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ふたりきりの部屋
真雪は電話の向こうにいる母の言葉に戸惑いつつ、横にいる颯一郎の顔をチラリと見た。
「ゆっくり泊ってらっしゃい。むしろその方が安心だわ。お父さんには、真雪が熱を出したから仕方なく箱根のホテルに泊まらせたって言っておくから」
思いがけない母の提案に、真雪の頬が熱くなった。やり取りを把握できていない颯一郎が、隣で不思議そうに真雪の顔を見ている。
「・・・颯一郎さんも?一緒に、いいの?」
「もちろんよ。二人でゆっくり休んできなさい。言ったでしょ?お母さんは真雪の味方だし、これでも母親よ。あなたの気持ちくらいとっくに気づいてるわ」
電話の向こうで夏彦が「わー、母さん、やるー!」と興奮しているのが聞こえてくる。
真雪の瞳が嬉しさで濡れて霞んだ。頬を紅く染めたまま、颯一郎の顔を見上げる。
「お母さん、ありがとう。本当にありがとう。なっちゃんにもたくさんお礼言っといてね。・・・明日、颯一郎さんとふたりで帰ります」
横で颯一郎が驚いた顔をしている。通話を終えてスマートフォンを颯一郎に返すと、真雪は恥じらいながら彼の瞳をじっと見つめた。ドキドキして耳たぶまで熱くなってくる。
「・・・今夜は泊ってきていいって。ふたりでゆっくり休んでから、明日帰ってきなさいって」
「え・・・っ?」
「お母さん、私が誰を好きか気づいてたみたい。お父さんには上手く言っておいてくれるって」
颯一郎が息を呑んだ。
ほんの少し押し黙った後、いつもはクールなその眼差しがうっすらと濡れていく。その輝きを見て、真雪の胸は痛いほどに締めつけられた。
「颯一郎さん。今日、私の全部をあなたのものにしてくれる・・・?」
手を伸ばし、颯一郎の頬に触れた。乾いた温かい感触に心がほどけていく。
「・・・真雪・・・」
名前を呼んだきり颯一郎は口を噤み、ゴクリと喉を鳴らした。それから少し乱暴な手つきで真雪の腕を引っ張って自分の胸へと抱き寄せた。
言葉の代わりに激しいくちづけを受け、真雪は颯一郎の腕の中で恍惚と眼を閉じた。
幸運なことに、土曜の夜でもホテルの空室はすぐに見つかった。
梅雨時のせいかもしれない。ホテルのロビーも廊下も週末にしては閑散としていて、おかげで真雪は雨に打たれた情けない姿を人目にさらさずに済んだ。
颯一郎がチェックインするのをロビーの隅のソファで待った。シングル2部屋でもツインでもなく、ダブルの部屋のカードキーを持って颯一郎が戻ってきたとき、真雪は緊張すると同時に彼の決意が嬉しくて胸を高鳴らせた。
部屋に向かうエレベーターの中でも、颯一郎は真雪の手をギュッと握ってくれていた。まるでごく普通の恋人同士が旅行に来たみたいで、真雪はそんなことにも心からの喜びを感じて泣いてしまいそうになった。
熱いシャワーに打たれ、深い安堵に包まれた。冷えていた身体が芯から温まり、肌が薄紅色に染まっていく。
真雪は濡れた腕をじっと見つめた。孝之の車に押し込まれそうになったときに腕を掴まれ、声を出せないように乱暴な手で口を塞がれた。感触が肌に残っている気がしてさっきまで嫌でたまらなかったが、それもようやく消えた気がする。
温泉地のホテルに宿泊しながら部屋のシャワーで済ますというのも間が抜けているが、今夜はさすがに大浴場に行く気になれなかった。
「明日の朝、ゆっくり温泉に浸かってから帰りましょう」
颯一郎もそう言ってくれたので、真雪が先にバスルームを使わせてもらった。ひとりになると不安だろうからと、颯一郎も大浴場には行かず部屋にいてくれるのがありがたかった。
シャワーの栓を閉め、バスタオルで身体を拭いた。排水溝にからまっている自分の長い髪を拾い、ティッシュに包んでゴミ箱に捨てる。ついでに洗面台の水跳ねも軽く拭き取った。
自分の後に颯一郎がシャワーを使うと思うと、いくらお嬢様育ちの自分でもこういうことに無頓着ではいけない気がする。真雪がこんなふうに日常生活でのちょっとした気遣いを覚え始めたのは、社長室の河村主任のおかげかもしれなかった。
身体にバスタオルを巻きつけると、先ほど買ったばかりのアメニティキットの中から化粧水を取り出した。母から今夜の宿泊のお許しが出た後、颯一郎と一緒にコンビニの店内に戻って必要なものを改めて購入したのだ。
