手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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敦志編

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「ちょっといい?」
 講義が終わった後で時也のことを追いかけて声をかけてみた。
「えっと…」
 突然話しかけられたことに戸惑っているのだろう。少し目を泳がせているけれど、誰かを探している訳ではなさそうだ。
「久保田、久保田敦志。
 さっきの講義、俺も受けてたんだけど」
「ごめんなさい」
 言葉を続けようとしたのに被せるようにして謝られてしまった。
「何?」
 謝られる理由がわからなくて戸惑っていると困ったように言葉を続ける。
「僕が変な受け答えしたせいで迷惑かけちゃって…」
 どうやらまだ習っていないと指摘したことを言っているようだ。一応、俺のことは認識していると思って良いのだろうか。
「そんなの別に気にしてないよ。
 ただ、話してみたかっただけ。テキスト、相当読み込んでる?」

 それがきっかけだった。
 話してみるとテキストは相当読み込んでいるだけでなく、自分なりの視点での意見も持っていて話が尽きない。選択した講義は被っているものも多く、話の流れから次の教室まで一緒に移動して隣り合って講義を受ける。
 加賀美時也と名乗り、俺のことを久保田君と呼ぶためこちらも同じように加賀美君と呼んでいたのはいつまでだったのだろう?
 時也、敦志と呼び合ったきっかけは何だったのだろう?
 時也は親しくしている友人は特にいなかったようで、「一緒に移動しよう」「一緒に講義を受けよう」と言えば断ることは無かった。ただ、同じ高校だった友人や先輩はいるようで全くの1人ではないらしい。
 俺はと言えば同じ高校だった友人も何人かいたし、オリエンテーション中に親しくなった友人もいたためなんとなく一緒にいる相手はいたけれど、気付けばその中に時也を組み込む形となっていた。
 友人の中には例の講義を受けていた者も数人いたためそんな話から打ち解け…自分たちでも呆れるような真面目な人間の集まりが出来上がっていく。

 大学生らしい軽さのあまりないグループ。講義は必要単位+αを取れるだけ取ったんじゃないかと思うほど取っているし、代返なんて以ての外。
 予習復習は当たり前。
「遊びたいなら大学くる必要無いんじゃない?」
 真顔でそんなことを言う大学生はあまり多くないはずだ。そんな真面目馬鹿の集まりの中で始めは居心地悪そうにしていた時也だったけれど、例の教授に気に入られてしまった時也を交代で助けていたせいでいつの間にか馴染んでいたのが面白かった。
「時也さぁ、教授からもっと上手く逃げようぜ?」
 誰かが呆れながら言った言葉。
 そして、時也を〈守らなければ〉と決定付けた言葉。
「でも…もし僕が教授の反感買ってしまったら、周りにも迷惑をかけるかもしれないし…」
「え?それが理由?」
 よくよく話を聞いてみれば教授を袖にして反感を買ってしまったら自分がいつも一緒にいる人物、ひいては講義自体に影響が出るのではないかと思ってしまい身動きが取れなくなっていると、〈真面目か…〉と言いたくなるようなことを真剣な顔で言い出す。
「僕1人の行動で何かがどうなるとも思ってはないけど…、でもならないとも言い切れないし」
 本当は困っていたのだろう。
 だけど俺たちからすればなんでもない事、〈面倒だから逃げておこう〉で済む事なのに時也にとっては考え過ぎて身動きが取れなくなってしまう程のことだったらしい。

