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Close up ~neco~
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息苦しくなるような暑い夏がやって来ました。
このように暑い日でもレトロな喫茶店GRAVITYでは、ホットコーヒーを召し上がるお客様が多いのです。
コーヒーを淹れる私としてはホットでもアイスでも豆を煎って挽いて、沸かしたてのお湯を落としていく暑さに変わりはありません。
「お隣、いいですか?」
カウンターの端に座るミドルに声をかけたのはnecoさんです。
「マスター、ホットコーヒー、モカでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
necoさんはミドルの横に腰掛けました。
「前からちょっと気になっていて、今日は勇気を出して声をかけてみました。」
「大丈夫だよ、いきなり人に嚙みついたりしないから。necoさんって、すごいきれいな写真に、凛とした言の葉を添えて投稿してる人だよね?」
「ご存じでしたか?」
「ああ、もちろんだ」
ミドルはスマホを片手にnecoさんの投稿を見返しています。
「ミドルさん、今日はここで何をしてたんですか?お邪魔でなければ少しお話してもいいですか?」
「ここにいる時の俺は、言ってみれば何かをしているわけではなく、かと言って何もしていないわけでもない。ただ真夏も真冬もアイスコーヒーを飲んでいるだけさ。」
「そうなんですね。なんだか不思議な言い回しですけど、なんとなくわかる気もします。突然ですけどミドルさんには挫けそうな時ってありますか?」
「まあ、たまにはあるかな。」
「そんな時、どうします?」
「う~ん、食って寝るかな、いやいや、食って食って寝る……だな。そうすりゃ、大体のことは忘れて、朝になれば生まれ変わって新しい自分になってるさ」
「朝起きて生まれ変わったミドルさんは何します?」
「自分で落とした美味くもないアイスコーヒーを飲んだら、昨日挫けた原因と戦うよ、生まれ変わっても覚えているような大きくて強い敵なら戦う。」
「どうやって?」
「敵は強いんだ。勝てるタイミングが来るまでに、いつでも戦える準備をしておくな。それでも勝てないとわかったら、うまく躱して時が来るのを待つのはどうかな?実はうまく逃げるのはとても難しいんだぜ。」
爽やかな香りが立つ挽き立てのモカをドリップしたホットコーヒーをnecoさんにお出しします。
「なあ、マスター。どんなに強い敵でも弱点はあるし、昼寝してる時なら勝てるかもしれないよな?」
「そうですが……、敵の正体は実は自分自身という時も多いのではありませんか?」
そう問いかけるとミドルはカウンター席から立ちあがり、テーブル席の奥に歩いていきました。
「necoさん、俺のスーツ、何色に見える?」
「ネイビーです。」
「じゃあ、どんな柄?」
「隣にいたときは薄っすら縞が入っていたように見えましたけど、離れたら無地かもしれません。」
ミドルがカウンターに戻るとnecoさんはミドルのスーツを目を凝らして見ています。
「ヘリンボーンなんですね。」
「そうなんだよ。日本語だと杉綾織。見る距離によって印象が変わるけど、だいたいこの柄がハッキリ見える距離感で話すことはあまりないから相手からはネイビーの無地のスーツに見えるはずさ。」
ミドルはポケットから生地を見るために使うルーペを取り出して、necoさんに見せています。
「ルーペで見るとまた印象が変わりますね。」
「そうだな、生地の表情というより、糸1本1本が交差する表情が見えてくるな。」
「お二人にデザートの差し入れを。」
私は甘夏の薄皮を剥いて蜂蜜に漬けたものをあしらった牛乳寒天をお出ししました。
ひとつは、大きな甘夏の房を寒天の真ん中にそのまま入れたもの、もうひとつは甘夏の房を細かくして寒天全体に散らしたものです。どちらも全く同じ材料と配合です。
「どっちも美味しいです。でも同じ材料でもこんなに違いが出るんですね?不思議です。」
「俺はこっちの房が大きい方が好きだな。寒天は寒天、甘夏は甘夏で味わうことも、寒天と甘夏が合わさった味も楽しめるから。でもな、necoさん、こいつはマスターが仕掛けた意地悪な謎解きかもしれないぞ?」
「いえいえ、意地悪だなんて……、ミドルと同じ謎掛けですよ。」
私はミドルの真意を理解していたようです。
necoさんが私たちに見せてくれる画像はいつも色に溢れ、美しき瞬間を切り取った拡大写真です。
それは彼女の視点であり、彼女らしさそのものです。
自らの世界観を築くために費やす時間は楽しいものだと思いますが、きっと楽ではないはずです。
同じものが目に入っても、人それぞれ感じることは違います。
それはほんの数メートル離れただけで見える世界は変わります。
しかし、変わるのは見え方だけで本質に変わりはありません。
新しい切り取り方をしても、それは新たなあなたらしさなのです。
「necoさん、今日はありがとう。うまく言えないけど元気出たよ。もっと自分らしく生きていいんだぜ。敵も味方も全部自分の中にいるんだからさ。感じるまま良し悪しじゃなく、好きか嫌いかでいいんだ。遠くから眺めたり、近づいてじっくり見たり同じもんでも違う姿を感じることが出来たら楽しいだろ?それが見っけもんてやつさ。」
necoさんはミドルから少し離れて、スーツの背中を眺めていました。
「また来ます。元気もらいに」
向き直ったnecoさんが古い扉を開けました。
外から焼けたような乾いた空気が店の奥まで届きます。
