【恋心】 side story

佳乃

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母の願い、父の想い。

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 自分がΩとして生きていくなんて考えたこともなかった。

 高校を卒業して、自分の望む進路に進み、結婚して、子供ができて。
 裕福ではないけれど温かい家庭を築くのが自分の人生だと思っていた。
 そう、βの父とβの母との間に産まれ、βである2人の兄と共に育ってきたボクにはそれが1番しっくりくる人生設計だったんだ。

 小学生の時に出会った陸上競技は体を動かすのが好きなボクにとって〈楽しい〉ものだった。
 βではあるものの、その軽さを武器にしてそれなりに結果を出してきたボクは少しばかり調子に乗っていたのかもしれない。
 当時、自分よりも身体能力の優れたαの選手の中にあっても成績を残すことのできるボクは少しばかり自惚れていたのだろう。夏の大会が終わると進路という現実と直面する事になっていたせいで、それをプレジャーとして感じていたせいもあるかもしれない。
 大会の成績を活かし、次のステージを目指して進学するか、それとも陸上とは関係無く一般入試で進学するか、それとも就職するか…。
 実際、2人いるうちの上の兄は大学に進み、そこで学んだ事を活かして就職している。2番目の兄は勉強は嫌いだからと高校を選ぶ時点で就職率の高い高校を選び、既に就職している。在学中に幾つかの資格を取得して、それを活かした職種を選んだのはその職種が好きだったのか、向いていたのか、毎日が楽しそうだ。

 そんな中、ボクはと言えば中学の頃から続けている陸上を続けたいとの思いから陸上の盛んな高校を選び、少しでも記録を伸ばそうと努力してきた。
 ただ、この先もこの競技を続けたい気持ちはあるものの、正直限界を感じているのも事実だ。今の段階では思うように伸びなかった身長と、身体の軽さを武器に少しでも高く跳ぶことを目標にしてきた。
 結果、今回は良い成績を残すことはできたものの、身体がしっかりと完成してきた他の選手はその身体能力を活かした跳び方を身につけ始めている。伸びた身長に見合う腕の力で身体をグイと持ち上げて跳ぶ様は、正直見ていて惚れ惚れするほどだ。どの時点でどの筋肉に力を込め、どの筋肉の特性を活かして、腕にこめた力で己の身体を持ち上げて鮮やかに跳ぶ。
 成長しきった時にその肉体の能力を生かして跳ぶ様はさぞかし美しいのだろうと憧れる。
 自分はと言えば軽さと勢いに任せて跳んではいるものの、体重が増えた時に身体を押し上げる強さが足りなくなるのは想定内だ。軽く、しなやかなと言えば聞こえはいいものの、細く、筋肉のつきにくいこの身体はアスリートとしてはそろそろ限界なのかもしれない。考えたく無いけれど、自分の身体は自分が1番理解している。
 今回の成績を受けて推薦で大学に行ったところで選手として通用する保証はない。そうなった時に競技を離れて平気でいられるのかと考えると一般入試を受けて進学するのが1番良いのかと思いつつ、2番目の兄のように就職するとしたらボクに何が出来るのかと模索する日々。

 そんな中で同じ競技で切磋琢磨してきた彼の言葉に苛立ったのは彼があまりにも淡々としていたからだったのだろうか?

「おめでとう、素晴らしかった」

 そう声をかけてきたのはボクのライバルであり、αである彼だった。
 αなだけあって均整の取れた美しい身体と、しなやかな筋肉。跳ぶ時に目を逸らすことのできないほどの美しさを見せる彼は、常にボクのライバルだった。
 跳び方のスタイルが全く違うため、見ていても何の参考にもならないのに、それなのについつい目が行ってしまう彼の姿。
 勝つ事もあるし、負ける事もあるのが勝負の世界。当然、ボクが勝つ時もあれば負ける時もある。ただ、この先の事を考えると勝てる機会は少ないだろう。それでもこの競技を辞める決心がつかないのは彼の跳ぶ姿を見たかったからなのかもしれない。

「最後は勝ちたかったけど、完敗だ」

 そんな風に言われて悪い気はしなかった。確かに今日はいつになく調子が良く、身体も軽かった。どこまでも跳んで行けそうな気がしていたのは気のせいじゃない。自己最高記録を更新できなかったのは残念だったけれど、満足のいく結果ではあった。

