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前編
率直と婉曲と 1
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カーリーは、伯爵の邪魔にならないよう、切り分けた思考の中で、せっせと情報を整理している。
これはカーリーにしかできないことだが、カーリーだからこそ必要なことでもあった。
伯爵の闇から生じ、育った木。
土壌に接しているのは、カーリーだけなのだ。
そのためカーリー以外は、伯爵と直接のやりとりができない。
逆に言えば、カーリーだけは直接に繋がっているので、ともすれば感覚が伯爵に伝わってしまう。
雑多な情報まで伝わってしまうと、伯爵の邪魔になる。
そう考え、カーリーは伯爵から最も遠い場所に、自分の意識を切り分け、枝葉によってもたらされた情報を整理しているのだ。
長い時間と経験で、それが「執事」というものだと認識していた。
もっとも伯爵が目覚めるまで、実際的な仕事はできずにいたのだけれども。
これからは、忙しくなる。
伯爵の目覚めは、枝葉にだけ影響を及ぼすものではない。
リセリア帝国全土を揺るがす事態となるはずだ。
当然だが、ファニー以外は、伯爵がオスカー・キルテスだとは思わないだろう。
カーリーたちのような枝葉がいることを知る余地もない。
2百年。
カーリーは伯爵に言いつけられた通り、リセリア帝国を「見守って」きた。
人も暮らしぶりも文化も、何もかもが変わっていくのを見てきたのだ。
伯爵不在をいいことに「悪法」が作られ、くだらない慣習も増えた。
今の貴族らは、現状を維持するために、なんでもする。
現状の維持といっても、それは自分たちの「特権」に限られていた。
貴族が権力を掌握していることが、国の安寧を導いていると錯覚している。
だからこそ「法の番人」に現れてもらっては困るのだ。
伯爵は未来永劫「法の番人」だが、未来永劫「遺影の伯爵」であるべきだった。
少なくとも彼らは、そう望んでいたに違いない。
ふざけた話だ。
カーリーは、伯爵のほとんどすべてを知っている。
闇が広がり始めたのは、伯爵が眠りにつく数年前。
その際、闇夜の森に芽吹いたのが、カーリーだ。
闇の土壌から伯爵の感覚や意思、知識を吸収して育った。
けれど、ある日を境に、伯爵の「記憶」が流れ込んでくるようになったのだ。
それと引き換えるみたいに、感覚のほうは薄れていった。
なぜか、その時、カーリーは伯爵の元に行かなければないないと感じている。
動くため、強制的に形成したからか、5、6歳くらいの子供の姿にしかなれなかったが、ともかく伯爵邸に急いだ。
そこで初めて見た伯爵は死にかけていた。
濃い闇が伯爵の周りを取り囲んでいたが、わずかな光が2つ。
ファニーの祖先である、エルマーとミックだ。
彼らが伯爵を繋ぎ止めているのだと、カーリーは悟った。
そして、病の進行を止めるべく、伯爵をゆっくりと眠りにつかせたのだ。
彼らがいる内に、完全に眠らせてしまわなければ、伯爵は死んでしまう。
当時のカーリーに明確な意思はなく、ただ伯爵の死と自分の死が同義だと感じていたに過ぎない。
自らの生命を繋ぐため、伯爵を生かそうとしていた。
だが、子供の姿でエルマーやミックと出会い、ともに伯爵を見守り、意思や感情を持つようになった。
決定的だったのは、伯爵から「カーリー」と名付けられたことだ。
名で呼ばれ、役目を与えられ、カーリーは「カーリー」となった。
伯爵直々に名を与えられたのは、カーリーだけだ。
その後、枝葉に名をつけるのは、カーリーの役目のひとつとなっている。
(ナッシュ、首都の貴族の動きは?)
(集まって悪巧み中って感じ~スかねぇ)
(上手くいきそうですか?)
(最初の策は上手くいきそうにないって結論になったんで、次は皇帝に泣きつきに行きそうっスよ~)
ナッシュは「枝」で、いつも呑気そうな口調で話す。
丁寧なのだか、いいかげんなのだか、判別しにくいのだが、優秀ではあった。
しなりのいい枝というふうに、状況に合わせて自らの動きを調整する。
結果、指示しなくても、カーリーの望む行動を取っていたりするのだ。
(ならば、皇家はしばらく放置で。ムスタファ、男爵領はどうです?)
(リーストンの娘は、ディエゴもヴァルガーの娘も気に入っていないようだな。だが、ディエゴがなんとかするだろう。ディエゴの統治に領民の大半は満足している)
(ファルコ、南西部は?)
