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大輝
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「ねえ、硬くない?」
カレーを口に運んだ紗凪がそんなことを言って顔を顰める。
「え、別に気にならないけど?」
ひと足先に食べ始めたけれど、ニンジンもじゃがいもも気にならなかった。もう一度両方食べてみるけれど、全く気にならない。
「気にし過ぎじゃない?」
納得してない顔を見せるけれど、気にならないものは気にならない。そもそも、野菜が多少硬くても肉に火が通っていれば問題無い。
それに、紗凪の手料理だと思えばそれだけで満足度は上がる。
初めてのキッチンで久しぶりに料理をするせいか、「勝手が違う」とぶつぶつ言いながらカレーを作る紗凪は面白かった。
もちろん、惚れた相手に対するフィルターで可愛く見えるのだけど、それ以上に面白い。
包丁が使いにくいと文句を言い、ピーラーで爪を欠けさせ「久しぶりだし」と言い訳をする。何か手伝おうかと声をかけると邪魔だと怒られ、仕方なく事務所に戻る。
気を散らせて怪我をされるくらいなら少しでもデータの処理を進めて紗凪を囲い込む準備をしておいた方が効率的だ。
「事務所にいるから」
そう告げれば「できたら呼ぶね」と後ろから声が聞こえる。
これがきっと、新しい日常への第一歩になるのだろう。
⌘⌘⌘
買い出しに行くと約束した昨日、午前中で仕事を終わらせて午後からは食材の買い出しに向かった。
成人男子ふたりの1週間分なんて想像もできなくて、それでも残った食材を理由に紗凪を引き止めようと、取り敢えず米は10キロのものを選ぶ。
「ねえ、5キロでいいんじゃない?
味、変わるよ?」
そう言って5キロの米を選ぼうとした紗凪に「米さえあればおにぎりもできるし、卵あれば卵がけご飯もできるし」と適当な理由をつけて煙に巻く。おにぎりは上手に握る自信はないけれど、卵がけご飯くらいならオレでもできる。
卵がけご飯とインスタント味噌汁で朝食の出来上がりだ。
「絶対5キロでいいと思うけど」
そんなふうにぶつぶつ言いながら紗凪は紗凪で保存の効く野菜をカゴに入れていく。
玉ねぎ、じゃがいも、ニンジンに加えてキャベツは2つ。
キャベツを2個は買い過ぎじゃないかと言ったら「サラダにしてもいいし、野菜炒めもできるから」と言われてしまった。そう言うのなら紗凪に任せておこう。
肉は使い勝手がいいからと豚バラの薄切りを選ぶのを見ながら卵やウインナーもカゴに入れる。パスタやレトルトのパスタソースも適当に入れておいた。
そう言えば事務所に置いてあるお茶菓子が減ってきたと思い出してそれも選ぶ。PCを見過ぎで疲れた時に甘いものがあると効率が上がる気がするし、置いておけば紗凪も食べるだろう。個包装で指先が汚れにくいものを選び、冷凍食品のコーナーでは冷凍のコロッケやフライ、野菜や肉も入れておく。冷凍なら消費期限を気にする必要もないだろう。
「ねえ、冷凍のコロッケやフライって揚げるの難しいよ?」
そう文句を言われたけれど、「説明通りにやれば大丈夫だって、」と押し切る。格好悪いところは見せたくないから上手く揚げる方法をあとで調べてみた方がいいかもしれない。
「カレー作っておけば何日かは食べられるよね」
オレが油を探している間に紗凪はカレーのルーを選んでいたようで「中辛でいいよね?」と笑う。個人的には辛口が好きだけど、紗凪が中辛を選ぶのならそれでいい。
カゴに入れた野菜を見てそうだろうと思ってはいたけれど、カレーがある間に揚げ物にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。
「ねえ、そう言えば鍋とかってあるの?」
