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第六章 ―竜―
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「あんたに来客だよ。ノギトさんが来てる」
ゾイトイ女将が「まったくもう忙しいのに」とぼやきながら、それを告げてくれた。
虎は行儀悪く、ベッドの上にころがったまま「よう」と声をかけた。
完全に油断をしていた、と言っていい。
開口一番、ノギトはおどろくべきことを言いだした。
「娘を、嫁にもらってほしい」
真剣な表情だった。
さすがの虎も一瞬、あっけにとられた。
「……ふむ、場所を変えるか」
虎はむっくりと身を起こした。
よそ者である彼を訪ねてくるものは多い。なかなか他所へと出られぬ村人には、虎の外部での話は刺激的なものなのだ。また誰かが訪れるとも知れぬ。
このような場所で語る話ではないだろう。そう考えたのだ。
「そうしてもらえると助かる、村の中ではすぐに噂は広まる」
虎は傍らの刀をひっつかむと、先導して階段をおりる。
ノギトはその後につづいて後を追う。人気がなくなったあたりで、彼は口を開いた。
「おおむね理解しているかもしれんが、あの娘はわしらの本当の娘ではない」
それは虎の眼から見ても明らかなことだった。
セシリアの金髪と蒼い瞳は、ノギト夫妻のどちらにもない特徴だったし、なにより顔がまったく似ていない。
セシリアの容貌は、この村で際立っている。貴族の出といわれてもおかしくないほど、フフォーレでは異彩を放っていた。
ノギトはふと遠い目をした。何かを思い出すように、
「むかし、戦災で家を追われた母子がおってな。必死にこの村まで逃げてきた。母親は手傷を負っていて、ひょんな縁から、わしらが面倒を見ていたんじゃが―――」
母親はこの娘の将来をノギト夫妻に託し、そのときの傷がもとで亡くなったという。
それ以来、実の子のようにセシリアを育ててきたが、生来の無鉄砲で、あの器量だ。
窃盗団のリーダーであるボランに目をつけられたのも当然といえる。
「わしらの村におっては、いつ野盗に襲われてもおかしくない。それなら、あんたぐらい腕のたつ男がもらってくれた方が、わしも安心というものだ」
「ふむ……」
虎はぼりぼりと頭をかいた。いつもの不敵な笑みは消えている。
ノギトは微笑を浮かべて、
「あんたがそんな難しい顔をするのも、めずらしいのう」
「そうかね」虎は顔をつるりと撫でた。
気の利いた受け答えが出てこないというのも、それを認めるようで癪であった。
「……残念だが先約がある。そちらを先に片付けねばならん」
ようやく、そう答えた。
「――もしや、すでに想い人が?」
これには虎は呵呵大笑した。
「そんながらに見えるかね。俺は粗野な男さ。素性もしれぬ」
「いいや、あんたは他人を思い遣れる、いい奴だ。ここへ来て短いというのに、村人のほとんどがあんたを受け入れとる。こんなことはなかったことだ」
「みんな、おひとよしすぎるのさ」
「あんたも、そうじゃないのかね?」
「……俺か、俺は悪人さ。でなければ傭兵などやっていない」
「傭兵はみな悪人かね?」
「まあ、まともな奴が少ないことは確かだ」
「それは、間違いないようだ」
どちらともなく笑いだした。
風が、清涼な森の香りを運んできた。
ともかく考えておいてくれと言い残して、ノギトは虎の元を辞した。
「考えておけか。簡単に言いやがる……」
あとには、難しい顔をした虎だけが残った。
若干の疲労感を抱えて虎が宿へともどると、新たな来客があった。
ゾイトイ女将の顔がにやけていたので、何となく予感があった。それが的中した。
「――お父さんと、どこへ行ってたの?」
金髪碧眼の少女、セシリアだった。
