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前編

過程と結果 3

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 サマンサは、両親と兄の表情に、深い罪悪感をいだいている。
 だが、これは彼らのためでもあるのだ。
 ただ、事実をすべて打ち明けないのは、自己の身勝手さによる。
 両親も兄も、サマンサを大事にしてくれていた。
 
 外見にこだわる貴族ばかりの中、彼らは1度たりとも彼女を「外聞が悪い」などと言って疎外したことはない。
 逆に、サマンサを「聡明だ」と言い、誇らしげに語っていたほだだ。
 
 そんな彼らに、自分の失敗の尻ぬぐいをさせたくはない。
 ラウズワースに借りなんて作ってしまったら、なにを見返りに要求されるか。
 長期的に乗っ取られるのを避けるために、大きな代償を支払うことになっては意味がないのだ。
 
「いったい、なにがあった?」
 
 父が心配そうに訊いてくる。
 屋敷内にある小ホールには4人だけだった。
 あらかじめ、父に人ばらいを頼んでいた。
 のんびりお茶など飲む気にはなれなかったし。
 
 サマンサの座るソファに向かいには父のドワイトに、母リンディ、隣には兄のレヴィンスが座っていた。
 金髪に茶色の瞳の父、淡い茶色の髪に緑の瞳の母、サマンサは2人の娘であるのが、よくわかる。
 髪は父譲り、瞳は母譲りの色。
 兄のレヴィンスも両親に似ているが、サマンサとは逆だ。
 髪は母譲りの淡い茶色、瞳は茶色をしている。 

(そういえば、彼の出してくれたお茶も飲まずに帰ってきたわね)
 
 あの時も、お茶を飲む気分では、まったくなかった。
 はっきり言って、テーブルを引っ繰り返したかったのはサマンサのほうだ。
 比喩でなく、物理的な意味で。
 
「私は、てっきりティモシーと婚姻するつもりでいるとばかり……」
 
 ついさっき、ティモシーとの関係を終わらせると打ち明けている。
 この先に、もっと衝撃的な話をしなければならないと思うと憂鬱だった。
 思い返すほどに、彼への怒りがこみあげてくる。
 
(なにが、悪く言わないでくれ、よ。悪く言われたくなければ、もっと礼儀正しく振る舞えばいいでしょうに)
 
 結局のところ、彼の力を借りるしか手立てはない。
 交渉が成立したのは喜ばしいことでもある。
 ただし、彼の冷酷さやふざけた態度は、彼固有のものだ。
 結果が同じでも、別の過程を進むことだってできたのだから。
 
「サム? 彼になにかされたのか?」
 
 3つ年上の兄、レヴィンスも心配げな表情を浮かべている。
 同時に、ティモシーになにかされたのであれば許さないといった雰囲気も感じる。
 サマンサは慌てて会話に気持ちを戻した。
 今は、彼への怒りを募らせている場合ではない。
 
 家族を守りたいからこそ、守ろうとしていることを知られてはならないのだ。
 知れば、彼らはサマンサを守ろうとするに決まっている。
 
「そうではないのよ、お兄様。ティミーが悪いわけではないわ」
 
 一時的にではあれ、ティモシーを庇う自分に不快感を覚えた。
 サマンサだけが楽しんでいたにしても、ティモシーと過ごした時間のすべてを否定はできない。
 彼に対する気持ちが、まったくのゼロになったわけでもなかった。
 それでも、今のサマンサにとって、ティモシーは「敵」なのだ。
 
 ティンザーの家を食い潰し、サマンサの家族を傷つけようとしている、敵。
 
 そういう相手でも、家族を納得させるために庇っている。
 不快になるのも当然だった。
 
「私の心に変化があったの」
「お前の?」
「アドラントで、なにかあったのね?」
 
 両親に訊かれ、小さくうなずく。
 本当に嫌なのは、ここからだった。
 
「私……い、一緒に暮らしたいかたができたの……そ、そのかたしかいないというか……む、夢中になってしまって……結局、ティミーのことは、私、本気ではなかったのよ……」
 