「ひと通りあると思うよ。
カレーも揚げ物も彼女が作ってたし。
あ、茶碗と箸くらいは買っておこうと思ったのに忘れてた」
ここまで材料を揃えてから何を言い出すのかと思ったけれど、そう言えば一緒に暮らしていた頃はまともな調理器具なんて無かったなと思い出す。
あったのはそれぞれが一人暮らしをしていた時の食器と簡単な調理器具だけ。せいぜいお湯を沸かしたりラーメンを作るくらいの大きさの鍋と、フライパンだけだった。使うことなく惰性で置いてあったそれらのキッチン用品は彼女と暮らし始めたときに処分してしまった。
キッチンを使うのは彼女なのだから、使う本人が好きにすればいいと思い放っておいたけど、一通り揃えていたから困ることはないだろう。
そんな中でカレーを作るのならスプーンを何とかしないとと思い当たる。彼女の使ったスプーンを使わせるのは面白くない。
「あ、らっきょうと福神漬けも買わないとな」
言いながら帰りに茶碗とカトラリー、それとマグカップは買い足そうと近くのホームセンターへの道を思い浮かべる。帰り道から少し逸れるけど仕方ない。
「ねえ、これ1週間で食べきれないと思うんだけど?」
そんな不満げな声を無視して食パンや菓子パンも手当たり次第入れ、「パンは冷凍できるみたいだから」と言っておく。
「どうせ落ち着くまで新しい部屋探すのも難しいだろうし、別に残っても紗凪が何か作ってくれるんだろ?
あ、こんなのもある」
言いながら袋入りのサラダもカゴに入れる。ポテトサラダやごぼうサラダ、他にも袋に入った煮物。
忙しいときに時々彼女が使っていた袋入りの惣菜はとても便利で、これだけあれば米さえ炊けば何も作らなくてもなんとかなってしまう。彼女は朝食の時に食パンに乗せていたな、とどうでもいいことを思い出す。
そう言えば彼女は元彼に会うことができたのだろうか。
「あ、でも今日は弁当かなんか買って帰るか」
そう言ってついでに出来合いの弁当や惣菜もカゴに入れる。
ホームセンターに寄る時間を確保するためにはマストだろう。
買い過ぎたのは分かっているけれど、消費する時間はたくさんある。
餌付けと言ってしまうと言葉は悪いけれど、食事を共にすると情は湧きやすいはずだから。
⌘⌘⌘
帰宅して、初日のように買ってきた惣菜を食べながら少しだけアルコールも出し、翌日の予定を立てる。
始業は9時。
朝食はパンがあるし、昼食はパスタを茹でれば簡単だろう。
「夜はカレー作るよ」
そう言った紗凪は「料理するの、久しぶりだけど」とポツリと呟いたため明日の終業時刻は少し早めにしようと心に決めた。
結局は料理の邪魔をしないようにとオレだけ仕事に戻ったのだけど、良い香りがしてきた頃合いでPCを閉じてキッチンに戻る。
ポテトサラダは皿に盛られ、帰りに買ってきたマグカップにはお茶が注がれ、食卓に並べられていた。
「飲む?」
お茶が用意してあるけれど一応聞いてみる。飲みたい気分ではないけれど、紗凪が飲みたければ付き合うつもりだった。
「お酒飲むよりも食後のアイスがいい」
予想外の答えに「食べたらコンビニ行くか」と思わず答えてしまった。前に買っておいたアイスがいくつか残っていたけれど、ついでにコンビニスイーツを買うのもいいかもしれない。
紗凪は貴哉との関係が上手くいかなくなってから、食事をおろそかにしていたのか少しやつれて見える。きっと精神的なものも影響しているのだろう。
買い出しで過剰に食品を買ったのは、前に事務所に顔を出した時よりも明らかに痩せた紗凪を太らせようと思っての行動だったのかもしれない。
大切なものを守ろうとする本能が働いたのだろう、きっと。
「甘いものも買いだめしとくか?」
「………太るよ?」
「紗凪はもう少し太ったほうがいいと思うけど」
本音が溢れる。
「それ、すごく無責任な言葉だって知ってる?年々代謝が落ちてるのに、その言葉に甘えて太ったら大変なのはボクなんだからね」
