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第2章 黒い風と金のいと
公爵家のひととき 1
しおりを挟む「レティ~~~~~ッ!!」
ぎゅぎゅぎゅぎゅむー!
父親に、ぎゅうぎゅう抱きしめられ、レティシアは、目を白黒させる。
いや、本当に。
危うく白目をむいて倒れるところだった。
「あなた! レティが苦しがってるじゃないの!」
ぺんっと背中をはたかれ、父が少しだけ力を緩めてくれる。
が、ぎゅうっとしたまま体は離さない。
肩が少し揺れていて、終始、ぐすぐすという鼻の音が聞こえていた。
(正妃選びの儀の帰りも、こんな感じだったなぁ)
思いつつ、今日は父を抱きしめ返す。
目で母にも合図を送った。
優しいまなざしで、母が小さくうなずいてくれる。
「ほ、本当に……ぶ、無事で……父は……父は……」
「心配かけて、ごめんね。お父さま」
少し前に死にかけて、今度は攫われたのだ。
どちらも自分の落ち度だと、レティシアは思っている。
「お、お前は……悪くなど……ない! 悪いのは、あいつらだろう!」
「いやいや、お父さま……」
「私の可愛い娘に……ひ、酷い真似を……っ……」
(てゆーか、酷い目に合ったのは、私じゃなくてグレイとサリーなんですケド……でもって、たぶん王子様も……殴ったし……瘤できてたし……)
心の中で、そんなふうに思った。
父からすれば、攫われたというだけで十分なのだろうが、実際、レティシアは無傷だったのだ。
グレイは瀕死だったし、サリーは服を剥かれているし、王子様はタンコブで。
比較すると、首にちょいと縄がかかった程度ですんだ自分は、たいして酷い目に合っていない気がする。
「父上!」
急に、父が顔を、がばあっと上げた。
が、レティシアの体は離さない。
顔は涙で、ぐしょぐしょになっている。
母が横から、そっとハンカチで父の顔を拭っていた。
慌てた様子のない、その仕草に「ああ、慣れてんだ」と思う。
さすが、年上女房なだけはある。
「なんだい、ザック」
祖父は、相変わらず落ち着いた口調で、なんでもなさそうに言葉を返した。
祖父も祖父で、父のこういう姿は見慣れているのかもしれない。
「あの2人を粉々のバラバラにしてください! 痕形も残らないくらいに! 父上なら、お出来になるでしょう?!」
「それは、できるがね」
「いやいやいやいや、お父さま! お父さま、宰相でしょう?! そんな物騒なこと言っていいの?!」
とたん、レティシアにしがみつくように、体をまた、ぎゅうぎゅう。
レティシアの服も、肩辺りが父の涙で、ぐっしょりだ。
「宰相など、もう辞める! 今度こそ……今度こそ、辞めてやる! 私に父上ほどの力があれば、王宮ごと吹き飛ばしてやれたのに!」
「お、お父さま。ちょ、ちょっと落ち着いて。ね。私は大丈夫だったんだし」
宰相というのは、国王の補佐をして、政をとりまとめている最重要ポスト。
それを、子供が「塾を辞める」みたいな言いかたをされても。
(それは、ナシだよ、お父さま……駄々っ子パパだわ……)
心配してくれるのは嬉しいし、同じくらい申し訳なさもあった。
さりとて、王太子とサイラスをバラバラにとか、王宮を吹っ飛ばすとか、過激に過ぎる。
どう過保護をこじらせたら、こうなるのか。
(あ~、でも、お父さま、まだ32歳なんだよなぁ。私の実年齢からすると5つ上なんだけど、若いっちゃ若いよね)
若い父親であり、1人娘ともなると、過保護になるものなのかもしれない。
レティシア自身には子供がいなかったので、そのあたりの機微はわかってあげられないのだけれど。
「ザック。そのくらいにしておきたまえ。きみも、もう子供ではないのだからね。レティが言うのなら可愛らしくも思えるが、きみが言っても少しも可愛くないのだよ」
出た!と思った。
祖父は、時々、辛辣なことを言う。
グレイに対してもだけれど、男性には厳しいのだろうか。
時代設定的には、そうであっても不思議ではなかった。
こういう社会では「騎士道精神」なるものがある。
