短編集 ~レトロ喫茶 GRAVITY~

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

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活路 ~マサタロー~

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 宇宙の片隅の小さな商店街にある喫茶店GRAVITY。
 今日も常連客のミドルの姿はありません。

 その代り……と言ってはなんですが、カウンターにはミドルのお友達が見えてアイスコーヒーを召し上がっています。背格好はとても良く似ていますが、作業着を着ていること、それから紛れもなく地球人だというところでミドルとの見分けがつきます。
 たしか……ミドルはマサタローと呼んでいたはずです。

「マスター、お久しぶりです。今日はあいつミドル来てないの?」
「ええ、どうやら旅に出てしまったようです」
「旅か、いいな。俺もたまには旅に出たいもんだよ。それにしてもここのアイスコーヒーは美味いな。何か特別な秘密でもあるんですか?」

 マサタローさんの話し声というか話し方というのは独特です。ゆっくり話すというのか聞き取りやすいというのか、丁寧なのに畏まっていないというか……とにかく何か響きます。

「アイスコーヒーの秘密ですか。当たり前のことですが1杯分ずつドリップして氷で一気に冷やすだけです」
 マサタローさんはストローを使わずにアイスコーヒーを飲んでいます。
「そういう事ですか。当たり前のことに全神経を集中して当たり前の1杯を淹れてくれてるんですね。ありがとうございます」
「なんと言えばいいんでしょうか。こんなことを言われることはあまりないのでとても嬉しいです。こちらこそありがとうございます。ついつい毎日何度も同じことを繰り返していると、当たり前の作業になりがちですが、気候によって豆の焙煎を変えたり、氷を割るときの大きさをほんの少し変えたりしながらお客様が飽きないように、自分が飽きないようにしています」
「あきないね。長く商いを続ける秘訣は飽きないか……。ううぉ、俺、マスターのオチを横取りしちゃったかな」
「いいえ、私はそこまで狙っていませんでした。ところでマサタローさんは以前ミドルとお見えになった時に災害のお話しをされていましたが……」
「何にもできてないんだよね、まだ」
「東日本大震災の時は活躍されたと伺いましたが」

 マサタローさんは東日本大震災が発生した後、当時勤務していたコインランドリーで使う大型の業務用洗濯機メーカーの社員として、トラックに発電機と業務用の洗濯機、乾燥機を積み込んで宮城県多賀城市の避難所を回って避難していた方の衣類を洗濯するボランティアを1か月ほどされていました。多賀城市でも津波で多くの人が命を落とし、家屋にも甚大な被害が出たそうです。

「当時、自分にできることはやった……と思います。実際、喜んでくれた方もたくさんいて今も連絡を取ったりしてます。でもね、自分が行った多賀城は洗濯できたけど、隣町はどうかな、もっと被害が大きかった場所はどうなってるんだろうと考えたら、無力感ばかりが残ります。津波で濡れた服って、プールに落ちたのと違うんです。海の底から巻き上げられたヘドロ、溢れた下水、車から流れ出したオイル、ぶっちゃけ洗濯してきれいになるレベルじゃないんです」
「捨てるしかないということですね?」
「ええ、そうです。でもね、ある日おばあさんが男物の着物を持ってきて来て洗ってくれって言うんですよ。オイルまみれヘドロだらけの着物。さすがに水で洗ったら縮んじゃいますから断ったんですが、『縮んでもいいから洗って泥だけでも流してけろ、おじいさんが着てた着物だから洗ってけろ』って。おじいさんは津波に流されて亡くなったみたいなんですけど、きれいになったら布団の代わりに掛けて寝たいんだって」
「それで、きれいになったんですか?」
「まあ、デカい洗濯機にぶっこんで洗うわけにもいかないから、寒い中冷たい水で何日かかけて手洗いしましたよ。まあなんとか臭いは取れました」
「報道されないそういう話がたくさんあるんでしょうね、災害って」
「そうですね。洗濯もそうですけど、地震の当日、津波でびしょ濡れになって避難所にたどり着いても着替えはできなかったって話しは聞きました。停電して、暖房もないでしょ。翌朝亡くなってしまった方、体調を崩してしまった方がたくさんいたようです。3月の東北ですよ。ただでさえ寒いのに全身びしょ濡れのままでは、俺みたいな頑丈な人間だって命を落としかねないと思いました」
「避難所には洋服はないんですか?とても必要なものだと私は思うんですが」
「ない。衣類は全くないと言っていいでしょう」
「でもあれだけ大きな震災があったから、今はあるんですよね?」
「ない、今もほとんど変わってない」

 私はショックを受けました。

「なあ、マスター。衣食住って言うだろ。その順番は人間が生きる上で、自然と戦う上で必要な順番なんだ。赤ちゃんが生まれて身体をきれいにしたらまずはおくるみで体温を守る。こいつが【衣】だ。『衣は命を守る』。安全になったら次はお乳をもらう。こいつが【食】。『食べて命を大きく育てる』。マスターもそうだろうけど、腹がいっぱいになったら眠くなるだろ?」
「そうですね、ベッドが欲しくなります。それが【住】ですね」
「その通りだ、『住は命を休ませる』。どれ一つ欠けても生活はできない」
「災害のような緊急時には、その順番が大事なのですね」
「マスターは、もしも今夜何も食べなかったら死んでしまうかい?」
「1食では大丈夫だと思います」
「今夜布団じゃなくブルーシートに毛布を敷いて寝られるかい?」
「何とかなると思います」
「びしょ濡れの服を着て体育館の冷たい床にブルーシートだったら?暖房もない真冬にだ。真夏にプールから上がって来たらみんな唇が紫になって震えてるだろ?タオルが暖かいって感じるだろ?」

 私はその時を想像しただけで身ぶるいしました。


「50歳を過ぎて転職したのはそういうわけよ。洗濯機も衣類に近い業界だけど、もっと近くに行って衣類の備蓄を進めなきゃってね。まだまだ入口だ」
「私にできることはありませんか?」
「まずは自分がいる場所のハザードマップを確認しておくこと。非常持ち出し袋や車の中、仕事場にも濡れないようにビニール袋に入れて密封した衣類を用意すること。会う人みんなにこのことを伝えること、そして衣類が必要だと行政にもハッキリ言うことだな、命に係わる重大なことだから税金を使ってもいいだろ?」
「そうですね。今の話しを聞いていると災害が起きたその日に着替えるが大切で、何日も後では手遅れです。安全なはずの避難所にたどり着いた時点で衣類が必要だと思いました」
「理想を言えばシャワーを浴びて、着替えてから避難所に入れば、避難所の衛生状態を悪化させずに済むんだけどな。こいつは贅沢でもなんでもなく、人間として安全で最低限の生活を保障されてこの国で生きるってことなんだけどね」

 そんな話しをしているとミドルがやって来ました。
「おう、ミドル、ご無沙汰だな。とりあえず一服行こうや」
「マスターと難しい話でもしてたのか?」
「いつものやつよ、伝統芸みたいに俺には他に話すネタなんかないさ」

 お2人は喫煙室に向かいました。
 カウンターの中から眺めるお2人の後ろ姿はとてもよく似ていますが、喫煙室の曇りガラスは片方だけがオレンジ色に見えました。

 平和で安全な当たり前の日常はもしかしたらとても有難いことなのかもしれません。
 私が淹れるコーヒーのように……

 本日もご来店ありがとうございました。 
 それではまた……、ごきげんよう 
  
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