人でなし主と、じゃじゃ馬令嬢

たつみ

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後編

目に見えないからこそ 1

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 サマンサは、彼の姿に怒りがわいてくるのを感じた。
 どうしてこんなにも腹立たしいのか、自分でもわからない。
 ただ、腹が立つ。
 
「いったい、どういうことなのっ?!」
 
 怒鳴って、ずかずかと彼に近づいた。
 彼はイスに腰をおろしたまま、立とうとはせずにいる。
 眉をひそめ、彼女を見上げてきた。
 その不機嫌そうな表情に、ますます腹が立つ。
 
「それは、私が言いたい。いったい、どういうつもりかね?」
「私が訊いているのよ? 先に答えてちょうだい」
「いや、私の問いに、先に答えたまえ。でなければ、なにを答えろと言われているのか、わからないじゃないか」
 
 彼は不機嫌顔のまま、イスの肘置きを使って、頬杖をついた。
 呆れているかのような眼差しで見られている。
 軽く足を組み、いかにも「早く帰れ」といった態度に、イラッとした。
 
 彼の言うことは、もっともなのかもしれない。
 いるはずのないサマンサが、急に私室に飛び込んできたのだ。
 何事かと思うのも、無理はない。
 だが、サマンサには「もっとも」だとは思えなかった。
 
「私は、あなたの婚約者なのよ、一応。今のところは、ね」
 
 ぴくりと、彼の眉が引き攣る。
 彼が皇女に言った言葉で、サマンサが当てこすったからだろう。
 とはいえ、言った内容は「事実」だ。
 サマンサと彼との婚約は、まだ解消されていない。
 
 いつ死ぬかわからない身。
 
 それが本当なら「婚約者」には、きちんと話しておくべきではないのか。
 執事の態度からすると、以前のサマンサは知らなかったに違いない。
 知っていることを、わざわざ執事が言いに来るとは考えられないからだ。
 
 あの執事とは、なんだかソリが合わない。
 向こうも、同じように思っている。
 なのに、あえて言いに来た。
 しかも、独断で、だ。
 
 おそらく執事も、最近まで知らずにいたのだろう。
 彼と、どういう話し合いをしたのかは訊いていない。
 が、良い結果にはならなかった。
 だから、サマンサのところに来ざるを得なかったのだ。
 
 それほど切羽詰まっていたのだと考えられる。
 もとより、そうでもなければ、彼が自身の身の上に起きていることを、人に話すとは思えない。
 
「ああ、そうか。ジョバンニだな」
 
 彼が頬杖をついていないほうの手を、軽く上げていた。
 その手を、すとんと肘置きに戻す。
 
「物申せとは言ったが、よけいなことまで話せとは言っていないのに、まったく」
「よけいなことって、なによ」
「よけいなことさ。きみが気にするような話ではないのでね」
「婚約者の命の問題を気にするなと言うの?」
 
 いつ死ぬかわからないだなんて話をされ、気にせずにいられるはずがない。
 名ばかりの婚約者であっても、説明くらいしておくべきなのだ。
 知らないのならともかく、サマンサは、もう知ってしまっている。
 聞かなかったことにもできないし、聞かなかった振りもできなかった。
 
「なにも、明日、死ぬわけではない」
「それなら、いつ? いつ死ぬかわからないというのは、明日かもしれないという意味も含まれているわよね?」
「明日や明後日でないことは確かだ。さあ、もういいだろう」
「なにが、いいのよ? なにもよくはないわ」
 
 サマンサは「説明」を求めているのだ。
 本気で「いつ」かと訊いているのではない。
 なにが理由で「死」を口にしたのかを訊いている。
 原因とか根拠とか、そういう話をしていた。
 
「いいさ。わかったよ」
 
 彼が立ち上がる。
 そして、イスの後ろへと回った。
 背もたれのところに両腕を置いて、体を折り曲げる。
 腰をかがめた格好になっているため、サマンサの顔を見上げる形になっていた。
 
「それなら婚約を解消しようじゃないか」
 
 ものすごく、あっさりと言う。
 そのことに、サマンサは、ショックを受けていた。
 望むところのはずなのだが、心が拒否反応を示している。
 同時に、彼に腹が立ち、なにか投げてやりたくなった。
 
「短絡的なことを言うのね」
「きみだって、そのほうがいいだろう? いちいち私のことを気にする必要がなくなるし、晴れて自由の身になれる」
「元婚約者が、どこで野垂れ死にしようが気にかけるなってこと?」
「そうとも。きみはレジーと家庭でも持って幸せに暮らしたまえ」
 
 その言葉に、サマンサは、さらにショックを受ける。
 彼は、レジーに自分を押しつけようとしている、と思ったのだ。
 囮としての役目が終わったので、もう不要なのだろう。
 とはいえ「いらない」とするだけではなく、人に押しつけようとするだなんて、どこまでも冷酷な人でなしだ。
 
