上 下
140 / 164
後編

理不尽と不条理 4

しおりを挟む
 長い攻防の末、サマンサは彼を説き伏せることに成功していた。
 完全に安全ではないとわかってはいる。
 だが、ジェシーは、すぐに戻ることはない。
 戻ったとしても、それを彼は認識できる。
 
 そして、カウフマンは捕らえられた。
 彼は、トリスタンという人のところに行くという。
 ならば、その間、サマンサは1人になるのだ。
 当然、彼は屋敷にとどまるように言った。
 
 とはいえ。
 
 サマンサは、いったん森に戻ると言い張っている。
 レジーに説明することなく、出て来てしまったからだ。
 心配させているに違いない。
 とにかく、無事なことと、彼との関係について話す必要がある。
 
 そのサマンサの考えに、彼は猛烈に反対した。
 思った通りだったが、それはともかく。
 
 それでも、レジーを放ったままでいることはできない。
 彼にも話したが、レジーがいなければ、サマンサは死んでいたのだ。
 川に流されただけでも、死ぬ寸前だったと言える。
 ましてや、ずぶ濡れで、意識を失った状態でいたら、確実に凍死していた。
 
 命の恩人に対し、そんな不義理はできない。
 
 サマンサは根気強く説明をし、やっと彼の承諾を取り付けている。
 ともあれ。
 
「これって絶対に嫌がらせだわ。彼、存外、子供みたいなところがあるわよね」
「ひとえにサマンサ様の安全のためにございます」
 
 むうっと、サマンサは顔をしかめた。
 彼は、森に戻ることを承諾はしている。
 ただし、この無礼な執事を「お供」とすることを、サマンサに約束させたのだ。
 
(私とはソリが合わないって知っているくせに!)
 
 相手も、ついて来たくてついて来たのではないのだろう。
 無表情の影から、憮然とした雰囲気が伝わってくる。
 彼とは違い、未熟らしい。
 表情はともかく、感情が漏れ出ていた。
 
「でも、ひとつだけ、あなたに感謝しなければならないわね」
「私にですか?」
「あなたの独断のおかけで、彼との関係が正されたのは確かだもの」
「我が君のために、そうすべきだと感じただけにございます」
 
 けして、サマンサのためではない。
 そう言いたいようだ。
 彼に「大恩」がある者としては、サマンサの、彼に対する態度は受け入れがたいものがあるのだろう。
 わかっていても、無礼さにカチンとくる。
 
(なんなのかしら? 同じことを言われても、倍増しで腹が立つわ)
 
 以前の自分の感覚が、なにか残っているのだろうか。
 初対面の相手とするには、気に食わなさが強過ぎる。
 第1印象といっても、森に、この執事が現れた時、ほとんど会話はしていない。
 そもそも、それどころではなかったし。
 
「あなた、私のことを彼から聞いている?」
「森にお連れし、お守りするように言いつかっております」
「そうじゃなくて、私の記憶のことよ」
「お聞きしておりません」
 
 ここはアドラントにある彼の屋敷の別邸だ。
 その寝室に、サマンサはいる。
 ほかの勤め人たちには、サマンサが帰っていることを伝えていなかった。
 記憶のことについて、どこまでを誰に話すかが決めきれていない。
 そのため、朝食も、彼自ら、出してくれている。
 
「私は川に落ちて、記憶をなくしているのよ」
「さようにございますか」
「それだけ?」
「ほかになにが?」
 
 イラっとした。
 
 心配してくれとは言わない。
 だが、ここまで「どうでもいい」という態度を取られると腹が立つ。
 主の婚約者に興味や関心を持たないのは、執事としては正しい。
 適切な距離だと思えなくもなかったが、しかし。
 
「あなたのことを忘れているのは幸いという気がするわね」
「サマンサ様と私の間には、個人的な接点はございません。今後も、思い出していただかなくとも、なんの不便もないかと存じます」
「あら、そう。それを聞いて、とても気が楽になったわ」
 
 本当に、無礼な執事だ。
 と思ったのだが、ふと、あの時のことを思い出す。
 今のように無表情ではなく、雰囲気だけではなく、顔にまで感情が出ていた。
 それほど、この執事にとっては、切実だったということだ。
 
「まぁ、かまわないわよ。私のことはどうでも。彼に忠実でありさえすれば、私も文句はないもの」
「それをお聞きして、大変、気が楽になりました」
「それはどうも」
 
 ぱっぱっと、サマンサは手を振る。
 正直、連れて行きたくはないが、彼との約束があった。
 それに、森に戻るには「点門てんもん」が必要なのだ。
 
 サマンサの合図に、柱が2本、現れた。
 家の中ではなく、外だ。
 あの日も、わざわざ家の外に出てから、点門でアドラントに移動している。
 
「点門を使う時には外と決めているの?」
「基本的には」
「例外もあるということ?」
「相手を尊重する必要がない場合や急ぎの際は、室内に開くこともございます」
 
 ということは、一応、レジーのことは尊重しているらしい。
 サマンサは、執事を後ろに従え、森小屋に向かって歩いた。
 無言だと、どうにも気詰まりだ。
 無理に話す必要もないのだが、ちょっぴり気になっていることを訊いてみる。
 