メイクを落としてやや幼くなった顔に、丁寧にローションと乳液を染み込ませていく。首筋や肩にも擦り込み、少し考えてからお尻や脚にも乳液を伸ばした。今更遅いかもしれないが、今夜颯一郎に触れられることを想像すると少しでも綺麗な肌でいたかった。
同じくコンビニで買ったショーツを身に着ける。タオルを外しバスローブを身に纏うと、雨で湿ったブラウスとスカートを抱えてバスルームを出た。
颯一郎はダブルベッドの縁に腰かけ、真雪の父と電話で話していた。
「ええ、申し訳ありません。つい一発見舞ってしまいました。それについては私自身が直接謝罪に・・・えっ・・・?よろしいんですか?・・・承知しました、ありがとうございます」
孝之を殴ってしまったことを報告したらしい。どうやら父は、それに関しては不問に付すようだ。
当たり前だ。万が一向こうが颯一郎に殴られたことでおかしな言いがかりをつけて来たら、真雪は全力で戦うつもりだった。こっちは危うく暴行されかけ、颯一郎が真雪の身を守ってくれたから逃げ出すことができたのだ。
「ええ・・・、はい。大丈夫です。もうお休みになっていると思います。お疲れですし、風邪気味のようでしたので」
颯一郎がこちらを振り向く。バスローブ姿の真雪に一瞬見惚れたような顔をした後、口元に人差し指を当てて「しーっ」と合図をした。
電話の向こうの父は、真雪と颯一郎が一緒の部屋に泊ることを知らない。真雪は音を立てないように気をつけながら、湿った服をハンガーに掛けた。後でバスルームに干しておこう。明日の朝にはある程度乾いていることを期待する。
真雪はベッドに近づき、颯一郎の隣にそっと腰を下ろした。
「・・・そうですか、それは良かったです。ええ、明日の昼には戻ります。・・・かしこまりました。では、失礼します」
電話を切った颯一郎は、腰を上げてスマートフォンを鏡台の上に置き、改めて真雪の隣に座り直した。優しい眼で、お風呂上がりの真雪をじっと見つめてくる。
「お父さん、何て言ってた・・・?」
「さっき、大堂社長のお宅から戻られたそうです。大堂さんは泣いて土下座されたそうですよ。社長ご自身もかなり気落ちしてらっしゃいます。真雪さんを無理に出掛けさせたせいでこんなことになって、責任を感じておられます」
父がしょぼんと落ち込んでいる姿を想像して、やや胸が痛んだ。そして大堂社長が泣いて謝る姿を想像すると、やはり少々いたたまれない気持ちになった。
「そう。・・・大堂社長もあの息子のことでさんざん苦労してきたのかもしれないわね」
「そうでしょう。ようやくまともになってくれたと信じてたそうですし、今回のことはひどくショックを受けられたようです。すぐに孝之氏に連絡を取って、別荘に閉じこもっている彼を部下が連れ戻しに向かったみたいですよ」
「・・・あの人、これからどうなるのかしら。あんな人がダイドウ物産の次期社長なんてあり得ないわ」
「ええ、その目は無くなりましたね。大堂社長がうちの社長に明言したそうです。息子を後継者候補から外すと。彼はまた強制的にカウンセリングを受けさせられるでしょうね。今後はもう、少なくともビジネスの表舞台には出てこられなくなると思います」
真雪はフウッと息を吐いてから、「良かった」と呟いた。その様子を見つめていた颯一郎が、真雪の濡れた髪に指を滑らせた。
「風邪をひくので髪を乾かしてください。それと、ルームサービスを頼んでおきました。30分くらいしたら来ると思うので、それまでに俺もシャワーを浴びてきますね」
颯一郎は真雪のおでこにキスすると、少し照れくさそうな顔で立ち上がってバスルームに向かった。
鏡台の前に座り、ドライヤーで髪を乾かした。
鏡に映る自分の頬が、さっきからずっと上気している。シャワーで温まったせいだけではないのは明らかだ。
バスルームから聞こえてくる水音に胸がざわめく。バスローブの下の裸の胸の先端が、つんと尖って白い布地を押し上げているのが恥ずかしかった。
ある程度髪が乾いたところでドライヤーのスイッチを切り、真雪は窓辺に近づいてカーテンを少しだけ開けて外を見た。温泉地のありふれたホテルの一室から見る雨の夜。山肌は黒く濡れていて、ところどころ湯煙なのか霧なのか分からない白い靄が立ち昇っている。
