔人は、少し嫌そうな顔をする。
開発施設でも「獣くさいのは嫌い」だと言われていた。
魔物の魔力が匂うのだろう。
ザイードも含め、魔物同士でも「匂い」は感じるのだ。
嫌いだとは思わないが、それはともかく。
「キャスはおらぬぞ」
「そうかよ。ま、そのほうが俺にとっちゃ都合がいい」
「お前は、キャスを殺しに来たのかと思うたがな」
「いいや、俺は、お前を殺しに来たのさ」
「かまわぬぞ。好きにいたせ。だが、無為に殺される気なぞない」
魔人は人の体を使っている。
魔力攻撃を弾く装備もつけているはずだ。
とはいえ、1対1の攻撃なら、問題はない。
人の動きは限られている。
「いやに、余裕じゃねぇか」
警戒しているらしく、魔人がザイードと距離を取っていた。
室内なので、ザイードも動きは制限される。
それに、大きな「縛り」があった。
ザイードは、ベンジャミン・サレスを殺せない。
(殺さぬように無力化せねばならぬのが、ちと厄介よな)
そのため、自分からは仕掛けずにいる。
魔人が仕掛けてきたら、動けばいいのだ。
間合いに入ってくれば、こちらの有利になる。
「へえ。なんだかよくわからねぇが、お前は俺を殺したくねぇんだろ? いや、この体を、か? 生け捕りにしてぇんだな?」
「で、あれば、なんとする?」
「そりゃあ、こっちの有利に動くに決まってんじゃねぇか」
魔人が、さらに距離を取った。
手に銃を構えている。
それは想定内だ。
引き金が引かれても、ザイードは慌てない。
サッと躱す。
後ろで、なにかの壊れる音が響いた。
隣近所のものたちは、何日か前から、あらかじめ避難させている。
いずれ魔人が、ここに来るとわかっていた。
「お前の攻撃は、前の奴と同じぞ」
「そりゃあ、しかたねぇな。あっちのほうが、つきあいが長かったもんでね」
ザイードは、開発施設から戻って以来、フィッツと、しばしば鍛錬をしている。
フィッツが銃弾を軽々と避けているのを見て、不思議だったのだ。
フィッツだけにできることなのか、鍛錬すればできるようになれるのか。
訊いたザイードに、フィッツは淡々とした口調で言っている。
『ザイードさんなら避けられますよ。目がいいですからね』
キャスを守るためにも、人との戦いかたを知っておきたかった。
フィッツも、それを察していたのだろう、と思う。
(あやつ、なぜか、最近、余とキャスだけにすることが多かったが……)
ザイードが人との戦いかたを覚えたと見込んだからかもしれない。
護衛役としてキャスを任せていたのは確かだ。
あんなに「使命」を口にしていたのにとは思っていたものの、キャスといられるのが楽しかったので、喜んで引き受けていた。
「どういたす、魔人? 余は、銃なぞ恐れはせぬぞ?」
銃を手に、魔人が肩をすくめる。
開発施設の時よりも、本気が感じられない。
からかっているような雰囲気が、気に食わなかった。
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