手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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敦志編

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「敦志」
 約束の日、時也の住む街の駅に降りた俺に嬉しそうな顔で声をかけた時也は、モールで会った時よりも元気そうに見えて俺をホッとさせる。
 連絡を取り付けるまでにまた落ち込んでいるのではないか、もしかして三浦から連絡があったのではないか、とヤキモキした俺の気持ちを知ってか知らずか「連絡するの、忘れててごめん」と苦笑いを見せたけれど、随分と機嫌も良さそうだ。

「久しぶり」
 こうやって2人で待ち合わせるのは何年振りのことか、そう思うものの並んで歩き始めれば学生時代に戻ったかのように気安く話すことができるのだから不思議だ。
「店って近く?」
 前に言っていた〈安くて美味しい店〉に行くのだろうと思い聞いてみる。降りたことのない駅は土地勘が無いため帰る時に困らないようにしておきたい。
「近いよ。すぐそこ」
「駅前までよく来るの?」
 単純に疑問に思い聞いてみる。職場に歩いて行ける距離に引っ越したと聞いていたけれど、誰かを迎えに駅前まで来たりするのだろうか。その誰かは時也の部屋に入る事を許されているのだろうか。
「仕事の移動で電車使う事はほとんどないから駅にはあんまり来ないよ。ただ、買い物するのにこっちまで来ないと食料品買えないから手前まではよく来る」
 そう言って笑い、話を続ける。
「前に敦志に会った時も次の日に食料品買いに来たら社長に会ってさ。
 そのまま社長の家に連れて行かれてパートナーさんを紹介してもらった」
「俺との約束忘れたってやつ?」
 あまりにも嬉しそうに報告されて少しだけ面白く無い気持ちが言葉に出てしまったけれど、時也は気にする事なく話を続ける。
「そう。
 あの頃さ、少しずつ職場にも慣れて今までやらなかった事をしてみようと思ってたのにうまく行かなくて、それでちょっと落ち込んでたんだ。
 でも2人と話して、2人に話を聞いてもらって少し楽になったって言うか…考え方を変えてみようかと思って色々考えてるうちに敦志との約束忘れてた」
 悪びれもせずそう言い、「あ、この店」と言ってそんなに大きくない店に俺を促す。
「約束忘れてたのはごめん。
 でもさ、もっと早く連絡くれても良かったのに」
 俺の悩んでた気持ちになんて気付くことのない時也はそう言って目だけ動かして俺の顔を見る。

 男性にしては小柄な時也と、標準よりも少しだけ背の高い俺とは少し目を動かせば目が合ってしまう。その、所謂上目遣いにドキドキしてしまうのは久しぶりに会った緊張からなのか、他の理由からなのか。

 通された席は2人用のテーブルで、週末のこの時間にしてはまだ空きがあるように見える。
「とりあえず生と、何にする?」
 案内された席で〈生2つ〉と言いそうになったものの、途中で気付き時也に声をかける。学生時代から苦いと言ってビールを毛嫌いしているため本人に確認するのが1番だ。
「僕はレモンサワーと、あと…」
 メニューを見ずにいくつか注文し、店員が下がってからおしぼりを開けて手を拭く。その流れがとても自然でこの店に何度かきたことがあるのかと不思議に思うと時也が先に口を開く。
「教えてくれた子におすすめ聞いておいたんだ」
 俺の疑問を解消するような言葉に不思議そうな顔をしてしまったのだと気付く。自分の知っている時也と今の時也は当たり前だけど、同じ人間であってあの頃と同じではないと気付かされる。
 とりあえず話すをするのは飲み物が来てからと思い、メニューを見ていくつか気になるものを選んでおく。食べ物の好みはあまり変わってないようだけど、そういえば料理をするようになったと言っていたなと思いだす。
「今日も弁当だった?」
 弁当箱を持っている様子のない時也に聞いてみる。服装だけ見れば仕事帰りに見えるけれど、と単純に疑問に思っただけ。
「そうだよ。
 時間あったから一回帰って弁当箱は洗っておいた」
「マメだな」
「時間まで手持ち無沙汰だったし」
 そう言って笑う時也が今日のことを楽しみにしていてくれたのならば嬉しいと思ったけれど、それを素直に言うことができず「一回帰ったなら着替えてくれば良かったのに」と言ってしまい、それを聞いた時也が「そう言われてみればそうだよね…」と本気で気付いていなかった様子で返す。
 そんな風にたわいもない話をしているとドリンクとお通しが運ばれてきたため、とりあえず乾杯してビールを口に運ぶ。
 よくよく考えれば2人で飲みにいく機会なんて無かったかもしれない。バイトの行きや帰りに食事をする事はあったけれど、2人で飲んだ事はなかったように思う。

「で、話したいことと、聞きたいことがあるって言ってたけど…何?」
 先に口を開いたのは時也だった。
 俺が2人で…、なんてしみじみしている時から待っていたのかもしれない。
「先ずは聞きたいことなんだけど、グループにメッセージ送ってきてから何かあった?
 少し深刻そうだったけど」
 本当は三浦とどうなったのかと聞きたかったけれど、いきなり聞くのは違うと思い探るような言葉になってしまった。
 言われたくないこと、聞かれたくない事は相手に言ったり聞いたりしてはいけないという、幼い頃に教えられた言葉が俺を邪魔する。
「有ったと言えば有ったけど…。
 終わったよ」
 少し考えてからそう答えた時也は、予想した表情とは真逆の笑顔を見せて俺を困惑させる。あのメッセージが来てからもう少しで半年だ。すっかり吹っ切れたのか、その表情に我慢や暗さは全く無い。
「そっか。
 何があったのか気になってたけど、解決したなら良いや」
 本当は詳しく聞きたいのに、それなのにヘタレなくせに格好付けたがりな俺は鷹揚なふりをしてしまう。これで失敗してきたはずなのに成長できない自分が嫌になる。