自分が今、この安全な場所で颯一郎とふたりきりでいられることに、心からの幸せを感じた。
ひとつ運命が狂っていたら、自分は今頃あの別荘で絶望の底に突き落とされ、死にたいと思っていたかもしれないのだ。そう考えると今更だがゾクッと寒気が走った。
颯一郎が真雪の運命を守ってくれた。彼が助けに来てくれたから、自分は無事でいられたのだ。
家に帰ったら、父に真っ先にそれを伝えよう。
颯一郎を愛している。他の誰でもない、彼とこの先の人生を歩いて行きたい。それ以外は考えられないし、そうでなければ自分には生きる意味などない・・・。
正直な気持ちを父に伝え、どんなに時間がかかっても理解してもらうのだ。ガラスの向こうの静かな夜を見つめながら、真雪は自分の胸に強く誓った。
バスルームのドアが開く音が聞こえた。
白いバスローブを羽織った颯一郎が濡れた髪で出てきたとき、真雪は改めて彼に一目惚れしたような気持ちになった。16の春に、初めて出逢ったときと同じように。
ルームサービスで頼んだビーフカレーとサラダを食べた後、一緒に頼んでおいたワインを飲んだ。
颯一郎はいつもと同じく、飲んでもちっとも顔色が変わらない。真雪だけが緊張もあってか僅か数口でほろ酔いになり、それでもまだ落ち着かなくてソワソワしていた。
「大丈夫ですか?だいぶ、顔が紅いですよ」
「・・・ちょっと、酔っちゃった」
「酔ってるだけですか?」
「・・・わかんない。さっきからすごくドキドキして、私・・・」
颯一郎が眩しそうな眼で微笑む。その顔にまたドキリとして、真雪は思わず眼を伏せた。
食事を終えた後、フロントに電話して食べ終わった食器類を片付けに来てもらった。
応対はすべて颯一郎がしてくれた。真雪はバスローブ姿をホテルの人間に見られたくなかったので、バスルームに隠れていた。
スタッフが出て行って部屋が静かになると、颯一郎は扉からそっと出てきた真雪の手を引っぱった。
「きゃっ・・・!」
いきなり腰の辺りから抱きかかえられ、そのまま大きなベッドに運ばれる。颯一郎は片手でベッドの上掛けを剥ぎ取り、サラサラした清潔なシーツの上に真雪の身体を横たえた。
「ゆっくり泊ってらっしゃい。むしろその方が安心だわ。お父さんには、真雪が熱を出したから仕方なく箱根のホテルに泊まらせたって言っておくから」
思いがけない母の提案に、真雪の頬が熱くなった。やり取りを把握できていない颯一郎が、隣で不思議そうに真雪の顔を見ている。
「・・・颯一郎さんも?一緒に、いいの?」
「もちろんよ。二人でゆっくり休んできなさい。言ったでしょ?お母さんは真雪の味方だし、これでも母親よ。あなたの気持ちくらいとっくに気づいてるわ」
電話の向こうで夏彦が「わー、母さん、やるー!」と興奮しているのが聞こえてくる。
真雪の瞳が嬉しさで濡れて霞んだ。頬を紅く染めたまま、颯一郎の顔を見上げる。
「お母さん、ありがとう。本当にありがとう。なっちゃんにもたくさんお礼言っといてね。・・・明日、颯一郎さんとふたりで帰ります」
横で颯一郎が驚いた顔をしている。通話を終えてスマートフォンを颯一郎に返すと、真雪は恥じらいながら彼の瞳をじっと見つめた。ドキドキして耳たぶまで熱くなってくる。
「・・・今夜は泊ってきていいって。ふたりでゆっくり休んでから、明日帰ってきなさいって」
「え・・・っ?」
「お母さん、私が誰を好きか気づいてたみたい。お父さんには上手く言っておいてくれるって」
颯一郎が息を呑んだ。
ほんの少し押し黙った後、いつもはクールなその眼差しがうっすらと濡れていく。その輝きを見て、真雪の胸は痛いほどに締めつけられた。
「颯一郎さん。今日、私の全部をあなたのものにしてくれる・・・?」
手を伸ばし、颯一郎の頬に触れた。乾いた温かい感触に心がほどけていく。
「・・・真雪・・・」
名前を呼んだきり颯一郎は口を噤み、ゴクリと喉を鳴らした。それから少し乱暴な手つきで真雪の腕を引っ張って自分の胸へと抱き寄せた。
言葉の代わりに激しいくちづけを受け、真雪は颯一郎の腕の中で恍惚と眼を閉じた。
幸運なことに、土曜の夜でもホテルの空室はすぐに見つかった。