「時也、考え過ぎ」
 そう言ったのは誰だったのか。
「万が一そうなったとしてもテストで結果出せば文句言わせないし」
「そうそう、教授がどんな問題出してきてもいいように俺らだったら対策立てるの余裕じゃない?」
「過去問、持ってないか先輩に聞いてみようか?」
 頼りない言動の理由を知り、俄然庇護欲を駆り立てられたのだろう。次から次へと教授対策というか、テスト対策の案が出される。
「時也、勉強できるけど馬鹿なんだな」
 そう言って呆れたのは誰だったか。
『一学生のせいで教授がそこまでするわけないし、馬鹿なのはお前らも同じだぞ?』
 そんな風に思いもしたけれど、なんだか楽しそうだから放っておいた俺はノリが悪いとか言われても仕方がないのだけど、悪ノリが過ぎてきた頃に「その辺にしといたら?」と声をかけたことによりその後もストッパーの役目を任されることになるなんて、この時は想像すらしなかった。
 当時は時也が大人しいのを良いことに悪ノリしすぎるなんて大人気ないと思いもしたけれど、今考えれば18歳なんてまだまだ幼い。就職した友人たちはそれでも少しずつ大人びてきてはいるけれど、進学した友人は自分も含めてまだまだ大人になりきれていない微妙な時期。それでもその微妙な時期を一緒に過ごしたせいで妙な団結力が生まれたのも否定できないのだけど…。
「とりあえず、教授の講義の時は一緒に行けば問題ないはずだから」
 あまりの悪ノリに仕方なく時也に助け船を出す。時也はと言えば気弱な笑みで「お願いします」と頭を下げたけれど、そんな時也を守らなければとその時の俺が思っていたのかと言われれば、全くそんなことはない。〈守る〉というよりも〈逃す〉ためのボディーガードのような存在。それが俺の立ち位置。

 相変わらず教授に絡まれる時也だったけれど、授業後に捕まりそうになるのを〈次の講義、いってきま~す〉と軽く交わし、予定のない時はそれでも教授とのディスカッションに付き合う。授業後は次の講義が、と逃げることができるけれど学食で集まっている時に捕まっては逃げようがない。
 逃げようとは思わないし、学食で時也が1人ということはまずないのでディスカッションに付き合うことで俺たちまで教授の覚えが良くなったのは嬉しい誤算。もともと教授の講義に興味があった俺達だから、理不尽なことを言われなければ教授とのディスカッションは歓迎すべきことなのだ。
 大学に来る目的は人それぞれで、学びたいことがあって通う者もいれば、就職して社会に出るのを先延ばししたくて通う者もいる。なんの目的もなく通う者もいれば、〈学び〉以外の目的で通う者もいる。俺たちのグループは比較的真面目に学びたい者が集まったため周囲からは〈真面目な人達〉と認識され必要以上に絡まれることもなく、学生生活は快適だ。
 それでも恋愛に興味がないわけではなくて…。

「敦志って今、彼女いるの?」
 そんな風に聞かれて「いるよ」と答えたのはまだ夏休みに入る前。
 仲間内でもだいぶ打ち解け、教授のウザ絡みもテストが近くなったせいか無くなり、それでもテスト対策をしなければといつもの様に集まっていた時に聞かれたためサラリとそんな風に答えておく。
 本当は彼女はいなかったけれど欲しいとも思わないため、こんな時は予防線を張っておくに限る。こんな時期に〈いない〉なんて答えたら夏休みに無理やり予定を入れられるのは経験済みだ。
「時也は?」
 同じように聞かれた時也はいるともいないとも答えないけれど、困ったような笑顔を見せるため〈そういう事か〉と誰もそれ以上は追求しない。あまり自分のことを話したがらない時也の場合は表情ひとつで察してもらえるなんて少し甘やかし過ぎではないかと思うけれど、思うけれどそれを受け入れてしまうのは時也の人柄なのだろう。
 だけどこの時に〈彼女がいないからそれを誤魔化すための笑み〉だと思っていたのに、実は〈パートナーが男性だから答えを濁した〉だけだったなんて、誰が想像できただろう。

「時也は夏休み何してるの?」
 何気なく聞いただけだった。別に、遊びに誘おうと思ったわけでもないし、単純に疑問に思っただけ。
「夏休みは…バイトかな?」
「週何?」
「とりあえず毎日?」
「盆休みは?」
「その辺はどうだろう?」
 何気ない会話だったけれど少し目を泳がして時也が答える。こんな時は何か言いたくない事や隠しておきたい事がある時だと気付いたのは一緒にいるようになってすぐ、と言うか、一緒にいるようになってしばらくしてからこんな表情をよく見せるようになったんだ。
「バイトって何してるの?」
 そう言えばバイトを始めたと聞いたのはほんのひと月程前。よくよく考えればその頃からこの表情をする事が多くなった気がする。初めて声をかけた時にみせた顔だったけれど、普段はあまり見せない顔。となると、この表情の理由はバイトにあるのかもしれない。