太るだなんて無縁に思えるほど細い…と言うよりも成人男性にしては全体に小さい。身長は標準、よりも少し低いかもしれない。体重は確実に標準以下。少し長めの髪は学生の頃は明るくしていた時期もあったけど、卒業してからは黒いままだ。挙句、出向先で知り合った人に顔を覚えられたくないと仕事中は眼鏡をかけ、服もシンプルなものばかり選ぶせいで無個性に見える。
ただ、そこまでしたのに貴哉に見つけられたのだから、人の気を引く何かがあるのかもしれない。
「代謝落ちてるなら運動しろ、運動」
運動をすれば身長は…今更伸びないだろうけど、筋肉がつけばイメージが変わるかもしれない。かと言ってあまり筋肉質になり過ぎるのは抱き心地が悪そうだ。
そんなことを考えてしまい、傷付いているであろう紗凪に対して不誠実だと自分を責めるけれど、綺麗事を言ったところで囲い込もうとしている時点でそう言う目で見ているのだから今更かと開き直る。ただ、貴哉みたいに無理矢理どうこうとは思っていない。
囲い込み、甘やかして、オレがいないと駄目だと気づいた頃には紗凪の気持ちも変化しているはずだ。
同性との恋愛に対してハードルを下げてくれたことだけは貴哉に感謝してもいいかもしれない。
「大輝は何かやってるの?」
「やろうと思ってジャージ買ったけど使ってない」
悔しそうにした質問に素直に答える。
悔しそうなのはオレとの体型の差を気にしてだろうか。そう言えば学生の頃にもそんなことを聞かれた気がする。あの頃はそれでも異性の目を気にして多少は運動をしていた。
「ジムに入れば強制的に運動すると思ったけど、ジャージ買って満足して終わった。太るの心配なら一緒に行く?
リモートでやるようになればもっと家から出なくなるし、ウォーキングとかランニングとかでもいいけどジムに入れば勿体無いとか言って通うだろ、紗凪は」
揶揄うようにそう言えば「入れば、ね」と遠回しに拒否されてしまった。
もしも紗凪との関係が上手くいったらジムに行かなくても運動することになるけどな、と考えてしまったオレは立派なオヤジだろう。
もしも頭の中を紗凪に見られたらドン引きされるかもしれない。
「あと何日だっけ、」
頭の中の妄想をかき消そうと話を変えてみる。あまり変なことばかり考えて下心が顔に出てしまったら逃げられてしまうかもしれない。
「4日かな?」
「じゃあ最低でも1週間は新規の仕事は来ないな」
「翌日とかには来ない?」
「土曜日だし」
「そっか、」
曜日の感覚が無くなっているのか、不思議そうな顔をした紗凪はスマホを開いて何かを確認する。きっとカレンダーを見ているのだろう。
「月曜日に出勤したとして、翌日には仕事来ると思う?」
「何件か落ち着いたらお願いしたいとは連絡きてたけど、取り敢えず事務的なやり取りが必要だろうから、実際に仕事するのは早くても1週間後くらいからかな」
「そんなに仕事無くて大丈夫?」
よくわからない心配をするせいで「別に、紗凪と2人だけなら問題無いよ」と答えると困ったような顔を見せる。
だけど、噂を鵜呑みにしてるわけじゃないけどある程度整理して欲しいと言われて仕事を詰めたので、ひと月やふた月くらい休んだところで困ることはない。
「でも人増やしたいって、」
「将来的にはだよ。
でもリモートでできればそれでいいし。面倒な相手はこれを機会に切ってもいいかな。
完全にリモートにすれば取引先の幅も広がるし。出向できる範囲に限定しなくても良くなるよ、リモートなら」
紗凪は気付いているだろうか、面倒な相手が貴哉の会社のことを指していると。あの会社は割と大口の取引先ではあるけれど、顔を合わせるリスクを考えれば切っておいた方がいいだろう。リモートでも良いと言われれば考えるけど、その時は自分が担当するつもりだ。
「そんなに上手くいく?」
