手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 3

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「気付いたのは時也に付き合ってる相手がいるのをはっきりと意識したのがきっかけかな?」
 その言葉を聞き、〈きっかけ〉が何だったかを考える。
 彼女がいるかと聞かれた時のリアクションでパートナーがいることに気付いたと言っていたけれど、それは〈はっきり意識した〉とは違うだろう。
「きっかけ?」
 考えても思いつくことがなくて聞いてみる。彼の事も、一也の事も、知っていて知らないふりをしていた敦志が何を知っていたのかが知りたかった。

「そう、きっかけ。
 時也の事、バイトに誘ったじゃない?」
「うん…」
 バイトに初めて誘われたのは1年の頃で、彼と付き合い始めた頃だったはずだ。
「時也は全然気付いてなかったけど背中、凄かったよ」
「何が?」
 呆れたように笑っている敦志の言葉が理解できずに聞き返してしまう。
「キスマーク、かな?
 俺は付けた経験も、付けられた経験もないけど、あれはそうだと思うよ」
 そう言って「やっぱり気付いてなかったんだ」と笑う。

「え?
 本当に⁇」
「はじめは独占欲の強い彼女だって思ったんだ。だけど時也は背中にキスマークを付けられてて平気で見せるようなタイプじゃないし、そもそも数がね…。
 どんなシュチュエーションだとそんなに痕が付くのか不思議だったんだけど、時也の手首見た時に相手が彼氏なら不思議じゃないなって」
 言いながら僕の手首に視線を向ける。なるべく見えないようにと夏場にも長袖を着ていたけれど、隠し通していたつもりだけど、言わなかっただけでバレバレだったようだ。まぁ、そうだろう。それよりも背中に付けられたというキスマークの方が気になる。
「数って、そんなに?」
 僕の言葉に敦志が頷く。
 全く気付いていなかったけれど、言われてみれば敦志のところにバイトに行くと報告した時はいつもよりも執拗だったような覚えはある。
 少し考えればわかりそうなものだけど、僕に見えない位置に付けられていたのは気付かないことが前提で、敦志の次の言葉でその理由を納得する。
「あれって俺に対して牽制してたのかもな」
「…気持ち悪いって思わなかった?」
「逆、時也にそんなことができる相手が羨ましかった」
 バイトをしていた当時、そんなそぶりを全く見せなかったくせに今更何を言っているのだと思うけれど、そんな風に思われていたことに喜びを感じてしまう。
 そんな時から自分を意識して、そんな時から自分を想い続けてくれる一途な敦志を意識するなと言う方が無理な話だろう。

「痕が無くなった背中が淋しそうで、何度手を伸ばそうとして我慢したか知らないだろ?」
 悪戯を告げるように笑い、言葉を続ける。
「だからさ、こうやって一緒に過ごせる時間が有れば満足だし、時間をかけて俺のことを信じさせるつもりだから。
 これから何回もこの部屋に来るし、俺の部屋にも遊びにきて欲しいし。
 とりあえず土鍋買ってこの冬は鍋三昧とかどう?」
 この男は本当に僕のことを恋愛対象として見ているのだろうかと思うような提案をして、おもむろにスマホを取り出す。
「良さそうなの、お気に入りに入れておいたんだ」
 今までの息苦しい話はなかったことのように話し出した敦志に少しだけ拍子抜けしつつ、それでもそんな距離が心地よくてその提案に乗ってしまう。
「とりあえず片付けちゃうから特に気になるの、選んでおいて」
 言いながら食べ終わった弁当のパックを片付け、コーヒーを入れる。
 その間にも考えてしまうのは、比べてしまうのは、久しぶりに聞いた一也との事で。
 友達になることを拒否したのに付き纏い、無理やり付き合おうとして〈友達からならば〉と言わせた一也。
 付き合う気はなかったのにいつの間にかその手中に入れられ、その手を離せなくしたくせに、それなのにあっさりと他の手を掴んだ一也は僕の手を離したことを後悔しているらしい。だけど、一度離してしまった手は再び握られることはないのだと思い知ればいいのだ。

