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後編
目に見えないからこそ 2
しおりを挟む「きみは、なにを……」
彼は組んでいた腕をほどき、サマンサに視線を向けた。
瞬間、ぱたぱたっと、サマンサの瞳から涙がこぼれ落ちる。
とたん、彼は動揺した。
あえて冷たくしたが、彼女が傷つくとは思っていなかったのだ。
サマンサにはレジーがいる。
彼女が選んだのはレジーであり、彼ではない。
だから、彼の言葉に傷つくはずがなかった。
少なくとも、彼は、そう考えていたのだ。
(……どういうことだ……ああ……まずい……なぜ、こうなった……っ……)
サマンサを傷つけるなど、彼の本意ではない。
彼女がここに来たのは、うっかり彼がジョバンニに漏らした言葉が原因だろう。
ジョバンニから「気持ちを伝える」よう言われ、つい本音を漏らしている。
彼が、サマンサの愛を望まない最も大きな理由だった。
愛する人から愛されたい。
あたり前のことだ。
そんな、あたり前のことを、彼は望めずにいる。
彼にしても、サマンサの求める「愛し愛される関係」を築けるものなら、と考えなかったわけではないのだ。
その気持ちが、話すつもりのなかったことを、ジョバンニに打ち明けさせてしまった。
ジョバンニから、その話をサマンサは聞いている。
そして、婚約者としての義務感から来たに違いない。
サマンサは真面目で実直な「ティンザー」だから。
そう思い、一刻も早く義務から解放しようとした。
サマンサが彼のことで思い煩うことのないよう、突き放したのだ。
ただ、彼女は聡明なので、彼が見守り続けるつもりだと気づかれる可能性もあった。
そのため、ジョバンニの示唆した「もう守られたくない」と言われるのを避けたくて、早く幕引きをしたかったというのもある。
「……あんまりだわ……こんなのって……」
ぽろぽろと涙をこぼすサマンサに、彼は狼狽えた。
イスを蹴飛ばす勢いで駆け寄る。
「きみを傷つける気は……」
「あなたは、なにもわかっていない……話も聞いてくれない……」
「ああ、いや……それは……きみが傷つくとは……」
「……なんてことを言うの……ひどいじゃない……私、とても傷ついたわ……」
「…………頼むから、泣かないでくれ。きみの泣き顔は見たくない……」
「違うでしょう? 私が泣いているのじゃなくて、あなたが泣かせているのよ?」
ぐっと、言葉に詰まった。
頭の隅で、こういう時、フレデリックならどうするだろうと考えてしまう。
女性の扱いには、フレデリックのほうが手慣れているのだ。
彼は、サマンサを怒らせる才能しか持ち合わせていない。
そうっと、サマンサの両頬を両手でつつむ。
涙のあふれる薄緑色の瞳を見つめた。
「サム、サミー……どうすればいい? きみが泣きやむのなら道化の真似だってする。脛を蹴飛ばされたってかまいやしないよ?」
情けない。
我ながら、そう思う。
とはいえ、ちっとも気の利いた台詞が出て来ないのだ。
サマンサを泣かせたティモシーに腹を立てていたが、よもや、自分が彼女を泣かせることになるとは思いもしなかった。
「だったら……教えてちょうだい。私の知りたいことを……」
「きみが知りたがるような……」
「………………」
「ああ……わかった。わかったよ、サミー……私の負けだ」
サマンサの涙には、到底、勝てない。
というより、サマンサには勝てた試しがなかった。
体型を変えたいと言われた時もそうだ。
結局は、彼が折れている。
「だが、ここでは落ち着かない。いつもの場所にしよう」
彼は、ふわっと、サマンサを抱き上げた。
点門を開き、別邸のサマンサの私室に入る。
サマンサは彼の行動に対し、黙っていた。
そのため、彼はサマンサを降ろし難くなる。
彼女をソファに座らせ、向かい側に座っても良かったのだけれども。
サマンサは嫌がるだろうか。
気にしつつ、彼女を膝に、ソファへと腰かけた。
だが、サマンサは、じっとしている。
怒ったり、嫌がったりする様子はなかった。
それだけで、彼の胸に暖かいものが満ちる。
(完敗としか言いようがない。本当に、重篤に過ぎるな)
これでは、サマンサに打ち明けないわけにはいかない。
適当な話で誤魔化すことはできなかった。
サマンサの金色の髪を、そっと撫でる。
まだ潤んでいる目元に口づけたかったが、それは我慢した。
「順を追って話をしよう」
彼の中でも、整理のついていない事柄でもある。
簡単なことではないとの自覚があった。
それでも、サマンサを、これ以上、突き放すなど無理だ。
彼は、今まで1度もした経験のないことをしようとしていた。
誰かに、心を差し出す。
小さく息を吐いてから、サマンサに微笑みかけた。
彼女がどう受け止めるかは、わからない。
ただ、彼の結果は変わらないと、知っている。