「だから、今のうちにリモートの準備したり、今後の方針決めないとな。
あ、でもそうなるとこの家じゃ無くても良くなるな。一軒家だと庭の手入れも面倒だし、なんならマンションに引っ越すか?」
適当に口にした言葉だったけど、よくよく考えればとても合理的だ。正直、庭の手入れは面倒だ。
事務所を構えているせいで放置するわけにもいかず業者に頼んでいるけれど、はっきり言って興味がないから全てお任せしてある。初期投資を抑えたくて父の言葉に甘えてそのまま使っていたけれど、そろそろ自分の力で事務所を構えるのもいいかもしれない。
それに、この場所は貴哉も知っているため紗凪を連れ戻しに来られても迷惑だ。
「でも、大輝の実家でしょ?」
「登録するのに初期費用なしで使える物件だから使っただけで、特に思い入れは無いよ。父親も要らなくなったら売るから返せって言ってたし」
「そうなの?」
「そうなの。
まあ、彼女と結婚してってなったら兄弟にも話してちゃんと買い取ろうと思ってたけど、今のところ結婚する予定もその気も無いし、」
そうなのだ。
彼女との将来を考えた時にこの家は悪くない物件だったし、紗凪に未練があるうちはあの部屋をそのままにしておきたかった。だけど紗凪が戻ってきた今、あの部屋に固執する必要はない。
「淋しいこと言ってる」
「それを言うなら、紗凪もだし。
淋しいもの同士、仕事頑張ろうな、」
「大輝、デリカシー無さ過ぎ」
そう言いながらも笑えている紗凪を見て安心する。貴哉のことを吹っ切ってもいないだろうし、当然だけど忘れられるわけもない。だけど暗い顔をして落ち込んでいられるのを見せられるよりは、無理にでも笑っていて欲しいと思ってしまう。
「ボクたちの関係って、何だったんだろうね」
そう思っていたのに少し暗い顔でそんなふうに言われてしまった。オレの言葉で余計なことを思い出させてしまったのかもしれない。
「アイツとの関係のこと?」
「そう」
「だから、同情だったんだって。
男性不妊でお姉さんに捨てられたアイツに同情して逃げられなくなって、結果絆された。それだけ。
アイツのやったことを受け入れて、アイツが望むようにして、それなのに離れて行ったんだから…もういいんじゃないか、無理しなくても」
オレの言葉に「無理していたわけじゃない」と言ったのは無意識だったのだろうか。
「もしもアイツが帰ってきて迎えにきたらどうする?」
気持ちを残していることが許せなくて、仕方ないと頭で理解していても意地悪な質問てしまう。
「え、迎えになんて来ないだろうし、帰る気も無いし」
「それが紗凪の本心なんじゃない?」
当たり前のことのようにそう答えながら貴哉が迎えに来ることを想像してみる。姉の元に向かったことを謝罪して、やっぱり紗凪が好きだと告げた時に喜ぶのか、悲しむのか、怒るのか。
その時にオレは冷静でいられるのか。
「そもそもここにいること知らないし。
でも迎えにきたら…大輝のこと頼りにしてるから」
その言葉で紗凪の覚悟を知る。
どんなに未練が残っていても、どんなに想いが残っていても、それでも諦めると決めたのだろう。
無理をしているのが伝わる笑顔で明るく言った紗凪に「任せとけ」と笑顔で答える。
「やっぱりジム行くかな」
紗凪を守るために体力は必要だ。
「紗凪も一緒に行く?」
もう一度誘ってみたけれど、「守ってね」と笑顔で遠回しに拒否されてしまった。
頼られるのも悪くないと思ってしまうのは…やっぱり惚れた弱味なのだろう。
カレーを口に運んだ紗凪がそんなことを言って顔を顰める。
「え、別に気にならないけど?」
ひと足先に食べ始めたけれど、ニンジンもじゃがいもも気にならなかった。もう一度両方食べてみるけれど、全く気にならない。
「気にし過ぎじゃない?」