 敦志にはブラックコーヒーを。
 自分の分にはカフェオレを作りながら今度は敦志の事を考える。
 僕のことを好きだと言って、僕の気持ちにだって気付いているのに〈友達〉でいいと言う敦志は変わってる。
 学生の頃は真面目で余裕があって、頭も良くてスタイルも顔も良くて、いつも皆んなをまとめるリーダだと思っていた。
 そのせいで頼りない僕を気にかけてくれているのだと思っていたのは僕の思い込みだったのだと今日、自覚させられた。
 再会してからもとにかく僕のことを尊重してくれる敦志に自分で思っている以上に、そして敦志が思っている以上に惹かれている。敦志だってそれに気付いているだろう。
 それなのにこのままでいいと言ってくれる敦志との未来を考えると、少し楽しくなってくるのは僕が前向きになっているからなのだろう。

「時也、やっぱり8号にしない?」
 呑気な敦志の声で考えを中断し、コーヒーを持ってソファーに向かう。
「足りないより多めの方が良くない?
 残ったら次の日にアレンジして食べれるし」
「アレンジ苦手なくせに?」
 コーヒーを並べながらそう答えて僕もソファーに座る。
 スマホの画面を見せながら自分の選んだ土鍋の説明をしてくれる敦志は、はっきり言っておかしい。
 さっきまであんなに真剣な話をしていたはずなのに何事もなかったかのような顔をして土鍋を選び、ソファーで並んでいても距離を詰めようともしない。

 僕の背中に付けられた彼の独占欲を羨ましいと言いながら、少し離れたままで自分の気に入った土鍋を僕に見せてくれる。
「無地の土鍋じゃなくて柄があるのが良いな」
 敦志の手元を見ながら一緒に土鍋を選び、コーヒーを飲みながら他愛もない話をする。
 悩んで悩んで選んだ土鍋はその後、あり得ないほど酷使されることになり「なんか、こんなに鍋やってると鍋の素無くても土鍋から出汁出そうじゃない?」と片付けの時に敦志が笑いながら言うのがお約束になった。
「そんなわけないだろう」
 言いながら僕が呆れるのもお約束。

 自分の部屋に遊びにきて欲しいと言った割に、自転車で僕の部屋に来ることも目的のひとつとなった敦志の為に自転車スタンドを購入したのは割と早い時期で、いつも通り自転車を玄関に入れて、自分だけのために用意されたそれを見た敦志はとても柔らかく笑った。
「俺の居場所だ」
 予想していたどのリアクションとも違ったけれど、安心したように告げられたその言葉は僕の心に少しずつ侵食していく。

 あの笑顔をもう一度見たくて敦志の居場所を作っていく。
 来客用、でもないけど一応揃えておいたスリッパは敦志専用のものを用意した。
 引っ越した時に取り急ぎ用意した食器と自分の好みで選んだ食器でそれなりに過ごしていたけれど、敦志のための食器も用意した。箸とか茶碗とか、最低限のものだけだからと自分に言い訳しつつ、その先にある敦志のリアクションを思いながら選ぶのは僕の楽しみの一つになった。
 少しずつ少しずつ敦志専用のものが増えていく僕の部屋は少しずつ形を変えていく。

 せっかく部屋で飲むのだからと時間を気にせずにゆっくり過ごしたいのに、時間は気にしなくても飲む量を気にする敦志が面白くなくて、泊まれるように部屋着と毛布を用意した。敦志をソファーで寝かせるのは心苦しいけれど、敦志に比べて小柄な僕はソファーで十分だ。

 少しずつ敦志の気配が濃くなってくる部屋は心地良くて、敦志がいないのに敦志の気配がしてくすぐったいと思う気持ちは友情では無くて愛情で。
 別れが怖いから友達のままでいたいと言い張った僕の想いは少しずつ変化していく。

 どれだけ一緒に過ごしていても僕を急かすことなく、僕の気持ちを尊重してくれる敦志との時間はまるでぬるま湯のようで、冷めることがなければ心地の良いものだ。だけど、敦志にパートナーができても僕のために少しだけ時間を作ってくれればいいと言ったけれど、この心地良さを知ってしまった僕はその生活に耐えれるのだろうか?
 ここにいる間は心地の良い時間だとしても、敦志には他にも心地の良い場所があるという現実を受け入れることができるのだろうか?
 そうなった時に、このぬるま湯は冷める事なく僕を包み込み続けるのだろうか?

