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19 知らない感情
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しおりを挟む「本日はよろしくお願いいたします」
撮影準備の進むスタジオで椛乃社長の透き通った柔らかい声がピリついた空気を柔らかくする。私も続いて頭を下げると、顔馴染みの撮影スタッフやスタイリスト達の挨拶が返ってくる。
「久世社長、本日もよろしくお願いいたします」
続いて椛乃社長が頭を下げたのはすでに到着していた久世社長。今日もビシッと、ダークグレーのスーツを身に包んでいて、後ろには秋月さんが控えている。言うまでもなく、彼の顔を見た瞬間、胸の奥がざわついて、心臓が不規則に跳ねた。
できるだけ顔には出さないようにしてるけど……この動揺はきっともうバレてしまっている。
再び椛乃社長に続いて頭を下げると、久世社長の低音が響く。それから社長2人はスケジュールを改めて確認しようと、カメラマンと撮影監督と打ち合わせに向かった。
私はと言うと、秋月さんと向かい合って「いよいよ撮影ですね」なんて秘書同士での軽い会話を――と思っていたんだけど。
「黒瀬さん、それお似合いですね」
「え?」
「そのヘアクリップ」
背の高い秋月さんの指先がヘアクリップを指差す。途端、込み上げる恥ずかしさと――嬉しさ。
「初めて見ました。新しいものですか?」
「あ、はい。先日頂いて……」
「素敵な贈り物ですね」
秋月さんってほんと凄い。細かいことにすぐ気づくし、褒め言葉もさりげない。さっきだって椛乃社長に「今日もお綺麗ですね」とさりげなく褒めていて、嫌味っぽさは一切ない。
だけど秋月さんですら気づいたんだからきっと久世社長だって気づいてる。当たり前のように褒めてはくれないが、その冷たい瞳が数秒ヘアクリップに向けられたことは流石の私も気づいた。視線が外れた後、ヘアクリップに手を添えると何故か熱く感じた。
このヘアクリップを付けてきたことを久世社長はどう思っただろう。秋月さんにお礼を伝えて、それからちらりと視線を向けた先は久世社長の大きな背中。
可愛い、似合ってる――そう言ってもらいたいなんて口にしたくない。
「体調はもう大丈夫なんですか?」
「はい、先日は打ち合わせ欠席してしまい申し訳ありません」
「いえ、大丈夫でしたよ。ここだけの話、久世も心配していたので、今日は元気な姿沢山見せてください」
「……わ、わかりました」
にっこりと綺麗爽やかな笑顔。流石に久世社長が私の部屋に来たことは知らない……よね? 久世社長がペラペラ私との謎の関係を話す訳がない。けど――秋月さんは久世社長が最も信頼する部下。私生活の話もしてるかもしれない。いやいや、それはないか。そんなところ想像出来ない。
そんなことを考えていると、打ち合わせを終えた社長2人が戻って来る。控室のモデルに挨拶をしにいくとのことで、黙って私は椛乃社長の後ろに続いた。だけどその途中、低い声が私を呼び留めた。
「黒瀬秘書」
「は、はい……っ!」
言うまでもなく、心臓がまた高鳴った。絡み合った視線。何を言わるか想像出来なくて、少しだけ身構える。
だけどやっぱり久世社長は久世社長だった。
「今日は長丁場になる、途中で倒れられたら迷惑だ。体調が悪いならさっさと帰るようにしろ」
「……なっ、そんなことしません!」
淡々とした、ちょっと嫌味っぽい言い方。ドキッとしたのを返してほしい。例えその裏に優しさがあったとしても、もっと言い方ってものがあるのに。
無意識にむっと頬が膨らむ。その様子に後ろの秋月さんがふっと笑ったのが見えてしまった。
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