梅雨時のせいかもしれない。ホテルのロビーも廊下も週末にしては閑散としていて、おかげで真雪は雨に打たれた情けない姿を人目にさらさずに済んだ。
颯一郎がチェックインするのをロビーの隅のソファで待った。シングル2部屋でもツインでもなく、ダブルの部屋のカードキーを持って颯一郎が戻ってきたとき、真雪は緊張すると同時に彼の決意が嬉しくて胸を高鳴らせた。
部屋に向かうエレベーターの中でも、颯一郎は真雪の手をギュッと握ってくれていた。まるでごく普通の恋人同士が旅行に来たみたいで、真雪はそんなことにも心からの喜びを感じて泣いてしまいそうになった。
熱いシャワーに打たれ、深い安堵に包まれた。冷えていた身体が芯から温まり、肌が薄紅色に染まっていく。
真雪は濡れた腕をじっと見つめた。孝之の車に押し込まれそうになったときに腕を掴まれ、声を出せないように乱暴な手で口を塞がれた。感触が肌に残っている気がしてさっきまで嫌でたまらなかったが、それもようやく消えた気がする。
温泉地のホテルに宿泊しながら部屋のシャワーで済ますというのも間が抜けているが、今夜はさすがに大浴場に行く気になれなかった。
「明日の朝、ゆっくり温泉に浸かってから帰りましょう」
颯一郎もそう言ってくれたので、真雪が先にバスルームを使わせてもらった。ひとりになると不安だろうからと、颯一郎も大浴場には行かず部屋にいてくれるのがありがたかった。
シャワーの栓を閉め、バスタオルで身体を拭いた。排水溝にからまっている自分の長い髪を拾い、ティッシュに包んでゴミ箱に捨てる。ついでに洗面台の水跳ねも軽く拭き取った。
自分の後に颯一郎がシャワーを使うと思うと、いくらお嬢様育ちの自分でもこういうことに無頓着ではいけない気がする。真雪がこんなふうに日常生活でのちょっとした気遣いを覚え始めたのは、社長室の河村主任のおかげかもしれなかった。
身体にバスタオルを巻きつけると、先ほど買ったばかりのアメニティキットの中から化粧水を取り出した。母から今夜の宿泊のお許しが出た後、颯一郎と一緒にコンビニの店内に戻って必要なものを改めて購入したのだ。
メイクを落としてやや幼くなった顔に、丁寧にローションと乳液を染み込ませていく。首筋や肩にも擦り込み、少し考えてからお尻や脚にも乳液を伸ばした。今更遅いかもしれないが、今夜颯一郎に触れられることを想像すると少しでも綺麗な肌でいたかった。
同じくコンビニで買ったショーツを身に着ける。タオルを外しバスローブを身に纏うと、雨で湿ったブラウスとスカートを抱えてバスルームを出た。
颯一郎はダブルベッドの縁に腰かけ、真雪の父と電話で話していた。
「ええ、申し訳ありません。つい一発見舞ってしまいました。それについては私自身が直接謝罪に・・・えっ・・・?よろしいんですか?・・・承知しました、ありがとうございます」
孝之を殴ってしまったことを報告したらしい。どうやら父は、それに関しては不問に付すようだ。
当たり前だ。万が一向こうが颯一郎に殴られたことでおかしな言いがかりをつけて来たら、真雪は全力で戦うつもりだった。こっちは危うく暴行されかけ、颯一郎が真雪の身を守ってくれたから逃げ出すことができたのだ。
「ええ・・・、はい。大丈夫です。もうお休みになっていると思います。お疲れですし、風邪気味のようでしたので」
颯一郎がこちらを振り向く。バスローブ姿の真雪に一瞬見惚れたような顔をした後、口元に人差し指を当てて「しーっ」と合図をした。
電話の向こうの父は、真雪と颯一郎が一緒の部屋に泊ることを知らない。真雪は音を立てないように気をつけながら、湿った服をハンガーに掛けた。後でバスルームに干しておこう。明日の朝にはある程度乾いていることを期待する。
真雪はベッドに近づき、颯一郎の隣にそっと腰を下ろした。
「・・・そうですか、それは良かったです。ええ、明日の昼には戻ります。・・・かしこまりました。では、失礼します」
電話を切った颯一郎は、腰を上げてスマートフォンを鏡台の上に置き、改めて真雪の隣に座り直した。優しい眼で、お風呂上がりの真雪をじっと見つめてくる。
「お父さん、何て言ってた・・・?」