(乗り気じゃないな。ゼビロスと面してるから、当然だろ)
本来「枝」とは感覚を共有しているため、だいたいの状況なら常に把握しておく必要はない。
とはいえ、感覚だけでは確実とは言えないし、かと言って「枝」同士の会話にいちいち聞き耳を立てるのも面倒だ。
そのため、確認したかったり指示が必要だったりする場合にのみ、会話していた。
カーリーは、整理した情報を集約する。
男爵領が伯爵領と同義になったこと、そして南西部が難色を示していること。
貴族の悪巧みの最初の策が失敗したこと。
(帝国法を変えるには、キルテス伯爵以外の全貴族の同意が必要。奴らはそれを画策していたようですが、徒労に終わりました)
(伯爵様の領地をほかの貴族で分け合って、それを理由に南西部を巻き込む腹だったんスかねぇ)
(普通の状態のヴァルガーなら、絶対に了承しなかったはずだ)
(だから、大事な妻を殺させたってことかよ。娘は殺し損ねたんで嫁がせたと)
そうした面倒に巻き込まれたのは、伯爵とファニーだ。
貴族が何をしようと勝手だが、2人の邪魔をするのは許せない。
『害するさ。害さないはずがないだろう、カーリー。私がどういったことに気分を害するかも知らないような連中だ』
伯爵は目覚めとともに、先々の事態を予想していたようだ。
カーリーは、貴族たちの思考に、つくづくと呆れる。
報復するつもりのない伯爵に、わざわざ戦を仕掛けているのだから。
記憶を見たので知っているが、伯爵は力だけで戦に勝ってきたのではない。
何手も先を読み、時には謀略を使い、相手を不利な状況に追い込んできたのだ。
(それはそうと、皆に重要な話があります)
カーリーは思考を切り替え、バッと枝葉に自分の意識を伸ばした。
これで「落ち葉」以外に、カーリーの意思が伝わる。
(ファニー様が伯爵様について話されたことを、私たちから伯爵様に伝えることのないよう気をつけなさい。とくに、ナタリー)
(よくわからないわ、カーリー。なぜ話してはいけないの?)
(伯爵様が、そう望まれたので)
(ファニー様の気持ちを知りたくないということか?)
(ムスタファ、伯爵様がファニー様のお気持ちを知りたいと思っておられることは伝わっているはずです)
枝葉が、ざわざわしていた。
正直、カーリーにも、よくわかっていない。
だが「人とはそういうもの」だと思っている。
(伯爵様は、ファニー様ご自身からお聞きすると仰いました。それ以外は、盗み聞き。卑怯者のすることだと)
枝葉が静かになった。
カーリーも含め、完全に理解しているものはいないだろう。
それでも伯爵を「卑怯者」にはしたくないと感じている。
(ゆえに、過去のファニー様のお話や今後のやりとりも、絶対に伯爵様に話してはなりません)
こうして、伯爵の知らないところで、無慈悲な指示が、すべての枝葉行き渡った。
これはカーリーにしかできないことだが、カーリーだからこそ必要なことでもあった。
伯爵の闇から生じ、育った木。
土壌に接しているのは、カーリーだけなのだ。
そのためカーリー以外は、伯爵と直接のやりとりができない。
逆に言えば、カーリーだけは直接に繋がっているので、ともすれば感覚が伯爵に伝わってしまう。
雑多な情報まで伝わってしまうと、伯爵の邪魔になる。
そう考え、カーリーは伯爵から最も遠い場所に、自分の意識を切り分け、枝葉によってもたらされた情報を整理しているのだ。
長い時間と経験で、それが「執事」というものだと認識していた。
もっとも伯爵が目覚めるまで、実際的な仕事はできずにいたのだけれども。
これからは、忙しくなる。
伯爵の目覚めは、枝葉にだけ影響を及ぼすものではない。
リセリア帝国全土を揺るがす事態となるはずだ。
当然だが、ファニー以外は、伯爵がオスカー・キルテスだとは思わないだろう。
カーリーたちのような枝葉がいることを知る余地もない。
2百年。
カーリーは伯爵に言いつけられた通り、リセリア帝国を「見守って」きた。
人も暮らしぶりも文化も、何もかもが変わっていくのを見てきたのだ。
伯爵不在をいいことに「悪法」が作られ、くだらない慣習も増えた。
今の貴族らは、現状を維持するために、なんでもする。
現状の維持といっても、それは自分たちの「特権」に限られていた。
貴族が権力を掌握していることが、国の安寧を導いていると錯覚している。
だからこそ「法の番人」に現れてもらっては困るのだ。
伯爵は未来永劫「法の番人」だが、未来永劫「遺影の伯爵」であるべきだった。
少なくとも彼らは、そう望んでいたに違いない。
ふざけた話だ。
カーリーは、伯爵のほとんどすべてを知っている。
闇が広がり始めたのは、伯爵が眠りにつく数年前。
その際、闇夜の森に芽吹いたのが、カーリーだ。
闇の土壌から伯爵の感覚や意思、知識を吸収して育った。
けれど、ある日を境に、伯爵の「記憶」が流れ込んでくるようになったのだ。
それと引き換えるみたいに、感覚のほうは薄れていった。
なぜか、その時、カーリーは伯爵の元に行かなければないないと感じている。
動くため、強制的に形成したからか、5、6歳くらいの子供の姿にしかなれなかったが、ともかく伯爵邸に急いだ。
そこで初めて見た伯爵は死にかけていた。
濃い闇が伯爵の周りを取り囲んでいたが、わずかな光が2つ。
ファニーの祖先である、エルマーとミックだ。
彼らが伯爵を繋ぎ止めているのだと、カーリーは悟った。
そして、病の進行を止めるべく、伯爵をゆっくりと眠りにつかせたのだ。
彼らがいる内に、完全に眠らせてしまわなければ、伯爵は死んでしまう。
当時のカーリーに明確な意思はなく、ただ伯爵の死と自分の死が同義だと感じていたに過ぎない。
自らの生命を繋ぐため、伯爵を生かそうとしていた。
だが、子供の姿でエルマーやミックと出会い、ともに伯爵を見守り、意思や感情を持つようになった。
決定的だったのは、伯爵から「カーリー」と名付けられたことだ。
名で呼ばれ、役目を与えられ、カーリーは「カーリー」となった。
伯爵直々に名を与えられたのは、カーリーだけだ。
その後、枝葉に名をつけるのは、カーリーの役目のひとつとなっている。
(ナッシュ、首都の貴族の動きは?)