「ありがとう」

 素直に答えたボクに、彼は笑みを見せる。

「でも大学に行っても続けるんだろう?
 まだ機会はあるんじゃない?」

 自分の進路を決めかねてはいるけれど、それでも彼の跳ぶ姿を見る事ができるのならば続けたいとも思ってしまう。先の進路を人に委ねるつもりはないけれど、それでも彼にならば委ねても良いと思ってしまうほどに魅力的なのはαだからではなくて、きっと彼の持つ根本的な強さなのだろう。だって、僕はβなのだから。
 彼のαとしての魅力なんて関係無く魅せられているのだろう、きっと。

 だけど〈彼が続けるのなら自分も〉そう願ったボクのこの気持ちは本当に純粋なものだったのだろうか?
 それとも、ボク自身も気づいていなかったΩとしての本能がそうさせていたのだろうか?

「陸上はもう辞める。
 大学では続けるつもりはないから今日が最後だったんだ」

 予想もしていなかった言葉に思わず「えっ⁈」と間抜けな言葉を返してしまう。ボクは限界を感じて続ける事を迷っているのに、それなのに体躯にも環境にも恵まれているのに、今からもっと記録が伸ばせるはずなのに、それなのに何を言っているのだろう?

 無性に腹が立った。

〈彼が続ける〉のならば〈ボクが続ける〉事に理由をつけることができたのに、〈彼が続ける〉のならば〈ボクが続ける〉事の意味が分かる気がしたのに。

「何で?勿体ない」

 純粋な疑問だった。
 これからまだまだ伸びるであろう彼が辞める理由がわからない。

「陸上は高校までって決めてたし。
 大学では大学で学びたいことがあるんだ」

「…………ぃ」

「えっ?何?」

 思わず言ってしまった言葉が聞き取れなかったのか、彼に聞き返されてしまう。別に聞いて欲しかったわけじゃなくて自然に出てしまった言葉。だけど、聞き返されてしまったら止めることができなかった。

「狡い。
 何でもできて、これからの可能性も、恵まれた身体もあるのに。続けたくても限界を感じて諦めるしかない人だっているのに。
 何が気に入らないの?」

 ボクの突然の言葉に彼が戸惑っていることは気付いていた。だけど、止めることはできなかった。いくら大会が終わったと言っても片付けをしている人たちももちろんいるし、ボクの友人や彼の友人だってもちろん近くにいる。中にはボクを「やめときなって」と止めようとする友人もいたけれど、どうしても言葉を止めることができなかった。

「良いよね、何でも好きに出来る人は。
 陸上は高校生の間嗜んでそれなりの成績を収めました。
 大学では他のことで結果を出して次のステップに進みたいと思ってます、みたいな?」

「やめろって」

 少し強めの言葉は友人に止められたけれど、それでもボクの言葉は止まらない。

「良いよね、人生楽しいんだろうね。
 何でも成績残して、何でも結果出して。
 何やってもうまくいくんだろうし、何だって好きなことができる」

「…そんな事はない」

 ボクが好き放題言っても黙って聞いていたくせに、それなのに彼が急に言葉を遮った。

「何をやってもうまくいくわけじゃないし、自分ではどうにもならない事だってある」

 困ったように言い訳のような言葉を並べる。

「確かに成績を残したり、結果を出したり、それを目標として努力すれば叶う事は多い」

「何、それ自慢?」

「そうじゃなくて」

「じゃあ何?
 叶わないことなんてないんじゃないの?
 人生、何でも自分の思い通りだよね。
 陸上だって、ちょっと頑張れば成績出せちゃうからもういいやって?」

「そんなことないからっ!
 俺にだって、叶えたいのに叶わないことだってある」

 ボクの失礼な言葉を遮るように言った言葉に何故だかヒヤリとする。圧倒されるような、圧迫されるような、そんな息苦しさを感じる。それでも負けん気の強いボクは言葉を続けてしまう。