「散歩だ」
「なにを話してたの?」
「天気のことだ」
虎の返事はにべもない。
セシリアはたちまち怒るかと思いきや、目を伏せたまま、なにやら考え込むそぶりである。今日はいつもと調子がちがっていた。
「ねえ、虎。あの話を聞いたんじゃないの」
「さて、あの話とは?」
「あたしが、お父さん達の本当の子供じゃないってこと」
虎はにぶい表情で彼女を見つめ返した。
その碧眼に宿る決然とした光に、溜息をついて答える。
「………知っていたのか」
「あなただって、気付いていたんでしょ。私の容貌はあまりに違いすぎるもの」
「なるほどな……ずっと悩んでいたというわけか」
「そこで問い詰めたの。私の出生の真実を。まだ小さかったから、本当のお母さんの記憶はないわ。でも私をここまで育ててくれた両親には、感謝をしてるし、愛情を感じてる。血が繋がっていなくても……」
沈黙が降りた。虎は何も言わぬ。
ただ無言で、懐から包みをとりだし、中のものを掌に転がした。
正方形の塊が、虎の掌に乗っている。
塊には、それぞれの面に一から六までの穴が穿たれている。
「……それ、何?」
「骰子《サイコロ》という。博打などに使うのさ」
虎は骰子を掌に含めたまま両手を重ね、軽く上下に振った。
「出目は?」
「えっ?」
「一から六までの穴が穿たれていただろう。その数字を当ててみろ」
「わからないわ、そんなの」
「適当でいい」
「……、なら、六で」
虎は掌を広げた。五つの穴が穿たれた面が顔を出した。
「惜しかったな」
虎はにっと笑ってみせる。
「で、これがどうしたの?」
「こんなもので、人の一生が狂ってしまうこともあるってことだ」
「どういうこと」
「この六つの穴の出目のうち、一・三・五の奇数が半。二・四・六の偶数が丁という。俺の国ではな、丁半いずれかに金を賭ける博打が流行りでな」
「正気の沙汰じゃないわ」
「そう、正気の沙汰じゃない。狂人だ。狂人というのはちと厄介でな。周りにどのような被害がおよんでも、その行為をひたすらつづけるのさ。俺の家庭はそれで壊れた」
「壊れた――?」
「俺の親父は返済能力がないのに、周囲にカネを借りてまで博打にのめりこんだ。その結果がこれさ」
虎は自分の身を親指で指ししめし、
「俺はガキの時分に裸同然で野辺に放り出された。無一文どころじゃない。マイナスさ。俺は借金取りの手から命からがら逃げつづけた。その逃亡生活のさなか、ふとしたことから剣鬼と呼ばれた男に救われ、剣術を学び、自分で生きていく術を身につけた」
セシリアは息を呑んで、話に聞き入っている。
虎はぴんっと親指で骰子を弾き、空中で受け止める。
掌を開くと、六の目が顔を出した。
「こんなもののためにな……」
虎は苦い笑みを浮かべると、それを懐に仕舞いこんだ。
「人の一生など、大したもんじゃない。こんな骰子ひとつで決められるようなものさ」
表情にかすかな寂寥感を漂わせながら、虎はいった。
「少なくともおまえには、帰る家がある。それはとてもいいことだと、俺は思う」
「あなたも、この村に……」
「俺に帰る家はない。俺はどこへ行っても、余所者なのさ」
虎は静かに背をむけると、二階の窓から空を眺めた。
セシリアも言葉もなく、その背中を見ている。
もの哀しい鳥の鳴き声が森に響いた。この地方にしか棲まないウロガラスだろう。
西の山の稜線に沈みかけた夕日が、すべてを儚げな朱色に染めていく。
まもなく深い闇がおとずれ、すべてを飲みこんでしまうだろう。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
――虎は、夢を見ていた。
虎の目前には、男が立っている。
その男はいつもの柔和な笑顔を向け、こう言った。
「――やあ、虎、きみに頼みがあるんだ」