(集まって悪巧み中って感じ~スかねぇ)
(上手くいきそうですか?)
(最初の策は上手くいきそうにないって結論になったんで、次は皇帝に泣きつきに行きそうっスよ~)
ナッシュは「枝」で、いつも呑気そうな口調で話す。
丁寧なのだか、いいかげんなのだか、判別しにくいのだが、優秀ではあった。
しなりのいい枝というふうに、状況に合わせて自らの動きを調整する。
結果、指示しなくても、カーリーの望む行動を取っていたりするのだ。
(ならば、皇家はしばらく放置で。ムスタファ、男爵領はどうです?)
(リーストンの娘は、ディエゴもヴァルガーの娘も気に入っていないようだな。だが、ディエゴがなんとかするだろう。ディエゴの統治に領民の大半は満足している)
(ファルコ、南西部は?)
(乗り気じゃないな。ゼビロスと面してるから、当然だろ)
本来「枝」とは感覚を共有しているため、だいたいの状況なら常に把握しておく必要はない。
とはいえ、感覚だけでは確実とは言えないし、かと言って「枝」同士の会話にいちいち聞き耳を立てるのも面倒だ。
そのため、確認したかったり指示が必要だったりする場合にのみ、会話していた。
カーリーは、整理した情報を集約する。
男爵領が伯爵領と同義になったこと、そして南西部が難色を示していること。
貴族の悪巧みの最初の策が失敗したこと。
(帝国法を変えるには、キルテス伯爵以外の全貴族の同意が必要。奴らはそれを画策していたようですが、徒労に終わりました)
(伯爵様の領地をほかの貴族で分け合って、それを理由に南西部を巻き込む腹だったんスかねぇ)
(普通の状態のヴァルガーなら、絶対に了承しなかったはずだ)
(だから、大事な妻を殺させたってことかよ。娘は殺し損ねたんで嫁がせたと)
そうした面倒に巻き込まれたのは、伯爵とファニーだ。
貴族が何をしようと勝手だが、2人の邪魔をするのは許せない。
『害するさ。害さないはずがないだろう、カーリー。私がどういったことに気分を害するかも知らないような連中だ』
伯爵は目覚めとともに、先々の事態を予想していたようだ。
カーリーは、貴族たちの思考に、つくづくと呆れる。
報復するつもりのない伯爵に、わざわざ戦を仕掛けているのだから。
記憶を見たので知っているが、伯爵は力だけで戦に勝ってきたのではない。
何手も先を読み、時には謀略を使い、相手を不利な状況に追い込んできたのだ。
(それはそうと、皆に重要な話があります)
カーリーは思考を切り替え、バッと枝葉に自分の意識を伸ばした。
これで「落ち葉」以外に、カーリーの意思が伝わる。
(ファニー様が伯爵様について話されたことを、私たちから伯爵様に伝えることのないよう気をつけなさい。とくに、ナタリー)
(よくわからないわ、カーリー。なぜ話してはいけないの?)
(伯爵様が、そう望まれたので)
(ファニー様の気持ちを知りたくないということか?)
(ムスタファ、伯爵様がファニー様のお気持ちを知りたいと思っておられることは伝わっているはずです)
枝葉が、ざわざわしていた。
正直、カーリーにも、よくわかっていない。
だが「人とはそういうもの」だと思っている。
(伯爵様は、ファニー様ご自身からお聞きすると仰いました。それ以外は、盗み聞き。卑怯者のすることだと)
枝葉が静かになった。
カーリーも含め、完全に理解しているものはいないだろう。
それでも伯爵を「卑怯者」にはしたくないと感じている。
(ゆえに、過去のファニー様のお話や今後のやりとりも、絶対に伯爵様に話してはなりません)
こうして、伯爵の知らないところで、無慈悲な指示が、すべての枝葉行き渡った。
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