「あの時の敦志からのメッセージ、嬉しかったよ」
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、時也がそう言ってくれただけで気持ちが軽くなるけれど、次の言葉で自分はまたしてもタイミングを逃していたのだと思い知る。
「あの時さ、すごい嫌なことがあって逃げるように異動と引っ越しを決めたんだけど誰にも相談できなくてさ…。
 敦志のメッセージ見て電話したかったんだけど、泣き言ばかり言って困らせるんだろうなって思ったら連絡出来なかったんだ」
 そう言いながらお通しをつつく。
「そっか…。
 今更だけど話聞こうか?」
 時也が自分に何も言うつもりが無かった訳ではないことに少し嬉しさを感じ、それでも頼ってもらえなかったことを残念に思ってしまう。時也が中途半端な気持ちでそう決めた訳ではないと分かっていても一抹の淋しさを感じてしまったのだ。
「そうだね、次に同じようなことがあったら今度はそうする」
 返ってきた言葉に三浦とのことを話す気はないのだと悟る。聞きたいことをはぐらかされてしまったせいで予定が狂ってしまった。
 三浦の話を聞いて、慰めて、自分の気持ちを伝えることはできなくても友人として寄り添うことはできると伝えたかったのに、予定外の展開に少しだけガッカリしてしまう。
「今は楽しい?」
 それでもモールで会った時に比べて元気に見えるのが嬉しくて聞いてみた。
「楽しいよ。
 人間関係も良いし、仕事も慣れたし。
 ずっと読まずに置いてあった本読むようになって、読書家の同僚とお薦めの本を貸しあったりしてる」
 今の職場が本当に快適なのだろう。
 時也ってこんな笑い方をするのか、と思ってしまうような明るい笑顔にホッとしながらもモヤモヤしてしまう俺は心が狭いのかもしれない。
 思えば学生時代は彼との関係を隠し、別れた後は常に気を張り、就職してからは三浦との関係を隠し、そう思うと素の時也は見たことがなかったのかもしれない。俺といた時は素でいて欲しかったけれど、この笑顔を見たことがないということは素では無かったのだろう。

「あの読まずに溜まってた本?」
 言ってからしまったと思ったけれど、口から出た言葉は無かったことにできない。だけど、〈溜まっていた本〉から彼を連想して嫌な気持ちにならないかとの心配をよそに、「覚えてたんだ?」と嬉しそうに笑う。時也にとって本は〈本〉でしかないらしい。
「買ったまま置いてあったけど正直何で買ったのかわからない本とかもあってさ。読んでみると面白い本が沢山あるから最近は関連書籍とかにまで手を出すせいで部屋が本だらけ」
 そう言ってどんな本を読んでいるかを少し話してくれる。
「あの頃は大人のふりして読めもしない本買ってたんだなぁって。
 早く大人になりたかったのかな?」
 何を思い出しているのか、少しだけ遠い目になっているけれど、それは見て見ぬ振りをしておいた。

「敦志は最近本読んでる?」
 そう聞かれても即答できないのは人に言えない本ばかり読んでいるから。それは主に自己啓発本と言われるものばかりで、自分の駄目なところを見直そうとしての行動なのだけど、そんな自分を時也に知られたくなくて「あまり読んでないかな」と答えてしまった。
「面白い本、貸そうか?」
 その言葉には即答でYESと答える。
 本を借りておけば次の約束を取り付けることも容易だ。

 その後も共通の友人の話題やお互いの仕事の話で盛り上がり、お互いに少し酔ったかな、というタイミングで意を決したように時也が口を開く。
「敦志、そう言えば話したいことって何?」
 忘れたと思っていたことを言われて返答に困ってしまう。話の流れであわよくば想いを伝えようかと思って言った言葉だったから、今の状況で話すのは何かが違う気がする。
「話したいことは…。」
 それでは他に何か、と思っても思い浮かばない。言葉に詰まる俺を見て何かしたのか時也が口を開く。

「おめでたい話じゃないの?」
「えっ?」
 その言葉に驚いて変な声が出る。
 おめでたい話と言われてもどんな話なのか皆目見当が付かない。
「何とぼけてるの?
 あの子の話じゃないの?」
 そう言って嬉しそうな顔を見せる時也に、自分は時也にとって〈友達〉なのだと改めて気付かされた。彼も三浦も恋愛対象として見てもらえたのに、自分はどうやら友達でしかないらしい。
「あの子って?」
「ほら、モールで一緒にいた子。
 彼女なんでしょ?」
 そして、時也の盛大な勘違いに気付かされる。
 あの日、妹が来た途端に帰った時也は妹のことを彼女だと思っての行動だったようだ。

「あれ、妹だよ?」
 その言葉には「えっ?」と不思議そうにする時也を気にせず話を続ける。
 あれが妹なこと。
 大学生となり、買い物に付き合って欲しいと言って俺を連れ出し、あわよくば財布がわりにしようとすること。
 あの日も荷物持ち権財布にされていた事を告げると時也は驚いた顔を見せる。

「でも〈敦志〉って呼んでた」
「言った事なかったっけ?
 親とか、周りが俺のこと〈敦志〉って呼ぶせいでいまだに呼び捨て。
 何回も直させようとしたんだけど無理だった」
 諦めたように言う俺と、納得できない顔の時也。

 側から見たらどんな話をしているように見えるんだろう?
 そして、時也はどんな気持ちで俺の話を聞きているのだろう?



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