Ωだから仕方ない。

佳乃

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言いたいこと聞きたいこと、そして、言えないこと。

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 政文が保健室から出て行ってどれだけの時間が経ったのだろう。

 入学式は当然始まっているだろうし、そろそろ燈哉の挨拶かもしれない。
 そんなことを考えると眠ることもできず、だけど起き上がるのも億劫でベッドの中で目を瞑り蹲まる。今朝までは新入生代表の挨拶をする燈哉のことが誇らしくて、その姿を見るのを楽しみにしていたのに今の僕は燈哉のことを考えると彼の放つ威嚇を思い出して息苦しくなってしまう。

 ほんの数分の出来事なのに、何か取り返しのつかない出来事のように思えてしまい、心がついていかず身体に影響が出てしまうのだろう。

「羽琉さん、起きてますか?」

 眠ることもできず蹲っていた僕に声がかけられる。

「隆臣?」

「大丈夫ですか?」

 僕に声をかけた隆臣は口先だけの確認をして、答えを待つことなく僕の顔を覗き込む。

「高等部になっても弱いですね」

「高等部になったからって急に強くなんてならないよ」

「まぁ、そうですよね」

 何があったかはきっと伊織から聞かされているはずだ。だけど必要以上に気を遣わないのは、気を遣ってくれないのはαとΩの性質を頭では分かっていても理解していないからなのだろうか。

「クリニックの予約をしておいたのでこのまま向かいますよ」

「だよね」

 予想通りの展開に安心するものの、溜め息も漏れてしまう。
 もしかしたら燈哉が来てくれるかもと思っていたけれど、来てくれたのは隆臣だけ。このまま僕が帰れば燈哉はあの彼と一緒に過ごすのだろうか。

「歩けますか?」

「大丈夫」

 近くに燈哉がいなければ、燈哉の威嚇や彼の存在がなければ辛くなることもない。教室に鞄を取りに行かなければ、と思ったものの気付かないうちに届けられていた。保健医から担任にでも連絡がいったのかもしれない。

「入学式、出れなかったんですね」

「うん」

「でもまぁ、変わり映えないですもんね」

 責めているのか慰めているのかよく分からない言葉に「うん」としか答える事ができない。
 隆臣自身も何を言えばいいのか分からないのだろう。

 僕が燈哉のことを想っているのは当然知っているし、今までの燈哉の振る舞いも知っているため隆臣からも公認の仲で、いずれ来るその時のために用意される部屋は燈哉の都合も考慮されるはずだった。
 だけど、それは今日の燈哉の振る舞いで無かった事にされるのだろう。
 長い時間を一緒に過ごし、これからも一緒に過ごす相手だとお互いに思っていても、【唯一】を見つけたαにとってはそれまでのことは些細な出来事でしかないのかもしれない。

 その時が来たら僕はクリニックに併設されたしかるべき部屋で薬を飲んで、道具を使い、選ばれなかったことを嘆きながら自分で自分を慰める事になるのだろう。
 薬が合わなければ意に沿わない相手であっても治療の一環としてαと身体を重ねることになるかもしれない。

「何か異変は?」

「今は大丈夫。
 ちょっとショックだっただけ。
 威嚇が怖くて気持ち悪かったけど、もう大丈夫だよ」

 言葉を選ぶと辿々しくなってしまう。
 言いたい事も、聞きたい事も沢山ある。だけど隆臣だって把握できていないだろうから何を言ったところで、何を聞いたところで欲しい言葉を聞くことはできないことを僕は知っている。

「先生、ありがとうございます」

 隆臣が声をかけると保健医は「お大事に」と返してくれる。
 入学してから、と言うよりも幼稚舎の頃からの病歴が全て保管してあることと、保健室の利用履歴は引き継がれるため保健医も色々と把握しているせいか敢えて何か聞かれることも言われることもない。
 特に、僕のように不安定なΩは保健室にお世話になる事が多いため、保健医の間で情報の引き継ぎもされているのだろう。

「歩けますか?」

「うん」

 周りに隆臣しかいない今、僕が不調になる原因はない。ただ、先ほど起こったことを思い出して泣きたくなるだけだ。

「伊織さんから話は聞きました」

 歩きながらさり気ないフリをして言うけれど、詳しいことを知りたい気持ちと僕を心配する気持ちはどちらが大きいのだろう。そんなことを聞いたところでどうにもならないのに気になってしまう。
 もしも今日のように隆臣にも大切な人が現れた時には僕はまた取り残されるだけだから。

「うん、」

 言葉を続けようと思うものの、何を言えばいいのかが分からない。
 燈哉が【唯一】を見つけたのだと理解はしているけれど、言葉に出さなければ大丈夫なのかもと淡い期待を抱いてしまう。
 言葉に出して認めなければ無かった事にできるかもしれない。