納得してない顔を見せるけれど、気にならないものは気にならない。そもそも、野菜が多少硬くても肉に火が通っていれば問題無い。
それに、紗凪の手料理だと思えばそれだけで満足度は上がる。
初めてのキッチンで久しぶりに料理をするせいか、「勝手が違う」とぶつぶつ言いながらカレーを作る紗凪は面白かった。
もちろん、惚れた相手に対するフィルターで可愛く見えるのだけど、それ以上に面白い。
包丁が使いにくいと文句を言い、ピーラーで爪を欠けさせ「久しぶりだし」と言い訳をする。何か手伝おうかと声をかけると邪魔だと怒られ、仕方なく事務所に戻る。
気を散らせて怪我をされるくらいなら少しでもデータの処理を進めて紗凪を囲い込む準備をしておいた方が効率的だ。
「事務所にいるから」
そう告げれば「できたら呼ぶね」と後ろから声が聞こえる。
これがきっと、新しい日常への第一歩になるのだろう。
⌘⌘⌘
買い出しに行くと約束した昨日、午前中で仕事を終わらせて午後からは食材の買い出しに向かった。
成人男子ふたりの1週間分なんて想像もできなくて、それでも残った食材を理由に紗凪を引き止めようと、取り敢えず米は10キロのものを選ぶ。
「ねえ、5キロでいいんじゃない?
味、変わるよ?」
そう言って5キロの米を選ぼうとした紗凪に「米さえあればおにぎりもできるし、卵あれば卵がけご飯もできるし」と適当な理由をつけて煙に巻く。おにぎりは上手に握る自信はないけれど、卵がけご飯くらいならオレでもできる。
卵がけご飯とインスタント味噌汁で朝食の出来上がりだ。
「絶対5キロでいいと思うけど」
そんなふうにぶつぶつ言いながら紗凪は紗凪で保存の効く野菜をカゴに入れていく。
玉ねぎ、じゃがいも、ニンジンに加えてキャベツは2つ。
キャベツを2個は買い過ぎじゃないかと言ったら「サラダにしてもいいし、野菜炒めもできるから」と言われてしまった。そう言うのなら紗凪に任せておこう。
肉は使い勝手がいいからと豚バラの薄切りを選ぶのを見ながら卵やウインナーもカゴに入れる。パスタやレトルトのパスタソースも適当に入れておいた。
そう言えば事務所に置いてあるお茶菓子が減ってきたと思い出してそれも選ぶ。PCを見過ぎで疲れた時に甘いものがあると効率が上がる気がするし、置いておけば紗凪も食べるだろう。個包装で指先が汚れにくいものを選び、冷凍食品のコーナーでは冷凍のコロッケやフライ、野菜や肉も入れておく。冷凍なら消費期限を気にする必要もないだろう。
「ねえ、冷凍のコロッケやフライって揚げるの難しいよ?」
そう文句を言われたけれど、「説明通りにやれば大丈夫だって、」と押し切る。格好悪いところは見せたくないから上手く揚げる方法をあとで調べてみた方がいいかもしれない。
「カレー作っておけば何日かは食べられるよね」
オレが油を探している間に紗凪はカレーのルーを選んでいたようで「中辛でいいよね?」と笑う。個人的には辛口が好きだけど、紗凪が中辛を選ぶのならそれでいい。
カゴに入れた野菜を見てそうだろうと思ってはいたけれど、カレーがある間に揚げ物にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。
「ねえ、そう言えば鍋とかってあるの?」
「ひと通りあると思うよ。
カレーも揚げ物も彼女が作ってたし。
あ、茶碗と箸くらいは買っておこうと思ったのに忘れてた」
ここまで材料を揃えてから何を言い出すのかと思ったけれど、そう言えば一緒に暮らしていた頃はまともな調理器具なんて無かったなと思い出す。
あったのはそれぞれが一人暮らしをしていた時の食器と簡単な調理器具だけ。せいぜいお湯を沸かしたりラーメンを作るくらいの大きさの鍋と、フライパンだけだった。使うことなく惰性で置いてあったそれらのキッチン用品は彼女と暮らし始めたときに処分してしまった。