虎は客間の椅子に腰かけ、だらしなく両足を投げだした姿勢で座っていた。
その男は、気分を害したようすもなく、寄木細工の床にすらりと立って彼を見つめている。
服装は質素なものを身につけているが、その洗練されたしぐさ、蜂蜜色の髪の下でほほえむ秀麗な容貌は、男が高貴な身分であることを雄弁に物語っていた。
体型から線の細さを感じさせるが、実際はそんなものとは無縁の男だということを虎は知っている。
「やれやれ、また面倒ごとか。たまには自分で片付けたらどうだ」
悪態をひとつ。
どうせこの男の話術には、うまくまるめこまれるだろうという諦観もありつつ、さりげない抵抗を試みる。
「そう警戒しなくていいさ。君も、うちの状況は知ってるだろう」
「お前の舌がよく回るということぐらいはな」
「ふふ、お褒めいただき、というところかな。どこもかしこも、治安は悪化の一途をたどっている。中央でも、むろん、ここでも」
彼は大仰に両手をひろげてみせた。この男が語り始めると、演劇でも見ているような気にさせられるのは、おそらく自分だけではあるまい。
どんな場所、状況でもこの男は、他人の目を惹きつけてやまない。
おかげで虎も、反発をおぼえつつ、こうして彼の元に足を運んでいるわけだ。
「私の権力は、残念ながらまだ大きくはない。主要な箇所を固めるのがやっとの状況だ」
「だろうな」
冷淡に応える。
「猖獗をきわめる野盗どもを、しらみつぶしに壊滅させるだけの兵力は割けない。そこで――――」
虎はすかさず、両のひとさし指で耳栓をして聞こえないふりをした。
男はそれを優美ともいっていい動作でひきぬくと、
「君の出番ってわけさ――――」
耳もとでささやいた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
どんどんどんどん。
早朝にも関らず、けたたましく階下の扉が叩かれている。
虎はまどろみから現実に引き戻された。
おおよそ、何が起こったのかは見当がついている。下からゾイトイ女将が慌てふためいて階段を駆け上ってくるころには、すっかりと身支度を整えていた。
「大変だよ、村人が大挙して――あら、用意がいいわね」
眼を丸くしている女将をよそに、虎は階段をおりる。
扉を開くと、村の男たち――猟師のアランもいた――が、血相を変えてあつまっている。
「大変だ、村の東門へ、野盗たちが殺到している!」
「あんたを出せと殺気立っている。どうする、俺たちも加勢するぞ」
「その必要はない」
虎はぽんぽんと背中の刀の柄をたたくと、
「物騒なことは俺の仕事さ」と、うそぶいた。
村人たちに門を開くよう指示し、虎はアランを手招いた。
そして耳打ちする。アランは一瞬ふしぎそうに首を傾げたが、
「……わかった、あんたの頼みなら」
「たのむ」
ほぼ同時に、村の東門がきしみながら開かれた。
五十人の盗賊団の総戦力が、再度集結していた。
機先を制するかのように、虎はすばやく盗賊集団の前に立った。
虎からすこし離れた後方には村人たちが、弓矢や剣、あるいは鍬などを手に立っている。及ばずながら、援護しようという構えのようだ。
やれやれ。虎はひとり苦笑を浮かべた。
「よく逃げ出さずにいたものだ。だが、その油断が命取りだ」
リーダーの巨漢、ボランがひとり進み出た。
「出たな。夕焼け窃盗団」
「やかましい。その名を口にするな」
「一度実力の違いをはっきりと見せ付けたつもりだが、わからなかったようだな」
「おまえのせいで俺たちの評判はガタ落ちだ。たったひとりの傭兵に、手も足もでないということでな。この世界で、舐められちゃ仕舞いよ。どうでもおまえには死んでもらわなければならん!」
虎がこの村に滞在するかぎり、野盗は村を狙うことができない。
