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前編
勝負と賭け 3
しおりを挟む(フレディ)
(公爵様!)
弾んだような声が聞こえる。
即言葉という魔術で、フレデリック・ラペルに呼び掛けたのだ。
即言葉は、特定の者との会話を可能にし、かつ、ほかの者には聞こえない。
フレデリックは魔術師ではないし、魔力持ちでもなかった。
だが、伝達系の魔術は、転移系とは違い、相手に与える魔力影響が少ないので、フレデリックのような「持たざる者」にも使える。
転移系の魔術は、術者との近接が必要となるため魔力影響が強くなるのだ。
便乗させることはできても、相手が意識を失ったり、命を落としたりすることもあるので、気軽には使えない。
その点、伝達系は、近接しなくても魔術師の側が意図的に体にふれたことがありさえすれば、呼びかけることができる。
ただし、相手が呼びかけに応じなければ、成立しない。
(私は、少しの間、そうだね、2日ほど屋敷を離れる。その間に、なにか起きるのじゃないかと思っているのだよ)
彼はサマンサの私室にいる。
その室内には、彼しかいなかった。
彼女は出かける準備のため寝室にいる。
(ハインリヒがやらかすのですね?)
(たぶん、そのようなことになるだろう)
夜会での動きからすると、アシュリーの従兄弟であるハインリヒは、アシュリーに、ひどく執着しているようだ。
彼が不在の間、大人しくしているとは思えない。
(奴は、公爵様が屋敷を空けておられることに気づくでしょうか?)
(彼が、ではないさ)
(ああ、あの気持ちの悪い商人ですね)
彼は、少し返事を遅らせる。
フレデリックは目端が利くし、勘働きも良かった。
おまけに「持たざる者」であるのが、さらにいい。
魔術師が最も警戒するのは、魔術師だ。
感知される魔力は、時として邪魔になる。
魔力を持たない者にしかできない役割もあるのだ。
(なにかが起きた際に、私は間に合わないかもしれない。その場合、ジョバンニが代行するが、彼を“手助け”してやってくれ)
(ジョバンニは、しくじるのですか?)
フレデリックの率直な言葉に、小さく笑う。
今までに、彼が、誰かの「手助け」を依頼することはなかった。
しくじる可能性が少しでもあれば、彼自身が手を下している。
そのほうが確実だからだ。
彼は「失敗」する者に役目を任せたりはしない。
(愛というのは、空恐ろしいものさ。判断力を鈍らせ、するはずのないしくじりを冒させる。それに、まぁ、ジョバンニは、まだ修行中だからね)
(羨ましいことです。公爵様直々に手習いができるなんて)
(彼ときみとでは役割が違うのだよ、フレディ。きみは、きみの役割の中で、とびきり優秀だ。手習いなど必要ないくらいにね)
フレデリックは、とても忠実で、優秀だ。
彼の言うことなら、なんでも聞くし、なんでもする。
いっさいの不満もいだかず、疑問も持たない。
使い勝手という意味では、申し分ないと言える。
だが、そういう者だけに囲まれるのは困るのだ。
現状、彼に物申せるのはサマンサしかいない。
とはいえ、彼女は、いずれいなくなる。
そもそも、その役目を担えると期待して、ジョバンニを「拾った」のだ。
(だから、きみが命を賭すほどの手助けをしてはならない)
(かしこまりました。ジョバンニが役目を果たせる最低限の手助けをいたします)
(フレディ、ジョバンニの働き次第では、ハインリヒのお守りも終わりでいいよ)
(やった! あいつが早く動くといいなぁ。正装を新調して臨まなくちゃ)
即言葉では、声の抑揚は、ほとんど伝わらない。
なのに、フレデリックの声は、やはり弾んで聞こえる。
ラペルの屋敷で会った時にわかってはいたが、ハインリヒを嫌っているのだ。
(きみには別の役目を用意している。くれぐれも気をつけたまえ)
言い残して、即言葉を切る。
それから、ソファに深く背をあずけた。
ソファの背に両腕を乗せ、天井を見上げる。
あまり、いい気分ではない。
(私は、本当に禄でもないな)
いっときでも、彼が屋敷を空ければ、ハインリヒは強引な手を打ってくる。
わかっていて、手薄な状態を肯とすることにした。
故意、と言ってもいい。
サマンサの希望を叶えるためではあっても、それは口実に過ぎなかった。
彼が許可を与えるまで、彼女はアドラントに留まる。
つまり、サマンサの願いを叶えるのが、とりわけ今でなければならないという話にはならないのだ。
サマンサには、待てと言えばすむ。
彼の優先順位は、はっきりしていた。
そのために、周りはすべて「駒」としている。
