心を洗う洗濯機はありません。涙を乾かす乾燥機もありません。でも……

高橋晴之介(たかはしせいのすけ)

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東日本大震災発生~出発

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福島市内までは片道400km。須田の1500ccのDEMIOなら満タンの30リットルで500kmは走る。携行缶の50リットルがあれば十分往復することができる。
3月17、18日と有給を取っていたためあらゆる経路を考えて車を出した。土日を含めれば4日間の猶予がある。
東名から首都高は問題ないが、東北道は情報が少なかった。一般車が通れるのは宇都宮までという情報が一番有力であった。その先は復旧工事関連のステッカーが貼ってない車の通行はできないようだ。迷うことなく宇都宮から国道4号線に入ると夜が明け始めた。
栃木県内は何事もなかったように静かに見えたが、ところどころに車の長い列ができている。その距離は数キロに及んでいるところもある。ガソリンスタンドだ。スタンドの前には『ガソリンありません』『軽油1回10リットル』『灯油1回5リットル』などの貼り紙がしてあった。福島方面からのナンバーの車も多い。
那須を超えたあたりで小雪が舞った。静岡とは気温が違う。とにかく寒かった。停電し、灯油もなくなってしまったらどうやって暖を取るのか心配になった。
やがて福島県に入る。福島市内まではまだ100kmはある。福島は東西にも南北にもとにかく広い。

市街地でもまだ信号が付いてない場所もある。コンビニも空いていない。
道路はところどころ亀裂があったり、隆起しているところもある。郡山あたりでは倒壊した古い木造の家屋もある。とにかく走って前に進むことだけを考えた。
放射線がどこかを舞っているのかもしれないとも思ったが、何しろ目には見えないものをいくら心配してもどうすることもできない。車の窓は閉め、内気循環で暖房をつけた。

3月17日 木曜日の10時過ぎ。
福島市内でもスーパーやコンビニはほとんど営業していなかった。もちろんガソリンスタンドも電気がついていないが車の列はあった。
須田は積んできた食料品を義父に渡し、家に上がることなく車に乗り込んだ。片道16時間かかった。帰りも同じ程度の時間はかかるだろう。どこかで仮眠する必要もある。少しでも早く帰らなければならない理由ができてしまった。

余震が続いている。
とにかく福島県を出たあたりまでは走ろう。
そう考えていたが、結局休憩できたのは東京を過ぎて東名の中井PAであった。ここまで13時間。自宅に着いたのは深夜1時を回っていた。

3月18日 金曜日
有休をとっていた須田の姿は会社にあった。
販促を担当する商品部長の工藤に
「トラック空いてる?」
と声を掛けた。
「空いてるに決まってるじゃないか。入ってた予定は全部キャンセルだ」
「じゃあ5月まで空けといて」
「お前さんなら考えつきそうなことだろうよ」

そのトラックは200Vの発電機を積み、全国どこででも自社の大型洗濯機を積んでお客様の前で実際にデモ運転ができるように機材を準備したものである。これがあれば水さえあればどこでも洗濯できる

「食い物積んで行ける連中はたくさんいる。餅は餅屋にって言うからな。洗濯機屋ができるのは何だい?工藤さん」
「洗濯機屋にできるのは洗濯だ」
「だよな。なんか入れ知恵してくれよ」
「悪だくみは須田の方が得意だろ?車と機械の準備は俺がするからお前は会社の上の方が首を縦に振るようにしておけ」

須田はその日のうちに過去に洗濯機を積んでデモを行ったトラックの写真を持って伊豆の国市役所の防災課に向かった。
地元の市役所に地元に本社がある会社の従業員が行けばすぐに担当者が出て来てくれる。

「実は、うちの会社にこんなトラックがあって、水さえあればどこでも洗濯ができる。震災で被害があった場所でも」
「???洗濯ですか?」
市役所の職員は写真を見せてもピンとこない様子だった。衣類や、その洗濯が当たり前すぎて必要性を感じていないと須田は直感した。
「いいから、宮城の多賀城市の担当者に電話してくれよ」
伊豆の国市は全国で毎年初夏にあやめ祭りを開催している市町村が参加している【全国あやめサミット連絡協議会】に加盟し、災害時の相互応援協定を結んでいた。
宮城県多賀城市にもあやめ祭りがあり協議会に加盟していた。

多賀城市は人口66,000人。仙台と日本三景の松島の中間に位置した海沿いの町である。地震の揺れと津波によって188名が亡くなった。
伊豆の国市の職員は多賀城に電話を入れている。
しかし、避難所に家庭用の洗濯機を寄贈するというなら想像もつくが、洗濯機を積んだトラックが避難所の前まで行って洗濯をすると伝えたところで、前例どころか見たことも聞いたこともない支援に多賀城市は躊躇している雰囲気だった。

須田は受話器を取り、
「とにかく、数日のうちに打ち合わせに行くので連絡先を教えてください」
と告げると、多賀城市役所内の社会福祉協議会を訪ねるようにと言われた。

その頃、工藤も動いていた。
社長や総務部長にそれとなく、
「洗濯機屋ができるのは洗濯ぐらいだけど、いきなり行っても迷惑になるだけだし、何かいい案はないか考えなければなりません」
しかし、社長も総務部長もあまり前向きには捉えていなかった。余震が続く被災地に社員を出すのは勇気がいる。多くの被災者がいる避難所で洗濯を数日やったところで焼け石に水、少なくとも数週間は続けなければならない。

そんなタイミングで須田が事務所に戻って来た。連絡先のメモを出して
「とりあえず繋いでもらいました。伊豆の国の市役所も向こうの市役所も洗濯できるって言ったら大喜びでした。行くしかないです。まずはどこでどうやって支援すればいいか現地を見に行って打ち合わせしてきます」
それは工藤の入れ知恵による須田のハッタリであった。
「そうだよな、洗濯、誰だってしたいよな」
工藤が煽ると、社長は
「お前らは……まったく、須田はとにかく安全第一で下見してきなさい、工藤部長は須田のサポートを」
「総務部長、出張扱いで会社の車と交通費、それから出勤扱いお願いします。高速料金は市役所から緊急車両のステッカー貰って来たんで」
「しっかりしてるなあ。出張扱いもいいというしかないじゃないか。何かあった時に労災の絡みもあるから」
「須田は全部わかって言ってるんですよ。今回は我々より一枚上手でした」

そうやって、会社も役所も騙すように話しを進めた工藤と須田は早速それぞれのやるべきことを始めた。

工藤はトラックの上で洗濯ができるよう機械の配置図を書き始めた。単に機械を見せながら数回実演するのと違い、実際に汚れた衣類を洗い続けられるように実用性を考えなければならない。それにディーゼル発電機や乾燥機の熱源のプロパンガスが現地で調達できるのかも調べなければならない。なければこっちから持ち込むしかなかった。

須田は現地の市役所に提出するための支援計画を書き始めた。
支援する側も受け入れる側も初めてのことである。計画書とはいってもただの想像に過ぎない。
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