「たぶん、その通り」

 それでも肯定してしまったのは逃げていると思われたくなかったから。
 先程の出来事を認めた上でどう動くかを考えるしかないのだ。

「どうするんですか?」

「どうしたらいいのかな…」

 父と父親のようにαの、燈哉の【唯一】となって共に過ごす未来を当たり前のように思い描いていたのに進級して早々に自分の進むべき道が閉ざされてしまったのだ。

「明日から、登校したくないな…」

 ポツリと呟いてみたけれど、その言葉はスルーされる。隆臣はいつも都合の悪いことは聞こえないふりをする。
 だけどそれは僕をあの家に置いておくための行動だから、何かを言うこともできない。
 父親にそんなことを言えばすぐにでも転校をするために手続きをするだろう。それはきっと、父にはすぐに会うことのできないほどの距離で、何かがあっても帰宅する必要のないほどの設備の整った学校。
 息子であっても【唯一】のそばに常にいることを良しとしない父親は、本来ならば高等部進級時に部屋を買い与えたいと思っていたようだけど、僕の身体の弱さがそれを阻んだのだ。
 流石に身体の弱い息子に部屋を買い与えて赤の他人に任せるのは外聞が悪いのだろう。専門家でもない赤の他人に任せるくらいなら、医療機関も兼ね備えたΩの僕を安心して預けることのできる施設に入れることも可能だからだ。

 父が父親と番になったことで人並みの生活が送る事ができるようになったせいで、父は僕を遠くの施設に行かせることを良しとしない。それは僕のそばに燈哉がいたからで、燈哉が僕を選ばなかったと父親が知ればここに僕がいる理由は無くなる=僕を最適な施設に入る事ができる、という事になってしまうのだ。

「この時期ならまだ転校しても大丈夫なんじゃない?」

「この時期に転校って、訳ありですって言ってるようなものじゃないですか?」
 
「まぁ、訳ありだし」

 隆臣が止めることをわかっていて言っている僕は狡い。
 僕が幼い頃から『Ωだから仕方ない』と自分に言い聞かせていることを知っている隆臣は、僕に対して案外過保護だ。そして、父親はともかく、父との時間を欲しているのにそれを許されなかった僕に対して同情的だ。
 だからと言って肉親ほど寄り添ってくれるわけではないけれど、父と一緒にいたいという僕の気持ちを汲み取ってくれてはいる。
 だから今回も燈哉が僕のことを選ばなかったと父親に言うことはないだろうし、僕の意向を父親に伝えることもないだろう。

「ほら、馬鹿なこと言ってないで車に乗ってください」

 割と本気の言葉を『馬鹿なこと』と一蹴されたのは面白くないけれど、反論することもできず、大人しく車に乗り込む。それなりに良い車の後部座席は僕のために整えられていて快適だ。

 結局その日は「ストレスだね」の一言で診察が終わり、「こればっかりは薬ないから威嚇浴びないように気をつけるしかね」と困った顔を見せられる。
 僕だって好きで威嚇を浴びたわけじゃないのに不条理だ。

「とりあえずいつもの薬は出しておくから。ストレス、あんまり溜めないようにね」

 先生だってそれしか言うことはないのだろう。僕だってできればストレスなんて溜めたくないけれど、今日の出来事を考えるとそれは不可能だろう。

「それが無理な時はどうすれば良いですか?」

「そんな時は逃げても良いんじゃないかな。隆臣君は駄目って言うだろうけど、無理な時は隆臣君にちゃんと伝えなさいね」

 Ωの専門医だからこそ理解していること。そして、自身がαだからこそ理解できることもあるのだろう。

『威嚇を浴びせられるような行動を取らないように』

 そう言うことは簡単だけど、それは自我を押し殺し、αに従うことを強要することになってしまうから言えない言葉。
 そして、先生がαであるからこそ言えない言葉。

「隆臣に言っても分かんないし」

「でも言わないともっと分かってもらえないよ?」

 その言葉に曖昧に笑っておく。
 αとΩの関係性をβである隆臣に正確に理解してもらうのは難しいだろうし、理解してもらおうとも思わない。
 だから、曖昧に笑うことしかできなかった。

 そして始まる我慢と忍耐の日々。

 翌日は「狡休みは駄目ですよ」と言われてしまい車に押し込まれる。ストレスを感じない家では通常通り過ごすことができるため〈体調不良〉を理由にすることもできない。

「昨日、倒れたのに…」

「原因が分かれば対処のしようもあると思いますよ?」

 その方法が転校だと思うのだけれど、転校するとなるとこのまま家を出ることになるだろう。
 然るべき高校に通い、系列の大学に進む。もしかしたらその間に父親の都合の良いαを当てがわれるかもしれない。

 そしてこの家に帰ることなく、番とされ、自由を奪われるのだろう。

「Ωだから仕方ない」

 後部座席で呟いた言葉は隆臣の耳に届いたのか届かなかったのか、その言葉に対するリアクションは何も無かった。

 
 



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