それは彼らの生活が困難になるというだけではない。他の地域の盗賊団になめられ、テリトリーを奪われるという危険性を孕んでいる。
ゾイトイ女将が「まったくもう忙しいのに」とぼやきながら、それを告げてくれた。
虎は行儀悪く、ベッドの上にころがったまま「よう」と声をかけた。
完全に油断をしていた、と言っていい。
開口一番、ノギトはおどろくべきことを言いだした。
「娘を、嫁にもらってほしい」
真剣な表情だった。
さすがの虎も一瞬、あっけにとられた。
「……ふむ、場所を変えるか」
虎はむっくりと身を起こした。
よそ者である彼を訪ねてくるものは多い。なかなか他所へと出られぬ村人には、虎の外部での話は刺激的なものなのだ。また誰かが訪れるとも知れぬ。
このような場所で語る話ではないだろう。そう考えたのだ。
「そうしてもらえると助かる、村の中ではすぐに噂は広まる」
虎は傍らの刀をひっつかむと、先導して階段をおりる。
ノギトはその後につづいて後を追う。人気がなくなったあたりで、彼は口を開いた。
「おおむね理解しているかもしれんが、あの娘はわしらの本当の娘ではない」
それは虎の眼から見ても明らかなことだった。
セシリアの金髪と蒼い瞳は、ノギト夫妻のどちらにもない特徴だったし、なにより顔がまったく似ていない。
セシリアの容貌は、この村で際立っている。貴族の出といわれてもおかしくないほど、フフォーレでは異彩を放っていた。
ノギトはふと遠い目をした。何かを思い出すように、
「むかし、戦災で家を追われた母子がおってな。必死にこの村まで逃げてきた。母親は手傷を負っていて、ひょんな縁から、わしらが面倒を見ていたんじゃが―――」
母親はこの娘の将来をノギト夫妻に託し、そのときの傷がもとで亡くなったという。
それ以来、実の子のようにセシリアを育ててきたが、生来の無鉄砲で、あの器量だ。
窃盗団のリーダーであるボランに目をつけられたのも当然といえる。
「わしらの村におっては、いつ野盗に襲われてもおかしくない。それなら、あんたぐらい腕のたつ男がもらってくれた方が、わしも安心というものだ」
「ふむ……」
虎はぼりぼりと頭をかいた。いつもの不敵な笑みは消えている。
ノギトは微笑を浮かべて、
「あんたがそんな難しい顔をするのも、めずらしいのう」
「そうかね」虎は顔をつるりと撫でた。
気の利いた受け答えが出てこないというのも、それを認めるようで癪であった。
「……残念だが先約がある。そちらを先に片付けねばならん」
ようやく、そう答えた。
「――もしや、すでに想い人が?」
これには虎は呵呵大笑した。
「そんながらに見えるかね。俺は粗野な男さ。素性もしれぬ」
「いいや、あんたは他人を思い遣れる、いい奴だ。ここへ来て短いというのに、村人のほとんどがあんたを受け入れとる。こんなことはなかったことだ」
「みんな、おひとよしすぎるのさ」
「あんたも、そうじゃないのかね?」
「……俺か、俺は悪人さ。でなければ傭兵などやっていない」
「傭兵はみな悪人かね?」
「まあ、まともな奴が少ないことは確かだ」
「それは、間違いないようだ」
どちらともなく笑いだした。
風が、清涼な森の香りを運んできた。
ともかく考えておいてくれと言い残して、ノギトは虎の元を辞した。
「考えておけか。簡単に言いやがる……」
あとには、難しい顔をした虎だけが残った。
若干の疲労感を抱えて虎が宿へともどると、新たな来客があった。
ゾイトイ女将の顔がにやけていたので、何となく予感があった。それが的中した。
「――お父さんと、どこへ行ってたの?」
金髪碧眼の少女、セシリアだった。
「散歩だ」
「なにを話してたの?」
「天気のことだ」
虎の返事はにべもない。