「きみも知っている通り、私は、黒髪、黒眼の人ならざる者だ。この世界に、ただ1人と言われている。私の曾祖父は、この人ならざる者の力を使い、たった1人で戦争を終結させた。以来、英雄と呼ばれているわけだが、同時に、恐怖の対象ともされている。力が大き過ぎるからだね」
自然の脅威にも似た力。
彼は、その力を自らの意思でもって使う。
文字通り、自然を操ることもできた。
魔術師が外気の温度調整をするのとはわけが違う。
洪水を引き起こしたり、逆に干ばつにしたり、星を降らせることもできた。
「だが、実は、私の叔母も黒髪、黒眼だったのだよ」
「叔母様も、人ならざる者だった、ということ?」
彼は、サマンサに軽くうなずいてみせる。
叔母が黒髪、黒眼であったことを知る者は多い。
そして、誤解している者が、ほとんどだった。
「叔母が魔力顕現したのは、16歳を越えてからのことでね。曾祖母も黒髪、黒眼だったが、人ならざる者の血は持っていなかった。そのせいか、ロズウェルドでは、人ならざる者となるのは男だけだと勘違いされている」
「実際は女性でも関係ないの?」
「そうだ。叔母の力は、私と同等だった」
彼は、また小さく息をつく。
心が揺れ始めるのを感じていた。
「叔母は他国に嫁いでいる。だから、なおさら叔母が魔力顕現していることは知られていないのさ。きみを助けたラスとノアは、私の従兄弟だ」
「ロズウェルドの人ではないと思ってはいたわ。そう……あなたの従兄弟……」
「……叔母は……46で他界した」
「え…………」
ロズウェルドの女性は、男性より20歳は寿命が短い。
それは知られていることだ。
だが、40代半ばでの死は、早いと言わざるを得なかった。
まったくいないわけではないが、稀なことではある。
「私はアドラントにいて、当時……酷く体調を崩していてね。叔母の死に目には会えなかった。3ヶ月ほどの間に、みるみる体力を失くし……あっという間だったそうだ。それを聞いたのは、葬儀の時だったよ」
ようやく体調が回復した際、彼は、テスアからの緊急用の連絡が来ていることに気づいた。
よほどのことがなければ使われることのない魔術道具だ。
テスアから彼に連絡を取る方法は、それしかない。
「私が26歳になる少し前……6年ほど前の話だ」
「……それは、あなたが体調を崩していたことと関係があるのね?」
「私も……そう考えざるを得なかった。なにしろ叔母が亡くなるまでの3ヶ月と、ちょうど一致していたのでね。無関係と考えるほうが不自然だ」
「でも、どうして……?」
彼も同じことを考えた。
だから、サマンサの言いたいことがわかる。
「なぜ、その時だったのか、だろう?」
「そうよ。だって、それまでは何事もなかったのでしょう? あなたか叔母様のどちらかが、とても大きな力を使ったとか、なにかなければ……」
「叔母も私も変わりなく暮らしていたよ。平和な世で大きな力を使う必要などないし、叔母は嫁ぎ先で魔術はいっさい使わないようにしていた」
彼自身、その時は、体調不良の原因すら掴めずにいた。
26年間の人生で、病に罹る自分を想像したことがなかったからだ。
「誰かに魔術をかけられた形跡はなかったが……呪いでもかけられたとしか思えないほどだったな。魔力は削られていくし、治癒も効かない。体は動かず、意識も常に朦朧としていた。このまま死ぬのだろうと、本気で思っていたよ」
「でも、あなたは死ななかった」
「こうして生きている。亡くなったのは、叔母だけだ」
「……原因を調べたのでしょう?」
そう、彼は原因を調べている。
自分の体調不良と叔母の死は、絶対に無関係ではないと感じていた。
そして、ひとつの結果を得ている。
彼が「いつ死ぬかわからない」理由でもあった。
「自然淘汰さ」
「……どういうこと……?」
彼はサマンサの瞳を見つめる。
彼女を、とても愛おしいと思った。
だからこそ、サマンサには愛されたくないのだ。
彼が彼女を愛することは良くても。
「もう1人、この世界には、人ならざる者がいる」
彼と、彼の叔母、そして、もう1人。
「おそらく先に生まれた者が淘汰される。この力は大き過ぎるから、3人目は許されないのじゃないかと思う」
結果、最も先に生まれた叔母が命を失った。
力の引き合いに、体が耐えられなかったのだろう。
同じことが起きれば、淘汰されるのは、彼だ。
次に、黒髪、黒眼の子が生まれ、その子が魔力顕現する日。
その3ヶ月後には、彼は命を失う。
どんな治療も魔術も、役には立たない。
これは「自然淘汰」なのだ。
「それじゃ……あなたの言う……いつ死ぬかわからないというのは……」
「次に、黒髪、黒眼の子が生まれたら、という話さ」
彼はサマンサの頬を撫でる。
彼女に愛されたいと願うことは、彼女を嘆かせることを願うに等しい。
愛する者を失う痛みを、彼は誰よりも深く知っている。
「ほらね、言っただろう? 明日や明後日の話ではない、とね」
だが、いつ来るかわからない死の可能性であるのは、間違いなかった。
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