キッチンを使うのは彼女なのだから、使う本人が好きにすればいいと思い放っておいたけど、一通り揃えていたから困ることはないだろう。
そんな中でカレーを作るのならスプーンを何とかしないとと思い当たる。彼女の使ったスプーンを使わせるのは面白くない。
「あ、らっきょうと福神漬けも買わないとな」
言いながら帰りに茶碗とカトラリー、それとマグカップは買い足そうと近くのホームセンターへの道を思い浮かべる。帰り道から少し逸れるけど仕方ない。
「ねえ、これ1週間で食べきれないと思うんだけど?」
そんな不満げな声を無視して食パンや菓子パンも手当たり次第入れ、「パンは冷凍できるみたいだから」と言っておく。
「どうせ落ち着くまで新しい部屋探すのも難しいだろうし、別に残っても紗凪が何か作ってくれるんだろ?
あ、こんなのもある」
言いながら袋入りのサラダもカゴに入れる。ポテトサラダやごぼうサラダ、他にも袋に入った煮物。
忙しいときに時々彼女が使っていた袋入りの惣菜はとても便利で、これだけあれば米さえ炊けば何も作らなくてもなんとかなってしまう。彼女は朝食の時に食パンに乗せていたな、とどうでもいいことを思い出す。
そう言えば彼女は元彼に会うことができたのだろうか。
「あ、でも今日は弁当かなんか買って帰るか」
そう言ってついでに出来合いの弁当や惣菜もカゴに入れる。
ホームセンターに寄る時間を確保するためにはマストだろう。
買い過ぎたのは分かっているけれど、消費する時間はたくさんある。
餌付けと言ってしまうと言葉は悪いけれど、食事を共にすると情は湧きやすいはずだから。
⌘⌘⌘
帰宅して、初日のように買ってきた惣菜を食べながら少しだけアルコールも出し、翌日の予定を立てる。
始業は9時。
朝食はパンがあるし、昼食はパスタを茹でれば簡単だろう。
「夜はカレー作るよ」
そう言った紗凪は「料理するの、久しぶりだけど」とポツリと呟いたため明日の終業時刻は少し早めにしようと心に決めた。
結局は料理の邪魔をしないようにとオレだけ仕事に戻ったのだけど、良い香りがしてきた頃合いでPCを閉じてキッチンに戻る。
ポテトサラダは皿に盛られ、帰りに買ってきたマグカップにはお茶が注がれ、食卓に並べられていた。
「飲む?」
お茶が用意してあるけれど一応聞いてみる。飲みたい気分ではないけれど、紗凪が飲みたければ付き合うつもりだった。
「お酒飲むよりも食後のアイスがいい」
予想外の答えに「食べたらコンビニ行くか」と思わず答えてしまった。前に買っておいたアイスがいくつか残っていたけれど、ついでにコンビニスイーツを買うのもいいかもしれない。
紗凪は貴哉との関係が上手くいかなくなってから、食事をおろそかにしていたのか少しやつれて見える。きっと精神的なものも影響しているのだろう。
買い出しで過剰に食品を買ったのは、前に事務所に顔を出した時よりも明らかに痩せた紗凪を太らせようと思っての行動だったのかもしれない。
大切なものを守ろうとする本能が働いたのだろう、きっと。
「甘いものも買いだめしとくか?」
「………太るよ?」
「紗凪はもう少し太ったほうがいいと思うけど」
本音が溢れる。
「それ、すごく無責任な言葉だって知ってる?年々代謝が落ちてるのに、その言葉に甘えて太ったら大変なのはボクなんだからね」
太るだなんて無縁に思えるほど細い…と言うよりも成人男性にしては全体に小さい。身長は標準、よりも少し低いかもしれない。体重は確実に標準以下。少し長めの髪は学生の頃は明るくしていた時期もあったけど、卒業してからは黒いままだ。挙句、出向先で知り合った人に顔を覚えられたくないと仕事中は眼鏡をかけ、服もシンプルなものばかり選ぶせいで無個性に見える。
ただ、そこまでしたのに貴哉に見つけられたのだから、人の気を引く何かがあるのかもしれない。
「代謝落ちてるなら運動しろ、運動」