本日もご来店ありがとうございました。
それではまた……ごきげんよう。
このように暑い日でもレトロな喫茶店GRAVITYでは、ホットコーヒーを召し上がるお客様が多いのです。
コーヒーを淹れる私としてはホットでもアイスでも豆を煎って挽いて、沸かしたてのお湯を落としていく暑さに変わりはありません。
「お隣、いいですか?」
カウンターの端に座るミドルに声をかけたのはnecoさんです。
「マスター、ホットコーヒー、モカでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
necoさんはミドルの横に腰掛けました。
「前からちょっと気になっていて、今日は勇気を出して声をかけてみました。」
「大丈夫だよ、いきなり人に嚙みついたりしないから。necoさんって、すごいきれいな写真に、凛とした言の葉を添えて投稿してる人だよね?」
「ご存じでしたか?」
「ああ、もちろんだ」
ミドルはスマホを片手にnecoさんの投稿を見返しています。
「ミドルさん、今日はここで何をしてたんですか?お邪魔でなければ少しお話してもいいですか?」
「ここにいる時の俺は、言ってみれば何かをしているわけではなく、かと言って何もしていないわけでもない。ただ真夏も真冬もアイスコーヒーを飲んでいるだけさ。」
「そうなんですね。なんだか不思議な言い回しですけど、なんとなくわかる気もします。突然ですけどミドルさんには挫けそうな時ってありますか?」
「まあ、たまにはあるかな。」
「そんな時、どうします?」
「う~ん、食って寝るかな、いやいや、食って食って寝る……だな。そうすりゃ、大体のことは忘れて、朝になれば生まれ変わって新しい自分になってるさ」
「朝起きて生まれ変わったミドルさんは何します?」
「自分で落とした美味くもないアイスコーヒーを飲んだら、昨日挫けた原因と戦うよ、生まれ変わっても覚えているような大きくて強い敵なら戦う。」
「どうやって?」
「敵は強いんだ。勝てるタイミングが来るまでに、いつでも戦える準備をしておくな。それでも勝てないとわかったら、うまく躱して時が来るのを待つのはどうかな?実はうまく逃げるのはとても難しいんだぜ。」
爽やかな香りが立つ挽き立てのモカをドリップしたホットコーヒーをnecoさんにお出しします。
「なあ、マスター。どんなに強い敵でも弱点はあるし、昼寝してる時なら勝てるかもしれないよな?」
「そうですが……、敵の正体は実は自分自身という時も多いのではありませんか?」
そう問いかけるとミドルはカウンター席から立ちあがり、テーブル席の奥に歩いていきました。
「necoさん、俺のスーツ、何色に見える?」
「ネイビーです。」
「じゃあ、どんな柄?」
「隣にいたときは薄っすら縞が入っていたように見えましたけど、離れたら無地かもしれません。」
ミドルがカウンターに戻るとnecoさんはミドルのスーツを目を凝らして見ています。
「ヘリンボーンなんですね。」
「そうなんだよ。日本語だと杉綾織。見る距離によって印象が変わるけど、だいたいこの柄がハッキリ見える距離感で話すことはあまりないから相手からはネイビーの無地のスーツに見えるはずさ。」
ミドルはポケットから生地を見るために使うルーペを取り出して、necoさんに見せています。
「ルーペで見るとまた印象が変わりますね。」
「そうだな、生地の表情というより、糸1本1本が交差する表情が見えてくるな。」
「お二人にデザートの差し入れを。」
私は甘夏の薄皮を剥いて蜂蜜に漬けたものをあしらった牛乳寒天をお出ししました。
ひとつは、大きな甘夏の房を寒天の真ん中にそのまま入れたもの、もうひとつは甘夏の房を細かくして寒天全体に散らしたものです。どちらも全く同じ材料と配合です。
「どっちも美味しいです。でも同じ材料でもこんなに違いが出るんですね?不思議です。」
「俺はこっちの房が大きい方が好きだな。寒天は寒天、甘夏は甘夏で味わうことも、寒天と甘夏が合わさった味も楽しめるから。でもな、necoさん、こいつはマスターが仕掛けた意地悪な謎解きかもしれないぞ?」
「いえいえ、意地悪だなんて……、ミドルと同じ謎掛けですよ。」
私はミドルの真意を理解していたようです。
necoさんが私たちに見せてくれる画像はいつも色に溢れ、美しき瞬間を切り取った拡大写真です。
それは彼女の視点であり、彼女らしさそのものです。
自らの世界観を築くために費やす時間は楽しいものだと思いますが、きっと楽ではないはずです。
同じものが目に入っても、人それぞれ感じることは違います。
それはほんの数メートル離れただけで見える世界は変わります。
しかし、変わるのは見え方だけで本質に変わりはありません。
新しい切り取り方をしても、それは新たなあなたらしさなのです。
「necoさん、今日はありがとう。うまく言えないけど元気出たよ。もっと自分らしく生きていいんだぜ。敵も味方も全部自分の中にいるんだからさ。感じるまま良し悪しじゃなく、好きか嫌いかでいいんだ。遠くから眺めたり、近づいてじっくり見たり同じもんでも違う姿を感じることが出来たら楽しいだろ?それが見っけもんてやつさ。」
necoさんはミドルから少し離れて、スーツの背中を眺めていました。
「また来ます。元気もらいに」
向き直ったnecoさんが古い扉を開けました。
外から焼けたような乾いた空気が店の奥まで届きます。
本日もご来店ありがとうございました。
それではまた……ごきげんよう。
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