短編集 ~レトロ喫茶 GRAVITY~

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

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月と杯 ~たまごぱん~

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 宇宙のどこかにあるレトロな喫茶店GRAVITY。
 もしかしたらあなたの住む街の商店街の片隅にひっそりと隠れているかもしれません。

 梅雨時期とはいえ雨はあまり降らず、茹だるような暑さが続いています。

 私は1ヵ月も前から店の中に貼り紙をし、本日7月7日は臨時休業をいただいております。
 もちろん、昨日もミドルには臨時休業のことを伝えてありますが、きっと今日も来ることでしょう。

「えっ? 店を休んでどこに出掛けるか?」
 それは内緒です。


 商店街の中の骨董屋でミドルが何かを見つけて買い求めたようです。
 箱もない薄紙に包まれた小さな物をポケットに入れて、案の定この店GRAVITYに向かっています。

 西の空、富士山の方角が蜜柑色に染まる頃、店の前まで来たミドルは扉の前で立ち尽くしています。

 そしてもう1人。
 たまごぱんさんも貼り紙を見て呆然としています。

「そう言えば、昨日来たときマスターが臨時休業だって言ってたな」

「えっ、ミドルって昨日のことも覚えてないの?」

「覚えてないってわけじゃなくて、毎日の習慣だから身体が勝手にここに来ちゃうんだよ」

「じゃあ、私との約束は覚えてる?」

「それはもちろん覚えてるさ、せっかくの機会だ。今から行こう。ちょっと目を閉じて」

 ミドルはポケットの中の小さな包みを確かめるように、軽くズボンを叩きました。

 一瞬、世界がかすれた画面のようになり、大きく歪んで真っ暗になり、お2人の姿はGRAVITYの扉の前から消えました。

 ミドルは宇宙のはるか彼方にあった小さな星、《ミカン星》から来たミカン星人です。地球人にはない特殊な力で時間と空間を同時に操って、どこかに出掛けたのでしょう。


 -------------------------
「ここは?」
「あっ、気が付いたかい?ここは月に手が届く場所だ」

「七夕の夜は新月だから晴れたら星がよく見えるってさっき調べたのに」

 不思議なことに東の空には蜜柑色の大きな満月が昇り始めていた。

「小さなことは気にしない、大きなことはわからない、だってたまごぱんはあの月を飲みたいんだろ?」

「ミドルの真似をしたら夕陽は飲めたの……。でも月は太陽みたいに明るくないからグラスで捕まえられなくて……」

 おふたりがいるのは芦ノ湖の畔の箱根権現様の鳥居の近くのようです。

 シンとした空気。
 風は全くなく、鏡のような水面みなもに丸い月が映っています。
 ミドルが水面の月に向かって小さな石くれを投げると波紋で月の姿が歪み、しばらくすると、静寂と丸い月が帰って来ます。

 ミドルがポケットの小さな包みを取り出し、薄い和紙の包みを開くと黒漆塗りの小さな杯でした。
 杯にほんの少しの酒を注ぎ、たまごぱんさんに手渡します。

「少しそのままおとなしく」

 たまごぱんさんは小さく頷いて、杯の酒を眺めています。

「あっ、月。杯の中に丸い月がいる」
「その酒は龍神さまの分だから、飲まずにお供えして」

 鏡のような水面に微かに酒が零れる音がして、また深い深い静寂が訪れます。

 ミドルは再び杯に酒を注いでいます。

 杯の中のほんの少しの酒に丸い月。

「ねぇ、ミドルが夕陽をグラスに注いで飲み干すと夜が来るんでしょ?私が杯の月を飲み干すとどうなるの?」

「さあな? 飲んでみなよ」

 たまごぱんさんは杯を空の月に掲げてから唇を寄せた。

「月、いなくなった。私が飲み干したんだ」
「よかったな、でも飲み干しても、空にも水面にも月はまだあるし、朝が来る気配もない」

 ミドルは杯に酒を注ぐ

「こうやって星を眺め、酒を飲んで語り合うために、月は飲み干しても消えないのさ」

 ミドルはたまごぱんさんが飲み干した杯を手にすると、芦ノ湖の冷たい水に浮かぶ月を掬い一息に飲み干しました。
 すると急に風が吹き始め、鏡のような水面は漣立って、薄い雲が月を隠しました。

「ミドルが月を飲み干した」
 たまごぱんさんは驚いた表情でミドルの横顔を見ています。
 月が隠れたのはミドルの力のせいではありません。
 ミドルは空を眺めながらタイミングを見計らっていただけです。

「まあ、夏の夜は短い。月を飲み干したらすぐ朝になるさ。朝が来なければこのまま語り合えということだろう。酔いつぶれたらこのまま地球を枕に寝ればいい」

 静かな夜です。
 おふたりの月語り、酒語りで地球は無事に朝を迎えることでしょう。
  
 



 それではまた……、ごきげんよう。




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