日本の「武士道」とは、異なる主旨のものだ。
騎士たるもの、常に女性を守るべし。
これが、のちのレディファーストに繋がっている。
振り返っても、祖父が女性に辛辣だった記憶はない。
ラウズワース公爵家のご令嬢に対しても、彼女の提案に否定的ではあったが、終始、穏やかな口調で話していた。
(てゆーか……私、王宮を吹っ飛ばして!なんて言わないよ、お祖父さま……)
やはり王子様を花瓶で殴った話をしたのが悪かったのだろうか。
自分が、ものすごい暴れん坊になったような気分だ。
「しかし、父上……もし、レティの身に何かあったら……」
まだ鼻をグズグズさせつつも、ようやく父が離れてくれる。
側に控えていたサリーが「お着替え」をさせたそうな目で、レティシアを見ていた。
気持ちは同じだが、こんな父を放り出して立ち去ることはできない。
ともかくも、心配をかけた自分が悪いのだ。
サリーに小さくうなずいてから、肩をすくめてみせる。
それで察してくれたらしい。
着替えは、ひとまず、あとだ。
「それで? きみは王宮で何をしていたのだい? まさか手ぶらで帰ってきたわけではないだろうね?」
父が、言われて初めて気づきました、という顔をする。
どうやら怒り狂っていて、仕事どころではなかったようだ。
1度、王宮での父の仕事振りを見てみたいと思った。
ちゃんと働けているのか心配になる。
とはいえ、王宮に行くなんて絶対に無理なのだけれど。
「お義父さま、それでしたら、私から少しお話がございます」
「さすがはフラニー。頼りになるねえ」
ちらっと祖父が、父に視線を投げた。
父は、すっかりしょげた犬のようになっている。
その背中を支えながら、4人で小ホールに移動した。
いつもは食堂で夕食を取りながら話すのだが、今日はすでに夕食はすませていたからだ。
小ホールといっても、客を招いてパーティーをするような部屋とは違う。
印象としては、リビングに近い内装になっていた。
室内には、ソファがバランス良く配置されている。
いくつかのグループで、談笑できるようなセッティングだ。
奥の大きな窓は、今は分厚いカーテンが引かれている。
開けると、外庭に繋がっていて、レティシアもたまにそこから外に出ていた。
その窓近くのソファに、まず祖父が座る。
「レティは、こっちにおいで。ザックの隣にいて、それ以上、ドレスをびしょ濡れにされては、かなわないからね」
しゅんとしている父が心配ではあったが、祖父の言うことにも一理ある。
肩から胸にかけての辺りが濡れていて、まだ冷たいのだ。
レティシアは、素直に祖父の言うことに従い、隣に座る。
祖父の正面に父、父の横に母が座った。
父は、あたり前のように母の手を握る。
とたん、また祖父から辛辣な言葉が飛び出した。
「グレイ、少しは気を効かせたまえ。このままだと、きみから有能という文字を外すことも考えなくてはならなくなる」
「も、申し訳ございません……っ……」
慌てた様子でグレイが駆け寄ってくる。
すぐに服が、ふしゅんっと音を立てて乾いた。
(そうだった。グレイは炎系の魔術が使えるんだったよね)
サリーが霜を降らせた部屋も、グレイが魔術で温めたのを思い出す。
服が乾いて、ちょうどいい感じになった。
「ありがと、グレイ」
「ど……どう、いたしま、して……」
祖父に叱られたのが、相当にショックだったらしい。
かなり動揺している。
祖父は、父にもグレイにも、もう目もくれない。
「フラニー、話を聞かせてくれるかい?」
母に対する声音は、いつも通りの優しいものだった。
母も、2人のしょんぼりさんを軽くスルーしている。
すぐに話を切り出した。
「今回のレティを攫った首謀者として、近々、アンバス侯爵が捕らえられるとのことです。彼は領地から出ているらしく、現在、近衛が捜索しております」
レティシアは母の言葉に、きょとんとした。
頭に浮かんだのは、たったひとつ。
誰、それ?
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