セシリアはたちまち怒るかと思いきや、目を伏せたまま、なにやら考え込むそぶりである。今日はいつもと調子がちがっていた。
「ねえ、虎。あの話を聞いたんじゃないの」
「さて、あの話とは?」
「あたしが、お父さん達の本当の子供じゃないってこと」
虎はにぶい表情で彼女を見つめ返した。
その碧眼に宿る決然とした光に、溜息をついて答える。
「………知っていたのか」
「あなただって、気付いていたんでしょ。私の容貌はあまりに違いすぎるもの」
「なるほどな……ずっと悩んでいたというわけか」
「そこで問い詰めたの。私の出生の真実を。まだ小さかったから、本当のお母さんの記憶はないわ。でも私をここまで育ててくれた両親には、感謝をしてるし、愛情を感じてる。血が繋がっていなくても……」
沈黙が降りた。虎は何も言わぬ。
ただ無言で、懐から包みをとりだし、中のものを掌に転がした。
正方形の塊が、虎の掌に乗っている。
塊には、それぞれの面に一から六までの穴が穿たれている。
「……それ、何?」
「骰子《サイコロ》という。博打などに使うのさ」
虎は骰子を掌に含めたまま両手を重ね、軽く上下に振った。
「出目は?」
「えっ?」
「一から六までの穴が穿たれていただろう。その数字を当ててみろ」
「わからないわ、そんなの」
「適当でいい」
「……、なら、六で」
虎は掌を広げた。五つの穴が穿たれた面が顔を出した。
「惜しかったな」
虎はにっと笑ってみせる。
「で、これがどうしたの?」
「こんなもので、人の一生が狂ってしまうこともあるってことだ」
「どういうこと」
「この六つの穴の出目のうち、一・三・五の奇数が半。二・四・六の偶数が丁という。俺の国ではな、丁半いずれかに金を賭ける博打が流行りでな」
「正気の沙汰じゃないわ」
「そう、正気の沙汰じゃない。狂人だ。狂人というのはちと厄介でな。周りにどのような被害がおよんでも、その行為をひたすらつづけるのさ。俺の家庭はそれで壊れた」
「壊れた――?」
「俺の親父は返済能力がないのに、周囲にカネを借りてまで博打にのめりこんだ。その結果がこれさ」
虎は自分の身を親指で指ししめし、
「俺はガキの時分に裸同然で野辺に放り出された。無一文どころじゃない。マイナスさ。俺は借金取りの手から命からがら逃げつづけた。その逃亡生活のさなか、ふとしたことから剣鬼と呼ばれた男に救われ、剣術を学び、自分で生きていく術を身につけた」
セシリアは息を呑んで、話に聞き入っている。
虎はぴんっと親指で骰子を弾き、空中で受け止める。
掌を開くと、六の目が顔を出した。
「こんなもののためにな……」
虎は苦い笑みを浮かべると、それを懐に仕舞いこんだ。
「人の一生など、大したもんじゃない。こんな骰子ひとつで決められるようなものさ」
表情にかすかな寂寥感を漂わせながら、虎はいった。
「少なくともおまえには、帰る家がある。それはとてもいいことだと、俺は思う」
「あなたも、この村に……」
「俺に帰る家はない。俺はどこへ行っても、余所者なのさ」
虎は静かに背をむけると、二階の窓から空を眺めた。
セシリアも言葉もなく、その背中を見ている。
もの哀しい鳥の鳴き声が森に響いた。この地方にしか棲まないウロガラスだろう。
西の山の稜線に沈みかけた夕日が、すべてを儚げな朱色に染めていく。
まもなく深い闇がおとずれ、すべてを飲みこんでしまうだろう。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
――虎は、夢を見ていた。
虎の目前には、男が立っている。
その男はいつもの柔和な笑顔を向け、こう言った。
「――やあ、虎、きみに頼みがあるんだ」
虎は客間の椅子に腰かけ、だらしなく両足を投げだした姿勢で座っていた。
その男は、気分を害したようすもなく、寄木細工の床にすらりと立って彼を見つめている。