 3人が目を丸くしている。
 サマンサは恥ずかしくて死にそうだ。
 家族に嘘をついているのも、その嘘の内容にも、情けなくなる。
 
(あの人に恋をしているみたいに言うなんて……ああ……まったく有り得ない……無人島に2人で閉じ込められても、彼に腹を立てている自分しか思い浮かばないのに……)
 
 そして、彼は、そういう時でも軽口を叩き、彼女を苛つかせるに違いない。
 まるで、それしか楽しみがないとでもいうように。
 
「それは、誰だ? どういう奴だ? 騙されているのじゃないだろうな?」
「それはないわ、お兄様。だって、相手は……」
 
 視線が、サマンサに集中している。
 最悪な気分だ。
 
「ろ……ローエルハイド公爵様だもの……」
「えっ?!」
「な……っ……」
「……ろ……っ……」
 
 母に、兄に、父。
 彼らは、三者三様の声を上げ、驚愕していることを伝えてくる。
 声を上げつつも、みんな、ぽかんとした様子だ。
 驚き過ぎて、思考が停止しているらしい。
 
「アドラントに行ったのだし、ご挨拶をしないのも失礼かと思って、私から会いに行ったのよ。それで……私には、彼しかいないと……」
 
 事実、彼しか頼れる人はいなかった。
 だから、会いに行ったのだ。
 順番は逆だが、概ね「事実」ではある。
 
「ただ、彼には婚約者がいて……だから……その……」
 
 最難関が訪れていた。
 サマンサの行動は、ティンザーの主義から大きく外れることになる。
 きっと3人を大いに失望させるに違いない。
 それでも認めてもらうしかないのだ。
 
「私は、彼の“特別な客人”になることにしたわ!」
 
 一気に言い切る。
 案の定、3人の顔色が変わった。
 貴族で「特別な客人」と言えば、愛妾を意味することは、誰もが知っている。
 つまり、サマンサは家族の前で「公爵の愛妾になる」と言い放ったということ。
 
「そんな、お前……よりにもよって……」
 
 父は顔面蒼白になっていた。
 面識があるがゆえに、彼を恐れている。
 
「お父様、彼は、お父様が仰っていたような恐ろしいかたではないわ」
 
 冷酷な人でなしだっただけで。
 
 とは、口を裂かれても言えない。
 彼を庇うだめではなく、家族の心配を上乗せしないためだが、それはともかく。
 
「私の無茶な願いを聞き入れてくださったのよ?」
 
 今のところ、彼の美徳は、そこにしかなかった。
 そこだけは、サマンサも感謝している。
 婚約者がいると聞いた時点で諦めようとした。
 だが、彼の提案で救われたのだ。
 彼は婚約者の彼女を傷つけないと、誓ってもくれたし。
 
「サム、本気なのか?」
「ええ、お兄様」
 
 本気であるのは間違いない。
 サマンサの決意が固いこともだ。
 家族が思っているような「恋」とは無関係だとしても、本気は本気。
 サマンサは、彼の「特別な客人」になると決めていた。
 もちろん、本物ではないけれども。
 
「どうしても、私は彼の元に行きたい。絶対に。なにがなんでも」
 
 家族を説得する時間は限られている。
 彼は、3日しか猶予をくれなかった。
 そして、急がなければティモシーと鉢合わせてしまう。
 顔を合わせる前に、アドラントに戻る必要があった。
 
「実は、ここに送ってくれたのは彼なの。両親の承諾を得るように、と言ってね」
 
 現実には少し違うが、彼に対する心象を良くするためにはしかたない。
 彼の「あまり悪く言わないでくれ」を実践したのではなかった。
 心象が悪過ぎると、反対されるからだ。
 
「私の気持ちを理解してちょうだい。これほど必死になったのは初めてなのよ」
 
 本当に必死だった。
 隠していた感情まで差し出して手にした立場と口実。
 それがなければ、ティモシーとのことを破談にできない。
 
 3人が深く溜め息をつく。
 もう少し話し合いは必要だろうが、説得が成功しそうな気配が漂っていた。
 こういう時、強く感じる。
 自分は、家族に信頼され、愛されているのだと。
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