運動をすれば身長は…今更伸びないだろうけど、筋肉がつけばイメージが変わるかもしれない。かと言ってあまり筋肉質になり過ぎるのは抱き心地が悪そうだ。
そんなことを考えてしまい、傷付いているであろう紗凪に対して不誠実だと自分を責めるけれど、綺麗事を言ったところで囲い込もうとしている時点でそう言う目で見ているのだから今更かと開き直る。ただ、貴哉みたいに無理矢理どうこうとは思っていない。
囲い込み、甘やかして、オレがいないと駄目だと気づいた頃には紗凪の気持ちも変化しているはずだ。
同性との恋愛に対してハードルを下げてくれたことだけは貴哉に感謝してもいいかもしれない。
「大輝は何かやってるの?」
「やろうと思ってジャージ買ったけど使ってない」
悔しそうにした質問に素直に答える。
悔しそうなのはオレとの体型の差を気にしてだろうか。そう言えば学生の頃にもそんなことを聞かれた気がする。あの頃はそれでも異性の目を気にして多少は運動をしていた。
「ジムに入れば強制的に運動すると思ったけど、ジャージ買って満足して終わった。太るの心配なら一緒に行く?
リモートでやるようになればもっと家から出なくなるし、ウォーキングとかランニングとかでもいいけどジムに入れば勿体無いとか言って通うだろ、紗凪は」
揶揄うようにそう言えば「入れば、ね」と遠回しに拒否されてしまった。
もしも紗凪との関係が上手くいったらジムに行かなくても運動することになるけどな、と考えてしまったオレは立派なオヤジだろう。
もしも頭の中を紗凪に見られたらドン引きされるかもしれない。
「あと何日だっけ、」
頭の中の妄想をかき消そうと話を変えてみる。あまり変なことばかり考えて下心が顔に出てしまったら逃げられてしまうかもしれない。
「4日かな?」
「じゃあ最低でも1週間は新規の仕事は来ないな」
「翌日とかには来ない?」
「土曜日だし」
「そっか、」
曜日の感覚が無くなっているのか、不思議そうな顔をした紗凪はスマホを開いて何かを確認する。きっとカレンダーを見ているのだろう。
「月曜日に出勤したとして、翌日には仕事来ると思う?」
「何件か落ち着いたらお願いしたいとは連絡きてたけど、取り敢えず事務的なやり取りが必要だろうから、実際に仕事するのは早くても1週間後くらいからかな」
「そんなに仕事無くて大丈夫?」
よくわからない心配をするせいで「別に、紗凪と2人だけなら問題無いよ」と答えると困ったような顔を見せる。
だけど、噂を鵜呑みにしてるわけじゃないけどある程度整理して欲しいと言われて仕事を詰めたので、ひと月やふた月くらい休んだところで困ることはない。
「でも人増やしたいって、」
「将来的にはだよ。
でもリモートでできればそれでいいし。面倒な相手はこれを機会に切ってもいいかな。
完全にリモートにすれば取引先の幅も広がるし。出向できる範囲に限定しなくても良くなるよ、リモートなら」
紗凪は気付いているだろうか、面倒な相手が貴哉の会社のことを指していると。あの会社は割と大口の取引先ではあるけれど、顔を合わせるリスクを考えれば切っておいた方がいいだろう。リモートでも良いと言われれば考えるけど、その時は自分が担当するつもりだ。
「そんなに上手くいく?」
「だから、今のうちにリモートの準備したり、今後の方針決めないとな。
あ、でもそうなるとこの家じゃ無くても良くなるな。一軒家だと庭の手入れも面倒だし、なんならマンションに引っ越すか?」
適当に口にした言葉だったけど、よくよく考えればとても合理的だ。正直、庭の手入れは面倒だ。
事務所を構えているせいで放置するわけにもいかず業者に頼んでいるけれど、はっきり言って興味がないから全てお任せしてある。初期投資を抑えたくて父の言葉に甘えてそのまま使っていたけれど、そろそろ自分の力で事務所を構えるのもいいかもしれない。
