風と共に現れし虎、風と共に消える。

チャンスに賭けろ

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第九章 ―決―

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 ブライの身は中空にある。
 死に体だ。
 もはやかわす術はない、確信と同時だった。
 ルゴルスは、口から火炎を噴いた。

 ドラグ族はドラゴンの末裔とはいえ、長い年月を経て、ほぼ別種へと変化を遂げている。
 かつて空を縦横に駆けめぐったという、強靭な両翼は退化し、消失している。
 さらに火炎や、氷の息といった始祖の特技は、とうに使えなくなっていた。
 
 しかしごく一部、ドラグ族の上級種、ハイ=ドラグのみに、その失われし特技が備わっているという噂はあった。
 しかし噂は噂である。そもそもドラグ族ですら、多数派とは言いがたいのだ。
 なかでも存在すら疑問視されるハイ=ドラグなる希少な種族の確認できないいま、陳腐な伝説のようなものに過ぎない。
 そう言われてきた。

 しかし、それは真実であったのだ。
 この場に居合わせたものだけが、それを知った。
 この流れの傭兵にまで身を落としたドラグ族が、まさかハイ=ドラグだとは。
 
 雇用主の野盗どもですら、驚愕おどろきに眼をまるくしている。
 理解の範疇を超えていたのだろう。


 「虎! ――――ブライ―――ッッ!!」

 セシリアは危険も顧みず、身をのりだし、叫んでいた。
 ものの焦げるいやなにおいがした。

「ギャアアア――――――ッッ!!」
 
 耳をつんざくような絶叫がこだました。
 男が苦痛にまみれ、地面にのたうちまわっている。

 「どいて、どいて、ブライ!!」

 呆然と立ちすくんでいる野盗を次々とつきとばし、セシリアは奔る。
 その狼狽ぶりはふつうではない。周囲のようすも殆ど目に入っていない。
 顔面は蒼白で、思考もなにもかも吹き飛んでいるようであった。
 その勢いに気圧されたか、盗賊たちも彼女にちょっかいをかけようとはしなかった。
 セシリアは倒れた男に駆け寄った。
 
「―――アッ!」

 セシリアは息をのんだ。

「グウオオォォォッ!!!!」

 おびただしい血を流し、のたうちまわっているのは、ルゴルスだった。
 そして、抑えている腕の先がない。
 手首は、柄をかたく握りしめたまま、両刃斧とともに大地に突きたっている。


「―――炎を使え。出血で死ぬぞ」

 ブライが叫ぶ。
 肉の焦げる異様な臭気がただよった。
 ルゴルスが切断された傷口に、火炎を放射したのだ。

「グウウウウウッッ!!」

 あまりの激痛に、竜顔をゆがめるルゴルス。
 焼灼止血法が功を奏し、それで出血はおさまった。

 「いったいなにが……」
 
 呆然とつぶやいた矢先―――

「そんなに慌てて、何か探しものか?」

 いつもの調子で軽口を叩いているのはブライだった。
 彼はばたばたと、盛大に燃えたマントの火を消そうとしている。
 それが無駄な努力とわかると、舌打ちとともに投げ捨てた。もはや使い物にはなるまい。

「さらばだ、マント。おまえとは長い付き合いだったが……」

 ぶつぶつと、大まじめな顔で別れを惜しんでいる。

「――――馬鹿!!」

  セシリアは叫んだ。
  これにはあきらかにブライもむっとしたようすで、

「なんだ、だれが馬鹿だ。馬鹿というやつが馬鹿だ」

「ばか、ばか、ばか!!」
 
 聞いていない。
 セシリアはブライの胸元を、どんどんと叩きつつ、くりかえす。 
 かよわい力だった。きっと見上げた瞳から、大粒の涙がこぼれている。


 「むう……」

 ブライはこの男には珍しく、難しい顔をしていた。
 どう扱っていいか、困惑しているのだ。
 ぎゅっと抱きしめると壊れそうなぐらい、細い。
 おそるおそる、といった感じで彼女の頭をぽんぽん、と叩き、