「知り合いのお店の店番とデータ入力?」
 要は知り合いの店の雑用らしい。
「休みとかは?」
「基本、入れる日は毎日」
「土日は?」
「土日も入れる時は入ってる」
「平日休みとかは?」
「バイトに入ってない日は他に用があるから」
「彼女?」
 それまでテンポの良かった会話なのに少し踏み込むと曖昧な、困ったような笑みを返される。彼女がいるかと聞かれた時と同じ表情で、時也にとって〈彼女〉という言葉な禁句なのかと勘繰りたくなる。
「敦志は何のバイトしてるの?」
 そして、話題を逸らすかのように続けられる言葉。
「俺は飲食だよ。
 それなりに忙しいから時也さ、盆に暇があったら手伝いに来る?」
「何それ」
 話題を変えたいのが分かってしまったから仕方なくそのまま話を続けると、途端に表情が明るくなる。
「うち、バイトが足りないのに人増やしてくれないからさ。時也なら多分、大丈夫」
 身内がやっている飲食店でバイトをしているせいで俺が友人を連れて行けば雇うこともあるけれど、基本的には人を増やさない方針なのは俺をこき使うためなのかもしれないと思ってしまうほどだ。
「もし暇すぎて退屈だったら連絡してみて」
 そんな風に終わった会話。
 結局、夏休み中に時也から連絡が来ることは無かったのだけれど…。

 気が付けば誰からも可愛がられ、庇護の対象になっていた時也だったけれど自分の話は必要以上にする事なく、それでいて人の話はちゃんと聞いていて。それは人の秘密を探るために聞いているのではなくて、純粋に話を聞くのが上手いせいで、何かあって自分の考えや気持ちを整理したい時は時也に話して助言を貰うような流れが出来てしまったため時也の負担にならなっていないのかど心配になることもあった。
 人の悩みを聞かされるのは案外しんどいものだから。
 そんな事は相談する方も理解しているのだろうけれど、それでも時也を頼ってしまうのは何か問題が出ると解決のための手助けを惜しまないののと、大袈裟に何かするわけではなく、少しの言葉と少しの行動で解決に導いてくれるからだ。ただ、その結論、言動に行き着くまでにどんな経験をしてきたのだと考えると少しばかり心配になることもあり、素直に称賛する事はできないのだけれど…。

「先輩はいつから時也と知り合いですか?」
 そんな時也が心配になり、時也と行動を共にするようになってから紹介された先輩に聞いたことがある。時也の高校の先輩だと紹介された女性はいつしかグループに馴染んでいて学食で集まっている時に見かけ、「時也はいないけれど」とお茶に誘ってみた時に聞いてみたのは時也を心配する気持ちと少しの好奇心から。
 どんな高校時代を送ればあんな風になるのかが気になって仕方がなかったんだ。
「高校の部活で試合を見に行ったのが時也を知ったきっかけだけど、話すようになったのはここ(大学)に来てからよ?」
「そうなんですか?」
「私が時也をナンパしたの」
 そう言って話してくれた高校時代の時也の事。
 部活でマネージャーでもないのにマネージャー以上に仕事をしている姿がどれだけ直向きであったか。先輩の友人であるマネージャーがどれだけ時也に助けられていたか。
 もしかしてこの先輩は時也のことが好きなのではないかと思うほどの熱量なのだけど、それにしては熱心に時也に話しかけるわけでもない。見かければ声をかけるけれど、わざわざ探してまで声をかける事もしない。
「何かね、放っておけないのよ。
 真面目すぎるっていうか、流されやすいっていうか。良い子なのに損してない、時也って?
 何かあったら声かけなさいねって連絡先交換したのに困ってても連絡来ないし」
 これはきっと、教授による付き纏いの事を指していたのだろう。こうやって聞き出した高校時代の時也は今とあまり変わりがないように見え、それではもっと前の出来事が時也の人格形成に影響しているのだろうと予想を立てる。
 それにしても、あっちでもこっちでも心配されて甘やかされて、それでいて本人は全く気づいていないところが時也らしい。

 そんな時也を本当の意味で意識し出したのはきっと、夏休み明けのあの時から。







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