それに、この場所は貴哉も知っているため紗凪を連れ戻しに来られても迷惑だ。
「でも、大輝の実家でしょ?」
「登録するのに初期費用なしで使える物件だから使っただけで、特に思い入れは無いよ。父親も要らなくなったら売るから返せって言ってたし」
「そうなの?」
「そうなの。
まあ、彼女と結婚してってなったら兄弟にも話してちゃんと買い取ろうと思ってたけど、今のところ結婚する予定もその気も無いし、」
そうなのだ。
彼女との将来を考えた時にこの家は悪くない物件だったし、紗凪に未練があるうちはあの部屋をそのままにしておきたかった。だけど紗凪が戻ってきた今、あの部屋に固執する必要はない。
「淋しいこと言ってる」
「それを言うなら、紗凪もだし。
淋しいもの同士、仕事頑張ろうな、」
「大輝、デリカシー無さ過ぎ」
そう言いながらも笑えている紗凪を見て安心する。貴哉のことを吹っ切ってもいないだろうし、当然だけど忘れられるわけもない。だけど暗い顔をして落ち込んでいられるのを見せられるよりは、無理にでも笑っていて欲しいと思ってしまう。
「ボクたちの関係って、何だったんだろうね」
そう思っていたのに少し暗い顔でそんなふうに言われてしまった。オレの言葉で余計なことを思い出させてしまったのかもしれない。
「アイツとの関係のこと?」
「そう」
「だから、同情だったんだって。
男性不妊でお姉さんに捨てられたアイツに同情して逃げられなくなって、結果絆された。それだけ。
アイツのやったことを受け入れて、アイツが望むようにして、それなのに離れて行ったんだから…もういいんじゃないか、無理しなくても」
オレの言葉に「無理していたわけじゃない」と言ったのは無意識だったのだろうか。
「もしもアイツが帰ってきて迎えにきたらどうする?」
気持ちを残していることが許せなくて、仕方ないと頭で理解していても意地悪な質問てしまう。
「え、迎えになんて来ないだろうし、帰る気も無いし」
「それが紗凪の本心なんじゃない?」
当たり前のことのようにそう答えながら貴哉が迎えに来ることを想像してみる。姉の元に向かったことを謝罪して、やっぱり紗凪が好きだと告げた時に喜ぶのか、悲しむのか、怒るのか。
その時にオレは冷静でいられるのか。
「そもそもここにいること知らないし。
でも迎えにきたら…大輝のこと頼りにしてるから」
その言葉で紗凪の覚悟を知る。
どんなに未練が残っていても、どんなに想いが残っていても、それでも諦めると決めたのだろう。
無理をしているのが伝わる笑顔で明るく言った紗凪に「任せとけ」と笑顔で答える。
「やっぱりジム行くかな」
紗凪を守るために体力は必要だ。
「紗凪も一緒に行く?」
もう一度誘ってみたけれど、「守ってね」と笑顔で遠回しに拒否されてしまった。
頼られるのも悪くないと思ってしまうのは…やっぱり惚れた弱味なのだろう。
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静は玲に復讐するために近づくが…
僕の幸せは
春夏
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【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
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蒸しケーキ
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結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
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