「さっき、大堂社長のお宅から戻られたそうです。大堂さんは泣いて土下座されたそうですよ。社長ご自身もかなり気落ちしてらっしゃいます。真雪さんを無理に出掛けさせたせいでこんなことになって、責任を感じておられます」
父がしょぼんと落ち込んでいる姿を想像して、やや胸が痛んだ。そして大堂社長が泣いて謝る姿を想像すると、やはり少々いたたまれない気持ちになった。
「そう。・・・大堂社長もあの息子のことでさんざん苦労してきたのかもしれないわね」
「そうでしょう。ようやくまともになってくれたと信じてたそうですし、今回のことはひどくショックを受けられたようです。すぐに孝之氏に連絡を取って、別荘に閉じこもっている彼を部下が連れ戻しに向かったみたいですよ」
「・・・あの人、これからどうなるのかしら。あんな人がダイドウ物産の次期社長なんてあり得ないわ」
「ええ、その目は無くなりましたね。大堂社長がうちの社長に明言したそうです。息子を後継者候補から外すと。彼はまた強制的にカウンセリングを受けさせられるでしょうね。今後はもう、少なくともビジネスの表舞台には出てこられなくなると思います」
真雪はフウッと息を吐いてから、「良かった」と呟いた。その様子を見つめていた颯一郎が、真雪の濡れた髪に指を滑らせた。
「風邪をひくので髪を乾かしてください。それと、ルームサービスを頼んでおきました。30分くらいしたら来ると思うので、それまでに俺もシャワーを浴びてきますね」
颯一郎は真雪のおでこにキスすると、少し照れくさそうな顔で立ち上がってバスルームに向かった。
鏡台の前に座り、ドライヤーで髪を乾かした。
鏡に映る自分の頬が、さっきからずっと上気している。シャワーで温まったせいだけではないのは明らかだ。
バスルームから聞こえてくる水音に胸がざわめく。バスローブの下の裸の胸の先端が、つんと尖って白い布地を押し上げているのが恥ずかしかった。
ある程度髪が乾いたところでドライヤーのスイッチを切り、真雪は窓辺に近づいてカーテンを少しだけ開けて外を見た。温泉地のありふれたホテルの一室から見る雨の夜。山肌は黒く濡れていて、ところどころ湯煙なのか霧なのか分からない白い靄が立ち昇っている。
自分が今、この安全な場所で颯一郎とふたりきりでいられることに、心からの幸せを感じた。
ひとつ運命が狂っていたら、自分は今頃あの別荘で絶望の底に突き落とされ、死にたいと思っていたかもしれないのだ。そう考えると今更だがゾクッと寒気が走った。
颯一郎が真雪の運命を守ってくれた。彼が助けに来てくれたから、自分は無事でいられたのだ。
家に帰ったら、父に真っ先にそれを伝えよう。
颯一郎を愛している。他の誰でもない、彼とこの先の人生を歩いて行きたい。それ以外は考えられないし、そうでなければ自分には生きる意味などない・・・。
正直な気持ちを父に伝え、どんなに時間がかかっても理解してもらうのだ。ガラスの向こうの静かな夜を見つめながら、真雪は自分の胸に強く誓った。
バスルームのドアが開く音が聞こえた。
白いバスローブを羽織った颯一郎が濡れた髪で出てきたとき、真雪は改めて彼に一目惚れしたような気持ちになった。16の春に、初めて出逢ったときと同じように。
ルームサービスで頼んだビーフカレーとサラダを食べた後、一緒に頼んでおいたワインを飲んだ。
颯一郎はいつもと同じく、飲んでもちっとも顔色が変わらない。真雪だけが緊張もあってか僅か数口でほろ酔いになり、それでもまだ落ち着かなくてソワソワしていた。
「大丈夫ですか?だいぶ、顔が紅いですよ」
「・・・ちょっと、酔っちゃった」
「酔ってるだけですか?」
「・・・わかんない。さっきからすごくドキドキして、私・・・」
颯一郎が眩しそうな眼で微笑む。その顔にまたドキリとして、真雪は思わず眼を伏せた。
食事を終えた後、フロントに電話して食べ終わった食器類を片付けに来てもらった。
応対はすべて颯一郎がしてくれた。真雪はバスローブ姿をホテルの人間に見られたくなかったので、バスルームに隠れていた。
スタッフが出て行って部屋が静かになると、颯一郎は扉からそっと出てきた真雪の手を引っぱった。
「きゃっ・・・!」
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