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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
おウチご飯 4
しおりを挟む「今日も、おウチご飯ってやつか?」
「ああ。レティが待っているからね」
涼しい顔で答える彼に、ジークは少し呆れている。
あれほど嫌われていたというのに、あっさり彼女を受け入れているからだ。
自分なら、そんなに簡単にはいかなかっただろうと思う。
ジークは拒絶されることの痛みを知っていた。
それを怖いとも思うし、怖いと思う自分の弱さも知っている。
恐れをいだく自分が嫌いだった。
(この人が感情的になるトコなんて見たことねーけどサ)
大公ことジョシュア・ローエルハイドは、常に冷静で穏やか。
感情に任せて何かをするということがない。
彼とのつきあいは十年ほどになるが、その間、1度だって声をあげて笑うところを見たことはなかった。
つい最近までは、だけれど。
「嬉しそうだな、アンタ」
「そりゃ嬉しいさ。愛しい孫娘が私を待っていてくれるのだから」
ジークは、わざとらしく髪をくしゃりとつかんでみせた。
やわらかい質の髪が指にからむ。
その色は漆黒。
彼と同じ色だ。
ただし、ジークの瞳の色はブルーグレイ。
元々は髪もこの色をしていた。
「そんなら、なんで遠眼鏡を使わねーんだよ?」
彼女が住んでいる場所は、王宮近くの屋敷だ。
その屋敷とは違い、この家は広いけれど飾り気のない木造建築。
山の中の一軒家でもあった。
元々は彼が住んでいたという屋敷からは、遠く離れている。
肉眼では屋敷の影すら見えない。
それでも「視る」手段はあった。
彼の魔術のひとつ「遠眼鏡」は、遠くにいる景色を目の前に映し出せる。
壁があろうと関係なしに、声までもが聞こえるのだ。
孫娘が可愛くて、心配しているのなら、それを使えばいい。
なにをしていて誰といて、どんな話をしているのか逐一わかるのだから。
「無粋なことを言うものじゃない。私は覗きなんて趣味はないのでね」
「ふーん。王太子が……ていうか、あのサイラスが、なにすっかわかんねーってのに、案外、呑気なんだな」
彼が上着を腕にしながら、ジークに向き直る。
ジークより頭ひとつ分は背が高い。
視線では見下ろされているのだが、嫌な感じはしなかった。
自分が大人になったからだと思える。
出会った頃、ジークはまだ6歳で、彼は話をする際、いつもしゃがんで目線を合わせてくれていた。
だから、こうしていると対等に話せる相手として認められていると感じる。
「気は抜いていないさ」
「まぁね。それは、わかってんだけどね」
彼の言葉は、心地良かった。
ジークにとって、たった1人の味方、信じられる人間。
それが彼なのだ。
6歳になったばかりの冬、ジークは両親に山に置き去りにされている。
顔は曖昧なのに、思い出すのは彼らの薄気味悪そうに自分を見る目つき。
わけもわからず、両親を探し、山をさまよい歩いた。
冬山では食べられる野草もなく動物もいない。
口に入れらたのは周りを埋め尽くす白い雪だけ。
何日が経ったのかも数えられなくなった頃、ジークは倒れた。
自分は死ぬのだと悟り、同時に、自分は捨てられたのだとも悟った。
だが、次に目を開いた時、目の前にいたのが彼だったのだ。
毛布にくるまれ、腕に抱かれていた。
もう涙も出なくなっていたのを覚えている。
体より心が冷たくなっていた。
そんなジークに彼はなぜか「すまないね」と詫びた。
今は、その言葉がなんだったのかを知っている。
知っていて「詫びる必要などなかったのに」と思っていた。
彼は自分の命と心を救ってくれたのだから。
彼との出会いで、認められる喜びと褒められる嬉しさを知った。
どちらも両親からは与えられなかった感情だ。
「ジーク」
「あいよ」
その短いやりとりだけで、彼が何を言いたいのかがわかる。
同時に、彼にもわかっているに違いない。