(アシュリーには、アシュリーの望む幸せを与えたい)
4年前、アシュリーの死を身近に感じた。
実際に死にかけていたのだが、その時から、アシュリーが幸せになれる道筋を、彼は作ってきたのだ。
彼とジョバンニとの出会いは副産物と言える。
ジョバンニは、自らも死にかけていたのに、アシュリーの命を願った。
そして、彼が力を与えたにもかかわらず、真っ先にアシュリーの元に走った。
彼を差し置いて。
ジョバンニは、魔術師として大きな力の持ち主だった。
通常、力を持つ魔術師ほど、彼に強く惹きつけられる。
彼を畏怖するあまり、どのような状況であれ、即座にひれ伏すのだ。
意図したものではなくとも、ジョバンニが彼の縛りを振りほどいた事実がある。
元々、助ける気はなかったジョバンニを連れ帰ったのは、そのためだ。
彼は「物申す執事」を必要としている。
彼自身が、判断を間違えた際の「備え」に成り得ると考えた。
アシュリーのためでも、ジョバンニのためでもない。
それでも、彼は、アシュリーの幸せを望む。
彼の中に遺る曾祖父の血が起因しているのだろうと推測していた。
アシュリーの祖を辿ると、曾祖父ジョシュア・ローエルハイドの最初の妻の実家に行き当たる。
血の繋がりはなくなっているはずなのに、アシュリーの死に、彼の中のなにかが反応した。
自分の心に、他者の意志が宿っている。
けして気持ちのいいものではないが、無視することはできなかった。
彼の感情とは関係なく、勝手に心が動くのだから止めようがない。
そして、その心の動きこそが、周囲の者たちを「駒」にするのだ。
例外なく、サマンサも。
せめて彼女の願いを叶えるくらいのことはすべきだと思っている。
命の危険が伴うため、乗り気とは言えない。
ただ、サマンサの意志を尊重したかった。
彼女は「変わりたい」のだ。
(彼女の体や唇の感触を、私は心地良く感じたがね……いいじゃないか、独特で)
ほんの少し、彼は優越感を覚える。
サマンサ曰く、彼女にふれたがる者はいなかったらしい。
ならば、あの独特の手触りや感触を知るのは、自分だけなのだ。
「ああ……本当に、私は禄でもない……」
思い出すと、未だにサマンサのベッドにもぐりこみたくなる。
彼女が、どんな声で、どんな仕草で乱れるのか。
今なら、自分だけが、サマンサから快楽を引き出せる、などと考える始末だ。
一線を引くと決めたばかりなのに。
「あなたが碌でなしだってことは知っているわよ? どうしたの?」
彼は、慌てて想像を打ち切る。
振り向くと、サマンサが寝間着姿で立っていた。
呻きたくなるのを抑え、平静さを装う。
アシュリーに、なにかあるかもしれないとの話はしないことに決めていた。
サマンサは、自らとアシュリーを重ね、思い入れを深くしている。
アシュリーが危険だとなれば、サマンサ自身の願いは後回しにするはずだ。
今日でなくてもかまわないと言い出すに決まっている。
「これでも、我が身を反省することはあるのさ」
「それは驚きだわね。あなたは、いつだって自分が正しいって顔をして、ふんぞり返っている人だと思っていたわ」
「だいたいは、その通りだよ。だが、十年に1度くらいは反省もしなければね」
彼は立ち上がり、サマンサのほうへと歩み寄った。
この姿を見られる期間は、そう長くない。
(きっと彼女は、恐ろしく美しくなるな)
もとより艶があり、なめらかな金色の髪、瞼に隠されていてもわかる、薄緑色の透き通った瞳は、今でさえも美しく魅力的だ。
頬が膨れていなければ、鼻筋もすうっと高く整えられるだろう。
「それでは、私を寝室に招いてくれるかい?」
「なによ、いつも勝手に入ってくるくせに」
「最初の1回だけじゃないか」
「そうかしら? いつぞやは、小さな職人を追いはらっていたのじゃなかった?」
言いながら、サマンサが体を返し、寝室に入った。
その後ろについて入り、扉を閉める。
カーテンは閉められていて、昼過ぎだというのに薄暗い。
彼は、疚しい気持ちにならないよう、感情を制御するのに必死になっていた。
だが、サマンサは気にしたふうもなく、さっさとベッドに入っている。
すっかり横になり、彼に声をかけてきた。
「上掛けはどうするの? かけないほうがいいのかしら?」
「まぁ、そうだね……そのほうが、術をかけ易いかもしれない」
考えているそぶりで言いつつも、サマンサの体にサッと視線を走らせる。
これで見納めになるのかと思うと、ひどく寂しいような気持ちになった。
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