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後編

理不尽と不条理 3

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 カウフマンは公爵の思惑を悟っていた。
 殺すより有意義となる方法を取ったのだ。
 とはいえ、その手法はローエルハイドらしくはない。
 カウフマンの知るローエルハイドと公爵は、なにかにつけ異なっている。
 
 基本的には1人で物事を判断しているようではあった。
 だが、人の手を借りてもいる。
 目の前にいる男にしてもそうだ。
 
 トリスタン・リドレイ。
 
 印象通り、まともな相手ではない。
 カウフマンも人のことを言えはしないが、トリスタンとは方向性が違う。
 興味や好奇心から、ローエルハイドの血を拡散したわけではなかった。
 一族の繁栄のためだ。
 
「あなたの外見は独特ですねえ。薬ですか。へえ。長く使うと、こういう効果もあるとは知りませんでしたよ。薬にも興味はあるのですが長持ちしませんからね。費用対効果が悪いものは、あまり有用ではないと判断しているのです」
 
 そう言いながらも、トリスタンは、カウフマンの血を採ったり髪を切り取ったりしている。
 次は、皮でも剥ぐつもりでいるに違いない。
 カウフマンの外見は、長く使ってきた薬により、異様なほど若く見えるのだ。
 そこに興味をいだいているらしかった。
 
 連れて来られた場所は、予想通り、地下だ。
 ラペルの息子を追い立てていた時の違和感の元となっている。
 なにかいるとは思っていたが、これほどの組織があったことに驚いていた。
 
 カウフマンの歴史は長い。
 商人として、人に警戒されることなく、多くの情報を手に入れている。
 にもかかわらず、トリスタンの組織には気づくことができなかった。
 それほど巧妙に隠されていたということだ。
 
「あなたは、今もって、ここがどこだかわからないでしょう?」
 
 トリスタンは、自分の隠れ家で捕らえられ、ここに連れて来られている。
 だが、トリスタンの言うように、ここがどこだかはわかっていない。
 わかるのは、地下であることくらいだ。
 目隠しをされてはいなかったが、地下に入り、いくつか角を曲がったところで、場所がわからなくなっていた。
 
 カウフマンとて、王都の地下がどうなっているかは知っている。
 それでも位置が把握できなかった。
 同じところを、ぐるぐる回っていた印象しかない。
 
「これも刻印の術を使うておるのか」
「言ったでしょう? 魔力を活用することもできると。魔術とは違い、上手くいくものもあれば、そうでないものもあります。ですが、それも研究次第では、補っていけると思っているのですよ」
 
 トリスタンが自慢げに黒縁眼鏡を片手で押し上げる。
 鼻につく癖だった。
 自らの知識や功績を得々と語るのも、嫌味に過ぎる。
 貴族の中にも財をひけらかす者はいたが、トリスタンのそれは度を越していた。
 
「あなたは物から情報を得ていましたが、それは人を動かすという点で、あまりよろしくない。よく、木を隠すのなら森の中と言いますがね。あれは間違いです。見る者が見れば気づきますから。実際、リバテッサ・バロワに気づかれてしまいましたよねえ」
 
 トリスタンは、非常に人を苛々させる話しかたをする。
 カウフマンですら我慢するのが難しいほど不愉快な男だった。
 
「それにしても、なぜ隠そうなどと思うのでしょうか。それが、私には不思議でなりません。見つかりたくないなら、隠すのではなく、見つからないようにすればいいだけの話ではありませんか」
 
 大袈裟に両手を広げてみせるトリスタンに、性根の悪さを感じる。
 そういう者が嫌いなわけではないし、カウフマン自身、自分が清廉な者だとは微塵も思っていない。
 むしろ、トリスタンに近い側ではあるのだ。
 だが、体中にトリスタンへの嫌悪感がまとわりついている。
 
「お前とて、人を使っておるのだろう」
 
 トリスタンにも配下がいた。
 ここに連れて来られる時、複数の男たちがカウフマンを囲んでいたからだ。
 室内にも、何人かの男が待機している。
 その男たちに、トリスタンが、視線をちらっと走らせた。
 
「あなた、正気ですか? 孫の首が斬られたせいで、頭がおかしくなっているのではないでしょうね?」
 
 カウフマンの顔が、わずかに歪んだ。
 ジェシーの「深手」がなにかを理解している。
 首を斬られたとなると、体を失ったに違いない。
 死んではいないだろうが、苦労しているだろう。
 
「いや、存外、あなたは人間的なかただったようです。あれが、人に見えるとは」
「人ではないのなら、なんだと言う」
 
 トリスタンが、くくっと笑った。
 だが、眼鏡の奥の目は笑っていない。
 立っている男たちを手で示して言う。
 
「ただの野良鼠ですよ。どこにでも入り込んだ上に、なぜか私のところに小麦の一粒を持ってくる。もっとも、持ってくるのは小麦だけではありませんがね」
 
 カウフマンは男たちの表情を観察していた。
 不満があれば、即座に気づいたはずなのだ。
 そして、愕然とする。
 
 彼らは、自らを「野良鼠」だと言われ、勝手に手足になっているに過ぎない、と言われているにもかかわらず、微動だにしていない。
 その表情には、不満の欠片も見て取れなかった。
 逆に、納得している、いや、喜んでいる節さえある。
 