「あなた、彼に叱られた? 独断で動いたわけでしょう?」
「我が君は、それほど心の狭いかたではございません」
 
 サマンサは、背後にいる執事に見えないのをいいことに、目を細めた。
 確かに、彼は、たいていは「心が広い」と言える。
 彼女が怒っても、お腹を殴っても、笑っているくらいだ。
 が、しかし。
 
(心が広い、とは言えないわよね。心が狭い部分もあるもの……)
 
 手を治癒しなくていいと言っただけで、へそを曲げてしまった。
 森に戻るために、どれほど苦心惨憺させられたか。
 こと、相手が男性になると、彼の心は極端に狭くなる。
 嫉妬と独占欲の塊のようになるのだ。
 
(よくわからないわ。なにを、それほど気にしているのか)
 
 サマンサは、彼とはベッドをともにした仲だと思い込んでいる。
 そして、記憶はないが、自分は誰とでもベッドに入るような性格ではない、とも思っていた。
 だから、彼が「特別」であるのは、彼もわかっているはずだと、考えている。
 そのため、彼が、必要以上に、ほかの男性を気にする意味がわからない。
 
「あなたは、そこで待っていて」
「かしこまりました」
 
 小屋の扉を開き、サマンサは1人で中に入った。
 扉の前に立っている執事の前で、その扉を閉める。
 レジーと関係があるのは、サマンサだけだ。
 関係のない者に会話を聞かせたくはなかった。
 
「レジー?」
 
 声をかけてみるも、返事がない。
 時間的に、まだ昼前なので、家にいるはずだと思っていた。
 だが、室内は静まり返っている。
 サマンサに特殊な能力はないので、人の気配も察知できない。
 
 とりあえず、調理室兼食堂のほうも見て回ったが、レジーの姿はなかった。
 レジーの部屋にもいないようだ。
 サマンサは、リスと2人で使っていた部屋に入ってみる。
 懐かしい感じがした。
 
 サマンサが使っていたベッドに、なにか置いてある。
 近づいて、手に取った。
 
 とても高級な軟膏だ。
 
 見た目も綺麗で、可愛らしい。
 町で買える代物とは思えなかった。
 おそらく、昨日、レジーはサハシーまで足を伸ばしている。
 だから「遅くなるかもしれない」と言っていたのだ。
 
 そして、もうひとつ。
 封にも入れられていない手紙が残されている。
 レジーからのものだろう。
 男性らしい整った文字が並んでいた。
 それほど長くはない。
 
 『サムへ。きみのことだから、きっと、1度は、ここに戻るだろうな。だから、俺も約束を守っておく。手荒れ、早く治せよ。ここでサムと暮らしたかったってのが本音だが、今頃はもう、サムの気持ちは決まってるだろ? 俺も、そろそろ真面目に騎士をすることにした。サムが危険な目に合わないことを、心から願っている。ライナール・シャートレー』
 
 サマンサも、レジーといるのは気楽で楽しかった。
 記憶がなく不安だったが、レジーのおかげで毎日を穏やかに過ごせたのだ。
 一緒に料理をしたり、片づけをしたり、とても「普通」の暮らしができた。
 ここで過ごし、新しい自分も見つけられたように思える。
 
 『前の自分のことは、思い出してから考えればいいのさ。それまでは、サムは今のサムでいろ。新しい自分として生きてりゃいいんだ』
 
 今も、サマンサの記憶は戻っていない。
 いつ戻るのか、戻らないのかも定かではなかった。
 だからこそ、レジーの楽観的なところに救われている。
 
「新しい自分として、今やりたいことを、やる」
 
 それでいいのだ、と思った。
 サマンサは、軟膏の容器と手紙を、胸に抱き締める。
 ここでの暮らしは、大事な思い出だ。
 彼女とリス、そして、レジーの3人で笑い合っていた。
 贅沢でなくても、質素な生活でも、幸せだと感じられる。
 
 いつか、こういう家庭を持ちたい。
 
 心の中で、そう感じていたのだ。
 レジーは手紙に「また会おう」とは書いていない。
 サマンサが、リスに言わなかった言葉でもある。
 
「……あなたは、本当に……騎士道精神にあふれているわ、レジー……」
 
 レジーの心遣いに、胸がいっぱいになった。
 彼とのことがなければ、もしかすると別の道を歩んでいたかもしれない。
 けれど、サマンサにとっての道は、ひとつになっている。
 レジーもわかっていたから「またどこかで」とも書かなかったのだ。
 
「そうね。今、やりたいことを、私はやるわ」
 
 サマンサは、彼との間に、願った家庭を築けると信じていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【全話まとめ】意味が分かると怖い話【解説付き】

ホラー / 連載中 24h.ポイント:83,666pt お気に入り:650

転生ババァは見過ごせない!~元悪徳女帝の二周目ライフ~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7,768pt お気に入り:13,494

ショート朗読シリーズ

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

顔面偏差値底辺の俺×元女子校

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:99pt お気に入り:2

ぶち殺してやる!

現代文学 / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:0

牢獄の王族

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:213

処理中です...