嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

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巡る想い

 定休日開けの木曜の朝。自分のパソコンを立ち上げるのとほぼ同時に、机の上に置いたスマートフォンが振動した。
 中山主任からのメールだった。

『昨日はありがとう。いい返事が聞けてうれしかった!!これからよろしくお願いします。さっそくデートプラン考えます!楽しみだな』
 ハートの絵文字が添えてある。なんとなくイメージに合わない気がするけれど、それだけ喜んでくれているのだろうか。私は少しくすぐったいような気持ちになり、フッと笑いながら携帯を机に戻した。
 
 いつもの朝の流れでパソコンのメールサイトをまず開き、客先や関連企業、社内通達など届いているメールを一通りチェックする。画面を眼で追っていると、斜め左方向からなんとなく視線が飛んでくるのを感じた。
 眼を上げると、中山主任がチラチラとこちらを気にしている。一瞬意味が分からず、少ししてから「あ!返信を待っているのか」と気づいて慌てた。
 私はスマートフォンを手に取り、『昨日はごちそうさまでした。ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします』
 とだけ入力して、急いで返信する。送ってから、文面があまりに素っ気なかったかと少し気になった。中山主任の表情をこっそり確認すると、携帯を穴が開くほど見つめている。睨んでいれば、メールが更に続けて送られてくると期待しているのだろうか。
 申し訳ない気持ちになったけれど、私はそのままスマートフォンを机に戻してパソコンに視線を戻した。

 今日も入居者からのクレームが届いていた。
 ここ最近、既に入居が始まっているF分譲地でゴミ置き場に関するトラブルが起きていて、相談された若手の営業マンの対応がおざなりだったことに立腹した入居者から、毎日のように不満を訴えるメールや電話が来ているのだ。

「ヤマトホームズ」には、本社ビルとは別に営業部を中心とした東京支店がある。
 私のような内勤事務の社員たちは、毎日東京支店の分譲住宅課オフィスで仕事をしている。一方で営業担当の社員たちは、土日を中心にそれぞれが各地の戸建分譲地に散らばって新築物件の販売活動を行っている。が、平日は営業マンも支店の分譲課オフィスにいることが多いため、顧客からのクレームが直接こちらに届くことも少なくなかった。

「あー、またハットリさんとヤマダさんのゴミネタかぁ。一回オレが仲裁に行くしかないかなぁ」
 気づくと、背中越しに中山主任が私のパソコンを覗いていた。距離の近さに少し驚く。
「あ、そうですね。中山主任が間に入ってくださった方が、ハットリさんの奥様は安心すると思います。たぶん山崎くんがこれ以上出て行っても、ますます怒っちゃいそうだし・・・」
「だよね。うん、分かった。今日午後からオレが行ってくるわ」
 そう言って、中山主任は自信に満ちた顔で私に微笑む。先週までとは違う、明らかに親密な気配を漂わせた視線の強さに正直やや戸惑った。
「よろしくお願いします。一応、その旨メールで送っておきますね」
 私はパソコンに向き直ると、すぐに返信メールを打ち始めた。もっと話したそうにしている気配を感じたが、結局諦めたのか中山主任は自分の席へと帰っていった。

 ・・・返事を早まっただろうか。昨日のことを思い返し、少し迷うような気持ちになった。

 私より5つ年上の中山主任は、去年うちの会社に中途入社してきたやり手の営業マンだ。いかにも体育会系の風貌に、気さくで優しそうな笑顔。女子社員からもおおむね好意的に見られている。
 入社当時、うちの会社独特のシステムに戸惑っていた中山主任に、基本業務を教えたのが私だった。それ以来何かと可愛がってくれるようになったけれど、主任の中で私に対する恋愛感情が育つなんて夢にも思っていなかった。

 今月の初め、中山主任から交際を申し込まれた。
 いつも仕事で世話になっているからと飲みに誘われ、他のみんなも一緒だと思ったら二人きりだった。居酒屋で「前から好きだった」と告白してきた中山主任は、真剣に考えてほしいと私の手を強く握った。
 中山主任に対しては、人としての好意は持っている。特に彼氏もいなかった私は、「少し考える時間をください」と言葉を返した。

 入社して5年目の春を迎えていた。
 それまでつきあった男性は数人いたけれど、どの人もごく短い期間の交際で終わっていた。合コンや友達の紹介で知り合った社外の人ばかりだったので、別れた後に仕事に支障をきたすことがなかったのは幸いだった。
 最初はいいなと思っても、実際にデートを何度か重ねると急速に気持ちが冷めていく。手を繋いで歩くのは大丈夫だけれど、キスされそうになるとなんだかんだと言い訳を並べて避けていた。しびれを切らした相手に強引にホテルに連れ込まれそうになった時は、背中に寒気が走って全速力で逃げてしまった。

 私だって、普通に恋人が欲しいと思っている。それほどひどい潔癖症のつもりもない。けれど、どうしてだか恋愛に真正面から飛び込めない自分がいる。その原因を探っていくと必ず、大学の頃に味わったあの「傷」に辿り着いてしまう。

 傷なんて言ったら「彼」に失礼だ。私自身がくだらない見栄から嘘をつき、ああいう結果を招き、そして若い「彼」のことも傷つけたのだから。
 楽しくてせつなくて、もう取り戻せない夏の日の想い出。私が嘘をついたから。素直に自分をさらけ出せずに、大切に想う人から逃げたから。