自分がどう答えたのか。
(どの道、オレは元から人でナシなんだ。今さらだぜ)
彼は孫娘のためなら、なんでもする。
どんな残酷なことでも平然とやってのける。
同情も憐憫も、そこにはない。
そして、ジークにも、それにつきあえと言っているのだ。
(アンタの武器として、どこまでも一緒についてく)
ジークには彼の力が与えられている。
もちろん、到底、彼には及ばないが、王宮魔術師などは相手にならないくらいの力だ。
もとよりジークには特殊な能力があり、幼い頃は無自覚に使っていた。
両親が自分を恐れ、気味悪がったのも、今は理解している。
だからといって、捨てられたことを許せるはずもないけれど。
消えかかっていたジークの命の炎を、再び彼は力強く燃え上がらせてくれだ。
その際に、彼の力がジークに宿ったのだ。
『誰にでも分けられるようなものではないのだがね』
漆黒に変色したジークの髪を見て、彼はそう言っている。
彼にとってでさえ想定外のことだったらしい。
おそらく自分が持っていた能力によるものなのだろう。
ジョシュア・ローエルハイドの力は特別だった。
契約に縛られず、王宮魔術師が総出でかかってもかなわないほど強大で、尽きることもない。
まるで空気があるのはあたり前というのと同じに、彼の魔力はどこからともなく溢れ出てくる。
力を分け与えられているジークには、それがわかるのだ。
彼自身は、そんな己の力を疎んじているところがあった。
だから、詫びたのだろうが、ジークはこの力を誇りに感じている。
生まれながらに特殊な能力を持っていたことも、両親に捨てられたことも、ここに繋がるための道だった。
そう思える。
そのせいか、力を手に入れても、両親に復讐しようなどとは考えなかった。
彼のためにこそ力を使う。
自分は彼の武器なのだ。
ひゅっと軽く息を吸い込む。
瞬間、ジークの体が変化した。
漆黒の烏。
音を立てることなく飛び上がり、彼の肩にとまった。
少しだけ、そうしてから、スイッと離れる。
(行く)
聞こえているのかどうかは知らない。
が、彼は聞こえているかのように、軽く手を振った。
窓を開けることなく、扉を開くことなく、外に出る。
彼の力を宿したジークを遮るものは、なにもない。
どんなに強固な壁も檻も、簡単にすり抜けられるのだ。
少し力を使えば姿だって隠せる。
どこにでも入れるようにも思えるが、そうもいかない場所があった。
それは王宮だ。
王宮には王宮魔術師がいる。
彼らは魔力を感知するため、一定の距離を保たなければ、気づかれる恐れがあった。
(あの人は、それもできちまうんだからなぁ)
あの強大な力をどうやって隠しているのか不思議になるくらい、彼は魔力を隠すのが上手い。
ジークも魔力を感知できるのだが、隠している彼からは力の流れをいっさい感じとれないのだ。
それで、周囲は誤解する。
(そんなに、お優しいヒトじゃないぜ?)
彼は善悪を考えない。
それが、善いことか悪いことかなど、どうでもいいのだ。
『人は守りたい者しか守れないのだよ』
要するに、大事な者しか守るつもりはない、ということ。
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(いいサ、それで。オレだって守りたい者しか守る気ねーから)
ジークは夕闇が広がり始めた空を飛んでいた。
おっつけ彼も来るだろう。
転移の魔術を使い、あっという間に屋敷に着くはずだ。
もちろん便乗することもできるのだが、ジークはそれをしない。
自分のことは自分で面倒をみると決めている。
足手まといになるのも、面倒をみられるのも嫌だった。
自分は彼の武器であり、相棒。
彼が孫娘を守るためになんでもするというのなら、自分も彼を守るためになんだって、する。
ジークにとっても、善悪など、どうでもいいことだった。
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