「よけいな、お世話だわ」
「それが、きみの願いだった。違うかね? きみは、そう、確か、愛のある暖かな家庭とやらを築きたかったのじゃなかったっけ?」
「その通りよ。私は愛のある暖かい家庭がほしいと思っているわ。だからって、あなたに指図される筋合いはないの。私の婚姻の世話までしてくれなくて結構よ」
 
 レジーは、とてもいい人だと思う。
 きっと良い夫、良い父親になれる人だ。
 好感が持てるし、レジーとの婚姻は、間違いなくサマンサを幸せにする。
 サマンサ自身、それを考えなかったわけではない。
 
 リスとレジーと3人で、ずっと暮らしていけたらと、何度も思ったのだから。
 
 レジーの気持ちは訊いていないが、仮にレジーから求婚されていれば、受けていた可能性はある。
 記憶は戻らなくても、レジーとは「新しい自分」としてやっていけるのだ。
 一緒に料理をしたり、洗濯をしたりする、そういう自分を気に入ってもいた。
 レジーとなら暖かい家庭を築けるに違いない。
 
 そんなことは、わかっている。
 
「そうかい。だとしても、婚約の解消は必要だ。私は、きみにそうしたものを与えられはしない。わかったら、出て行ってくれないか」
「どうして与えられないと決めつけているの?」
 
 政略的な婚姻からでも愛が育まれることはあるはずだ。
 時間が人の気持ちを変化させる可能性は十分にある。
 なぜか、そう感じた。
 だが、彼は、その可能性を切り捨てている。
 
「私は、きみに愛されたいとは思っていない」
 
 その言葉に嘘はない。
 サマンサは、ひどく傷ついている自分を自覚していた。
 眩暈がして息が苦しくなるくらい、胸が痛んでいる。
 
「よくも……よくも、そんなことが言えるわね……この人でなし……」
 
 彼の言う通りだ。
 ここから立ち去って、森に帰るのが正しい。
 なぜ彼に会いに来てしまったのか、わからなかった。
 彼が死のうが生きようが、どうでもいいではないか。
 
「帰りもジョバンニに送ってもらうがいいよ、きみ」
 
 彼は、サマンサのためには、指1本、動かす気はないと言いたげだ。
 執事には話し合ってくれと言われたが、やはり彼に話し合う気持ちはない。
 来たのが間違いだったと、帰ろうとした。
 のだけれども。
 
 『ああ、サム、サミー! きみを失うかと……っ……』
 
 また、その声が聞こえてくる。
 あれもまた、嘘ではなかった。
 彼の鼓動の速さを、サマンサは覚えている。
 抱きしめてきた腕の力も、忘れられずにいた。
 
(あんなふうに心配しておいて……すぐに冷淡になるのはどうして……?)
 
 彼の言動は、とても矛盾している。
 たとえ名ばかりでも、婚約者の身になにかあれば問題になるからかと思ったのは、そう思いたかったからだ。
 彼の矛盾を理解できず、無理に引き出した理屈だと言える。
 
 けれど、本当に?
 
 サマンサは、彼の黒い瞳を、じっと見つめた。
 瞳の奥が揺れているように感じられる。
 そして、気づいた。
 
「あなたは、まだ答えていない。なぜ、いつ死ぬかわからないのか、その理由を、あなたは、まだ教えてくれていないわ」
 
 サマンサの気にかけることではないと言い、彼は、その問いから逃げている。
 そのあとも彼女を追い返すようなことしか言っていない。
 質問に質問で返すのは、答えたくない時だ。
 もしくは、答えられない時。
 
「きみには関わりのないことだからさ」
「関わりがないのなら話してもいいのじゃない? 私は知ってしまったのよ? 婚約解消をしたあとまで、なぜかしら?なんて思いたくはないの」
 
 だから明確にしろ、といった態度を取る。
 今後、サマンサがどうするか、実際には決めていない。
 婚約は解消されるのだろうが、すぐさまレジーとどうこうなる気もなかった。
 そもそも、レジーの気持ちだって訊いていないのだし。
 
 いずれにせよ、納得がいかなければ気にするに決まっていた。
 気にするなと言われてできるのなら、誰も悩み事なんてかかえはしないのだ。
 人の感情は、それほど単純ではない。
 気にしないようにしようとしていてもできないから悩んでしまう。
 
 彼がイスから離れて体を伸ばす。
 両腕を組み、ふいっとサマンサから視線を外した。
 横顔からは、なんの感情も読み取れない。
 徹底して、サマンサを拒絶している。
 
「いいかげんにしてくれないか。私が、きみを納得させる必要がどこにある?」
 
 独りぼっち。
 
 不意に、そう感じた。
 胸が、ぎゅうっと締め付けられる。
 
「繰り返し言わなければ、わからないようだ。いいかい、きみ。私に、きみの愛は不要なのだよ」
 
 冷たい言葉だ。
 とても冷淡な口調だ。
 それなのに。
 
「……わからないわ……あなたが……なぜ、独りになりたがっているのか……」
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