「泣くな。俺は平気だ」

 返事がない。もう一度、おなじ言葉をくりかえした。

「………うん」

 やっとセシリアに微笑がもどった。涙を滲ませながら。

「一体全体、なにが起こったってんだ、一瞬の出来事すぎて、脳がおいつかねえ」

 野盗のリーダー、ボランが頭をかかえている。

「最初から、この男は狙っていたのさ」

 灼いた傷口に布切れを巻きつけながら、ふらふらとルゴルスは立ち上がった。

「どうかな、たまたまだろう」

「いや、そうとしか考えられぬ。おまえは最初から、俺を殺すつもりがなかった。でなければ、あの動きは納得ができぬ。この武器だけをねらうがために抜かなかった」

 ブライが跳躍した瞬間―――ルゴルスが好機と見て、炎を放射したとき―――すべては既に決していた。
 ルゴルスの立てた仮説は、間違っていた。
 
 ブライの選んだ能力は飛翔ジャンプだったのだ。

―――盲点だった。

 と、ルゴルスも認めざるを得ない。
 高速をかわすには、高速をもって対するしかない。
 愚かしいその先入観こそが、すべてを曇らせていた。
 旋回する竜巻の頭上ごと超える。かれの発想にはまるでなかった。
 ダメージなど生じるはずもなかったのだ。

 そして、あの刹那――――

 たしかに狙い通り、ブライは跳躍した。いや、飛翔した。
 だが彼の飛翔は、追いつめられ、尻尾から宙へ逃れるためのものではなかった。
 ある目的のもとに、指向性を持って跳んだのだ。

 大刀ごと、独楽のごとく縦回転しつつ翔んだ。
 すなわち、速度増加ブーストの源である斧へと。
 抜け目のないことに、跳んだ余勢を駆って、背の大太刀を抜いている。
 
 空中で、戦斧と大刀が交差した。
 横回転と縦回転。
 刀と斧。

―――断ち切られたのは、斧だった。

「火炎を噴く可能性も、万が一の可能性として、念頭においていたのだろう?」

「念には念を入れすぎることはないからな」

「やはりか。でなければ、外したマントが偶然、俺の顔の前に来るという事態はありえない」

ルゴルスは自嘲気味の笑みを浮かべた。
――すべての攻撃は、見透かされていたのだ。
  
「衝撃だな……」

 腕の痛みよりも、あらゆる戦術で上回られたという衝撃の方が大きいのだろう。
 ルゴルスは俯いたまま、
 
「これほど強い人間に逢ったことはない……俺の完敗だ」

 いさぎよく敗北を受け入れた。

「引いてくれるか」

「無論だ。勝敗は決した。斧の加護も断ち切られているし、おまけにこの腕だ」

 手首より先のない腕をかざしてみせる。

「……これからどうするつもりだ」

「いい治癒師ヒーラーに会うころには、手は腐りはてているだろう。接合はあきらめている」

 戦士として、利き腕を失うのは致命的だ。
 大怪我がもとで職を失う傭兵はごろごろいる。

「やめるか。戦士を」

「―――まさかな。俺にはこれしか能がない」
 
 心なしか、晴れやかな顔つきだった。覚悟が決まったのだろう。

「闘いは終わらぬ。利き腕ではない方を鍛錬し、でなおすさ」

ルゴルスの瞳は不屈にかがやいている。

「……そうか。どこかでまた逢うかも知れぬな」

「ブライ、おまえは最初に『虎』と名のったな」

「そうだったかな」

「まさか、おまえは七獣の………」

「さて七獣とは。聞いたことがないな」
 
「馬鹿な。聞いたことがない筈はない。すべての傭兵の憧れである至高の存在、『七獣』。――おまえのその、人を超えた動き。あるいは――」

「知らん。聞いたことがない」

 執拗にくりかえした。かたくなな態度にルゴルスは苦笑し、

「わかった。そういうことにしておこう」
 
 ルゴルスは懐から貨幣の詰まった革袋をとりだし、そっと地面に置いた。

「仕事は果たせなかった。これは返す」 
 ルゴルスはちらりとブライに惜別わかれの眼差しをおくると、静かに去っていった。
 痛みをみじんも感じさせない、颯爽たる背中を残して。
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