 あの時以来、私は本気で人を好きになることができない。
 「彼」の存在を自分の中から抹消したつもりが返って引き摺ることになり、いつも誰かとつきあう時は無意識に「彼」に似た面影の人を探していた。
 26歳になり、このままじゃ結婚なんて当分難しいだろうなと冷めた気持ちになりかけたとき、中山主任に告白された。

 中山主任は私が引き摺る想い出の中の「彼」とは似ても似つかなかった。
 それが逆に私を安心させたのかもしれない。そもそも結婚は恋愛とイコールではないと言うし、主任のように優しそうで頼れるタイプの人なら下手な駆け引きなど無縁でいられそうだと思った。
 お見合いだと思えばいいのだ。最初から情熱的に好きになれなくても、人として好感を持てる相手の方が案外うまくいくのかもしれない。そう思った。

 告白から二週間経った昨日、あえて休日に私を呼び出した中山主任は「そろそろ返事を聞かせてほしい」と切り出してきた。
 ドキドキヒリヒリするようなときめきはないけれど、きっとこういう人を選べば平和な人生を送ることができる気がする。そう考えた私は、主任に向かって「お友達から、よろしくお願いします」と古臭いセリフを口にしていた。

 昨日の時点では、たしかにそれでいいと思っていたのだ。でも今日の中山主任の予想を超えた浮かれぶりを見ていると、本当にこれで良かったのかと若干の不安を抱きそうになる。
 私はとりあえずそのことを頭から追い払い、今日最優先すべき契約書作成に取り掛かろうと机の上に顧客資料を広げた。

 その時になって初めて、書類に紛れて社内報の回覧コピーが置かれていることに気づいた。
 朝一で私の机に置かれていたようだ。契約書の雛形を画面に呼び出しつつ、左手で回覧の紙をめくって斜めに視線を走らせた。

 『入社おめでとう!』の太文字が眼に飛び込んでくる。
 二週間の研修を終えて今年の新入社員が各部署に配属される、ちょうど今日がその日だった。回覧には東京支店に配属される新人たちの名前がズラリと並べられ、その中で分譲住宅課と隣の注文住宅課所属となる6人の名前が蛍光マーカーで目立つように囲まれていた。
 営業職として男子が4人、女子が1人。事務職の女子が1人。今時の「キラキラネーム」が並ぶ中、私の眼に飛び込んで来たのは、たった一つの名前だけだった。

『竹ノ原 陸 (K大学 経営学部卒)』

 この数年の間に、これほど心拍数が跳ね上がったことはなかったかもしれない。 
 回覧を持つ手が小刻みに震え出した。口の中が急速にカラカラになる。
 
 嘘でしょう・・・?心の声が叫び出しそうになった。心臓が痛いくらいに暴れている。
 こんなことがあるなんて。偶然・・・?きっとそうだ。「彼」はもう、私のことなんてきっと忘れているはず・・・。でもこんな偶然が世の中にあるだろうか・・・?

「あ、来た来た。1年生」
 向かいの席に座る同期の内藤絵梨が、のんびりした声でフロアの先を指し示した。胸がドキンと音を立て、考えるより先に私も振り向いてしまう。

 部長に連れられて、真新しい空気を纏った新入社員たちがゾロゾロと分譲課のオフィスに入って来るところだった。みんな緊張した幼げな表情。その中に、一際背が高くて肩幅の広い青年がいた。
「お、イケメンがいるじゃん。今年はヒットかな」
 絵梨がニヤニヤしながら私に話しかけてくる。フロアにいる女子事務員たちの視線が、ごく自然にその一人に集中していくのが空気で分かった。

 ややクセのある前髪は、学生の頃より少し短い。年齢より大人びた眼差し、高い鼻筋と引き結んだ真っ直ぐな唇の形は変わらない。顎から耳へのラインは、あの頃より骨格がしっかりして頼もしく見えた。伏せた目元の涼しげな感じが、あまりにも記憶どおりで胸が苦しくなった。

 自分の見ている光景が、夢か幻のように感じられた。
 竹ノ原陸は18歳当時の面影を色濃く残したまま、更に男っぽい表情になって私の前に姿を現した。


「えー、本日より分譲住宅課と注文住宅課に配属になった今年の新入社員です。一人ずつ自己紹介して」
 分譲課の久保田課長が促し、横一列に並ばされた1年生が強張った顔で順番に挨拶をしていく。どの子の顔も名前も、何一つ頭に入ってこない。ただ陸の順番が近づくにつれ、私の心音はますます乱れて首筋にじっとりと汗が浮いた。

「K大学経営学部出身の竹ノ原陸と申します。本日より分譲住宅課にお世話になります」 
 その低い声を耳にした瞬間、涙があふれそうなほど狂おしく胸が痛んだ。


 1年生全員の挨拶が終わり、課長がみんなの前で何か補足事項を話している。
 私には何も聞こえてこない。私の眼は陸にだけ釘づけになっている。そして陸もまた、さりげなく視線を彷徨さまよわせながらオフィスに誰かの姿を探していた。やがてその眼差しが私の姿を捕えた時、彼の瞳が大きく見開かれた。

 陸の唇が、ほんの少し開いた。
 「先生」と言いかけて言葉を呑みこんだのが分かり、私は小さく頷き返した。


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