 カウフマンの人生で、これほどゾッとしたことはない。
 
 トリスタンは、間違いなく狂人だ。
 そして、周りも狂人で固められている。
 トリスタンが、自らの喉を裂けと言えば、裂くような連中ばかりなのだ。
 
 背中で手を組み、トリスタンが室内を、のんびりと歩いている。
 カウフマンは床に座らせられていた。
 見上げるようにして、トリスタンの姿を目で追う。
 
「あなたにはわからないことですよ、カウフマン」
 
 言われるまでもなく、トリスタンも周りの者たちのことも理解できない。
 カウフマンも人を切り捨てることはある。
 利用することもあった。
 孫のハインリヒですら駒として使い捨てている。
 それでも、トリスタンたちの思考は理解の範疇を超えていた。
 
「あなたは優しい人だ。花を愛でる心がある」
 
 ひどく物憂げな口調だ。
 それが、すぐさま一変する。
 
「自らの血筋を遺す? 増やす? 繁栄させる? なんたる小賢しさ! なんという矮小な目的! ああ、くだらない! 下賤に過ぎて反吐が出る!」
 
 トリスタンはカウフマンのすべてを否定していた。
 見下みくだしているのではない。
 トリスタンにとっては汚物のごとき存在なのだ。
 憎悪されているのを、はっきりと感じる。
 
「では、お前の目的はなんだ? さぞかし高尚なのであろうな」
「それはもう。あなたのような者とは違いますから」
 
 口調が戻っていた。
 トリスタンは「自慢したがり」なところがある。
 ここで自分が命を落とすことになったとしても情報は仕入れておくべきだ。
 いずれジェシーに伝えられるかもしれないのだから。
 
「それは、わかるまい。私を下賤と言うたが、私からすれば、お前のほうが下賤な輩かもしれまいよ」
「有り得ませんね。私は……」
「そこまでだよ、スタン」
 
 カウフマンは、内心で、舌打ちをした。
 どこまでも邪魔をする男。
 
 ジェレミア・ローエルハイド。
 
 いつの間にか、公爵が現れている。
 トリスタンが、なぜか、少し間が抜けたような顔をしていた。
 公爵はいつもの穏やかで、だが、冷淡さを感じさせる笑みを浮かべている。
 
「ひとつ忠告をしておこう。きみは自慢したがりを直したまえ。敵に手の内を見せ過ぎだ」
「あなたを呼んだ記憶がないのですが?」
「呼ばれちゃいないからね」
 
 人ならざる者と言えど、ここに入るのは難しかったのだろう。
 どんな仕掛けがあるのかはともかく、確固とした特定ができない、と言えるような場所には違いない。
 
「私は奴に用があって来ただけさ」
「……理由を、お聞かせ願いたい」
「たいしたことでもないのに大騒ぎをしないでほしいな。ここのところ私本来の力が発揮できていなかったに過ぎない。ちょいと処理速度が落ちていてね」
 
 トリスタンの訊いた「理由」は、カウフマンを完全に無視したものだった。
 公爵がどうやって来たのか。
 きっと、そちらのほうが重要だったのだ。
 
「おっと。これ以上は教えられたくないよなあ、スタン。きみは謎解きが大好きだから、その趣味を尊重して、私は死人のように口を閉じていることにするよ」
「ええ、いいでしょう。あなたから教えを乞いたいとは思っておりません」
「だろうね」
 
 トリスタンは、さっきまでとは違い、不愛想な口調で、公爵にそう言った。
 公爵は表情ひとつ変えず、今度はカウフマンのほうに顔を向けてくる。
 
「お前の創った者は、全員、例外なく消した」
 
 それはカウフマンの中でも想定内のことだ。
 気づかれた以上、ローエルハイドの血の拡散を公爵は肯とはしない。
 皆殺しにされることも有り得ると考えていた。
 そして、それでもかまわないと、思っていたのだ。
 
「私の代わりを、その狂人がするというのだな」
「さすがに物分かりが早いね。説明が省けて気楽になった」
 
 次のカウフマンは、ジェシーが継ぐはずだった。
 それを横取りしようとしている。
 商人を皆殺しにはできないからだ。
 頭をげ替えるほうが手っ取り早く、影響も少ない。
 
「お前は、私が不愉快になることを色々とやっている。許してはおけない」
「殺さないでくださいよ? 聞かなければならないこともあるのですから」
 
 公爵は、トリスタンを見もしなかった。
 カウフマンだけを、じっと見つめている。
 じわり…と、カウフマンの背が冷たくなった。
 これが「人ならざる者」かと思う。
 
 黒い黒い闇の瞳。
 
 その瞳にカウフマンを映したまま、公爵は言った。
 
「私の“赦し”がなにか、きみは知らないのかい、スタン」
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