服装は質素なものを身につけているが、その洗練されたしぐさ、蜂蜜色の髪の下でほほえむ秀麗な容貌は、男が高貴な身分であることを雄弁に物語っていた。
体型から線の細さを感じさせるが、実際はそんなものとは無縁の男だということを虎は知っている。
「やれやれ、また面倒ごとか。たまには自分で片付けたらどうだ」
悪態をひとつ。
どうせこの男の話術には、うまくまるめこまれるだろうという諦観もありつつ、さりげない抵抗を試みる。
「そう警戒しなくていいさ。君も、うちの状況は知ってるだろう」
「お前の舌がよく回るということぐらいはな」
「ふふ、お褒めいただき、というところかな。どこもかしこも、治安は悪化の一途をたどっている。中央でも、むろん、ここでも」
彼は大仰に両手をひろげてみせた。この男が語り始めると、演劇でも見ているような気にさせられるのは、おそらく自分だけではあるまい。
どんな場所、状況でもこの男は、他人の目を惹きつけてやまない。
おかげで虎も、反発をおぼえつつ、こうして彼の元に足を運んでいるわけだ。
「私の権力は、残念ながらまだ大きくはない。主要な箇所を固めるのがやっとの状況だ」
「だろうな」
冷淡に応える。
「猖獗をきわめる野盗どもを、しらみつぶしに壊滅させるだけの兵力は割けない。そこで――――」
虎はすかさず、両のひとさし指で耳栓をして聞こえないふりをした。
男はそれを優美ともいっていい動作でひきぬくと、
「君の出番ってわけさ――――」
耳もとでささやいた。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
どんどんどんどん。
早朝にも関らず、けたたましく階下の扉が叩かれている。
虎はまどろみから現実に引き戻された。
おおよそ、何が起こったのかは見当がついている。下からゾイトイ女将が慌てふためいて階段を駆け上ってくるころには、すっかりと身支度を整えていた。
「大変だよ、村人が大挙して――あら、用意がいいわね」
眼を丸くしている女将をよそに、虎は階段をおりる。
扉を開くと、村の男たち――猟師のアランもいた――が、血相を変えてあつまっている。
「大変だ、村の東門へ、野盗たちが殺到している!」
「あんたを出せと殺気立っている。どうする、俺たちも加勢するぞ」
「その必要はない」
虎はぽんぽんと背中の刀の柄をたたくと、
「物騒なことは俺の仕事さ」と、うそぶいた。
村人たちに門を開くよう指示し、虎はアランを手招いた。
そして耳打ちする。アランは一瞬ふしぎそうに首を傾げたが、
「……わかった、あんたの頼みなら」
「たのむ」
ほぼ同時に、村の東門がきしみながら開かれた。
五十人の盗賊団の総戦力が、再度集結していた。
機先を制するかのように、虎はすばやく盗賊集団の前に立った。
虎からすこし離れた後方には村人たちが、弓矢や剣、あるいは鍬などを手に立っている。及ばずながら、援護しようという構えのようだ。
やれやれ。虎はひとり苦笑を浮かべた。
「よく逃げ出さずにいたものだ。だが、その油断が命取りだ」
リーダーの巨漢、ボランがひとり進み出た。
「出たな。夕焼け窃盗団」
「やかましい。その名を口にするな」
「一度実力の違いをはっきりと見せ付けたつもりだが、わからなかったようだな」
「おまえのせいで俺たちの評判はガタ落ちだ。たったひとりの傭兵に、手も足もでないということでな。この世界で、舐められちゃ仕舞いよ。どうでもおまえには死んでもらわなければならん!」
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
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