「そんなわけ無いって。
 何やってもうまくいくし、何だって思い通り。欲しいものだって、きっと何でも手に入るんじゃない?」

 そう、陸上の成績だって、その成績に頼らずにいけるであろう大学だって。先の人生、地位も名誉も約束されているような彼が何を言ったところで説得力なんてない。

「…くせに」

「何?」

「何も知らないくせにっ!」

 ボクの言葉が癇に障ったのだろう、目に見えない何かが吹き出したのを感じた。感じたのだけど…記憶にあるのはそこまで。

 後に彼に教えられたのは、ずっと好きだったボクを諦めるために陸上を辞める決心をしたのに、それなのに執拗に絡んでくるボクに戸惑って言葉がキツくなってしまったこと。自分はαであるし、ボクの恋愛対象が異性だと知っていたから諦めたのに、それなのに〈何でも思い通りになる〉という意味の言葉を言われ、〈お前がそれを言うのか〉と悲しみとも諦めともつかない思いを抱き、〈欲しいものならなんでも手に入るのだろう〉と言われたところで理性が切れたと…。
 我慢して、我慢して、そして諦めようとしたボクにそんな事を言われてしまい、それならば力尽くで欲しいものを手に入れてしまおうかと、取り敢えず五月蝿く囀る口を塞いでしまおうと威圧を出してしまったと。

 彼としてはボクを黙らせ、説き伏せ、陸上という繋がりがなくなっても〈友人〉としてでも良いからそばにいたいと告げるつもりだったと。だけど、暫定Ωだったボクは彼のαのフェロモンに反応し、彼を求めてしまったのだ。

 普通ならば威嚇フェロモンを出したところで、いくら相性が良くても発情してしまうことなどないはずだ。だけど、彼の威嚇ですらボクにとっては発情を促すためのスパイスでしかなかったのだろう。
 よくよく考えれば、あんなにも彼のことを気にして、あんなにも彼に執着していたのはΩの本能だったのかもしれない。ボク自身ですら気付いていなかった…運命?

〈運命の番〉なんてロマンティックな事を考えたわけでもないし、〈運命〉なんて言葉で全てを納得するつもりもない。
 そもそも彼と知り合い、競い合うようになってからそれなりの時間を一緒に過ごしている。学校が違ったため、合宿に一緒に参加して一緒に行動して、といく事はなかったけれど、同じ種目だったため試合前の1番昂っている時に同じ場所で過ごすことなんて普通だった。
 それでも何事も無く過ごせていた。
 それでも何事もなく、近くもなく遠くもないまま続く関係だと思っていた。
 
 だけど今、ボクの隣から彼がいなくなったらと思うと…怖くて怖くて仕方がない。
 それは、彼が僕を庇護する者だからとか、僕の生活が彼によって維持できているとか、そんな理由じゃない。
 彼が好きだから、彼が大切だから。
 もしも彼がいなくなってしまったら物理的ではなく、精神的に僕は死んでしまうだろう。身体は生きていてもそれはもう、ボクであってボクじゃない。

 光流には何も覚えていないと言ったけれど、本当は少しだけ覚えていることがある。
 それは、どうしていいのかわからないほどの激情を丸ごと包み込んでくれた〈何か〉。
 ボクを気遣い、ボクを慈しみ、大丈夫だと、怖くないと優しく包み込んでくれた〈何か〉。
 それはきっと彼だったのだろうけど、本能が求めた彼と、理性を取り戻した時に対峙した彼をどう結びつけて良いのかが分からず、しばらくは〈α〉が怖かった。彼ではない、αが怖かったのだ。
 たまたまそこにいたのが彼だっただけで、たまたまそのタイミングで彼が近くにいただけで、本当は他のαにも反応したのではないか。
 それに巻き込んでしまい、彼の人生を変えてしまったのではないか。
 彼は、辻崎は名家であるが故に〈責任を取る〉しかないのではないか。
 目撃者は沢山いるのだ。
 βがΩになるなんて、通常ではあり得ない事だ。特に、ボクのように両親がβなのに成長途中でΩになるだなんてかなり珍しいケースだろう。そんなレアなΩとの既成事実を作ってしまったせいで、その家名を傷付けないためにボクを保護するしかないのではないか。
 そう思ってしまうのは当たり前のことだろう。
 誰もが欲しがる名家のα。
 ボクは純粋にライバルとしか見ていなかったけれど、その隣に立つ事を熱望する輩は少なくない。それこそ、右腕になりたいと思うα、伴侶になりたいとアピールするΩ、そして、何でも良いからそばにおいて欲しいと願うβ。

 …だけど、それは建前ではないのか?
 本当はボクもその他大勢のβと同じで何でも良いから彼のそばにいたいと願い、彼とボクを繋ぎ止めていた陸上が無くなる事に絶望して、それでも彼のそばにいたいと思い〈自分の意思〉で身体を作り変え、彼を捕らえてしまったのではないか。
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