 敦志がいる週末は僕の日常となり、敦志の気配がする部屋は居心地の良い場所となった。
 会えない平日でも欠かさずメッセージを交わし、週末の予定を2人で決める。
 外出する事も度々あるものの、1日の終わりには必ず僕の部屋で過ごす。
 と言っても外食した時は酔いが覚めるまで僕の部屋でコーヒーを飲んで過ごすだけの事だ。

〈泊まっていけば?〉
 友人ならば簡単に言える言葉なのに敦志の気持ちを知っている僕が気軽に言っていい言葉ではない気がしてその一言を口にできなかったけれど、部屋着と毛布を用意した時点で僕の気持ちは伝わるだろう。
 僕はソファーでなんてただの言い訳だ。
 僕は敦志に触れたいし、触れられたい。
 流されるままに身体をつなげてきた僕が初めて明確に感じた欲望。
 流されて付き合うのでは無くて考えて考えて出した結論は、駄目になった時のことを考えるのではなくて、駄目にならないためにどうするべきかだった。

 敦志が僕から離れないように身体を繋げたいわけじゃない。
 敦志と過ごした時間で信じられると思い、信じようと思ったから。
 そして、流されるのでは無くて自分の意思でこの先の人生を敦志と過ごして行きたいと思ったから。

「敦志、今日は泊まっていけば?」
 ソファーに座っていても後少しの距離が縮まらなかったけれど、思い切って僕の方から縮めてみる。
 いつもなら狭いソファーの端と端にそれぞれ背を付けて向き合い、足すら当たらないようにと気を遣っていた僕が距離を詰めたことに驚いた様子の敦志は、それでも嬉しそうに笑い「来週は着替え持ってくるよ」と言う。
「部屋着なら有るよ?」
「誰の?」
 いつもよりも少しだけキツく感じるその言葉に嫉妬が混ざっていることに気付き、急いで言葉を足す。
「敦志が泊まれるように用意した」
 そう告げた僕の顔はさぞかし赤いことだろう。だけど、敦志の顔も似たようなものだ。
「…そうなんだ?
 でも、今日は帰るよ」
 それなのに、そんな僕の態度を見ても帰ると言う言葉で拒絶されたと思い居た堪れない気持ちになってしまう。
 待たせ過ぎたのか、焦らし過ぎたのか、悪い方に悪い方に考えて次の言葉で出てこない。
「そっ、か。
 そうだよね」
 何を納得したのか自分でもわかってないけれど、それでも無理やり返事を返す。

 泣きたい気持ちを抑えながら何とか自分を奮い起こし、敦志の様子を伺う。困ったような顔で笑う敦志の表情は穏やかで、僕は敦志の言葉を待つ。
「何か誤解してそうだけど、泊まるならちゃんと支度してくるから」
 そう言って敦志ももたれていた背をソファーから離し、僕と向き合う。
「下着とか、歯ブラシとか、次の日の着替えとか持ってくるから来週は泊まらせて?」
 言いながら僕をそっと抱き寄せる。
 ネガティヴな事を考えてしまったことが恥ずかしくて、敦志の顔を見ることができなくて、その肩にそっと顔を埋める。
「歯ブラシなら買い置きがあるけど下着とか着替えまで考えてなかった」
 ボソボソと伝える僕に「完璧に準備されてたら慣れてるみたいでその方が嫌だった」とヤキモチを妬いてくれる敦志の事を改めて好きだと思ったのは僕だけの秘密。

「じゃ、来週また」
 その日はいつも通りに帰宅した敦志だけど、家に着いたと知らせるメッセージにはいつもの言葉に添えられた言葉があって、その言葉が僕を笑顔にさせる。

〈今、着きました。
 来週、楽しみにしてます。
 時也、ありがとう〉

 一見すれば当たり障りのない言葉だけど、敦志からもらったメッセージの中では長い部類に入るメッセージ。
 きっと色々と言葉を考え、何度も文を作り直し、最終的にこのメッセージが出来たのだろうと考えるとメッセージすら愛おしい。
 帰りの自転車で考えたのだろうか?
 帰宅してから悩んだのだろうか?

〈おかえりなさい。
 来週、僕も楽しみにしてます〉

 僕も自分の気持ちをメッセージで伝えてベッドに入る準備を始める。
 敦志が帰宅しても敦志の気配の残る部屋は僕にとって安心できる場所だから、帰宅してしまった寂しさはあるけれど孤独ではない。

 それは、桜も散り始めた頃の出来事。
 1年前の自分が予想もしていなかった現実だけど、これからの事を考えても楽しいことしか思い浮かばない。

「早く週末にならないかな…」
 誰にも聞かれることのない独り言は、誰かに向けた柔らかい言葉だった。
 
 

 









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