伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

感謝に我儘に 2

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「は、伯爵様、す、少し、おは、お話、いいですかっ?」
 
 朝食後と思しき時間に、ファニーが家を訪ねてくれた。
 いつもは、さっと仕事に出てしまうので、その姿を朝に見ることは稀だ。
 本当は食事も一緒にしたいのだが、ファニーにはファニーの暮らしがある。
 
 無理を言って縛りつけるのも、いきなり間合いを詰めるのも、彼女を窮屈にさせるだけだと思っていた。
 それに、なによりファニーに悪感情をいだかれるのが恐ろしい。
 
 自分は彼女より20歳も年上の男なのだ。
 
 伯爵には、年長の男と歳若い女性との関係に良い印象がなかった。
 たいていは、力ある男の弱い立場の女性への強制。
 今だって、貴族が平民に、リセリア人が奴隷に強いているものが少なくない。
 そのため、自分が同じに見られるのではとの思いがある。
 
 昔からの約束という口実での婚約関係も、ある意味では強制に近いのだ。
 考えてみれば、不満はないというファニーの言葉は、領主の決めたことに不満はないという意味だったのではなかろうか。
 最初に会った際は、そこまで考えが及ばなかった。
 
 ファニーとの出会いに浮かれていたのだ、と思う。
 伯爵が眠りの中で見ていた女性が、実物として目の前にいた。
 当時と変わらない想いをいだいてくれているものと思い込んでいたのだ。
 目覚める前、最後に見た光景から1年以上は経っていたのに。
 
「もちろんです。どうされました?」
 
 ファニーは、家の戸口に立っている。
 中に招くかどうかで悩んだ。
 伯爵が不在の時に、ナタリーが呼んだ「葉」が室内の手入れをしているのだが、通常は1人で過ごしている。
 
 つまり、今現在、家には誰もいない。
 
 女性を不用意に男と2人きりにするものではないと、伯爵は思っている。
 たとえ、それが自分であっても。
 
「ぇえっと……あの……伯爵様に……その……お、お願いが、ありまして……」
 
 迷っている間にも、ファニーが話を切り出してしまった。
 見上げてくる視線に、室内に招くことを忘れる。
 ほんのりと赤く色づいた頬に、思わず手を伸ばしそうになるのを我慢した。
 ここは年長者として、余裕をもって接するべきなのだ。
 
「なんでも話してごらんなさい。私にできることは、それなりに多いのですから」
 
 ファニーの願いなら、どんなことでも叶えるつもりでいる。
 日頃、ファニーは、伯爵が何かを与えようとしても受け取ることが少なかった。
 人手に関しても、最初は支援金から給金を賄うと言っていたほどだ。
 そのくらい「与えられる」ことに慣れていない。
 
───彼女は、法に背く願い事などしないのだろうな。
 
 この場合の法とは、帝国法を指す。
 ファニーにとっての法が帝国法しかないと知っていた。
 それは伯爵が定めたものだ。
 なので、どういうことが法にふれるかもわかっている。
 
 邪魔な者を殺せとか、金品を奪えとか。
 ファニーの頼みが、犯罪の類でないことは確かだ。
 
「わ、わた、私を、り、り……旅行に連れて行ってくれませんかっ?」
「旅行……」
「もちろん伯爵様の都合もあると思うので、駄目なら駄目でいいんです! 私も仕事を放っぽり出すつもりはなくて、ちゃんと頼んでおこうと思ってます! でも、迷惑なら迷惑と言ってください!」
「少しも迷惑ではありません」
 
 きっぱりと言い切る。
 むしろ、喜びのほうが勝っていた。
 まさか、こんな「お願い」とは思っていなかったのだ。
 ファニーのことなので、仕事の関係だろうと推測していた。
 
「ありがとうございます……そ、そんなに……と、遠くじゃなくてもいいので……」
「せっかくの旅行です。どうせなら遠出をしませんか?」
「遠出、ですか? でも、あまり贅沢なところは……」
「ノビリスに行く気はありませんよ」
 
 伯爵は、ファニーの心配を察して笑う。
 リセリアで「観光」と言えば、首都ノビリスを想像するのが一般的だ。
 首都なだけはあって、華やかで様々なものが揃っている。
 
 だが、ファニーには、本当に「見たことのない」景色を見せたかった。
 ノビリスは、所詮、貴族の街で面白味に欠ける。
 ひとつ間違えば、ファニーに不愉快な思いをさせるだろう。
 奴隷がこき使われているのが当たり前の街なのだから。
 
「海の向こうを見に行くというのは、どうでしょう?」
「海の向こうって……」
「ゼビロスです」
「えっ? 行けるんですか? っていうか、行ってもいいんですか?」
「今のリセリアとゼビロスは互いに牽制し合っていますし、交易もありません。ですが、国交を断絶しているわけでもありません。ゼビロスの了承さえあれば、なんの問題もなく行くことができます」
 
 仮想的な敵国ではあれ、表面上は、ただの隣国だ。
 互いに「敵国」だと表明してはいない。
 干渉し合わないという暗黙の了解の上に、2つの帝国は成り立っている。
 
「了承してもらえるんでしょうか?」
「少々、ツテがありましてね。向こうで危険な目にも合わないと約束します。ゼビロスが嫌なら、西方でもいいですね」
 
 ファニーは、しばし迷っている様子だったが、すぐにキリっとした表情をして答える。
 
「ゼビロスがいいです。1度、行ってみたいと思ってました。だって……あんなに近いんですから」
「向こうは、こちらより暑いですが、海で泳ぐこともできるのですよ。今のゼビロスは、かつてのゼビロスとは違います。私も、いつかあなたに今のゼビロスを見てほしいと思っていました」
 
 ファニーは、ゼビロス人が半島を脅かしていたことしか知らない。
 今のゼビロスを見て、どう感じるだろうかと、伯爵は思う。
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